『リ・バース』第一部 第5話 Return with Reborns⑥
④ ラナ・ピックルス
最後の一小節を奏で終えると、ラナは深々と息を吐き出した。
ユークリッド北西区、ピックルス家第二分家。
父アンタークの枕頭でラナが演奏していたのは、竪琴型の弦楽器リラ。戦楽器ではあるが、自分が使用する際は攻撃でなく、専らアシストをメインの目的として奏でる。
楽曲は、宝瓶宮に伝わる「水瓶座の旋律」。フェートの先代騎士長アレイティーズもしばしば戦場で演奏した曲で、その音色には精神を鎮め、肉体の自然回復作用を強める効果がある。
自身の血液と引き換えに武器を強化する降霊術「吸血霊術」を継承するピックルス家の魔剣士は、戦いの度に肉体へ掛かる負荷が大きい為、老化が早く、他の武門に比べて世代交代が著しい。カルマ騎士団を率いていた本家の先代当主キューカンバーが他の騎士団の隊長たちと比べ、十歳近く年齢が若かったのもその為だが、その代にジフト戦役という大きな戦で術を使う機会が多かった為か彼が”末期症状”を呈するのも早かった。
通常は、ピックルスの魔剣士たちは”末期症状”に至るまで降霊術を行使する事はない。平均して、大体五十代の半ばを過ぎる頃から吸血霊は警告を発するようにその力を急激に弱め──乳児の生理的体重減少のようなもの、とアンタークは説明してくれた──、それを兆候として彼らは引退する。中には術さえ使わなければ大丈夫だとして現役を貫く者も居るが、アンタークはノレム・ピックルスがカルマを継ぐと共に大人しく身を引いた。
彼も、消耗は早い方だった。まだ四十九だというのに髪には白いものが混ざり、訓練をしなくなってからは日に日に目に見える速さで筋肉が落ちていった。
六、七十代だと言われても納得してしまえるようなその姿に、このままでは本当にその年齢まで彼は生きられるのだろうか、と危惧したラナは、父の活力を維持する良い方法はないだろうか、と考え、「水瓶座の旋律」を思いついた。ノレムに頼んでみたところ、彼は快くそれを引き受け、同輩のフェート騎士長オルフェからその楽譜を貰って来てくれた。
他方、ラナは現在二十八歳。一騎士団の副騎士長を継いだのは二十五の時だが、この年齢が全体的に見て低い方なのかはよく分からない。特に当代はイレギュラーであり、フォルトゥナ、ファタリテ、フェートも先代が次々と急死した事で、二十代半ばの若者たちが相次いで騎士長に就任する事になった。
ラナは今まで、自身にも先天的に才能が備わっているはずだという吸血霊術を使用した事はなかった。アンタークから副官のポジションを継いでから、剣術や適性属性の文法は使用するが、降霊術は主にアシストを中心に使用する。
ノレム自身も武闘派ではなく、剣術に関しては新規入団者たちにも後れを取る程だったので、彼はラナのそのような騎士としての在り方を認めてくれている。息子とはいえ彼がキューカンバーの後を継いだ時、多くの者から不安の声が上がったが、アンタークは戦闘技術ではない部分で彼を評価していた。
それは、ラナに関してもまた同じだった。
「……ありがとう。やっぱりお前の演奏はいいな、心が安らぐようだ」
ベッドから身を起こすと、アンタークはそう言った。
「悪いな、帰って来てすぐに」
「いいんですよ、お父様。私もこうしてお父様の為にリラを弾いていると、ああ、帰って来たんだなって実感出来るもの」
ラナは微笑み、音階をなぞるように弦楽器を爪弾いた。
ここ一週間、東方に旅に出ていた。城に帰還し、そこで見たものをノレムに報告したのが日没の頃だったので、双児宮を出る時には既に外は暗くなっていた。
アンタークが自分の奏でる「水瓶座」の音色を欲している事をノレムは分かっているので、ラナが副騎士長でありながら兵舎で寝起きはせず、ユークリッドに居る間は毎日のように自宅に帰っている事を許容してくれていた。
親類が多い中、再従妹という彼との間柄はほぼ他人のようなものなので、ラナが初めて彼と口を利いたのは、彼より一年後に自分が入団してからの事だ。それまでラナが聞いていたのは本家の御曹司である彼の名前と、キューカンバーとは比べ物にならない程の劣等生であり、気が弱いという事だけだった。その印象は直接対面してからも特に変わらず、むしろ「やはりそうか」と納得してしまう程で、今でも大きく変わっているとは言い難い。が、心根の優しい事は本当で、婚約後は何かと気を遣ってくれる。今日も、夜道が危ないからといって、双児宮から屋敷までわざわざ送って来てくれた。
……直前まで彼の命を受け、一人旅をしていたのだが。
「パペス国、旧ヘロン遺跡に例のものがありました。やっぱり、弊害は出ているみたいで……場所が場所だから、近くに街や村がなくて人的被害はないというのが幸いってところでした」
ノレムに報告したのと同じ事を、ラナは父親にも話す。アンタークは既に引退しているものの、自分が退いた後のカルマで娘やかつての主であった従兄の子がどのような事を行っているのか、困難に直面してはいないかという事について気に掛けており、ラナからの話をよく求めた。ラナもまた、しばしばアンタークからは知恵を借りている。
「バルドバロア王廟の『ホヴズ』を含めて、これで三件目。そのいずれもが、近隣に街や村のない場所に安置されていました。恐らく、そういった場所を選んで配置したんでしょう」
「そうだな。あまり事が深刻になると、聖光士たちも介入する可能性がある。何か後ろ暗い事があるのなら、やはり彼は騎士団の介入を望まないだろう」
「ノレム兄様は、結論を出すには慎重になるべきだって」
ラナは、リラの腕をぎゅっと掴む。
「『ホヴズ』は、『蟹座の旋律』──侵食と破壊の効果を持つ楽曲──を以てしても壊す事が出来なかった。恐らく、あれらは魔導具になる以前から既に私たちには未知の脅威になっていたのかもしれない。だから、逸早くそれに気付いた彼が封印してしまおうとしたって可能性も……」
「無論、十二分にある」
アンタークは肯いた。
「私も、そうであって欲しいと思う。このような状況だ、帝連がより一層団結せねばならない時に、仲間内で疑心暗鬼が広まるような事にはなって欲しくない」
彼の呟きには、切実なものが込もっていた。
引退したとはいえ、彼は従兄と同じく誇り高い武人だった。自らが現役だった時代に、後世になって年代記に残るであろう二つの大きな戦乱──ジフト戦役、ライガの反乱──を経験し、度重なる危機の中でカルマを存続させ、次世代に引き継いだという事に自負を持っている。
それが、第三の脅威──イスラフェリオの再来に直面した今になって、脆く崩れ去るかもしれない。そのような不安があっては、戦いの一線から身を引いたとしても彼が真の意味で心の平穏を得られる事はないだろう。
(私も、お父様に心配を掛けたくはないんだけどさあ……)
ラナは思いつつ、ノレムの事を考える。
ノレムは、自らの非力については理解している、と以前ラナに語った。その際、彼はあまり取り柄のない騎士長で悪い、と謝りはしたが、その上で「騎士長は一人で騎士長なのではない」とも言った。曰く、ピックルスの名を持つ自分と、それを支えるラナたち側近を始めとする機構体系こそがカルマの牽引力だ、と。
彼は自らの能力の限界を知っているからこそ、ラナたちのサポートを当然の事だとは思わず、感謝する事を知っている。それが彼の良いところでもあるのだが、ラナ自身はやはり、出来ない事は自分で克服したいし、可能性の限界は自らの努力で補いたいと思っている。吸血霊術を極め、武術に特化しようと思わないのは、どの能力を伸ばすかの取捨選択で選ばなかっただけだ。
「……また、戦争になると思う?」
何故か、そのような問いを口にしていた。
口にしてから、自分でもその意図が分からず戸惑った。
「ラナ──」
何かを感じ取ったようにこちらを見てくる父に、ラナは「ごめんなさい、気にしないで」と手を振る。アンタークはそんな娘を暫し見つめた後、
「自分を信じなさい」
今し方の自分の問いからは、やや外れたような答え方をした。
「ジフトが動いて、皆先が分からず不安な状況だ。しかしそれでも、聖光士もテレサ様も、ノレムも、目下直面しているものに精一杯に取り掛かっている。当たり前の不安に呑み込まれる事なくな」
私もそうした、という父の呟きに、ラナはそうか、と思う。
彼もきっと、ジフト戦役の火種が燻っている間、今の自分と同じような気持ちを感じていたのだろう。そして彼らが世代交代を果たした今、同じ不安を、ノレムもリクトも感じているのだ──。
「ノレムは、カルマという船の船長のようなものだ。船長が居ても、舵を取る水夫が居なければ船は進まないぞ」
先代副騎士長アンターク・ピックルスは、骨の秀でた頰にニヤリと笑みを浮かべてみせた。




