『リ・バース』第一部 第7話 Coupé en Deux③
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小川は徐々に川幅を広くし、やがて水源と思しき池に出た。
ここは別に山の中ではないので、湧き水が流れ出している訳ではない。この池は雨が降る度に溜まり、形成されているもののようだ。
やはりライガの判断は的確で、スタート地点から近い場所で魔物を探そうとしなかった事が良かったらしく、周囲にはまだ自分たち以外の騎士見習いの姿は誰も見られなかった。
「静かだね……」ノレムが呟く。
「けど、魔物は基本的に人里に近い場所よりも、離れた場所の方が増えやすい。この辺りで網を張っておけば、他の連中が来る前に一気に差がつけられるぜ。……まだ始まってから三十分も経っていないし、そう焦る必要はないんだけどさ」
ライガは言いつつ、アルターエゴを抜いた。
右手でそれを中段に構えつつ、左手を空中に翳す。
「行くぞ。……ミエル・ルーシュ」
ラプラス水道局の事件の際、最初に抜け駆けしようとしたライガはこのオリジナルの降霊術を既に実践に移し、成功したという。だが、リクトもそれが実際に使用されるのを見るのは初めてだった。
出現した魔方陣の色は、李の果肉のような金桃色だった。属性魔術を発動した際に現れる魔方陣の中に、これと同じ色を示すものはない。性質を聞く限り無属性ではあるのだろうが、汎用魔術の発動の際は基本的に魔方陣も無色になる。
波紋のような光果と共に拡散したのは、蜂蜜のような甘い香りだった。これだけでパンが食べられそうだ、という感想が頭に浮かび、ノレムは
「いい匂い」
呟きつつ深呼吸した。「今度、僕にも使い方教えてよ」
「いいのか? これ、魔物を呼び寄せる為の降霊術なんだけど……」
ライガが彼に応えている間に、早くもそれは効力を発揮した。
池を囲むように群生する蔓性植物の茂み──薔薇の実に似た小さな赤い実が夥しく生っている──がごそごそと動き、刺激されたような興奮気味の鳴き声が静寂を切り裂く。
ライガは素早く表情を真剣なものにし、「ノレム」と呼ばった。
「プリムヴェールを抜いておけ。無理して戦えとは言わないが、襲われた時に最低限身を守れるようにしておくんだ」
「わ、分かったよ」
「魔素の反応は──」
リクトもトゥールビヨンを抜きつつ、魔素知覚術を使う。
「そこまで強い気配じゃない。そんな強敵という訳でもなさそうだ」
言い終わるか、終わらないかのうちに、
「ギャアーッ!」
姦しい喚き声を発し、鳥の姿をしたアックスビークが二体飛び出して来た。
飛行系は厄介な相手だが、幸いこの魔物は前脚が退化している為飛ぶ事は得意ではなく、駝鳥を小型化したような姿で専ら地面を走り回る。敏捷性はステータスの中で秀でているが、追えない程ではない。
「ノレム、文法の精度は上がったか?」
「前に比べたら……やっぱり火花だけだけど」
ノレムの応答に、ライガは「それでいい」というかのように肯いた。
「掩護してくれ。俺とリクトの事は気にしなくていいから撃ちまくるんだ。……大丈夫、俺たちは全部回避する」
「僕──」
何かを言いかけたノレムだったが、ライガの厳しい眼差しと向き合うと、怯えながらもこくこくと肯いた。
「分かった、やってみるよ」
「頼んだ。行くぞ、リクト!」
彼の合図で、リクトは彼とコンタクトを取り合いながら飛び出した。
けたたましく叫びながらこちらに突進を掛けて来るアックスビークの片方を正面に捉え、光属性剣技を発動する。
「彗星衝!」
「焔縫剣!」
ライガも、火属性の技を使用した。アックスビークたちは、自分たちよりも速度で勝る二人が反撃を繰り出して来たので怯んだように減速したが、すぐに対抗の意思を示した。
魔物たちの嘴が、仄かに薄い卵色の光を纏った。剣斧の斧頭のような形状も相俟ってその様はあたかも、
「武器を持たない魔物が、剣技を使っている……?」
ノレムの零した印象と寸分違わぬ驚きをこちらに与える。
ライガは焔縫剣の型を維持したまま、「落ち着け」と言った。
「アックスビークの擬似剣技だ。自分たちで発生させた魔素で嘴を強化しているだけだが、向上した威力とスピードは本物に勝るとも劣らない上、技後硬直が課せられない。けど──」
彼の刀身が、そのまま振り下ろされる。
擬似剣技──恐らく斧カテゴリの「斧顎山隆創」──を放ちつつあったアックスビークの嘴が、本物の金属を叩いたかの如き鋭い音を立てて圧し折れた。
「そもそも強化される以前に、俺たちの剣の方が強い」
「ギャアアアアアッ!!」
彼に嘴を叩き折られたアックスビークは、口腔内を切ったのか血を吐き出しながら跳躍した。追い討ちを掛けようとしたライガの剣を跳び越え、彼の頭上で両翼を広げながら直線蹴りを繰り出そうとしてくる。
リクトはライガと同様、腕力で自分のターゲットを取った魔物の擬似剣技を制圧しながら左手を頭越しに伸ばした。
咄嗟の防御が間に合いそうにないライガに代わり、分光光線でアックスビークを撃ち落とそうとしたが、それよりも早く、
「身を焦がせ……スパーク!」
ノレムが、後方からライガの頭上に魔術を飛ばした。
入団してからの訓練初日、最下級技であるこれを発動しようとして、彼は危うく火災を起こしかけた。ライガが水属性術を使いこなせるようになる以前に、媒体となる魔素を拡散させてしまい威力が分散してしまった──彼の場合出力そのものが高いので、文字通り大暴れといった状態になったが──ように、ノレムの場合も術を術の形状に整えるのに苦労していたようだ。
今ノレムの放った火花は、やはり決して上手いものだとは言えなかった。過剰に火の粉が飛び散り、リクトの方にまで降り掛かって来る。しかし、それは以前に比べれば間違いなく安定に近づいていた。
ライガに蹴りを繰り出しかけていたアックスビークが、悲鳴と共に怯み、そのまま落下した。受け身を取れず下草の上で数回バウンドした魔物はそのまま池の方へと転がり、バシャン! と水飛沫を上げて落ちる。すぐさま頭を振って水気を切りながら上がって来たものの、これに最も驚いたのは術を放った当人であるノレムであるようだった。
「嘘……本当に当たった?」
「ギャオーッ!!」
呟いたノレムに、アックスビークは怒りの声を上げながら突進した。
叩き折られた嘴に再び力を集中させ、衝撃波を散らす。通常の武器であれば、あまりにも破損が著しいと剣士の感応を受け付けなくなるのか剣技を発動する事は不可能になるが、畢竟「強化」に過ぎないアックスビークの擬似剣技については、そのような事はないようだった。
「ひいっ、ライガーっ!」
「ノレム!」
立ち直ったライガは、上体をぶんと振るうように振り返った。剣では届くまで間に合わないと判断したらしく、無言で何らかの魔術を放つ。
風属性文法の風切り羽か空気切断か、目捉出来ない速度の斬撃が飛び、ノレムに襲い掛かろうとしたアックスビークの左脚をすぱりと切断した。再び大きなダメージを受けた魔物が振り返ると同時に、ノレムがまた叫ぶ。
「スパーク!」
今度は至近距離なので、正確にコントロールしなくてもダメージが入った。
ターゲットが移る程のヒットを前後から入れられ、魔物は面倒臭くなったように怒り狂いながら周囲に滅多矢鱈に嘴を振り下ろし始めた。
ライガは、今度こそ余裕を持って剣技の構えを形成する。
「メルシー、ノレム。あとは俺が……!」
アルターエゴの漆黒の刀身が、火柱と化した。一瞬ぎょっとしたように身を竦ませてから感嘆の声を上げるノレムに「少し離れていろよ」と言ったライガは、地面を蹴って跳躍した。
「赩焉百華断!」
──火属性剣技、必殺技。
振り下ろされた刀身から、火の粉と共に無数の花吹雪のようなエフェクトが舞い散った。
荘厳な輝きと共に、ライガの方を向いたアックスビークの頭頂から、体幹が縦に斬り下ろされる。引き裂かれた魔物は燃え上がり、凄まじい光量の中で蒸発するように掻き消えた。
ノレムがあんぐりと口を開け、尻餅を搗いた。
リクトも一瞬見惚れてしまったが、すぐにはっとし、慌てて自らが相手をしていたもう一体を斬り倒す。こちらも、最初の一撃で与えられたダメージが大きかったらしく、退魔剣を一本叩き込むとすぐに動かなくなった。
──と、いう事は、ライガとノレムが相手をしていた方の個体も、最初に大ダメージを受けていてすぐに倒せた可能性がある。
「どうだった、リクト!? 今の見たか!?」
長い事練習を重ねてきたテクニックを成功させた子供のように、ライガが弾んだ声色でこちらを見てくる。その無邪気な様子に微笑ましさを覚えながら、リクトは「ああ」と答える。
「凄かったよ」
「へへー」
「けど、ちょっとオーバーキルすぎたような……最後は斬撃強化で良かったかな」
「せっかくだし、派手に決めたいじゃん?」
ライガは言いつつ、アルターエゴを鞘に納める。それからノレムの方に手を差し出し、腰を抜かした彼を助け起こした。
「あ、ああ……ありがとう」
ノレムは彼の手を借りて立ち上がり、マントに付着した土を払った。
「魔物って、やっぱり強いんだなあ」
「そりゃ、人間にとっての脅威として存在している訳だからな。でも、ワーグやアックスビークなんてまだまだ序の口だよ。な、リクト?」
ライガの頭の中には、この間戦ったイピリアの事が浮かんでいるに違いない。リクトは肯きつつ、しかし幾ら何でも日々騎士団が狩りを行っている帝国の首都近郊にあれ程強力なものは出ないだろう、と考えた。
「ボス格を考えないとしても、俺が契約したアパデマクなんかはそうだな、同じ生態系の中だったら上位種なんじゃないか?」
「ライガ、使役獣が使えるなら今招喚すればいいのに」
ノレムが言ったが、ライガは「駄目駄目」と両手を振った。
「確かにこういう自然の中での狩りはあいつらの本分だけどさ、他の連中がパニックを起こすかもしれないだろ? それに、間違っておじさんたちに狩られたりしたらあいつらが可哀想だ」
城の使役獣ともなると狩るのも大変そうだ、とリクトは思う。シアリーズはライガと同様に彼らと契約したい、と口にし続けているが、ライガが自分の修得した魔術について語る時はいつもあっさりしていて、それが常人にはどれだけ困難を極める事なのかが伝わりづらい。シアリーズがアパデマクたちと仲良くなるまでは、大分時間が掛かるだろう。
そのような事を考えている間に、ライガは「さて」と言って更に奥の方へと進み始めていた。
「じゃ、次のブロックに行ってみようぜ」




