第五話 入口だけ立派でも、中が空なら読者は帰る
第四話以降の閲覧数は、きれいな右肩下がりを描いていた。
第一話を100人が読む。
第二話には87人。
第三話には79人。
ここまでは悪くない。
改稿前とは違い、タイトルから入ってきた読者の多くが、最初の危機と【安全地帯】の発現まで読んでいる。
問題は、その先だった。
第四話、58人。
第五話、41人。
第六話、29人。
第七話、18人。
「……芸術的っすね」
水城ミナが、管理画面の推移を見ながら言った。
「何がだ?」
「読者が一話ごとに、きれいにいなくなってるっす」
「…芸術ではない」
「じゃあ、避難訓練っすか?」
「読者は避難しているわけではない」
「この小説から避難してるっすよ」
俺はノートパソコンを操作し、話別の閲覧数を表計算ソフトへ移した。
そこには各話の離脱率や、平均読了話数などの指標が記録されていた。
「何してるんすか?」
「離脱要因を分析している」
「もう分かってるでしょうが」
「…まだ断定はできない」
「面白くないんすよ」
「それは感想だ」
「読者が逃げたっていう数字に裏付けられた感想っす!」
俺は反論せず、第四話の内容を表示した。
第四話では、主人公の黒川蓮が【安全地帯】の効果範囲を調べている。
半径2メートルからはじまり、3メートル、4メートルと続く。
そして魔力消費量は、面積に比例して増加する。
続く第五話では、持続時間を検証した。
静止状態なら4時間。
歩きながら展開した場合は20分。
走ると7分。
第六話では、安全地帯の中へ何人収容できるかを試した。
大人4人。
装備を外せば6人。
子供なら8人程度。
第七話では、魔物を意図的に誘い込み、どの攻撃まで防げるか確認している。
「極めて重要な検証だ」
「ゲームの攻略サイトなら読むっすよ」
「能力の仕様が曖昧なままでは、今後の展開に矛盾が生じる」
「作者が裏で決めておけばいいんす!」
「読者にも伝えなければ――」
「必要になったときに、一個ずつ見せればいいんすよ!」
ミナが画面を指差す。
「第四話から七話まで、主人公ずっと一人で地面に線を引いてるだけじゃないっすか!」
「能力を検証している」
「言い換えても地面に線を引いてる事実は変わらないっす!」
俺は原稿を読み返した。
主人公が杭を立て、距離を測り、魔力を流す。
その結果を記録する。
もう一度試し、さらに条件を変える。
その結果をまた記録する。
確かに、行動としては単調かもしれない。
「だが、能力の成長を楽しむ読者もいる」
「いると思うっすよ」
「ならば問題はない」
「能力が成長してないっす」
「読者の理解は進んでいる」
「読者が見たいのは主人公の成長であって、取扱説明書が完成する過程じゃないっす!」
ミナは俺からノートパソコンを奪い、第一話から読み返し始めた。
追放し、新人探索者の救助の時、【安全地帯】の発現。
それに探索者協会が謎のスキルに気づく。
そこまでは、彼女も黙って読んだ。
だが第四話に入った途端、顔から興味が消えた。
「第一話で助けた新人たち、どこ行ったんすか?」
「帰還した」
「追放したクランは?」
「まだ出番ではない」
「探索者協会の人は?」
「能力について調査中だ」
「誰も出てこないじゃないっすか!」
「主人公が能力を把握してから、周囲が動く予定だ」
「周囲が動く前に読者がいなくなったっす!」
「………」
その通りだった。
主人公以外の登場人物は、第一話を最後に姿を消している。
会話もないし、対立もなく、事件もない。
主人公が一人で能力を調べ、その結果に納得する。
それだけだ。
「橘さん」
「…なんだ?」
「この主人公、何がしたいんすか?」
「誰も死なない最強クランを作る」
「今のところ、作ってないっすよね」
「そのために能力を――」
「能力の検証は手段でしょう?」
「そうだ」
「手段だけで五話使って、目的が一ミリも進んでないっす」
俺はその指摘に思わず口を閉じた。
仕事であれば、準備は重要だ。
新しい事業を始める前に市場を調べる。
リスクを洗い出す。
必要な資金や人員を計算する。
不明点を残したまま実行へ移すのは危険だ。
しかし、物語の主人公が何話も準備だけしていれば、読者にとっては何も起きていないのと同じなのかもしれない。
「つまり、各話で目的を進める必要がある」
「それもあるっすけど……」
ミナは歯切れ悪く言った。
「何だ」
「たぶん、それだけじゃないっす」
「分かりやすく、具体的に言え」
「この主人公、好きになれないっす」
「第一話で新人を助けたぞ」
「そこはよかったっす」
「追放されても腐らず、自分の能力を研究している」
「真面目っすね」
「合理的で判断も早い」
「橘さんみたいっすね」
「ふふん、優秀だろう?」
「そこっすよ!」
ミナが俺を指差した。
「何がだ?」
「ずっと正しいんすよ、この人!」
「正しいことに問題があるのか?」
「間違えない。迷わない。怒らない。困らない。能力の検証も全部予想通り。誰かに助けを求めることもない」
「主人公として理想的では?」
「人間として面白くないっす!」
ひどい評価だった。
「読者は、間違える主人公を見たいのか?」
「間違うところだけ見たいわけじゃないっすよ」
「では何だ」
「応援したくなるところっす」
「…新人を救った」
「一回だけでしょう?」
「十分ではないか」
「それ以降、誰とも関わってないっす。傷つかないし、恥もかかないし、何も失わない。能力の性能表を作ってるだけっす」
俺は黒川蓮という主人公について考えた。
32歳で十年間クランに所属。
初期職を選び続けたことで無能扱いされ、追放。
その後【安全地帯】を発現。
将来は、誰も死なない最強クランを作る。
設定はある。
経歴もある。
目的もある。
しかし、ミナの言うとおり、現在の彼には感情がほとんどない。
追放されても冷静。
能力を得ても冷静。
新人を救っても冷静。
すべてを事実として受け入れ、次の作業へ進む。
「じゃあ、どうすれば、応援したくなるんだ?」
「私に聞くんすか?」
「君は読者代表だ」
「勝手に全国の読者を背負わせないでほしいっす」
「では、探索者として答えろ」
ミナが眉を寄せた。
「何をっすか?」
「探索者は、どんなときに他人を応援したくなる?」
「他人を、っすか?」
「そうだな…例えば弱い探索者や、不遇な探索者を見たときはどうだ?」
「うーん……」
ミナは少し考え、ソファの背へもたれた。
「となると…そういう人が頑張ってるときっすかね」
「だったら主人公は一万時間努力している」
「数字だけでしょう?」
「十分な努力だ」
「一万時間って書いてあるだけで、その間に何があったか分かんないっす」
努力を数字で表現したことが、逆に感情を消している。
俺には一万時間という数字が十分な説得力に思えた。
だが、その一万時間で何を失い、何を耐え、なぜ続けたのかは書いていない。
「例えばっすけど」
ミナが口を開いた。
「私が新人だった頃、同じパーティーに、すごく弱い人がいたんすよ」
「どの程度だ?」
「戦闘スキルがほとんどなくて、荷物を運ぶだけ。体力もないし、魔力も少ない。正直、なんで探索者になったのか分からないくらいだったっす」
「じゃあ役に立たなかったのか?」
「最初は」
ミナは、少しだけ目を細めた。
「でも、その人、毎回誰より早く来るんすよ。全員分の装備を点検して、薬の期限を見て、水筒が空なら補充して。ダンジョンから戻ったら、汚れた装備を洗ってたっす」
「裏方業務だな」
「そうっす。誰でもできる仕事っす」
「ならば高い評価は得にくい」
「橘さん、本当にそういうとこっすよ」
ミナが呆れたように俺を見る。
「ある日、私がダンジョンの中で足を怪我したんす」
「重傷か?」
「歩けないくらいには。魔物も近くにいて、みんな焦ってたっす」
戦闘能力のない荷物持ちは、ミナを背負った。
自分の装備と荷物をすべて捨て、ミナだけを背負って走った。
ほかの仲間が魔物を食い止める中、何度も転びながら出口まで運んだ。
「出口に着いたとき、その人、両膝が血だらけだったっす」
「なぜそこまでしたんだ? 弱いんだろ??」
「知らないっす」
「本人に聞かなかったのか」
「聞いたっすよ。そしたら――」
ミナは、少し笑った。
「自分は魔物を倒せないから、せめて仲間だけは置いていかないって」
俺は何も言わなかった。
合理的な答えではない。
戦えない人間が負傷者を背負えば、二人とも逃げ切れない可能性が高い。
それでも、その人物はミナを置いていかなかった。
「その人は今も探索者なのか」
「辞めたっす」
「なぜ」
「怪我して、潜れなくなったから」
「……そうか」
「でも、私は今でもあの人のこと、すごい探索者だったと思ってるっす」
「魔物を倒していないのに?」
「探索者の価値って、倒した魔物の数だけじゃないっすよ」
「………」
その言葉は、今まで俺が作ってきた作品のどこにもなかった。
俺は、能力の価値を数値で考えていた。
どれだけ強いか。
どれだけ効率的か。
どれだけ他人より優れているか。
しかし、読者が人物を好きになる理由は、数値だけでは測れない。
「黒川にも、誰かを置いていけなかった過去を作る」
「またすぐ材料にするっすね」
「君が話したんだろう」
「そうっすけど!」
「なぜ一万時間も初期職を続けたのか、理由が必要だ」
黒川は、かつて同じ初期職を持つ仲間に助けられた。
戦えず、評価もされず、それでも最後まで仲間を守った人物。
その人物は、ダンジョン事故で命を落とした。
黒川は、彼の職業に本当に価値がなかったのか確かめるため、初期職を続けた。
そして一万時間後、【安全地帯】へたどり着く。
「どうだ」
「悪くないっすけど」
「何だ」
「また過去の説明だけで終わらせないでくださいよ」
「では、現在の行動につなげる」
第一話で救った新人探索者たち。
彼らは、所属する弱小パーティーから見捨てられていた。
危険な囮役を押しつけられ、負傷した途端に置き去りにされた。
黒川は彼らの姿に、かつての仲間を重ねる。
だから助ける。
そして彼らから、初めて言われる。
『黒川さんの安全地帯があれば、僕たちみたいな弱い探索者でも、もう一度ダンジョンに潜れます』
能力の価値が、性能ではなく人間の言葉で示される。
「これなら、主人公の目標が動く」
「弱い探索者を集めるんすか?」
「誰も死なないクランを作る。その最初の仲間になる」
「いいんじゃないっすか?」
「第四話は能力検証ではなく、新人たちとの再会にする」
「五話は?」
「彼らと一緒にダンジョンへ潜る」
「六話は?」
「安全地帯を使い、新人たちが初めて自分たちの力で魔物を倒す」
「七話は?」
「彼らを捨てたパーティーが危機に陥る」
「助けるんすか?」
「黒川は助ける」
「見捨てた相手なのに?」
「だからこそだ」
黒川は、置いていかれる側の痛みを知っている。
自分を見捨てた人間であっても、死なせたくない。
正しいからではない。
合理的だからでもない。
彼が、そういう人間だから助ける。
その選択によって、見捨てた側は自分たちの行いを思い知る。
新人たちは黒川を信頼する。
探索者協会も、安全地帯の価値を認め始める。
物語の目的が進み、登場人物の関係も変化する。
「性能試験よりは、話になってるっすね」
「当然だ」
「ほとんど私の話から作ったでしょうが」
「情報を企画へ変換するのが俺の仕事だ」
「焼き肉、高級店じゃ足りないっすよ」
「書籍化したら二回おごる」
「まだ書籍化する気でいるんすか、この人」
俺は第四話以降を全面的に書き直した。
効果範囲の数値は、戦闘中に少しだけ示す。
継続時間は、仲間を守る中で制限として使う。
同時収容人数は、新たな探索者を迎えるたびに問題になる。
能力の仕様を捨てたわけではない。
仕様を、物語の中へ入れた。
説明するのではなく、登場人物が困り、選び、乗り越えるために使う。
その結果。
第四話の閲覧数は、以前の倍以上になった。
第五話でも、大きく落ちなかった。
第六話の更新後、初めて感想が付いた。
『新人三人組が黒川さんを信じ始めるところが良かったです』
能力についての感想ではない。
安全地帯の強さについてでもない。
登場人物の関係についての感想だった。
「感想が来た」
「よかったっすね」
「新人三人組が評価されている」
「キャラを好きになってくれたんじゃないっすか?」
「黒川ではなく?」
「そこ気にするんすか?」
続けて、もう一件。
『置いていかれる側の思いを知っている、という台詞が好きです。黒川を応援したくなりました』
俺は、その文章をしばらく見つめた。
「主人公を応援したい、と書いてある」
「読めば分かるっす」
「能力が強いからではない」
「そうっすね」
「成功を約束したからでもない」
「そうっす」
「行動を見て、応援したくなった」
「人間って、そういうものっすよ」
数字も動いていた。
どれも、入口を改稿したとき以上の速度で増えている。
タイトルを変えれば、読者は来た。
あらすじを変えれば、作品への期待が伝わった。
第一話を変えれば、次の話へ進んだ。
だが、そこから先で読者を残したのは、タイトルでも、あらすじでも、投稿時間でもない。
主人公を応援したいと思う気持ち。
仲間がどうなるか知りたいという興味。
次に何が起こるかという期待。
それは、物語そのものだった。
「入口だけを作っても意味がない」
「ようやく気づいたっすか」
「タイトルは読者を呼べる。あらすじは期待を作れる。第一話は続きを開かせられる」
「そうっすね」
「だが、話が面白くなければ、いずれ全員離れていく」
「当たり前っす」
「当たり前のことほど、確認する価値がある」
「小説家になる前に確認しておいてほしかったっすね!」
俺はホワイトボードへ、第四の原則を書いた。
――第四原則。
タイトルは読者を連れてくる。
物語の面白さだけが、読者を残す。
その下に、さらに書き足す。
――能力ではなく、能力によって誰がどう変わるかを書く。
――設定ではなく、登場人物の選択を書く。
――正しい主人公ではなく、応援したくなる主人公を書く。
「ずいぶん増えたっすね、原則」
「創作には複数の要素がある」
「最初は、市場分析すれば簡単に勝てるって言ってたのに」
「市場分析は重要だ」
「まだ言うんすか?」
「重要だが、それだけでは作品にならない」
「少しは小説家を舐めるのやめました?」
「まさか」
「まさか!?」
「入口を作り、読者の期待に応え、面白い話を書けばいい」
「それが難しいんでしょうが!」
「大丈夫だ」
俺は管理画面を更新した。
ブックマークが、また一つ増えていた。
「俺ならいけるいける」
「前より根拠は増えたっすけど、やっぱり腹立つっすね!」
作品は、少しずつ読まれ始めていた。
しかし、伸び方は緩やかだった。
悪くはない。
だが、一山当てるという当初の目標には遠い。
俺は、これまで学んだことを一枚の紙へまとめた。
・分かりやすい不遇
・一目で分かる舞台
・低い位置から始まる具体的な行動
・一語で理解できる能力
・明確な成功未来
・第一話で能力を動かす
・主人公を応援したくなる理由を作る
・毎話、状況か人間関係を変化させる
・すべてを満たす、新しい企画
「また書くんすか?」
ミナが、俺の手元を見て言った。
「ああ」
「今の作品、少し伸び始めたところでしょう?」
「学んだことを次の作品で検証する」
「今度は何を実験台にするんすか?」
「主人公は三十代の会社員」
「橘さんと同じっすね」
「会社をクビになる」
「いきなり不幸っすね」
「深夜のダンジョンで、誰も拾わないゴミを回収する」
「地味すぎないっすか?」
「そこで【鑑定】が覚醒する」
ミナの表情が変わった。
これまでの企画を見せたときとは違う。
呆れでも、困惑でもない。
少しだけ、先を聞きたそうな顔だった。
「ゴミを鑑定するんすか?」
「そうだ」
「何が分かるんす?」
「誰も価値がないと思って捨てた物の、本当の価値が分かる」
「……それで?」
「拾った物を配信で見せる」
「ダンジョン配信っすか」
「最初は誰にも見られない。だが、ゴミだと思われていた物の中から、希少な魔石や未発見の素材を見つける」
「それなら、ちょっと見たいっす」
「やがて配信界のトップになる」
「そこまで行くんすか!?」
「成功未来は明確にする」
俺は、新しいタイトルを入力した。
『会社をクビになった俺、深夜ダンジョンでゴミ拾いしてたら【鑑定】が覚醒して配信界のトップになった』
くそ長い。
だが、必要な要素は一直線につながっている。
>会社をクビ
>深夜ダンジョン
>ゴミ拾い
>【鑑定】
>配信界のトップ
「どうだ?」
ミナは、タイトルを最初から最後まで読んだ。
そして、少し悔しそうな顔をした。
「……今までで一番、分かりやすいっす」
「読むか?」
「第一話で会議を始めないなら」
「一行目でクビにする」
「成長したっすね!」
「第一話でダンジョンへ行く」
「はい」
「ゴミを拾う」
「うんうん」
「【鑑定】を覚醒させる」
「ちゃんと約束を守るんすね」
「そのうえで、主人公がなぜゴミを捨てられない人間なのかを書く」
「どうしてっすか?」
「捨てられる側の気持ちを知っているからだ」
ミナは、少しだけ笑った。
「それなら、今度は主人公を応援できるかもしれないっすね」
俺は新規作品作成のボタンを押した。
これまでに学んだすべてを使う。
>タイトル
>あらすじ
>第一話
>物語
>登場人物
>継続して読みたくなる理由
この作品が成功する保証はない。
だが、前回までとは違う。
売れそうな要素を並べただけではない。
この主人公が何を失い、何を拾い、どんな人間と出会い、どう変わっていくのか。
俺は初めて、数字の向こうにいる読者を想像しながら書き始めた。
「橘さん」
「何だ」
「今、ちょっと楽しそうっすよ」
「……気のせいだ」
「市場分析してるときとは顔が違うっす」
「黙って監修しろ」
「はいはい」
ミナは俺の隣へ椅子を運び、画面をのぞき込んだ。
記念すべき新作の第一行。
俺は、迷わず入力した。
『会社をクビになった。』
「本当に三行どころか、一行でクビにしたっすね!」
深夜まで、俺たちは原稿を書き続けた。
この作品が、投稿直後から過去作とはまるで違う数字を叩き出すことも。
やがてランキングを駆け上がり、編集者たちの目に留まることも。
この時点では、まだ知らなかった。
ただ一つ分かっていたのは……
小説とは、正しい情報を伝えるものではない。
読者の心を動かし、続きを読みたいと思わせるものなのだということだった。




