『テルール』第1話 Le Poéme de Maximilien①
○第1話の登場人物
・マクシミリアン・ロベスピエール…弁護士を目指す少年。
・シャルロット…マクシミリアンの妹。
・アンリエッタ…同。
・オーギュスタン…同弟。
・デムラン…マクシミリアンのルイ=ル=グラン学院の同期生。
・フレロン…同。
・ルイ十五世…フランス国王。
・カロ家…叔母アンリエット、祖父ジャック、祖母マリー。
① マクシミリアン・ロベスピエール
六歳の時、父が失踪した。
理由は分かっていた。ここ五ヶ月間、いつかこういう時が来るのではないか、という事は、マクシミリアンは薄々考えていた。
自分たちにとっては母であり、父フランソワにとっては最愛の妻であったジャクリーヌが死んだ為だ。父は本当に深く彼女を愛しており、籍を入れる前に彼女はマクシミリアンを身籠っていた。
マクシミリアンの生家のあるこの街──フランス北部、アルトワ州アラス──は敬虔な地域だ。結婚前に子供を作る事は社会通念上許されず、聖書では姦淫と見做されかねない事だった。
弁護士として司法に、そして教会や領主の権力──即ち行政の基礎構造──に奉仕するという社会的立場を持ったロベスピエールとして、父はあえて、その一歩誤れば醜聞にもなりかねない危険を冒して愛を貫いた。
結婚後も、夫婦仲は良好だった。母は、その時身籠っていたマクシミリアンが誕生したのを皮切りに、二年を置かずに次々に弟妹を出産した。
自分たちは幸せの最中に居た。しかし、昨年末弟のオーギュスタンが誕生し、翌年となる今年の七月、母は五番目の子の出産に際して産褥熱を発症し、間もなく死亡してしまった。新生児も、名づけられる事なく世を去った。
父は、絶望してしまったようだった。妻の葬儀にも出席せず、仕事も手につかないような状態だった。
彼は腕の立つ弁護士で、訴訟案件は絶えず事務所に持ち込まれた。複数の案件を並行してこなす事なども珍しくなく、平均して年に三十件前後は仕事を請け負っていたと聞いている。家もそれなりに裕福で、アルトワ州の司法、行政にも深く関わっていた。
故に、ロベスピエール家には名門である事を意味する小辞「ド(de)」が冠される。但し爵位はなく、貴族ではない。
自分は長男だ。母が死に、父も蒸発してしまった事で、弟妹たちは皆不安に駆られている。彼らを安心させ、引っ張って行かねばならなかった。しかし如何せん、自分は非力な六歳の子供だ。
当然、彼らを自らの手で養っていく事など出来なかった。最終的には親戚の助けを借りる事となり、二人の妹は父方の叔母に、マクシミリアンと弟は亡き母の実家であるカロ家──彼女の両親である祖父母が暮らす、ロンヴィル通りに面した家に引き取られる事になった。祖父は、ビール製造業者だった。
「嫌だ! お兄様と離れ離れになるのはやだよ……!」
「お兄様を困らせては駄目よ、アンリエッタ」
自宅の前で、祖父ジャックと祖母マリー、それに彼らの娘で母ジャクリーヌの妹である叔母のアンリエット──次女の名は彼女に因んで名づけられた──に連れられて別れる時、四歳の次女はそう言ってぐずった。長女のシャルロットが、姉らしく優しく彼女の肩を抱いた。
「もう会えなくなる訳ではないんだから。叔母様のお家とカロのお祖父様たちのお家も、歩いて何分かで行き来出来るわ。日曜日には皆で会って、お食事しながら楽しくお話ししましょう」
「本当に……?」
「ええ」
シャルロットが肯くと、マクシミリアンの手を引いていた叔母は「そうよ」と微笑みながら肯き──オーギュスタンは祖母に手を握られていた──、妹たちに歩み寄って二人の頭を交互に撫でた。
「お兄様やオーギュスタンに会いたくなった時は、いつでも私たちの所に来るといいわ。……大丈夫、そっちのご家族も、皆良い方々だから」
叔母は言ってから、マクシミリアンの方を向いた。
「マクシミリアン、あなたからも彼女たちを安心させてあげて」
「シャルロット、アンリエッタ──」
マクシミリアンは進み出ると、二人の妹の手をぎゅっと握り締めた。
「離れて暮らす事になっても、僕たちはずっと家族だ」
* * *
カロ家に身を寄せて間もない頃だった。
マクシミリアンは昼間からベッドに臥せっていた。頭が重く、体が暖炉の温灰の如く熱い。その中に、絶え間ない痛痒感があった。
天然痘だった。一昨年から昨年にかけて、パリを中心にフランス全土で猖獗を極めたそれに、マクシミリアンはやや遅れて罹患した。もうすぐ年も替わるという時期の事だったが、自分が新年を迎える事が出来るのか否か、マクシミリアンは自信が持てなかった。
ヨーロッパ諸国で普及しつつあった種痘の接種という原因療法について、フランスは懐疑的だった。それでも、決して進んではいないとはいえ行われていないという訳でもなかったそれを、マクシミリアンは受ける事が出来なかった。
その理由は、叔母のアンリエット──カロ家に迎えられてからというもの、自分とオーギュスタンにとって彼女は第二の母親だった──が教えてくれた。高等法院の命令を受けて種痘療法の安全性と有効性について調査を行ったパリ大学医学部が、その接種について停止を勧告したのだ。
マクシミリアンに現在出来る事は、カロ一家や弟に感染さないよう部屋に籠り、沢山の汗をかいて熱を下げ、体内に巣食うウイルスを一刻も早く根絶出来るよう努める事だけだった。
赤いマスクの内側で、発疹の潰れた頰膚が熱い息に蒸れ、痒くて堪らなかった。三十分程前に叔母がやって来て、換気の為に窓を開けて行ったが、冬の外気は毛布から覗かせた顔──といっても鼻から上しか露出していないが──に心地良いものの、喧騒がやたらと耳障りだった。
ロンヴィル通りは手工業者の仕事場が建ち並ぶ街で、労働者がいつも忙しく往来している。特に年の瀬という事で、人々はいつになく忙しなく駆け回っていた。ここに住む人々は皆、商人の如く大きな声で、怒鳴るように喋る。
「マクシミリアン」
今し方考えたばかりの叔母の声が聞こえ、ドアがノックされた。彼女はマクシミリアンが寝込んでいる間、自らに病気が感染るリスクを厭わず、こうして頻繁に部屋を訪れ、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれる。
「どう、具合は?」
彼女は部屋に入って来ると、彼女自身も装着している赤いマスク越しにそう尋ねてきた。
マクシミリアンは、少しは彼女にも休んで欲しかった。大丈夫です、と言おうとしたが、そこで噎せ返ってしまう。叔母は慌てたようにベッドの傍らに屈み込み、毛布越しにこちらの胸の辺りを擦ってくれた。
咳が収まると、彼女は「無理はしなくていいのよ」と言い、立ち上がって窓際に向かう。「少し、寒くなったわね」
「叔母様……僕はもう、助からないような気がします」
自分でも滑稽に思える程に弱々しい声が出た。叔母はゆっくりと頭を振り、「弱気になったら駄目」と言った。
「私やお祖父様たちも、お医者様もついているわ。私たちが、きっと治すから」
「だけど、こんなに迷惑を掛けてしまって」
叔母はマクシミリアンの氷嚢を替えながら、「それなら」と言う。
「死ぬなんて考えずに、早く良くなってちょうだい。あなたが居なくなったら、私たちも、シャルロットたちも悲しむわ」
「………」
マクシミリアンは毛布の陰に顎を埋めるようにし、微かに顔を俯ける。
自分は恵まれている、と思った。
母が自分を身籠った時、それは教会と法に仕える父にとっては大きなスキャンダルだった。当時のロベスピエール家は父の結婚に、援助はおろか一切関わる事なく、カロ家にも多大な迷惑を掛けた。
その種である自分に、カロ家の皆はこれ程良くしてくれる。その事が涙ぐみたい程に嬉しいのに、微かに胸奥を疼かせる。
子供がそのような事など考える必要はない、と、彼らは言うかもしれない。しかしマクシミリアンは、自分はこの先、ずっと自らの出生について負い目を抱えながら生きていくのだろうな、という予感を既に抱いていた。
それを押し隠すようにし、
「ありがとうございます、叔母様」
マクシミリアンは本心からの感謝を口にした。
今日から第一話に入ります。本連載は全話フランス語でサブタイトルをつけますが、私が自分で訳したものなのでおかしな部分があるかもしれません。未だに冠詞の付け方については法則性が掴めませんが、Google翻訳を使用しているのでおかしな部分があれば有識者の方に教えて頂きたいです。
本作は、三十八文字×十六行の単行本換算で全三巻分(一話五十~六十ページ、一巻につき六話収録)を予定しており、第一巻は弁護士としての、第二巻は議員としての、第三巻は独裁者としてのロベスピエールを主に描きます。が、彼がルイ=ル=グラン学院に入学し、弁護士となるまでの間は都合上かなりダイジェストになっていますので、実を言うと第三話くらいからが本番です。その為、本作では毎話の冒頭に主な登場人物の紹介を書きます。
……と書きましたが、執筆は目下第十六話まで進んでいるのに終わる気配がありません。もしかすると『破天のディベルバイス』や『フランチャイズ・フラン』のように、最終巻だけ数話分多いという事になる可能性もあります。『夢遥か』のようにまるまる一巻分追加などという事にはならないようにしたいですが、果たしてどうなるやら。
執筆しながら私も学んでいますが(AIに「資料出せ!」とは言っていますが本文中にそのまま書いた箇所はないのであらかじめお断りしておきます)、つくづく人の人生とは結構ドラマだなと思います。歴史には以前から興味はありましたが、「沼る」人たちの気持ちがよく分かりました。そして、書きながら「あれ? 俺は今『リ・バース』を書いていたんだっけか?」と本気で思う場面が多々。漫画『ベルサイユのばら』に「(少女漫画でなく)歴史ものを読むべ」という気持ちで取り掛かる人が居るのか否かは疑問ですが、本作も「歴史もの」ではなく、西洋の世界観で政治戦・心理戦ものを読む、という気持ちで臨まれると取っ掛かりやすいかもしれません。
のっけから相変わらずお喋りな藍原センシですが、また数ヶ月間宜しくお願いします。




