52話【妖精を弔う必要はない】
無邪気なフランベル。
彼女には悪意はないのに、いつでも悪意に晒されて。
可哀想なフランベル。
彼女はどんなに愛しても、愛される事はなく。
愛しいフランベル。
彼女は振り向かず、誰かに囚われる事もなく。
ああ、だから私は君の事が大嫌いで。
あんな指輪を贈って喜んで……それなのに容易く身分に目が眩んで別人の手を取って、私の元から去って行ったじゃないか。
「フランベルを信じるな。あいつは嘘つきだ!」
彼女の愛は誰かを傷付けるだけでなく、嘘にも見えた。
彼女の中の真実は、彼女自身には伝える事が出来なかった。
その日は良く晴れた日でした。
フランベルの面会に出かけると知っている家族は、私が行く時間になっても誰もエントランスに顔を出しませんでした。
兄が言ったように「今更フランベルに伝えるべき言葉はない」と言う事でしょう。
ただ、屋敷内はいつもよりも静まり返り、まるで最早覆る事のない誰かの死を嘆き悲しんでいるような暗い空気に包まれていました。
このロアズ伯爵家の王都屋敷は結婚するまでフランベルが居た場所です。
切り捨てる決断をしたからと言って、人間は簡単に気持ちを切り替えられるものではありません。かつて一緒に暮らしていた者達からしたら、フランベルとの思い出はまだ片付けきれないものでしょう。
もしかすると、ロアズ伯爵家ではフランベルとの記憶が何もない私の方が本来は異質なのかも知れません。
騎士団本部に付き添ってくれる事になっているロウリスが来るのを待つ間、プリシラが市井に流れる噂を教えてくれました。
「平民の間ではフランベル様は『貪欲な愛に飢えし獣』って呼ばれてます」
「『妖精』より余程面白い呼び名ね」
複数の男性と不倫をしていたフランベルの話は、全体的に男女の倫理観が薄い平民の間でも限度問題と言われているそうです。
当たり前ですが、子供が出来なければ良いという問題ではありません。フランベルのあれこれを聞いていたら、そんな当たり前の感覚がどんどん麻痺していく気がして怖くなります。
「てっきり『盛りの付いた雌猫』なんて言われていると思ったわ」
「そんな古風な呼び方、全然耳にしませんよ。精々『不倫女王』程度ですよ」
「何でそう面白い呼び名が飛び出してくるのよ……」
フランベルの引き起こした事については、当初の私の事件と不倫相手が存在した事以外は発表しない事になりました。多くの貴族、ほとんどの平民は何が起きていたのか知る事はないでしょう。
学園の時とは違い、今回ばかりは本当に伏せるしかないそうです。
現時点で我が国だけでなく、クレア様など隣国の王族も関係する事件となっており、公表すれば多方面に多大な混乱と影響が出そうな取り扱いを慎重にしなければならない問題がいくつも含まれていたからだと聞いております。
まあ、そういう事にしておくのが我が国にとってはダメージが少なく済むのでしょう。
当時は子供だった令嬢が国レベルの問題を引き起こし、それが今まで発覚しなかった事もそうですが、手口が囁きなんて正直話を聞くだけなら引っかかる方がおかしい稚拙すぎる手だけで、ここまで多くの人間が破滅し、判断を間違えたのです。
公表したら恐らく、あの当時に裁定をした貴族院所属の方々を見る上から下までの人間の目が悪い意味で変わりそうです。
かく言う私も今後、お年を召した貴族院所属の人とお会いした時に「うわぁ」と言う蔑んだ目を向けないように気をつけたいと思っております。
「お嬢様、アルマ伯爵家の馬車が参りました」
明らかにフランベルが嫁いだ後に入ってきた年齢の、寧ろ分類上は幼いに入れてもいいメイドが走ってきました。
……年季の長い使用人達もショックなのは仕方ないと思っておりましたが、まだ処刑の二日前ですよ?
まともに仕事できないほどにショックを受けている使用人達に対し、若干不安を感じつつ玄関に向かうと、母の侍女の一人が立っておりました。
「あら、どうなさいました?」
「お嬢様にお渡ししたい物がありまして」
ならエントランスでも良かったのに、寒い中わざわざ外で待っていたのですか。
多少不思議に思いながらも、私の幼い頃から勤めている侍女が差し出した小さな袋を受け取ると、チリンと音が鳴りました。
鈴でしょうか?
「妖精避けの鈴です。ポケットに入れておくと良いでしょう」
袋の中に入っていたのは四つ葉のクローバーを模したブローチで、隠れるように後ろの留め金の部分に小さな鈴が付いている物でした。
「これ……ブローチの方はそれなりに高価な物では?」
「お嬢様の結婚祝いで用意していた物です。お嬢様が二度結婚をされたので二回私達も臨時でお手当を貰ったのですよ。遠慮せずに貰って下さい」
二度を繰り返されると私としては微妙な気持ちになるのはさておいて、メイド達とは違って侍女の方達は全員貴族階級の生まれです。ただお手当を貰って喜ぶだけでは済まされず、他の侍女達も私に結婚祝いを贈ってくれておりました。
前にクレア様にお渡しした藤のブローチの半分程度の大きさですし……飛び抜けて高価と言う事はないでしょう。
少し動かすと、涼やかに鈴の音が鳴りました。
「鈴は外せますし、ペンダントトップにもなるのですよ」
「素敵です。ありがとうございます」
そう言えば、この侍女はあの領地でおばあさんが孫の妖精呼びを嘆いていた時に手を引いてくれていた侍女だったような。
あれは、実際には何年前の事だったでしょうか?
「マリー」
玄関先に止まった馬車からロウリスが呼びました。
直ぐに馬車に向かおうとした私は、何かを思い出しかけて、もう一度侍女を振り返りました。
「行ってらっしゃいませ」
何の変哲もない、いつも通りの笑顔でした。
プリシラと並んだ侍女を見て、私は帰ってから話してみれば良いと思い、その場はアルマ伯爵家の馬車に乗り込みました。
彼女の名前を知らない不自然さに、気が付かないまま。
最後の最後のフランベルとの会話だと思うと、緊張よりも恐怖が徐々にせり上がってきました。
その恐怖が何の理由から生まれているのか、私自身にも分かりません。
「マルスは騎士団の会議室で報告すると言っていた。例の『魔法使い』とも合流するらしいから、合わせて話を聞く事になるだろう」
「そう……」
騎士団から派遣された護衛であるマルスは馬車の外にいます。
アルマ伯爵家の護衛だけでなくロアズ伯爵家の護衛とも協力して、襲撃者を撃退してくれているそうです。実に頼もしいと言えるのですけど、襲撃者が何処か別の場所に連れて行かれている事は少し怖い所でもあります。
「マリー、気分が悪いのか?」
素っ気ない返事を不審に思われたようです。
ロウリスが心配そうに私を見るので、
「何だかどうしようもなく怖くて」
「ああ……」
ロウリスは横に座る私の手を握りました。
こうやって手を取り合うのは、何年ぶりでしょうか。
ずっと昔、何かを分け合うように手を握って……それは確かにあった筈なのに前後の記憶が失われて夢のように感じる記憶が頭を過ぎりました。
「私も正直怖いな。何というか、フランベルは私の記憶と印象以上に恐ろしい存在だった。私は実際に会わないにしても、近付くのは恐ろしい」
「騎士だったのに?」
「普通の剣で妖精は切れない。いや、殺せない」
不思議な事を言うだけ言って、ロウリスは深いため息をつきました。
今、断言しましたよね?
私は黙ったロウリスの顔をじっと見つめました。
「剣で殺せないって……どういう意味?」
「言葉通りだ。剣で妖精は切っても死なない。上手くマリーに伝えろと言われたのだが、ちょっと無理だな」
何かロウリスに命令的な事が言えるとなると、騎士団関係者でしょうか?
眉間を指でぐりぐり押さえて「外に言ってはいけない内密の話だ」と強く私に念を押してから、
「フランベルの処刑には神殿関係者が付き添う事になっている。これで最後に妖精か人間だったかを判定するらしい」
「えええ? まだ判別が続いていたの!?」
「今のフランベルは『妖精』という異端な存在認定されただけで、本物の妖精とは言い切れないそうだ。本物の妖精だったなら、死んだ後に遺体は煙のように消える」
そんなのお伽噺でしょう!
言い返そうとした私の目を見たロウリスは何故だか顔色が悪く、私は思わず言葉を呑み込みました。
それはお伽噺よね?
これまでの私の常識を足蹴にして、
「前の王太子の遺体は処刑後直ぐに煙となって消えた。神殿は前の王太子が『妖精』だったかもしれないと疑念を抱いているらしい」
フランベルの『妖精』認定が迷信だらけのお伽噺から引っ張ってきたのかと思っておりましたが、先に『妖精』と思われる事案があったなんて……。
世の中はいつでも私程度の考えつく現実を大きく越えていきます。
「持ち去られたなんて可能性は?」
「ない。本当に煙となって消えたと団長が言っていた」
ファンタジー? ホラー?
いえ、まだマジックのような絡繰りがなかったとは言い切れません。
国を脅かしたのですから本来なら王家の墓には入れないだろう前の王太子を、どうしても死後ぐらいは静かに先祖達の元で眠らせたい層もいる筈です。先代の国王の関係者が頑張った可能性はあります。
ただ、既に十年前の事なのですよねー。
妖精かトリックか、判断出来る証拠など一切失われていると思います。
まして一番の混乱期の事ですから、記録も何処まで残っているのか。
「勉強嫌いで努力する事も放棄して女に逃げたら『妖精』……」
「それで疑惑を持たれた訳ではなく、遺体が忽然と消えたからというだけだ」
疑惑とは言え、妖精と疑われているなんて。
「……疑惑が表に出たら、フランベルと凄く比較されて同列扱いされるでしょうね」
「フランベルと同じ扱いなど、いっそ全ての記録から名前を消して欲しいくらいの不名誉だろう。フランベルを利用した中で一番酷い破滅の仕方かもな」
妖精であったとしても、妖精でなかったとしても、それはあくまで神殿での扱いであり、罪人として処刑された事で終わっている前の王太子に関して何かが変わる事はありません。
私達は短くも長い騎士団本部までの道のりを、疲れ果てて沈黙し続けるしかありませんでした。
ああ、でも。
そう言う扱いなら、前の王太子は神殿の手続きのいる墓には入れませんね。
妖精であったなら消えただけで終わりでしょうが、もしも人間で遺体が持ち去られただけならば、密かにも王家の墓には入れないまま弔う者もいない場所で眠っていると言う事でしょうか。
それは物悲しいように見えて、案外先祖に怒られなくて済んだと前の王太子は喜んでいるかも知れません。




