87話 弾正さんとのお茶会その2
「姫様。そこは、かわかもめ 偲ぶよすがに 影が差し あまご泳ぎし 霜は降りつつ。ですぞ」
「ごめんなさい。調子に乗って少し言いすぎたかもしれない」
弾正殿の歌を解説すると、"かわかもめ"は、師匠である武野紹鴎のことを指します。本業が皮屋さんだったから、"かわ"で、"かもめ"は、紹鴎の"鴎"ですね。"あまご"が私で、"霜"が弾正の唐名の霜台の"霜"ということです。
それで、弾正殿が師匠を偲んで茶を点てているのに、私が茶化したものですから、俺が落ち込んだじゃないかゴルァ! という歌を返してきたわけなのです。和歌というのは、高度な知的センスを要求される遊びなのであります。
連歌ともなれば、なおさらセンスが問われるのです。掛詩とか暗喩とかの言葉遊びもありますし、古典文学の教養を身に着けるのは、なかなか難しいのですよ。
まあ、私自身は和歌のセンスがないのを自覚しておりますので、精々が昔の歌をパクって派生歌を作るのが関の山なのですがね。
「いえ、なんとなく姫様が仰りたいことは理解できましたので」
シャカシャカシャカ……
「どうぞ」
「頂戴します」
コクっ
あっ、これ美味しいわ。うむ、苦味が抑えてあって、一杯目のお茶よりもまろやかに感じますね。さすがは、一流の茶人ですよね。
「飲みやすくて、美味しいお茶ね」
「それは良うございました」
「それで、商人や坊主の茶でない、武家の茶。これが一つの答えではないのですか?」
「武家の茶……」
茶の湯の道は、なにも一つでは無くてはならないなんて訳でもないしね。どの分野においても流派は分裂して、枝分かれして行く運命なのですから。
「松永流でも弾正流でも霜台流でもいいから、自分の流派を作りなさいよ」
「自分の流派ですか?」
「その道で一番に成りたかったら、二番煎じ三番煎じではダメだよ。新しい道を自分で切り開かなきゃ!」
お山の大将なのか猿山のボスなのかは知りませんけど、とにかく一番に成りたい人は、横道や脇道とか獣道を見つけて、その先に新たな山を築くのです。私には、それが王道なのか邪道なのかまでは知りませんけれども。
宗教が良い例ですよね。仏教の場合ですと、仏の教えの解釈の違いによって、真言宗や天台宗、浄土宗に浄土真宗。日蓮宗に臨済宗など、多種多様な宗派が生まれてしまっているのですから。
ブッダが説いた教えなんて、大昔のその時代を生きていた人たち、それ以外の人は正確には知らないのですから、色々な解釈が成り立つのであります。元の教えは、本当は一つのはずなのにね?
キリスト教もそうですね。カトリックにプロテスタントに正教とかありますもんね。
とどのつまり、行く着く先は結局のところ、人間なのです。うーん、私ってば哲学者にでも成れそうな、悟りの境地の気がしないでもないですね。
うーむ、その点で言えば、神道は、かなりアバウトで適当な宗教と言えるのではないでしょうか? まあ、神さまが八百万もいれば、アバウトにならざるを得ないのかも知れませんが。
「なるほど。姫様が申されることは、一理ありまするな」
「まあ、小娘の戯言だけどね」
「いやいや、参考になりましたぞ」
「そう、弾正殿の役に立ったのならば幸いだわ」
これだけ焚き付けておけば、ボンバーマンが開祖の武家の茶が生まれる下地には十分ですよね。私は、もっと気楽にお茶を楽しみたいのですから。ボンバーマンは新たな茶の湯の流派を開けてハッピー! 私も堅苦しくないお茶を飲めてハッピー!
うむ、これぞ、win-winの理想的な関係ではないでしょうか。
「それで、姫様も自分で新しい道を切り開いているのですかな?」
「うん? どういう意味でかな?」
はて? なんの道でしょうかね? まつりごと、領内の仕置きでしたら、私の尼子領内の統治は、基本的には父上の統治方法を踏襲しているにすぎません。つまり、国人領主の権限を弱体化させる中央集権化ですね。
まあ、多少は、私流のアレンジも加えてはいますが。それとも、殖産振興、富国強兵のことですかね?
「朝廷や公方や三好との関係ですよ」
「ぶほぉっ!!」
思わずお茶を噴き出してしまったではないですか! フキン、フキン、あ、弾正さんありがとうございます。サッと布巾を手渡してくるだなんて、気が利きますね。
しかし、こんなカウンターパンチを繰り出して来やがりましたか。
「そ、それを、いま、この場面で私に聞くぅ!?」
「この場面、この茶室だからこそですかな」
まあ、この茶室は、普段は言えないことを言う、聞けないことを聞くのには、密室談義は持って来いのシチュエーションではありますけどさぁ。でも、ここは、胸襟を開いて誠実に答えておく場面なんでしょうね。
「朝廷は権威という箔を付ける、お飾りのままでいて欲しいわね」
「それは某も同じ思いにて。では、姫様は公方とは、どう付き合って行くのですかな?」
「その答えは、弾正殿の立ち位置によって、三通りになると思うのだけど?」
「御供衆兼三好家臣では、いけませんか?」
ボンバーマンも建前上は、その立場を崩せないのですね。でも、私に対して突っ込んだ内容を振ってくるということは…… 足利と三好、その先を見据えてということでしょうね。
「温いわね。その言葉が本当ならば弾正殿は、私にこんな事を聞かないでしょうに」
「それは姫様が仰る通りですな」
「まあ、貴方の立場もあるでしょうから、答えてあげるけどさ」
「かたじけない」
恐らくは誠実さこそが、相手に本当のことが伝わる唯一の手段だと思いますので、正直に思ったままを述べましょうか。うん。私ってば、なんて清廉実直なんでしょうか! また、日本語の歴史に、新たな言葉を創ってしまったみたいですね。
「ハッキリと言うけど、もう既に足利は死に体だよ」
「左様ですな」
なにかあると、直ぐに京から逃げ出す将軍が、なんで滅亡もせずに命脈を保っていられるのか、それが不思議な気もしますよね。まあ、畿内には畿内の都合というモノがあるから、生きながらえさせてもらえるのでしょうけど。
「三好の政権運営の為だけに、生かされているのでしょ?」
「姫様は良く分かっておいでですな」
「私は、そんな足利と心中する気はさらさらないよ」
「うーむ、そろそろ潮時ですかの」
あー、ボンバーマンも引き際を見極めたいから、私を出汁にして探っているのでしたか。でも、三好政権は足利を傀儡にして成り立っているのだから、その傀儡を排除してしまったら立ち行かなくなるのでは?
足利義輝を排除しても、平島公方を持ってくれば良いという発想なのかも知れませんね。あれ? でもこれって史実と同じじゃないのかな?
といいますか、これでは、なんだか私もボンバーマンと一緒に、足利義輝を排除する謀議をしているような感じがするのですけど、気のせいですよね? ……気のせいだと思いたいです。
これはヤバイ。非常に、この展開はヤバイです。ヤバイぞぉぉぉ! 私は無関係を装わなくては!
「それで、飯盛山城で長慶殿にも言ったけど、三好が盤石ならば私はお呼びではないわよ」
「三好が盤石でなければ、どう動きますかな?」
「その時の状況次第としか、言いようがないわよ。出来るだけ畿内に首を突っ込みたくないのは本当のことだしね」
エスケープです。出来るだけ穏便に離脱するのだ。抜き足差し足忍び足で安全圏に出たら、そこからは一気に反転して一目散に逃げるのです。三十六計逃げるに如かずとか言いますしね!
「京の都はいらぬのですか?」
しかし、回り込まれてしまった! ぐぬぬ…… だがしかし、この程度で挫けていられるのならば、私も戦国大名などしてはいないのだよ。そういう訳ですので、話をずらしましょうか。
「私のことよりも、弾正殿は先に大和を固めなさいよ。あそこは、面倒な土地なんでしょ?」
「これは、姫様に一本取られましたな」
ぬははははっ! 勝った。
さりげなく、私に京の都を勧めてくるのが怖いのですが。まさか、私に京を支配せよなどと、唆してる訳じゃないよね? ごめんでおじゃる。おおっ、怖っ!
あと、ボンバーマンが言いたいことは、尼子と三好の勢力圏の確定でしょうね。いずれは、勢力圏が隣接するでしょうしね。
「正直に言うとね、但馬、丹後、若狭までは進出する大義も権利も尼子は有しているのよ」
但馬については、因幡山名の山名豊通が大義になり、若狭は武田の分家である武田高信が大義と成り得るのです。あと、それぞれの港にある尼子の商船が持っている色々な権利も、権利保護という名分が大義になったりもするのです。多少、強引ですがね。
丹後については、現状では正式な大義はありませんけど、 地縁血縁が複雑に絡み合っていますので、探せば一色氏と縁続きの人物を見つけるのは、容易だとは思います。まあ、眉唾物を含めて大義は出てきそうですよね。
最悪の場合は、でっち上げという方法もまかり通ってしまいますしね。勝てば官軍ともいいますし、このクソッタレな戦国時代では、いちゃもんとかの難癖でも大義になり得るのです。ああっ、素晴らしきかな末法の世。
「丹波が入っておりませぬな」
「丹波は、貴方の弟さんの領分ではありませんか」
ボンバーマンの弟とは、松永長頼さんのことです。もう既に、丹波守護代の内藤家へ婿入りして、内藤宗勝とかいう名前に改名しているのですがね。でも、毛利ジジイと違って、お家乗っ取りまではしていないみたいなのですよ。
それが、手緩いと感じてしまうだなんて、私も大概戦国の世に毒されているという証拠でしょうか?
それで、丹波ですけれども、丹波は尼子がもらうとかなんとか言って、あえてボンバーマンの機嫌を損ねることを言う必要もないのですから、丹波は松永の勢力範囲ですよ。そう、私が認めたということです。
「姫様からの言質を頂いたと思ってもよろしいのですな?」
まあ、確認といいますか、念は押してきますわな。だがしかし、
「あー、北丹波の天田郡と何鹿郡は尼子で押さえさせてもらうわよ」
「田辺と若狭への繋ぎですな?」
「うん。あの二郡は但馬、丹後、若狭を結ぶのに重要な土地だからね」
未来では、福知山とか綾部の辺りになります。宮津や舞鶴へ抜けるのに通らねばならない場所ですよね。まあ、そんなの関係ねえといって、大江山の山中を突き抜けて行くことも出来なくはないのですが、山道は疲れそうですよね……
ですので、できるだけ平地に沿って進みたいのが人情ってもんでしょう。
「波多野や赤井が反抗的だから、どうせ現状では、口丹波しかまともに統治が出来てないのでしょ?」
「それは事実でありまするな」
丹波という国は、南と北と西で、見せる顔がまるっと違うのです。南と東は口丹波といって京の都の影響が強くて、北は但馬や丹後とか若狭と結び付いてますし、西は加古川を下って播磨と結び付いているのです。篠山の辺りは摂津とですかね?
そもそも、こんなにもバラバラなのに、一つの国として纏めているのが無理がある気がしますね。まあ、どうでもいいことでしたね。
「まあ、なんだかんだ言っても、現状では捕らぬ狸の皮算用でしかないけどね」
「それもそうでしたな」
「これで、尼子と三好の勢力範囲の確認は済んだね」
「播磨がまだですぞ」
そういや、すっかり播磨を忘れてたわ。基本的に、播磨は放置しておいても問題なさそうなんだけどなぁ。播磨は小豪族の寄り合い所帯ですので、尼子にとっての危険性は低いんだよね。うーん、どうすんべ?
「播磨は、東播磨の別所を緩衝地帯として残して置けば、問題ない気がするけど?」
「西播磨の赤松や小寺は如何するので?」
「放置よ、放置。相手が敵対しなければ、私からは当分の間は攻め込まないよ。備前も取ったばかりだから、まずは備前を安定させるのが先だよ」
領内を安定させるのが為政者の務めなのですから。人は食べなければ生きては行けないのですよ。みんなも戦ばかりしていないで、田畑を耕して米と麦を増産しましょう! これ、戦国時代を終わらすのに大切なことだと思います。
いや、本当に、マジで、切実に……
「なるほど、分かりました。では、その線で。姫様とは、これからも良きお付き合いをして行きたいものですな」
「それは、私もだよ。まあ、弾正殿には釈迦に説法だと思うけど、公方様と畠山と六角には十分に気を付けなさいよ」
「姫様も、やはり仕掛けて来るとお思いですか?」
史実の歴史では、来年か再来年ぐらいには、久米田の戦と教興寺の合戦が発生する予定なんだよね。私は畿内にはほとんど干渉してませんので、この世界でも似たような合戦は発生するはずなんだよなぁ。
「ほぼ間違いなく、畿内で大戦が起こるだろうね」
「大戦ですか? うーむ……」
「そうなったら、私は出雲から弾正さん頑張れーって応援してあげるよ!」
まあ、私が応援しなくても、ボンバーマンが教興寺合戦で死ぬことはないのですがね。多分ですけど。
「姫様の応援よりも、出雲からの援軍が欲しいですな」
「播磨と但馬は尼子の軍勢が通れないから無理!」
「そうでしたな……」
そんなにも、がっかりなんかされたら、なんか私が悪いみたいじゃないですか! 私は無実ですってば!
ショボくれて可哀想ですから、火縄銃でも回してあげましょうかね?




