33話 出雲へ帰る途中です 【玉姫漫遊記地図4】
永禄元年(1558年)9月 伊勢湾海上
「あいしゃるりたーん! 伊勢の海老よ暫しの別れじゃ!」
アイルビーバック! 私は必ずや伊勢に戻ってくるぞ! 待っていてくれ! 伊勢海老に車海老よ! いつか、私の胃袋に収めてみせてやります。
誰だ、美味しいモノは一度に全部食べないで分けて食べろとか言ったヤツは! こんなことなら、初日に海老とかも全部頼んで食べとけば良かったですね。後悔先に立たずとは、この事ですよね……
あ、鮑とサザエは美味しゅういただきました。あと、名前は知らないけど砂に埋まっている細長い貝も美味しゅうございました。あの貝って塩を振り掛けるとピュッって出てくるんですよね。
「また訳の分からない言葉を言ってますね…… また、おひいさまの病気が始まりましたか」
むむっ、病気とは失礼な! でも、コレヒドールから逃げ出したコーンパイプのオッサンの台詞だから、そぐわなかったかも知れませんね。私は伊勢から逃げ出した訳では、断じてないのですから!
「侍女のねーちゃんよ、尼子の姫君はそんなに海老が食べたかったのか?」
「そうみたいですね。伊勢の大湊に着いたと思ったら、直ぐに帰国命令が届いて海老を食べ損ねましたので」
いえす! あいむりたーんとぅーほーむふぉーいずーも! じーざすくらいすっ!
「ふむ、この船では海老は無理だが魚は釣れるから、なんぞ釣ってしんぜよう」
「ご迷惑ではないですか?」
「なに、いつも釣りをして飯の足しにしているのでな。心配はござらん。ハマチかヒラマサでも釣れるであろうよ」
なぬっ!? ハマチが釣れるですと! じゅるり……
「ハマチにヒラマサですか?」
「春姉、ヤズやメジとかヒラソのことだよ」
「なるほど。でも、魚ってその土地その土地で名前が変わってしまうから覚え難いですよね」
「まあ、それは侍女のねーちゃんが言うことも最もだな」
地方で名前が違う魚なんてゴロゴロいるもんね。あと、出世魚も名前がコロコロ変わるし、その名前がまた地方地方で呼び名が違うというややこしさなのです。名前ぐらい統一せい! そう思っても罰は当たらない気がしますね。
それはそうとして、
「大将! カンパチが釣れたら最高だね!」
「カンパチ? ああ、シオのことか。シオは半月ばかし遅かったかも知れんな。もう南の海へ行ってしまったはずだ」
ジーザス…… なんてこったい!
翌日 伊勢 桑名郡 桑名
「春姉、桑名といえば!」
「桑名といえば?」
「ハマグリでしょう!」
「はいはい、さっさと船に乗って揖斐川を上りますよ。今日は美濃と近江の国境まで行くと言ったのは、おひいさまですよ?」
「ああーっ! まだハマグリも食べてないのにー!」
この世の神は死んだ……
同日 美濃 多芸郡 笠郷 船着村
「俺の船はここまでだな」
「大将ありがとう!」
「いいってことよ! 銭は割増しで貰っているからな。また伊勢に来ることがあれば、俺の船を使ってくれよ!」
「そういえば、大将の名前を聞いてなかったね」
「そうだったか? 俺の名前は小浜久太郎だ。名前を知らなければ指名して貰えないところだったな」
九鬼嘉隆とかじゃなかったのね。伊勢志摩の水軍イコール九鬼の一族だと思っていましたので、ちょっと残念な気もしますが。けど、伊勢志摩の小浜なんとかという一族は、後に家康の下で水軍の大将になっていたような気がしましたね。
恐らくは、その小浜なんとかさんの同族なのでしょうね。
同日 美濃 石津郡 沢田村付近 牧田川
「船頭さん、あれが南宮山だよね?」
現在、私たちが乗っている舟は揖斐川を離れて牧田川を上っています。宰相殿の空弁当で有名な南宮山を見上げているのです。こうして南宮山の南側から関ヶ原方面へ川を上っていて思うことは、毛利秀元に本当に東軍と戦う気があるのならば、
吉川広家が動かないから、毛利本隊も動けないなんて言い訳は使わずに、南宮山を南側から下りて北西に駆けて関ヶ原の裏手から、福島隊や藤堂隊の後ろから襲い掛かれば良かったのでは? その思いが強くなりますね。
つまり、吉川広家と黒田長政の裏取引とは別に、毛利秀元も、『徳川とまともに戦うな』とか、毛利輝元に言い含められていたのではないのか? そんな仮定も成り立つのであります。こうやって色々と想像を巡らすのって楽しいですよね。
「ああ、そうだがや」
「ということは、あっちが松尾山ということか」
ふむふむ。関ヶ原を裏側から見るのも、これはこれで乙なものですね。まあ、山に隠れて関ヶ原自体は見えませんけどね。ちょうど関ケ原の合戦で島津軍が敵中突破を敢行して脱出した時に使った、伊勢脇往還を逆にたどっているみたいなものですね。
「巫女様は、若いのに物知りじゃのぅ」
「まあね。杵築の大社様の加護のおかげですよ」
「おひいさま、この川を上って本当に近江まで行けるのですか?」
「この舟のままでは近江には入れないけど、その手前の国境にある今須という所までは舟で行けるよ。ねぇ船頭さん?」
これって、美濃と近江の国境を、今須と柏原の間の数キロを運河で繋いだら琵琶湖と伊勢湾が繋がるということですよね。もっとも、小早程度までの小舟しか使えないかも知れませんが。けど、運河を建設できれば便利にはなりそうですね!
もっとも、美濃も近江も私には関係のない土地なのが残念ではありますけれどね。とりあえず、いまはまだ心のメモ帳に書き留めておくだけにしましょうかね。
「ああ、巫女様の言う通りだが。あの松尾山の向こうが今須で、眼と鼻の先が直ぐ近江だがね」
「なるほど。不破の関の手前にある今須は、行きに通りましたから覚えてます。確かに近江は直ぐ側でしたね。安心しました」
「ちょっと! 春姉も少しは私の言葉を信用しなさいよ!」
「おひいさまの言うことは、それはそれで信じてますよ。でも、地元の人の意見も大事ですから」
春姉も私の言葉に安心して欲しいのですけどね。まあ、地元の船頭さんが言う言葉の方に重みがあるのも致しかたありませんか。
翌日 近江 坂田郡 国友村
トンテンカンテン、カンカン、キンキン、トンテン
「こんにちは~」
「お? 誰かと思えば、杵築大社のお姫様ではないか! ワシが出雲を離れたのが春だから、半年振りか?」
「ええ、その節はお世話になったわね。貴方たち国友衆のおかげで出雲での鉄砲生産も順調だよ」
本当に、国友の鉄砲鍛冶師様様だよね。近江に足を向けて寝られません。まあ、私は普段は北向きに寝ていますから大丈夫ですね!
「それは良かった。ワシらも教えた甲斐があったというもんだ。それで、今日はどうしたんだ?」
「伊勢から出雲に帰る途中に寄ってみたのよ。なんか鉄砲に関する新しい道具ってないかな?」
「新しい道具か? そういえば、雨に濡れても消えにくい火縄が出来たとか言ってたな」
「それちょうだい!」
その火縄があれば、鉄砲の弱点であった雨に弱いという部分が、ある程度はカバーできるではありませんか! もちろん、土砂降りの雨の中で使うのは無理でしょうけれど。でも、戦力アップには間違いなさそうですね。
「さすがにタダであげる訳にはいかんぞ? 火縄を作っている連中も商売でやっているのだからな」
「もちろんよ。作り方を教えてくれるだけで良いよ」
この時代には特許なんて高尚なモノはないのですから、授業料を払おうとする私は、まだ良心的な部類に入るのであります。手前味噌ですがね!
「お姫様よ。それでは、火縄が売れんだろ……」
「でも、近江で作った火縄だけでは全部は賄いきれないのではないかな?」
「まあ、そう言われてみれば確かに、お姫様の言う通りか」
「うんうん、そうでしょ! そうでしょ!」
だから、早く私に雨火縄の作り方を教えるのだ!
「ふぅー、お姫様の頼みとなれば仕方ないな。ちょっくら話を付けてくるから待ってな」
「あいよー」
あとは早合とかいうヤツですね! アレってどういう仕組みなんでしょうかね? 根来か雑賀の傭兵に聞いた方が早そうな気がしますね。なにはともあれ、
雨火縄ゲットだぜ!




