別の未来へ
「ダグラス侯爵令嬢!よかった、間に合って」
私を呼ぶ声にルーカスや、クレア達も一斉に声の主に振り向いた。皆の視線の先にはレオナルド殿下がロビーに入って来た所で、皆が殿下の邪魔をしないように脇に避けていった。
「ああ、ごめん、皆、楽に」
殿下は手で皆の礼を止めさせ、私も顔を少しだけ上げたが、姿勢を崩さずにいた。
「ディオーネ・ダグラス侯爵令嬢、卒業おめでとう」
顔を上げると、その私の顔の前にカスミソウの花が差し出された。
「受け取ってくれるかな?」
「有難うございます。レオナルド殿下」
深くもう一度礼をして、感謝を表し、私の前に差し出されたカスミソウを受け取ろうとした。
「ダグラス令嬢。パートナーがいないのならば、僕と共に入場してくれないだろうか」
私は花を受け取ろうとした手を止め、レオナルド殿下を見つめた。
「「まあ!」」
クレアとシャーロットが驚き、小さな声を出し、慌てて私と殿下から距離を取った。
「殿下……。そもそも、本日はどうして?本日出席の学生は卒業生だけのパーティーのはず」
「父上に許可を貰って卒業パーティに王族代表で出席させて貰えるようにしたんだよ。それなのに他国からの使者との会議に出席させられて長引いてね。卒業パーティーに間に合わないかと冷や冷やしてしまった」
「ギリギリ間に合ったよね」と言って、殿下は私にウインクをするとスッと真面目な顔になって胸に手を置き、足を折って私の前に再び花を差し出した。
「い、いけません、殿下」
「ディオーネ・ダグラス侯爵令嬢。僕に貴方のパートナーを務める栄誉を頂けませんか?」
「殿下……」
「ああ、正直にいうよ。ダグラス令嬢、君の事がずっと好きなんだ。君の婚約が無くなったと聞いて飛び上がって喜ぶくらいにね。ダグラス侯爵には、私以外の婚約を全て断って貰うようにお願いした。王族特権を使って、僕にチャンスをくれるようにってね」
「え……」
お父様からは何も言われていない。殿下もそんな素振り少しもなかったのに。
学園でお会いしても、時々、ふざけたり、冗談を言ったりするのは聞いたけれど、それでも、私に対して好意を抱いているなんてそぶりはなかったのに。
それに、婚約者がいないのは女性の噂が絶えないと聞いていたけれど、あれはなんだったの?
すっと周りを見ると、ルーカスもいつの間にかいなくなっており、クレアとシャーロットも婚約者と共に、離れた所にいた。
「殿下は多くの女性とお付き合いなさっていると聞きましたけれど?」
「ああ!それは嘘だよ!婚約者を作りたくなかったから、適当に嘘の噂を流したんだ。僕は君と結婚できないのなら、誰ともしたくなかったから!」
「それは本当に嘘なんだ」と、慌てて弁解し、カスミソウを再び私に向けて差し出しているけれど、小さな花は少し揺れていた。
「ディオーネ・ダグラス侯爵令嬢」
私の名前を呼び、花と共に手を私に差し出している。
「好きだ。どうか、手を取ってくれないだろうか。君の心に今は誰がいてもいい。僕が君の何倍も、何十倍も愛を捧げるから」
眼のふちを赤くするその目の中には驚く私が写っていた。遊び人と呼ばれたり、明るくて優しいと人気の王子様が、こんなに必死に私に愛を捧げるなんて。
でも、今、私の心には誰もいない。
あんなにルーカスの事も好きだったのに、今日会って、本当に思い出になっている事が分かった。
「殿下」
「寂しさを埋める為に僕を使ってもいい。ただ、僕の手をとって欲しいんだ」
「そんな事は……」
「いいんだ。いいんだよ。過去も含めて君が好きなんだ。じゃあ、少しでも、僕の事を気にかけてくれるなら、この手を取ってくれないかな」
そんなに簡単に決められるわけがない。殿下と今日、入場したとなると、騒ぎになるのは分かっている。私が手を宙に彷徨わせていると、レオナルド殿下はその手をグイっと引っ張り自分の方へと抱き寄せた。
「きゃっ」
「頼む」
強引に引き寄せたのに、最後はお願いをするなんて。
私がレオナルド殿下を見上げると、殿下と目があった。その目の中にはやっぱり驚いた顔をした私がいた。引き寄せられた拍子に殿下の胸に片手をついたその手からは、殿下の心臓の音が、ドクドクと伝わってきていた。
「ダグラス令嬢、頼む」
そんな顔をされたら。
私は殿下の胸についた手をどうしたらいいかと考えてしまった。
そしてもう一度殿下を見ると、私を見つめる殿下がいて、その目にはやっぱり私が写っていた。
その目に写った自分を見た瞬間。
「ごめんなさい、殿下」
すっと、私は殿下から離れると、ゆっくりと礼をした。
「ダグラス令嬢……」
「私は今日、一人で入場したいのです」
私がそう言うと、皆が息を呑む音が聞こえた。
殿下が一歩私に近寄り、小さな声で私に訊ねた。
「……忘れる事が出来ないのだろうか?」
不安気に私に訊ねる殿下は、それでも、私に手を差し伸べていた。
「殿下。私の心には今誰もいません。だから、本当に私との未来を考えて下さっているのなら、こんな皆が見てる前で申し込むのではなく、ちゃんと、申し込んで下さい。勿論、私が断れるようにしたうえでですよ?」
「ああ。そうか。私はズルかったのか」
私は少し首を傾げた。
確かに。こんな、入場前のロビーで申し込まれたら断る方が難しい。しかも、パートナーもいない私が断るなんてと、叩かれそうだ。
それでも。
「私の気持ちを大切に考えて下さるのなら」
「ああ。そうだね。私は焦ってしまったのか」
「殿下、皆の入場の邪魔になります。少し移動しましょう」
「ああ。すまない」
私達の成り行きを見守っていた人達は、ホールへと入場していった。その中にはクレアとシャーロット、ルーカスもいた。
私が黙ってその様子を眺めていると、レオナルド殿下から話し掛けられた。
「ダグラス令嬢、私を恋人候補に考えてくれないだろうか。これから恋文も送る。デートにも誘いたい」
「あら。断ったのに、まだ、私でいいんですか?」
「僕がどれだけ君の事を好きか知らないだろう?ずっとずっと君の事を見ていたんだ」
私はお互いを見ながら嬉しそうに入場していくカップルを見ながら頷いた。
「いいですよ。でも、私が殿下を好きになるかは分かりませんよ?」
「うん。絶対好きになって貰う。公衆の面前で振られたんだ。一度振られたら二度も三度も同じだ。何度振られてももう何も怖くはない。君が僕を好きになるまで、何度振られるか賭けにされそうだ」
私を見つめるレオナルド殿下が私の手にカスミソウを持たせた。
「そんなに不安そうな顔をしなくていいよ。少しずつ、僕の事を知ってくれればいい。友達以上にまずはなって貰う事を頑張るよ」
「少しずつですか?」
「そう。ゆっくりとね。ゆっくりと僕を好きになってくれればいい。僕達の時間は沢山ある。これからずっとね」
そう言って私を優しく見つめるレオナルド殿下に私は何も言わず、ただただ見つめた。
「では、まず、君の入場だよ。よろしいかな?その後、良ければダンスに誘ってもいいかな?」
「はい、一曲だけなら」
私がそう言うと、私の名前が呼ばれた。
「さあ、君の始めの一歩だ」
私はゆっくりとパーティー会場へと入場していった。
一人で入場する私に皆が優しく手を振ってくれたり、拍手をしてくれたりした。
私が入場した後、レオナルド殿下も一人で入場され、卒業の祝いの言葉を卒業生に掛けられたのだけれど、その祝辞で、
「卒業おめでとう!!皆が知っての通り、私は先程、振られてしまった。しかし、一度振られたくらいで諦めるような私ではない。皆もこれから苦しい事、悲しい事、情けない事があるだろう。そんな時は今日の私を思い出して欲しい。王族の私が、皆の前で情けなく振られたのだ!これ以上、何を恐れる事がある?私は何度でも立ち上がり、愛を伝え続け、必ずや、最愛の人に振り向いてもらえるように努力をし続ける事をここに誓おう!!」とおっしゃられた。
「「「「おおおおおおお!!!!!」」」」
凄まじい歓声と応援の声に殿下は「有難う!!」と、応えて壇上を下りていた。
「ディオーネ。これから大変よ」
「だから、私達と一緒に入場すればよかったのに」
クレアとシャーロットが婚約者と共に私の横に来てくれたけど、明るく笑っていた。
「ええ。きっと。大変ね。でも、未来はきっと楽しいわ」
私達が話していると音楽が流れだした。
「さあ!ダグラス令嬢!私のファーストダンスを貰ってくれ!!!」
「ほら、早速よ」
「ええ、逃げられないわよ」
私の前で手を出すレオナルド殿下に私は手をゆっくりと乗せた。
「殿下、一曲だけですよ?」
「ああ!今はまだ。だな!!」
それから。
レオナルド殿下は会うたびに私に、愛を伝えてくれる。
「ダグラス令嬢!今日も美しい!好きだ!!!」
「レオナルド殿下、御機嫌よう」
今はまだ、殿下に気持ちを返せない。微笑む私を殿下は優しく待ってくれている。
だけど、きっと、殿下が思うよりもずっと早く「私も」と答えを返すのだと思う。
だってもう、隣で微笑むレオナルド殿下と幸せな未来を願っているのだから。
これにて完結です。お付き合いいただいた皆様、有難うございます。
皆様の未来にも沢山の幸せが訪れますように……。