『リ・バース』第一部 第4話 His Punishment⑦
③ ライガ・アンバース
就寝時刻を過ぎてもリクトが戻って来ないので、手持ち無沙汰のライガはこっそりベランダから外へ抜け出した。
早起きは苦手な上、学問所時代は授業中も居眠りばかりしていた自分だが、夜にすぐ眠くなるというような事はない。眠くもないのにベッドでじっとしているというのも時間の無駄に感じられるので好きな事をしたくなるが、アルフォンスもメルセデスも居る中で屋敷を抜け出すのは難しく、その結果ライガは専ら自室で魔術の研究や開発を行う事になった。因みにリクトからは、真夜中までそのような事をしているから日中眠くて堪らないという事になるのではないか、と言われている。
魔術は確かに趣味ではあるが、時には外で遊びたい。そういう意味では、今回の遠征は願ってもない機会だった。
(日中は、全部デスタンに持って行かれちまったからな)
無論夜遊びといっても、歓楽街に繰り出すなどの楽しみはライガは知らない。小さい頃、こっそりアルフォンスの高級酒を味見した事があったが、消毒液を飲んでいるようで全く美味いとは感じられなかった上、後から凄まじい程の吐き気に苦しむ事になった。酒はもう飲みたくない。
それよりもライガは、自らの魔術を実戦で試す機会があるという事の方を魅力的に感じていた。
宿舎を抜け出すと、ライガはラプラシアン川の河川敷へ行き、土手に埋め込まれた土管から這うようにして地下水道に入り込んだ。水道局員たちの案内で入った正式な入口には当然鍵が掛かっているだろうが、ここは比較的その入口にも近い。魔物の発生しているスポットも、そう遠くないだろう。
昼間でも暗い地下水道は、夜になって随所に開いたマンホールから入って来る外光も少なくなり、一層暗さを増していた。
「幻惑せよ……フラッシュ」
例によってライガは、瞳に薄く光属性術を展開し、周囲を見えるようにする。最初に目撃した地下難民たちの集落は遠く離れた場所にあるらしく、水路の向こうにも見えなかった。
迷路の如く入り組んだ地下水道で、何処から入ったのか分からなくならないようにライガは方策を考えて来ていた。非常に古典的な手法だが、夕食の際に隙を見てパンを一つ失敬し、ポケットに忍ばせておいたものをちぎって落としながら先に進む事とする。地面の湿度が高く、風もそこまで強くは吹かないここでは、お伽話のようなこの手法も役に立つ。
(あんなに集団でぞろぞろ歩いていたら、せっかく魔物が居てもあっちの方で逃げちまうっての)
ライガは進み出し、周囲に本当に難民たちの掘っ立て小屋がない事を何度も確認すると、我流の降霊術を使用した。
「ミエル・ルーシュ」
掌を上に向けて唱えると、そこに小さな金桃色の魔方陣が展開する。そこから波紋のようなエフェクトが広がると同時に、えも言われぬ甘やかな──蜂蜜に似た香気が拡散した。
大分前に作成したものでありながら、首都ユークリッドの内側では効力を確かめる事の出来なかった降霊術だった。効果は、魔物を引き寄せる事。実用化出来れば、騎士団の日課である首都近郊での魔物狩りに際して、効率が大いに向上する事になるだろう。
アルフォンスからは、大いに褒められた。では、実際にはどうか──。
降霊術の発動から、一分、二分、三分と経過する。ライガはアルターエゴの柄に手を掛けつつ、辛抱強くその場から動かずにいた。
やがて、バシャバシャという水飛沫の音がこちらに近づいて来、ライガは空いた左拳を握りながら胸中で快哉を叫ぶ。
待っていると、瞳の上に広げた閃光の薄膜の効果が丁度消失する辺りから、水路に飛沫の主が姿を見せ始めた。目を凝らし、それが日中に討伐隊が最も多く交戦した鰐の魔物ペトスコスである事を確認する。
──先手必勝。
ライガはそう考え、居合抜きに剣を振りつつ地面を蹴った。
「緋炎斬!」
ヴォルノと同じく、火属性の剣技だ。彼の使っていた焔縫剣よりも威力が高く──その分技後硬直も長いのだが──、斬撃系統としては上位技という事になる。
ライガは魔術適性では早い段階から高位者である事が発覚し、その後も練習を重ねる事によって使用可能な属性も増えてきたので殊更に意識する事はなかったが、こうして剣が認識する魂の感応によって放たれる剣技は火属性なので、従来の適性はやはり火にあったのではないか、と思っている。
魔物は、水上に飛び出したライガに驚いたようだった。陸向きの体を持つ人間が、わざわざ自分から魔物の方が有利な水中へと進んで来るとは思わなかったらしい。しかし当然ながら、ライガは火の攻撃の威力が落ちる水中でペトスコスを相手にするつもりはない。
ペトスコスは、初撃の命中によって主導権を奪われまいとするかの如く水面に上体を覗かせ、水属性ブレスの予備動作を見せる。それこそ、ライガの狙っていた瞬間だった。
アルターエゴの漆黒の刀身が、最高威力のままペトスコスの鼻面を薙いだ。チャージ中の水属性エネルギーは水蒸気となって口腔内で爆発を起こし、魔物は頭部を吹き飛ばされて水中に倒れ込む。
ライガはそれを見届け、満足と共に肯いた。「魔物相手でも結構動けるな」
それから素早く水面を見下ろし、水量を調節する為の弁の開閉搬把があるのを確認すると、それを足場に対岸へと跳躍する。パン屑をまた一つ落とし、鼻をひくつかせてまだ先程の魔物寄せが効果を継続している事を確かめる。
間髪を入れず、また魔物が接近して来た。今度もまたペトスコスだが、一体目よりもやや体が大きい。
同じく、弱点を突いて一撃で倒せるとは考えなかった。魔物の強さを測る為の大まかな指標──攻撃力、耐久力、敏捷性、精度、知能、幸運度のうち、体躯の大きさは殆どの場合、耐久力の高さに直結する。皮膚が分厚ければ斬撃も魔術も通りにくいし、血液が多いので失血によって倒せるまでに掛かる手数もより多く求められる事になる。
ライガは、今度は敵が剣の間合いに入る前に左手を突き出した。
魔術にもそれが作用しやすい環境というものはある。風の強い場所では風属性術の効果は上がるし、逆に砂漠の真ん中のような自然光の強い場所では闇属性術の効果は薄れる。水中で火属性攻撃の威力が大幅に中和される事は言わずもがなだが、反対に水を通す事で威力、範囲の跳ね上がる属性もある。
「空を切れ、天飛つ神霊の息吹よ……ライトニング!」
雷属性術の中位技。八属性の攻撃魔術としては難易度の高いものではないが、敵がこちらへ到達するまでそれなりに距離がある為、より発動に確実を期す為詠唱は省略しなかった。
と、いうのは──一、二秒の後、ライガがすぐに今の稲妻は失敗だと判断した事に関連している。きちんと詩文を詠唱したライガだったが、プログラムはそれを認めてはくれず、魔術は発動しなかった。
自分は確かに、歴史上稀に見る六属性の文法を修得した高位者だ。しかし、その現時点で使用出来ない残り二属性というのが、水と雷だった。
その空振りの間に、二体目のペトスコスは岸のすぐ近くまで泳いで来ていた。
(やっぱり博打はするもんじゃないなあ……)
思いつつ、前方に飛び出す。水面に頭部を擡げた魔物の背を踏み台に再び跳躍、空中で後方に宙返りして高度を上げる。
魔物は、こちらが突如として視界から消えたので戸惑ったように視線を彷徨わせていたが、やがて長大な身を捻るようにして方向転換した。先程、水ブレスを吐こうとして自爆に追い込まれた一体目を見ていたのか、二体目のペトスコスは自身から少し離れた空中に魔方陣を出現させ、魔術発動の構えを取る。
「滾れ、内なる熱よ……ダイナミックヒート」
「グオオッ!」
ペトスコスの発動したのは、水泡の矢だった。威力はほぼ水弾と同等、だが速度が倍近くある。
矢は数発。全てを回避しきるのは不可能だ。ライガはそれを承知で、致命的な部位に当たらないよう最低限の動きで体を捻り、防御魔術を使うのではなく攻撃の動作を継続した。これから自分が繰り出すのは威力の底上げを狙った攻撃なので、加速度を十分に付けられる現在の高度を損ないたくはなかった。
ライガの詠唱した火属性術は、各種属性技の出力を向上する為の補助技だった。体が熱を帯び、すかさず剣技発動の構えを取ったアルターエゴの刀身が松明の如く燃え上がる。
水の矢の二本が左右の肩を掠め、鋭い痛みを生ぜしめたが、堪えた。
「咲煉破!」
こちらもまた、速度重視の刺突系統技。
ライガの場合、高い位置に居る事で付加された落下のエネルギーと加速、更に直前に発動した属性出力向上が威力を数倍に膨れ上がらせた。
最初に雷属性術を空振った時点で、耐久性に優れた魔物を手数で倒す、という考えは捨て去っていた。しかし先程と同様一撃で仕留めるには、一撃の有効な威力を最大限まで引き上げねばならない。
当然、これを叩き込むのも敵の急所──晒された喉笛だ。
会心の一撃──。
(……ん?)
魔物の弱点を貫く一瞬、視界の隅に妙なものが映り、ライガはつい集中力を乱しそうになった。辛うじて踏み止まり、まず確実に魔物を仕留める。
絶命したペトスコスが水中に消える直前、ライガは素早く身を引いて水路の岸に着地を成功させた。
(今のって──)
危機が去ると、ライガは今し方気になったものの消えた方向を見た。
こちら側の岸のすぐ先に、曲がり角があった。先程の空中に居る一瞬、自分はそこを曲がる人の姿を確かに目撃したのだ。
「あれは……バトラスか?」
今度は、口に出して独りごちた。
そう──確かにそこに見えたのは、水道局長のバトラスだったのだ。
騎士見習いの自分が宿舎を抜け出し、一人で抜け駆けをしようとしている現場を見られたのではないか。そのような保身的な思考が一瞬浮かんだが、それよりも疑問の方が勝った。
バトラスはこのような遅い時刻に、ここで何をしているのだろう?
討伐隊が休んでいる間に、もう一度自分たちだけで調査を行おうとしているのだろうか。確かに日中のデスタンの働きで、地下の安全を脅かしている魔物の総数は減少した訳だが──。
(だとしたら、他の水道局員が見えないのはどういう訳だ?)
確かめてみよう、と思い、ライガは剣を納めつつ進んだ。
しかし、角を曲がり、その先でも二つに分岐していた道を一本ずつ確認したが、それぞれ更なる分岐が現れるまで進んでもバトラスの姿はなかった。
* * *
宿舎に戻った時、丁度リクトとヴォルノが帰って来ているところだった。
ヴォルノに見咎められたら夜間外出の件で叱られる、と思い、街路樹の陰に身を隠す。彼らが入口の前で一言二言言葉を交わし、やがてヴォルノが何処かに行ったのを見届けると、いそいそとリクトへと駆け寄った。
「おーい、リクト」
「ライガ? 君、何処に行っていたんだよ?」
彼は面食らったように言い、やがてライガの肩の傷を見ると目つきを鋭くした。
「まさか君、一人で……」
「その事についてだが、まあ落ち着けよリクト」ライガは言い、今にも通報しそうなリクトの両肩に手を置いた。「部屋で話そう」
彼は大人しく部屋まで着いて来たが、扉を閉めるや否や説教を始めた。
「僕たちは確かに騎士見習いで、今は見学の為に遠征に参加している。だけど何故剣術の上位百名だけが同行を許されたのか、分かっていない訳じゃないだろう? これが現実問題として街を悩ませている魔物との実戦で、れっきとした騎士団としての作戦行動だからだ。まだ一日目でそこまで成果が出ていないとはいえ、誰かの独断専行は後になってどんな弊害を招くか──」
「分かった、悪かったよ。けど、その作戦行動の頼みの綱がおかしな事をしていたらそれこそ先行きが不安だ」
くどくどと続けるリクトを遮り、ライガは言った。イザーク教官もだが、真面目すぎる性格の人間は話も長い。
「どういう事だ? もっと直接的に言ってくれ」
「バトラスだ。さっき地下水道に、バトラス局長が居た」
「彼が?」リクトは、眉間に皺を寄せた。「こんな時間にか?」
「な、おかしいだろ? ……言いづらい事だが、俺が魔物と戦っているすぐ近くだったんだ。多分日中入ったのと同じ場所から来たんだろうが、すぐ近くで明らかに戦闘音がしているのに何も言わなかった」
「……それで、君はどう考えているんだ?」
リクトの声が低められる。最早、ライガを咎めるような素振りはなかった。
「バトラスは、俺が入るより前に地下水道に居たんだと思う。で、近くで俺の戦っている音がしたから様子を見に来た」
「それだけなら、考えられる事はあるよ。彼も、君のように一人で調査の続きをしようとして、奥の方に進んでいた。けど、見ての通り水道は複雑だ。自分が分かれ道の一つを調べている間に、別の場所から魔物が移動して来たのかと思って、様子を見に来た」
「けどそれじゃあ、何で戦っている奴の姿を見て声を掛けない?」
ライガがあまりにも疑いを口にするので、リクトはその事を訝しく思ったようだった。声のトーンを一層落とし、慎重に尋ねてくる。
「君が、そこまで疑う根拠は?」
「勘だ」
ライガは即答する。自分以外の誰かが口にすれば、ほぼ無根拠と同義の言葉。しかし、リクトにとってそれは最も大きな根拠になり得るものだった。
「分かった」
彼は、心に留めておこう、というかのように肯いた。
「君のセンスを信じる」




