診療中 ちょっと薔薇を摘みに… ~ そして暗闇の中へ ~
その日の朝はいつもと違っていた。
ただ立っているだけでも息苦しかったのだ。
今までに感じた事がないようなダルさというかふらつきというか、ベッドからもなかなか起き上がれなかったのを覚えている。
だが、その日は担当処置が朝イチからラストまでと予約もみっちり入っており、患者さんとの約束を破るわけにはいかない状態だった。
気力を振り絞って朝の身支度をし、お弁当の準備をし、軽く朝食も済ませて何とか家を出た。
出勤をし、いつものように残務処理や在庫確認の作業を始めたのだが、何をするにも兎に角息切れが酷かった。
他のスタッフが出勤し始め、その子と普通に会話をしただけだったのだが、話しているだけでも息切れを起こした。
私はそれを悟られまいとしたのだが、勘のいい笠原さんには気付かれてしまった。
「秋山さん?顔色悪くありません??」
「無理しない方がいいですよ?」
「秋山さんが担当する場所の掃除は私がサッと代わりにしておくんで、こっそり休んでおいて下さい♪」
「もし突然休まれて秋山さんの担当処置が私にばかり割り振られたら地獄なんで、頼みますよっ!(笑)」
と、笠原さんが言ってくれた。
笠原さんなりのその優しい言葉に甘えられ、少し安心出来たのか、朝礼が始まる頃には幾分か体調が良くなっていた。
そして午前の診療が開始した。
基本的に担当処置は定期検診やSRPなので、椅子には座る事が出来る。
それでも息苦しさは続いていた。
午前中は何とか気合いで乗り切ったのだが、可能であれば緊急時用の酸素をこっそりと吸入したいくらいにツラかった。
お昼休みに入るとすぐ横になった。
スタッフルームは割と広く、畳のスペースと椅子やソファーのスペースがある。
小池たちは座り心地の良いソファーの辺りを常に占領していた。
私は小池たちから一番離れた、畳のスペースのテレビの見えづらい競争率の低い場所を自分の休憩場所としていた。
そこは壁にも寄りかかれるし、作業をするにも邪魔が入らないし、逆に私は気に入っていた。
ただ一つ難点があるとすれば、患者用玄関と通用口に設置されているインターホンが鳴った場合には、お昼寝をしていても私の近くにある子機で対応しなければならなかったことくらいだろうか。
畳のスペースは4畳半程度あり、体調の優れない者は横にもなれるし、お昼寝をしたいスタッフや小池たちが苦手なスタッフはそこを選びがちだった。
横になってみると非常に楽だった。
目を瞑って15分くらい経ち、お弁当も食べられそうになったので電子レンジでチンして温めた。
私がお弁当を食べ始めた頃、小池たちが何かこそこそと言っているのが聞こえてきた。
小池:「アイツ、朝から体調悪そうじゃね?」
上木:「確かにー!何でしょうね?」
藤堂:「あっ!私、わかっちゃったかもー!」
「ワンチャン、妊娠とかじゃないですか~?」
上木:「えっ!だったらウケるんですけどーwww」
藤田:「藤田それ気になりますっ!」
小池:「シーッ!聞こえるでしょ~?」
「デリケートな時期なのかもしれないじゃ~ん??」
「ダメだよ~、そんな酷いこと言っちゃ!クスクスッ♪」
全員:「wwwwwww!」
私は体調が悪過ぎて小池たちを睨み返す余裕もなかったので、ただただ無視をした。
お弁当は少なめに作ったのだが、何とか食べきった状態だった。
食べないと午後も動けなくなってしまうと思い、頑張って完食した。
歯磨きを済ませ、スマホの目覚ましをセットし、ギリギリまでひと眠りすることにした。
何分くらい昼寝をしただろうか…。
目覚ましのバイブレーションではなく周囲の話し声で起きた時、少しだけスッキリとした感じがした。
スマホに目をやると、あと数分で目覚ましが作動する状態だったのでそれを解除した。
ゆっくりと起き上がると、午前中よりは良くなっているように感じた。
私は心の中で、
「きっと大丈夫!私ならデキる!」
「あと少し頑張れば、明日は休診日!お休みだからゆっくりできる!ガンバレッ!」
と、自分で自分を鼓舞した。
午後の診療は処置の時間が押すこともなく、比較的スムーズにいった。
もしかすると、笠原さんや普通のスタッフが気に掛けてくれて、手が空くと手伝ってくれていたからかもしれない。
その優しさを感じると、
「あぁ、ありがたいな…。」
と思った。
息苦しさはあったものの、手技に影響するような状態ではないと自己判断をし、担当処置を続行した。
診療も残り1時間程度となった頃、何となく私はトイレへ行きたくなった。
我慢できない感じではなかったのだが、ちょうどその時間の予約がキャンセルになり、次の担当処置まで20分は時間が空いていたから無意識に体が反応したのかもしれない。
だが、私の予約にキャンセルが出た場合には、院長に呼び出されてその時間をご自身の無駄な指示の為に使われる事が多かった。
正直どうでもいいような内容が多かったのだが、そういった時に私の姿が見えないとサボっていると院長に受け取られ兼ねなかった。
その上、小池たちが院長に嘘をつく可能性もゼロではなかった。
私は誰かに声を掛けてからトイレへ行こうと周囲を見渡すと、ちょうど笠原さんがいたので呼び止めた。
秋山:「ちょっとお手洗いへ行きたくて…。」
「もし院長が私を探していたらそう伝えてもらえますか?」
笠原:「はい。大丈夫ですよ。」
「やっぱり体調悪いんですか?」
秋山:「うん…。でも、あと1時間くらいだしね。」
「最後の担当処置は検診だから何とかなると思うんだ。」
「じゃあ、お願いします。」
笠原:「了解ですっ!」
「では、ごゆるりとお花を摘んでおいでませ♪」
そう笠原さんは戯けて言いながら、淑女がスカートを持ち上げてご挨拶をするような仕草をした。
私は「ふふっ♪」と笑うと、笠原さんと別れてトイレへと向かった。
私はトイレに入るといつも通り用を足した。
笠原さんに私の行き先は伝えてあり、急ぎでもなく、すぐに戻る必要性もなかった。
そう安心した私は、もう少しここにいようという気持ちでトイレに腰掛けたままゆっくりとしていた。
勤務中に一人きりになれる空間は、基本的にはトイレしかない。
様々な緊張感の中で日々耐えている診療室を出てトイレに入る時、全てのイヤな感覚から解放されるようなそんな瞬間が一瞬だけあった。
個室であり、誰からも指図を受ける事はない唯一の空間。
そんな風にぼーっと何かを考えつつも、診療室には戻らないといけない。
それが現実。
「はぁ~…。」
と、私は深くため息をついた。
その時、何となく気が抜けたのかもしれない。
あるいは、心の底から診療室には戻りたくなかったのかもしれない。
私は身なりを整える為に立ち上がろうとした。
それと同時に一瞬にして目の前が白くなり、私の身体は制御を失いかけた。
その時の私は、暗闇の一歩手前にいたのだ。
いつも読んで下さっている方々、そして、お立ち寄りいただいた方々に感謝申し上げます。
不定期ではございますが、無理なく頑張って更新して参りますので、この物語にも気長にお付き合いいただけますと幸いです。




