70話 流民
永禄3年(1560年)5月下旬 出雲 月山富田城
「領内に流民の流入が増えてる?」
「御意。備前、美作、因幡に播磨や但馬などから流民が押し寄せておりまする」
「あー、飢饉で食うに食えない連中が、比較的マシな尼子領内を目指してきたということでしたか」
「左様かと思われます。中には畿内からやって来た連中もおりまする」
うーん、どうすんべ? もしかしたら、こういった事態になるかも知れないと、ある程度の予想はしていたといえばしていたのですがね。でもそれが露見すれば、現実の問題として対処しなければならないのです。
「流民の数は、どれぐらいの人数なの?」
「知らせをくれた時点でも、三ヶ国を合わせれば既に七、八百人に上りますな」
「これから夏に掛けて、さらに流民が押し寄せてくると考えると頭が痛いわね」
少なく見積もっても、これからさらに流民が数千人単位で押し寄せてくるってことだもんね。でも、我が尼子領内も、そこまで余裕があるわけじゃないのが本音ではあるのです。万単位の流民なんて恐怖以外のなにものでもありません。
そうかといって、尼子に行けば、豊かな出雲に行けば助かると思って、わざわざ遠くからやって来た流民を見殺しにするわけにも行きませんよね。
流民が野盗や山賊にでも化けたのならば、それこそ領内の治安が悪化して民の不安に繋がりますので。ここは、戦用に備蓄してある兵糧を取り崩して、それを流民にあてがう以外の方法は思いつきませんね。
押し寄せる流民の数が、万単位にならないことを祈るしかありません。
「いまは三ヶ国とも粥を炊き出して飢えを凌がせてはいるようですが、出雲と違って備前や美作の兵糧の蓄えは豊富ではありませぬ」
「おひいさま、如何なされるのですか?」
「多胡爺、城の蔵にある一部の米を放出しても構わない?」
義倉を建てたのは良いけど、その肝心要の義倉の中身は、まだほとんど空っぽなのですから。今年の秋以降に、米、麦、蕎麦、粟、稗を、1:1:2:3:3の割合で義倉に押し込めておく予定にしてあります。
「やはり、それしかありませぬか」
「うん、軍用の兵糧を流民に分け与えるしか思い浮かばないよ」
「流民にも手を差し伸べるだなんて、おひいさまはお優しいですね」
ふっ、照れるぜ。私の愛は空よりも広く海よりも深いのであります。
「でもこれで、秋まで大規模な軍勢は動かせなくなるわね」
「それは致し方ありませぬな」
「飢饉という非常事態だからね」
流民が尼子領内に定着してくれれば結果的に領内の住民が増えるので、それは生産力の増加に繋がり延いては尼子の国力が増すことにも繋がるのですが、一時的に見れば穀潰しを養うということでもあります。痛し痒しですよね。
でも、ここは近視眼的な視野狭窄に陥るのではなく、長期的な視点に立ってものごとを考えるべきであると思うのです。
流民が新たに田畑を開墾すれば、石高も上がりますし納める年貢も増えるのです。流民の中には、もしかしたら貴重な技術を持った職人がいるかも知れませんしね。まあ、そんな貴重な職人は食べるのに困ることはなさそうな気もしますので、
わざわざ尼子領内に流民となって現れるのも微妙かも知れませんけれども。しかし、いま現在は穀潰しの流民であったとしても、来年の秋か遅くとも再来年の秋には、流民も尼子の納税者となって、ちゃんと年貢を納めてくれるように成るのですから、
ここは大事に保護をするべきなのでしょう。
「流民を保護すれば尼子の民となって、将来的には税を納めてくれるでしょうね」
「うん、それは春姉の言うとおりだね」
うん? そういえば、この時代って税を納めるのに、かなりの不公平感があるような気がしますね。農民は年貢として強制的に米や穀物を納めさせられているのに、それに対して商人とかは実質的に無税みたいなものですしね。
まあ、商人も関所や港で税を取られてはいるのですが、それは商品の価格に転嫁されているので、やはり商人の懐は痛まないのです。ここは一つ尼子領内での会計基準を作って儲けた分から税を支払ってもらうべきでしょうね。
でも、帳簿の付け方ってどうやるんだろ? 簿記、ましてや複式簿記なんてシロモノはさっぱりわからんちゃ。複式というからには前年度から儲けや借金や予算を繰り越すのだと、漠然とは分かるんですがね。多分ですけど。
こうなってみると、前世でちゃんと真面目に学校に通っておけばと後悔をしますね。まあ、先に立たないから後悔っていうのだけどさ。
店の規模の大小によって税を毟り取るのも一つの手ではありますけど、それは確か悪手であったはずなのです。店の間口の広さで税率を掛けたもんだから、うなぎの寝床なる奥に細長い建屋ができたとかいってた気がしましたしね。
三人集まれば姦しいじゃなくて文殊の知恵とか言いますし、ここは奉行衆とかと知恵を絞ってみますか。
「でも、恩を仇で返すって言葉もありましたね」
「食い逃げされるのは気分悪いよね」
食った分は働いて返すのでござる!
「今年の夏さえ越せれば、また故郷へ戻るだなどと戯けたことを申す者がおれば、さすがに処断せねばなるまい」
「そういった連中は極々少数だと思いたいよ」
「そうですね」
流浪の身で施しを受けてまでして、後足で砂をかけるような真似をする忘恩の輩はいないと信じたいですね。まあ、尼子領内は他国と比べても発展して豊かだと思いますので、わざわざ貧乏な地元に戻る人は少ないと思いますがね。
普通の人間は豊かさを覚えてしまったら最後、貧乏には戻れない戻りたくないのですから。捻くれ者や偏屈者は除くけど。
「それじゃあ、山名と川副と宇喜多に書状を認めるから」
「おひいさま、なんて書いて送りますか?」
「因幡の流民は強制的に出雲と伯耆に移送するよ。備前と美作にいる流民でも出雲に移住したい者は連れてくること」
「それ以外の流民は、どうされます?」
「備前で干拓して新田開発をしてもらおうかな」
旭川と笹ヶ瀬川の治水をしつつ、児島方面に向かって陸地を伸ばせれば平野が広がるしね。この干拓が成功した暁には、御野郡も猫の額と呼ばれることもなくなるでしょう。何年の時が掛かるかは分からないけどね!
「なるほど、それは良き案にござりまするな」
「もちろん、流民の適性を見極めた上で配置することは忘れないでちょうだい」
「職人に田を開墾させるのは畑違いですからのぉ」
「そういうことよ。職人には職人の仕事があるんだから」
職人、技術者は喉から手が出るほど必要な人材なのですから。徴兵されるのは研究者や技術者を除く、それ以外にしなければ国が傾くのです。それを怠って十把一絡げに徴兵なんぞすれば、亡国待ったなしの状態になってしまうのですよ。
そういえば、前世の過去でそれをやらかした国があったような気がしますね。ええ、もちろん、亡国しちゃいましたね。理系の人は、いつの時代でも代えの利き難い重要な人材なのです。
つまり、戦力の適正配置は重要だよねってことです。
文系? 文系は十把一絡げでナンボじゃね? もちろん、いなければ困りますけど、研究者や技術者よりは代えが利きやすいのは事実ですしね。
ドタドタドタ
「騒がしいぞ」
慌てて来たのは鉢屋衆の頭領でしたか。
「これは多胡様、失礼つかまつった。されど至急、姫様の御耳に入れたき儀がござりますれば、平にご容赦のほどを」
「ふむ、申せ」
「はっ、東海道に放っていた繋ぎからの知らせです」
っ!? 東海道からの繋ぎで至急の知らせといえば、この時期だと思い当たるのは一つしかないですね。
「尾張から? それとも駿河から?」
「尾張からの知らせでござりまする」
「どっちが勝ったの!」
「はっ、織田にござりまする! 今川治部大輔が討ち取られた由にて!」
ふぅ、もしかしたら、私が信長に対して『桶狭間』なんて言ったことが、いらんことしーのお節介をしてしまい、史実と違った結果になりはしないかと、ビクビクしていたんだけれど杞憂に終わったみたいでしたね。
良かったよか……? 本当に、これで良かったのか?
あの当時とは、私と尼子の置かれている状況は様変わりしすぎなのだ。つまり、二年前は信長に勝って欲しくて思わず、桶狭間なんて口走ってしまったけど、いまの私の立場からして、本当にこれが良かったことなのか?
信長に天下を取らせてその庇護下に入るには、もう既に尼子は大きくなりすぎているのです。信長が畿内に進出してくれば、間違いなく尼子とぶつかります。そして、間違いなく信長は尼子を潰しに掛かるでしょう。
この二年の間で、私には背負うモノが増えすぎました。そして、その背負っているモノを放り出すことは、既に許されない立場なのです。
織田を潰すか私たちが潰されるかの戦国サバイバル、地獄の釜の蓋が開いてしまったのかも知れません。これは一度、毛利ジジイと相談したほうが良さそうな気がしますね。
まあ、私的には出雲一国の安堵で、織田に従属するという下種なプランもオプションとしては、あるにはあるのですがね!
文系の方、ごめんなさい><




