39話【妖精が見えない者達はダンスが苦手】
ロウリスからの連絡を待つ間、私は落ち着く為に穏やかな生活をするつもりでしたが、なかなか難しい事でした。
私からしたら何の脈絡もなく、兄が婚約を解消する事になりました。
かれこれ十年以上の付き合いだった筈で、私の散々な結婚式の後は何度も来て私を慰めたりして下さった方です。
昼食の席で世間話に紛れて兄が言い出し、私は冗談の一つだと思ってその時は流してしまいました。
「ファブリック類のキャンセルは私がしますから、家具類は貴方がキャンセル連絡をしなさい」
食後のお茶を飲んでいた時に、母がさらりと言いました。
ファブリック類と家具のキャンセル?
「うーん……文句を言われそうですね」
「完全注文発注でもないのだから、余所の注文した家具が早く出来るだけよ。キャンセル料を請求されたら、そう言い返しなさい」
「神殿の方はどうなってます」
「あれこそ何年も前にキャンセルしましたよ。腹立たしい」
ここまで聞けば、本当に兄が婚約解消をしたのだと理解しました。
「お兄様、何故解消を? 仲が良かったではありませんか?」
「私の爵位継承が見えている中で、向こうはまだ嫁がせられないと言うから、こればかりは仕方ない事なんだよ。いつまでも向こうの事情ばかりをくんでもいられない」
確か兄の婚約者の兄弟はギャンブルにのめり込んでいたと聞いた気がします。
借金の有無などに関しては実際に婚姻関係を結ぶ前に詳らかにした方が良いと言われておりますので、結婚を渋るという事は、つまり我が家に明かす事が出来ない程に莫大な借金をしていると言う事でしょうか。
ちょっとだけ寂しそうな兄に対し、母の方はいきり立っておりました。
音を立ててソーサーにカップを戻し、
「先に言っておきますけど、事情らしい事情なんてありません。向こうの家の夫妻が単に踏ん切りが付かないだけです。何が嫁いでしまうと寂しいですか! 娘が『行き遅れ』と陰口を叩かれているのに、そんな幼稚な理由をいつまでも続けるような家など付き合っていられません」
そう言えば、年齢の問題そのものよりも、十年以上の婚約期間があって未だに結婚していない事は我が家の親戚からも問題視されておりました。
あちこちから嫌みのような苦言を言われても、一向に結婚の予定を立てない兄達を不思議に思っていましたが、こんな実に下らない理由があったからだったとは思ってもみませんでした。
「私も今後を考えると婚約関係のままではいられない。向こうに結婚をするか解消するかどちらかを選んで欲しいと言ったら解消を選んだ。まあ、どうしようもないかな」
当主が嫁がせたくなければ、話はそこで終わってしまいます。
仕方ないと私も思いながらも、本当にただ娘と離れたくなかったなんてあり得るのか疑念を感じておりました。
兄達は政略結婚ですよ?
長い時間をかけて周知もしてきましたし、当主とは言え個人的で些末な感情で潰すようなものではありません。
結婚まで至らなかった理由に、私はフランベルの事があるように感じておりました。
まあ、直ぐに杞憂だったって分かるのですけど。
兄が婚約を解消したと母が何処かのお茶会で口にするや否や、兄には縁談が殺到しました。
母は僅か二日で山となった釣書を前にしてとても上機嫌に、
「これが私の息子よ! うちの娘しか嫁いでくれる相手もいないのに何て、よく適当な事を言ったものよ。何がモテないよ! 普通の良識のある女性は婚約者のいる男性に近付かないだけでしょう。吠え面をかくのはそっちよ!」
と叫んでいました。
どうやら兄の婚約者だった家と解消する時に一悶着あったようです。
丁度近くにいた母の侍女を見ると軽く肩を竦め、
「そのままですよ。話し合いの席で、モテないのだから今婚約を解消したら嫁の来手がないだろうって言われたのです」
「え、そんな事を?」
「正直意味は分かりません。爵位を継承する子息と、問題がある兄弟を抱えている上に当主の気分で結婚は当分先の令嬢と、どちらに価値があるかなんて普通は比較にもなりません」
どうやら婚約の解消にフランベルの事は影響していないようです。
ただ、兄の元婚約者の家の者と思しき人物の発言は、我が家に喧嘩を売っているようにしか聞こえず、母が怒るのも無理はないでしょう。
その母が私を振り返りました。
「マリー! 釣書を確認するわ。手伝いなさい」
最早兄の元婚約者の席は何処にもありません。
今は悲しい気もしますが、きっといつしか最初からいなかったような扱いになっていくのでしょう。
兄の問題は兄自身が対処するとして、私には私の問題が待ち構えております。
叔母一家はとてもとても諦めの悪い一家でした。
私が結婚祝いのアクセサリーを未だ買っていない事に怒っている内容の手紙が何通も来ました。
何が叔母達を突き動かしているのでしょう。
と言うか、好きな物を買わせたい気持ちはよくよく理解しましたが、こちらにも都合があるというもので、いい加減にそちらから適当な品を贈って欲しい気もしました。
「行商を呼びなさい」
眉間に深い皺を作った母の一言で方針が決まりました。
私も流石に今度こそ絶対に買うつもりです。
「お母様もいてくださいね」
「分かっているわ。ぱっと見て、すっと買いましょう」
忙しいのでこれ以上叔母に付き合えない母とそんな会話をしていたのですが、当日、母には神殿からの呼び出しが入ってしまいました。
フランベルの件は『妖精』だったと神殿から発表があった後も、何かと記録を作る為に両親への聴取や細かい確認作業などが続いておりました。人間から妖精になるのはなかなか手間のかかる事のようです。
これでも呼び出しは発表前よりは減ったそうです。それでも時間の流れが違う神殿ですからこちらの都合も考えずに一方的に呼び出す傾向は変わらず、かなりスケジュールの調整が大変だと溢しながら、母は諦めて神殿に出かけていきました。
当主代理として多忙な兄も出かけており、傷心中のままの父は部屋から出てきません。
と言う事で、やはり今回の買い物も私一人でした。
元は叔母のやる事ですから、こうなるのも必然なのかも知れません。
「本日は御用命いただき誠にありがとうございます。私はサンドラ商会に所属するデューイと申します。以後お見知りおきを」
私一人で行商人と会うなんて初めてです。
ドキドキしながら挨拶をすると、デューイは応接間のテーブルの上にあった大小いくつかの鞄を慣れた手つきで次々開けていきます。
「つい先日、私共は運良く良い仕入れが出来ましたので、今後のお付き合いをお願いしたい我々としては、マリーベル様には良い品を手頃な値段でご提供させていただきたいと思っております」
どうせ売り文句と言われる類いのものでしょうけど、言葉通りならかなりラッキーな事です。
鞄に収められていた宝石達は見せ方が上手いのでしょうか、他の店で見た物よりも心なしかキラキラしていて、色々あってささくれ立っていた私の心も少しばかり浮かれた気分になってきました。
ただ、私も宝石に関しては一般的な令嬢と同じかそれ以下の知識しかなく、値段も価値も相変わらずさっぱり分かりません。
あの『Fool』の指輪に使われていた石が何なのかも分からない者に、何を選べというのでしょう。
止まって動かなくなった私にも笑みを崩さないデューイは、
「……これらはお気に召しませんか? では、こちらの物はどうでしょう。隣国で人気の魔除けですよ」
魔除けには私も興味がありました。
迷信だと分かっていても、ここまで『妖精』に振り回される事態は、いい加減に終わって欲しいと思っておりました。
「効果があるの?」
「信じる者には効果があるのでしょう」
それは売り文句としてはどうかと思いましたが、効果があると断言されていたら私は興味をなくしたでしょう。
デューイに差し出され、私はその一つを手に取りました。
俄に、外が騒がしくなりました。
遠くから言い争うような声が聞こえ、私が顔を上げると、
「お待ち下さい……!」
外から聞こえてきたのは、前にアクセサリー店でフランベルの筆跡か確認してくれた老執事の声でした。
言い争っているのではなく、どうやら必死に相手を制止しようとする声で、
「おやおや……」
同じように声が聞こえていたデューイは面白そうに笑っていました。
さて、私はどうしたら良いのでしょう。
何が起きているのかも分からず、下手に動くのも邪魔になりそうな私は、その場で一旦待機する事を選びました。
タイミング悪く、私以外の家族はおりません。
迷っている間に徐々に物音と声は近付いてきて、
「デューイ・サンドラ!」
ノックもなく部屋に入ってきたのは、リシス公爵でした。




