1日目『夜②』
コーヒーを飲みながら、緑の月を眺める。
これが、いつも見る黄色い月ならなんとも思わないのに。
中身が空になったコップを見つめ、もう一度、天を仰ぐ。
やっぱり緑。
月は何度見ても緑。
最初は突然に色盲になったのかと考えた。
それなら月以外の物まで違う色に見えるはずだが、それはなかった。
月に対してだけ視神経疾患が出るとは、俺の知識上、あり得ない。
考えられるとすれば、俺の心因性要因だけだが。
これに関しては、否定は出来ないが。
でも、月にトラウマやこだわりを抱いたことは一度もない。ましては脳疾患や眼疾患では局所・・・しかも月だけとかあり得ない。
と、悩んでいると、
『ぐぅぅぅぅぅぅ』
と、腹が鳴る。
腹へったな。
そういや運転しながら昼食に食パン二枚を食べたっきり、何にも口にしてないや。
あー、悩んでも仕方い。飯を作ろう。
椅子から立ち上がり、湯沸しケトルを手に車へ戻る。
キャンピングカー中のキッチンに行き水を入れ、『非常食』とかかれたワゴンの中からカップ麺を手に取る。そして食器棚から箸を一膳出し、再び外に出て焚き火の上に吊るした金具にケトルをかける。
もう、外は真っ暗。
ここで1から夕食を作る気が起きなかった。
湯が沸き上がるまで、またまた俺は考える。
どうしてこうなった?と。
離婚後、仕事に打ち込めると張り切ってアメリカの研修に来たその日に、唯一の肉親である両親と兄弟が車の仕事で死んだ連絡を受けた。
そのよく分からない連絡を夢の延長のような気分で受けた俺。そこに前日によく分からないまま近くの店で進められるがまま、買わされたナンバーズくじが当たってるとの連絡。それがまさかの15億ドル、日本円にして1800億円の大当たり。
税金引かれても微々たるものだ。
それを手にして日本に戻るも、大金を手に入れた誰にも言っていないのに、『父の母の旦那の従兄弟の子供』や『父の弟の嫁の母親の姪』など、ワケわからん親戚を名乗る人物が押しかけてきた。
俺の両親はそれぞれ一人っ子。祖父母ももう他界しているのにだ。このエセ親類達は連日連夜、金をせがむよう自宅にも職場にも押しかけ、俺は職場にもいられなくなった。
それならばいっそと、手に入れた大金で完全カスタマイズのバスコンをキャンピングカーを作った。
あ、作ったのはちゃんと業者ですけど。
バスコンキャンピングカーは金にものを言わせ、1kのアパートのように仕上がった。
元々、ベッドより布団派の俺は、ベッドなんかでスペース喰うよりも、収納重視にしたかった。
風呂トイレ別、キッチンオール電化、ドラム式洗濯機に大型冷蔵庫や冷凍保存専用。衣類等の収納はウォークインクローゼットとミニコンテナ。無論、冷暖房完備。テレビは薄型の65インチ壁掛け。寝床など寝袋で十分だ。
自宅のマンションの荷物を厳選して運び込んだ椅子やテーブル家具。着替えや食器。
そして、このキャンピングカー自体を超高性能のソーラー発電機電気自動車にしてもらった。
まあ、ソーラー発電にも限界はあるので、雨や台風等の自然的制限がない限りは出来るだけ外で火を起こし自炊している。
プクプクと、湯が沸騰する。
ケトルを取りカップ麺に注ぐと、急ぎ蓋をする。
ここからの3分が、ただが3分なのに長く感じるのが、カップ麺の憎らしいところだ。
そろそろ3分たったかな。蓋をめくり、箸で麺を少しほぐす。
うん、まだ少し固いけど、食べれないほどではない。
まずはスープを一口。
少しカップを傾けるだけで、熱気が俺のメガネを襲い、一瞬でメガネは白く染まる。
そして口腔内に広がるいつものシーフードの味。
安っぽいのに、ついつい買ってしまうこの味。
俺が子供の頃はカップ麺すらご馳走だった。
カップ麺、昔は一つ100円から120円くらい。それを5人家族の我が家が買うと全部でおよそ700円。
人参3本が98円、卵10個入りが120円の時代。その人参炒めと卵焼きひときれ、それに八百屋がタダでくれ大根の葉っぱ味噌汁と米を入れて、一人頭毎食20円で生活していた幼少期の俺は、カップ麺がたまらなく美味しく感じたものだ。
今思えば、そんな貧乏な中でも必死にやりくりしてくれた母親の料理のほうが、よっぽど美味しいのだけど、当時の俺は物珍しさもあったんだろうな。カップ麺が好きでたまらなかったよ。
今、死んだ母親の料理は二度と食べられないけど、このカップ麺だけはあの頃と同じ味がする。
この緑の月の下で、そんなことを想いながら、俺はこのシーフードカップ麺を一人黙々と食していた。
そんなバスコンキャンピングカーはこの世にはないとは思いますが。




