好きだった
昨夜の事を思い出して、ふっと馬車の方に向けると、困った顔をしたルーカスが目に入った。私と目が合うと、また、頬をポリポリと掻いて、柔らかく笑った。
「……」
何か声を掛けようかと思って立ち止まっていると、両親達はお互いにまだ話があるのか、私とルーカスを置き去りにして、同じ馬車に話しながら乗ると、あっという間に馬車を出してしまった。
「え?」
ルーカスが私と共に立ち尽くしていた。お付きの者も今更ながら慌てているが、もう両親を乗せた馬車は見えなくなってしまっていた。
「困ったな。両親に置いて行かれてしまった。いつものお茶会と違うという事を忘れているのだろうね。慣れと言うのは恐ろしいね」
ルーカスを黙って見ていると、彼は懐中時計を取り出してから申し訳なさそうに私にお願いをした。
「君の家の馬車に乗せて貰えるかい?解消したばかりでこんな事言うのは厚かましいのは分かっている。だけどれど今日はこの後、大学で急ぎの用事があるんだ。遠回りになるだろうけど、大学で降ろして貰いたいのだけれど」
「どうぞ」
私との婚約解消の手続きの後に、彼は用事をいれていたのね。
そうよね。
すぐに終わる事だった。実際にすぐに終わったのだから。
まさか、両親が私達を置いて行くとは思わないでしょうし。
私の返事にほっとした彼は、いつもと同じように私をエスコートして向かいに座った。
これで最後。これが最後。
そう思うとじっとルーカスの手と顔を見てしまった。
少し癖のある明るい茶色い髪も。
目が悪くなったと言って、三年前からかけ始めた眼鏡も。
運動が苦手な貴方らしく、逞しくないその腕も。
髪を短くした時に見つけた耳の後ろにあるほくろも。
全部全部、好きなのに。
ツキンと胸が痛くなる。
誰にも言った事はない。
でも、私の友人のクレアとシャーロットの二人には気付かれていたのだろう。
ルーカスとのお茶会の後に会うと、いつも話を聞きたがった。
代わり映えのしない話なのに、いつも嬉しそうに聞いてくれていたから。
「……。次の婚約者の話は聞いた?」
馬車が走りだしてすぐにルーカスは困ったような顔で私に訊ねた。
「ええ。何人か候補はいらっしゃるようです。名前は存じませんが」
「そう」
「……」
「……」
黙ると馬車の音だけが室内に響く。
「……貴方は……もう、決まってらっしゃるの?」
「え?私?まさか。私は学園で教授の補佐が決まったよ。まだ、学生だから、実際に働くのは卒業してからになるけどね。学生の間は見習いという立場になるのかな。見習いの内定を頂いたってことかな。今日中に教授が持っている書類にサインをしなくてはいけないと、今朝急に連絡が来てね。驚いたよ」
「そうですか」
ホッとした気持ちを悟られないように、少しだけ微笑んだ。
「お仕事が決まられたのですね。おめでとうございます。大学でのお仕事なんてすごいですね。優秀ではないと認められないと聞いていますわ」
「運がよかったんだ。でも、ありがとう。よかったよ。大学に籍を貰えれば、我が家にある男爵家の爵位を貰えることになっていたんだ」
「それは……。重ねておめでとうございます」
「有難う」
もうすぐ貴方の大学に着く。そうすれば、こうやって同じ馬車に乗る事はおそらく二度と無いのだろう。
こんなに話したのはいつぶりだろう、いつからかお互いに距離を置いていたような気がしていた。
最後になってこんなに話が出来るなんて。そう思うと、少しの悲しさと後悔が胸をよぎった。もっと、話をすればよかったのかしら。そうしたら、ルーカスとの違う未来もあったのかも。
いいえ、今更考えてもどうしようも無い事だわ。
ぼぅっと考えていると、「んっ」と咳払いが聞こえて声が掛けられた。
「ダグラス侯爵令嬢」
「はい」
「一つ……、教えて欲しい。君は、私と婚約していて楽しかった?」
「ええ、勿論です」
私は心から告げた。顔を向け、真っすぐにルーカスを見た。悩む事等なかった。すぐに返事をした私にルーカスは驚いた顔をして、そして信じられないような顔をした。
「とても。とても、楽しかったですわ」
貴方と婚約していて楽しかった。終わりがあると分かっていても、それでも少しでも長く、一緒にいたいと思っていた。
貴方のおっとりとした雰囲気も、柔らかい笑い方も、全部が好きだった。
どうすればよかったのかしら。ルーカスと共に私も職業婦人になって、二人で手を取る未来があったのかしら。でも、それは彼に負担を多く掛けてしまう。もっと話をすればよかった。
「ごめん。こんな風に聞いたらそう答えてしまうよね」
重ねて告げた言葉もルーカスには伝わらなかったようだ。少し嬉しそうに、でも、困った様にルーカスは微笑んで、「ありがとう」と私に言うと、頬を少し指先でかいた。
「私はね、本当に楽しかったんだ。君の所に弟が産まれ、君と結婚する事はないだろうと言われても。我が家の経営が落ち着き、公爵家の方と距離が出来れば、この婚約は解消されるだろうと分かっていても。爵位を持たない私とでは、君の両親はすぐにでも婚約を破棄し、良い家柄の誠実な令息と婚約を結び直したいと、いつ言われるだろうと、ビクビクしていた。それでも、少しの間でも、貴女の婚約者として側にいれただけで凄く幸せだった」
「え?」
「初恋の人と過ごせて楽しかった。小さな君と出会った時から、君の事が好きだった。ずっとどうにか出来ないかと思ってはいたんだ。でも、君の幸せを考えると、いくら貴族籍を譲られると言っても、私が譲られるのは男爵の爵位だ。それも、つい先日までどうなるか分からなかった。結局、君に想いを告げる事も出来ずにいた。それでも、最後まで少しでも長く君と婚約を続けたかったんだ」
「は?……」
「ディオーネ。君の時間を無駄にさせたかな。ごめん。少しでも、どうにか出来ないかと足掻いてしまったんだ。結局、どうにも出来なかったけどね。それに、君の様な美しい令嬢が私に好かれていても迷惑なだけだったろう?」
「何を……」
「あ、あはは。大丈夫。もう、言わないよ。私達は婚約解消した。道は分かれてしまってるから」
ドキン!
大きく胸が鳴った。でもそれは、喜びでは無かった。
初恋?
私が?
本当に?
嘘じゃなくて?
その後に続いた言葉が胸をえぐる。
司祭様の言葉が頭の中に響いた。
(二人のそれぞれの道に幸せが多くある事を祈ります)
「私は幸せだった。本当に。こんな風になってしまったけれど、これからの君の幸せを祈っている。君の未来が幸せであるように願っているよ」
ニコリと微笑んでくれたルーカスは少し目が潤んでいた。私だって、私だってあなたの幸せを願っていた。
だけど。
「……」
驚いて、瞬きも出来ない私に「ふっ」とルーカスは笑った。
「最後に、君のそんな表情を見られるなんて。驚いた君の表情もとても綺麗だ」
そう言ってあまりにも優しそうに微笑むから。
「~~~~~~!!!!」
私はぐっと目を瞑ると手を握って自分の持っていたハンカチをルーカスに投げつけた。
「勝手に!勝手にそんな事を言って!!」
私がそう言うと、ルーカスは驚いた顔で投げつけられたハンカチを握っていた。
「ディオーネ……」
くしゃっと私が泣きそうになった所で馬車が止まり、外から声が掛かった。
「王立大学前に着きました」
息を一瞬のうちに整え、私はその声にすぐに答えた。
「はい」
答えると、すぐに扉は開き、ステップが用意されていた。
「……」
ルーカスは驚いた表情をしていたと思う。固まったまま、私の方を見ているのが分かっていた。でも、私は目も合わせず、従者の方に目を合わせた。
「失礼致します。大学前でございます」
従者がもう一度声を掛けると、ルーカスは、はっとした顔のまま、立ち上がり馬車を下りた。
「出して」
「ディオーネ!!」
私がすぐに言うと、従者は何か言いたそうな顔をしたが、黙って礼をしてすぐに扉は閉まった。