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皆殺しの地から

「一番から十番、用意はいいか?」


 月が雲間に隠れる夜に、女性の内なる声へ対して胸中で十の声が返る。

その全ては色よいもので、襲撃の準備は万全といった所だ。


「ならば戦闘を開始しなさい、捕らえられている違法奴隷を保護し、我が国の人間が関わったという痕跡一つ残さず関係者は皆殺しにするのです。森の国からの禁制奴隷は売買の中継地点にされた我が国の小屋で私が偶然拾った、という形にする事になっています。屋敷の人間は目標以外全員殺しつくすこと、全てが済んだら賊の仕業のように見せるために火を掛けて」


 顔色一つ変えずに冷徹な命令を下す金髪の女の名は、スペイシー・ベック。

ある程度黙認された非合法の領域で、やりすぎた逸脱者を狩り殺す猟犬達の頭である。


 制圧は順調に進んでいった。

音を殺す特殊な製法で作られた闇に紛れる顔を隠した濃紺の皮鎧を着た騎士達が、音も無く一人また一人と屋敷の内部の人間を尽く殺して行く。

そこには何も知らずに雇われたばかりの見習い小間使いに至るまで、一片の例外もない。

正規の騎士は絶対に覚えない音殺しの魔術と的確に急所を抉る剣技で静かに事を進めて行く。


 スペイシーは至って平凡な、このような任務を行うどころか、朴訥なパン屋の嫁にでも納まっているのが相応しい穏やかな顔で。

魔術によって届く念話の報告で状況を把握する。

そんな彼女は背中に見た目の何倍もものの入る魔法の背嚢を背負って、騎士たちの中にあってただ一人長袖のロングスカートのお仕着せのワンピースドレス、つまりはメイドの服装をして静々と廊下を進んでいた。


 そして、その最中にすっと現れた覆面の騎士が一つの鍵を手渡す。

豪奢な金細工に赤い宝石があしらわれたそれを、視線一つ投げるだけで受け取り彼女はなんの感慨も感じた様子は無しに進む。

音を殺す騎士たちの中で唯一自然な足音を、それも少し急いでいる風に立てて、小走りで駆け出すスペイシー。

彼女は一つの巨大な扉の前に立つ。


 これは豪華なだけで内実は檻と同じだ。

転移魔法の阻害術式に外に超硬金属であるアダマンと内部に対魔法能力に優れるミスレル。

それらで一つの部屋を完全に閉鎖し、獲物を閉じ込める。

そういう檻である。


 だがそんな檻も、閉じられるべき鍵がしかるべき方法で開けられてしまえばただの底の抜けたカップだ。

スペイシーはなんの障害も無く鍵を開き、部屋の中に侵入した。


 豪奢なつくりの室内。

部屋の壁は柔らかなクッションで覆われ、鉄格子のはまった窓から差し込む月光を受けて、肌触りの良さそうな光沢を放っている。

目に痛いほどの赤に埋め尽くされた部屋の中心に置かれた白の寝台に、一つの膨らみがあった。


 絹のカバーに羽毛のクッションを詰められた軽く暖かな掛け布団をそっとめくり、スペイシーは目的の人物と接触する。

卵の殻のような布団の中から現れたのは、翠の髪を持ち、人より横に細長い耳を持つ、人ならざるヒトの一種族、森人だった。

彼はこの環境になれていないのか、布団を捲られただけで目を擦りながら覚醒する。


「おねーさんだぁれ?」

「私はスペイシー。貴方が見ているのは夢よ」

「夢……?」

「そう、目が覚めれば牢屋ではなく自由な森の中の小屋に居るわ。ここでの数日間は夢なの」

「ゆ……め……」


 スペイシーが目を煌かせ言い聞かせるたびに、少年の艶やかな黒檀のような瞳が揺らぎ、いつしか瞼を下ろした。

それを確認するとスペイシーはそっと、見た感じ人間の七歳ほどの、女性が抱きかかえるには少々大きな少年を軽々と持ち上げる。

後は彼女は出てきた時のように、静かに、密かに。

夜の闇に紛れて街を出て、隠密性に長けた乗猫と呼ばれるクァンと呼ばれる黒毛の短毛種の巨大な猫につけた鞍に静やかに乗った。

軽やかに足を乗せた鐙で軽く両脇腹を蹴ると、クァンは草原の上を柔風が撫でるように駆け始める。


 月が雲間から顔を出す頃には二人を乗せたクァンは街を遠く離れ、近くに用意された森の中にあるあえてあばら家のように作られた仮小屋へと辿り着いていた。

スペイシーは森の中に降り立ちクァンの頬を撫で、帰還するように促す。

だがクァンは離れようとしない。


「お帰りなさい。貴方にはまだこの国ですべき事がある」


 言い聞かせるスペイシーに頬を寄せるクァンの湿った鼻先を、パンッと乾いた音が襲う。

突然与えられた刺激にぶなぁと低い声で鳴いて、クァンは身を竦ませる。

そんなこの瞬間元相棒となった彼にスペイシーは言い放った。


「私はこの任務を果たせばもうこの国には帰れないの。新しい人を背に乗せなさい」


 後は振り返らずに仮小屋の中に入って行く。

クァンはそれの背中に一声鳴いて、その場を去った。

尾を引かれていることを示す、か細く哀しげな鳴き声を残して。




 夜が明けて、少年が目を覚ます。

冬の入りで火を熾しても少々冷え込む小屋の中で、ブランケットの中で、着た覚えの無い綿の服に身を包んで起きた彼の傍に、スペイシーが僅かな薪で火を起こして作ったスープを持って立っていた。


「……おねーさん、だぁれ?」

「とあるお方のお屋敷で働いていたのですが、郷里で父と母が亡くなったと聞きお暇を頂いた。ただの元メイドよ。貴方こそ、こんな小屋に一人で寝ていてどうしたのですか?」

「え?えっと、おじ様の家にあそびに行くとちゅうで、そ、そうだ!馬車がおそわれたんだ!グレタ!ビッケ!どこにいるの!?」

「落ち着いて、このスープをお飲みなさい。貴方以外は誰も、この小屋には居なかったから」

「そんな……そんなぁぁぁぁ……うああぁぁあ……」


 人目もはばからずに声を上げ、鼻をぐずぐずと鼻水でくちゃくちゃにして、可愛らしい人形のような顔を歪めて泣く少年の、柔らかな翠の髪を優しくスペイシーは撫でる。

少年が泣き止むまで頭を撫で続けた後、力な手を降ろした少年の手にしっかりとスープの皿をもたせると、彼女のは力強い声で言った。


「貴方は見るところ、森の国の人でもまだ子供ですね?私が必ず貴方をご両親の所に連れて行ってあげます」

「え?」


 涙で濁っていた少年の瞳に、僅かに光が戻る。

スペイシーはスープ皿を持つ手を包み支えながら続けた。


「私、スペイシー・ベックが必ず貴方を守り、森の国へ帰すことを誓います。どんな困難が待ち構えていようと、どんなに遠い道のりだろうと。身命を捧げて」

「おねーさん……おねーさんはそれでいいの?」

「スペイシー、と。私が自ら決めて立てた誓いです。必ず貴方を守ります」

「ぼく、またおとうさんとおかあさんに会える?」

「会えます。必ず。親しい供の人間を失われて哀しいでしょう。ですがその為にすべき事を忘れてご両親を悲しませてはなりません。帰りましょう、貴方の家へ」

「ぼくの、家……か、帰りたい……おとうさんとおかあさんに会いたい!」


 再び涙ぐむ少年の肩をそっと抱き寄せ、彼の耳に胸を当て、鼓動を聞かせながらスペイシーは言った。


「お会いになれますとも。その元気をつけるために今はお食事を……そして、よろしければ貴方のお名前を教えてください」

「ぼくの名前は、エク・イル・ナク。ぼくを家に帰してください」

「承りました。さぁ、スープをお召し上がりください」

「うん……我らが森をはぐくむ大地のめぐみがいただけたことをかんしゃいたします……イーヴァ」


 落ち着いたのか、簡単な祈りを捧げた後スープに口を付けるエク。

こうして後ろ暗いものを持つ、メイドに扮する女騎士と、翠の少年の旅は幕を開けるのだった。

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