4話【傷付けられた未来を背負う令嬢達】
「愛していけないとは言わないけれど、誰かを傷付けて良いものではないでしょう」
私にそう言ったのは確かに姉でした。
僅かにある姉との記憶の中の、ほんの僅かな姉との会話。
私が忘れかけていたその記憶を思いだしたのは、気晴らしになればと母の友人に誘われて出かけた邸宅で、美しい花が咲く庭園を拝見させて貰っていた時でした。
色と香り、その向こうにあった儚い幻のような思い出でした。
あの時も、美しいダリアの花が咲いていました。
はて、我が家は母が大変薔薇が好きなのでダリアはなかった筈です。
あの記憶は一体何処での話だったのでしょう。
「貴女がロアズ伯爵令嬢?」
他にも来客がある事は聞いておりました。
ダリアの花壇の横にあるベンチに座っていたのは、日傘の影と黒いベールに自身を隠した一人の令嬢でした。
何かを察したプリシラは息を呑み、私の後ろに一歩下がりました。
「私はセルーア侯爵が娘、エリゼ。きちんとした挨拶をしたいのですけれど、生憎体が上手く動きませんのでご容赦下さい」
その名前は先日、従姉妹のベリンダから聞きました。
私の他に結婚を壊された者として、結婚してから破綻が分かった令嬢は、相手から虐待を受けて保護された時にはかなり衰弱していたという事です。
「お体は宜しいのですか? ご無理をなさいませんよう」
「ありがとう。気を遣わなくても良いのよ。少しは外の空気に触れた方が良いと医者にも言われているのよ」
細かい話はベリンダも知らなかったので、私も何も知りません。
ただ完全に体を覆い隠すような装いの令嬢の声には張りがなく、やはり無理をしている気がしました。
「ロアズ伯爵令嬢、貴女は何処まで私達の件を御存知ですの?」
無理をしてでも情報収集とは、流石に侯爵令嬢でしょう。
緩くのんびり過ごしていた私には到底真似出来る物ではありません。
「残念ながら私はあまり存じ上げません。私達の身に起きた事の原因には、学園であった出来事があったというお話くらいでしょうか」
「やはり伏せたのね。私はそのやり方の方が問題だと思うのよ」
話を続けようとしたセルーア侯爵令嬢は何度か咳き込みました。
身じろぎするとその体の異様な細さに気が付きましたが、それは指摘してはいけない事です。
「真似して欲しくなかったのでしょうけど、婚約者を奪おうなんて画策されるのは学園外でもよくある話でしょ」
これまでの私の世界ではそんな女性はメイド達の噂話でしか聞きませんでした。
あの結婚式の後、私の世界は大きく変わってしまいました。
堰を切ったように物語の那珂でしか起こり得ない物事は現実に起きている話として飛び込んでくるようになりました。
特に、ベリンダや兄の婚約者から実体験として話を聞けば、確かに私の身にあった事などその他大勢で埋もれるのは仕方ない事だと思いました。
ですが、結婚式のあの場で殴られたのは私だけ。
「……セルーア侯爵令嬢。お言葉ですが、私の場合は」
「不倫でしょう? 知っているわ。そして貴女は婚約者を奪われた。違う?」
そう考えるなら、違わない。
発覚したのが結婚式であっただけで、私は婚約者をそれ以前に『奪われて』おりました。
姉からは不貞でも、私からは違う話です。
視界の端でダリアが揺れています。
かつて誰よりも真摯に愛を話していた姉の幻影がその先にいた筈なのに。
「愛していないならば、誰を傷付けても責任はない」
セルーア侯爵令嬢の言葉は、あの時の姉の言葉と真逆でした。
私は思わず探るようにセルーア侯爵令嬢を見ましたが、影とベールに完全に遮られた彼女の表情は窺い知る事は出来ませんでした。
「この言葉は誰の言葉か知っている?」
質問の意図は分かりませんが、私は嫌な予感がしました。
それでも侯爵令嬢からの質問です。
躊躇いながら私は首を横に振りました。
「そう……貴女の家はそんな事も貴女に伏せていたの」
「いえ! 私の両親はきっと良かれと思って……!」
「どの家のどの両親も良かれと思って行動するでしょうね。けどそれがいつも正解ではないから私も貴女も結婚を失敗したのよ」
婚約者同士交流させないと判断したのは、私とジェイク様それぞれの両親だ。
私とジェイク様が交流していたなら、今回の事は起きなかった。
「もう一度言うわ。愛していないならば、誰を傷付けても責任はない。これを貴女の立場だったらどう取る?」
どう?
考えたくはない気がした。
考えてしまっては、家族の思い出が壊れてしまう気がしたからだ。
首を振ろうとした私を、セルーア侯爵令嬢はじっと見つめていた。
答えを知る彼女は、私に直接答えを言う気はないらしい。
だが、私は考える事はしたくなかった。
しばらく私達の間では沈黙が流れた。
セルーア侯爵令嬢は急かす事もなかった。
私にはセルーア侯爵令嬢の考えが全く分からなかった。
「……お嬢様、お体に障りますので、これ以上は」
離れた場所にいたセルーア侯爵家の侍女らしき女性が、大柄な護衛と一緒に控え目に近付いてきました。
「仕方ないわね……」
護衛は歩けないセルーア侯爵令嬢を抱える役目だったようだ。
セルーア侯爵令嬢の体はどう見ても細い。
結婚してから何があったのか、誰でも考えたくなる姿であった。
「愛していなければ、誰を傷付けても構わない」
去り際に私にもう一度同じ言葉を仰いました。
私に考える事を促す為かと思いましたが、
「この言葉を言ったのは、リシス公爵の妹よ」
そしてセルーア侯爵令嬢は去って行きました。
義兄の、妹?
私は義兄に妹がいた事を知りませんでした。
たくさんの事を伏せられていた事に、私もようやく気が付きました、
「お嬢様……」
「分かっているわ、プリシラ……」
年齢的に、私よりも姉に近かっただろう、リシス公爵の妹。
王都で、今はない学園で、私よりも長く一緒にいたのかも知れない、
彼女がどうしてかつての姉の言葉とは真逆の言葉を言ったのかは私には知る術もない。
「愛していなければ、誰を傷付けても構わない」
彼女の言葉の意味する先は、『たとえ婚約者であっても愛し合っていなかったなら、解消や破棄で傷付けても構う事はない』であろう。
初日なので4話分投稿しました。
この後は一日二度程度、忘れていなければ大体18時と19時に投稿します。




