『リ・バース』第一部 第4話 His Punishment⑤
奥に歩いて行くに従って、難民たちの集落は段々と密度を下げ、掘っ立て小屋もちらほらと散見される程度になる。それにしても随分広範囲に彼らは広がっているようだが、こうして一人か二人で分散しているような人々は、最近の魔物の出没について恐れてはいないのだろうか、とリクトは考える。
騎士長は依然知覚術を使用し続けているようだったが、やがてまた「うーむ」と唸り、後頭部を掻き回した。
「魔素が濃すぎて、何が何処に居るのか絞れない。……よし、そろそろ皆、いつでも剣を抜けるようにしておけよ。騎士見習いの諸君は前に出る事はないが、どんな間違いが起こるか分からん。一応正騎士たちと同じく、臨戦態勢を整えるように」
「ま、それだけ供給が豊富なら、こっちも文法は使い放題って事だな」
ライガは、舌なめずりをしそうな顔で言う。ヴォルノが振り返り、そんな彼にちらりと視線を向けたが、特に何も言う事はなかった。
と、その時、水路の奥の暗がりでバシャン! という大きな水飛沫の音がした。
何かが水面で跳ねたらしい。魔物がすぐ近くまで来ている──皆がその事を感じ取り、緊張感が空気中を伝播した。
「デスタン第一班一同、魔術発動用意!」
ネクアタッドは指示を出し、自らも抜き放った剣デネブ・アルゲディの陰で魔術発動の構えを取る。
また、バシャン! という音。今度はここからでも、白い飛沫が見えた。それは次第に間隔を短くし、徐々に大きなものとなる。そして数秒の後、水面にはっきりとその本体が覗いた。
「逆巻け生命の奔流……ストリーム!」
ネクアタッドは即座に掌を突き出し、詩文を詠唱する。彼に続き、第一班と呼ばれたデスタンの魔剣士たちも同じ水属性魔術、奔流を発射した。どうやら各々の属性魔術の適性に合わせ、班が分けられているらしい。
彼らの放った術が、水面を打った。何発かは対象に命中したらしく、水中から覗いていた姿が大きく全身を空中に現した。扁平な胴と頭部、長い尾に短い脚。尖った口からは、鋭い牙が覗いている。鰐のような魔物だ。
「ペトスコスだ! かなり大きいぞ!」
騎士長が叫んだ。水上に躍り上がった魔物は体をくねらせ、再び水中に飛び込もうとする。しかしそれより早く、水面でまた水飛沫が生じた。
誰もが、それを見逃さなかった。
「もう一体居る!」
ヴォルノが声を上げつつ、騎士見習いたちを庇うように前に出る。彼もまた剣を抜き──刀身は紅殻色だった──、自身の感応を込める。その刃が熱を帯び、光焔を生じた。
一体目と入れ替わるように、水中から二体目のペトスコスが跳ね上がり、四肢を体側に付けて矢の如く空中を飛んで来た。最初に奔流を放った魔剣士たちの眼前まで肉薄するや、一気に全てを呑み込もうとするかの如く巨大な顎を開く。
ネクアタッドの判断は、それを予想していたように正確だった。
「防御!」
「プリヴェントファクター!」
第一班が、再び声を揃えて詠唱し、障壁因子を展開した。これは光属性だが、攻撃魔術以外の支援技や妨害技は、その属性に適性を持たない術者であっても比較的容易に修得が可能だ。水属性の術者たちで構成された第一班の魔剣士たちは、見事に防御を成功させた。
光の壁に鼻面から激突した鰐は、大きく上体を仰反らせた。
「我が剣技をお目に掛けよう! 止水閃!」
ネクアタッド騎士長のデネブ・アルゲディが閃いた。無防備な魔物の喉を、水飛沫の光果を帯びた横薙ぎの一撃が通過するが、やはり相手は魔物、その一撃のみで頸動脈を掻き斬られる事はなかった。
しかしそれも、彼には想定の範囲内のようだった。
「第一班散開! イェーガー殿、私の肩をお貸ししますぞ!」
「了解!」
ヴォルノが、即座に自らすべき事を判断した。彼はリクトたちに「動くなよ!」と叫びつつ前方に飛び出し、身を屈めたネクアタッドの肩当を踏み台に跳躍する。そのまま、空中で火属性の剣技を発動した。
「焔縫剣!」
仰反った事で体を縦にしたペトスコスの体幹を、比較的肉質の柔らかな腹側を袈裟懸けに斬り下ろす。反属性となる火の攻撃を受けた魔物は、傷口から侵入した炎に全身を燃え上がらせながら水中に倒れ込んだ。
「ひゃあ……すげえ」
誰かが呟いた時、リクトたちのすぐ横で新たな水飛沫が上がる。いつの間にか、最初に姿を見せた一体目が水路を泳ぎ、密集している訓練生たちの近くまで接近して来ていたのだ。
リクトはすっと肝の冷えるのを感じた。ペトスコスは水中から上体だけを覗かせると、口元に水のエフェクトを集中させ始める。
──息。魔物の使う様々な魔術的要素のうち、最も代表的な攻撃。
その射線上には、蛍光色──虹色に乱反射する箔糸を織り込んでいる──のマントを靡かせるフェートの騎士見習いの姿があった。
「オルフェ!」
ライガが叫び、先程のデスタンの魔剣士たちと同様に障壁因子を発動しようとする。が、オルフェの対応はそれよりも早かった。
「神々の遺しし霊威の痕跡……レギンレイヴ!」
彼は右手で火球を生成し、まさに水ブレスを放とうとしている魔物の鼻面に向かってそれを射出する。それが命中しないうちに、今度は左手を伸ばして新たな詠唱を行っていた。
「無窮の暗黒、境界なき混沌の遺産よ……カオスレガシー!」
二発目は闇属性の球体だった。皆が息を呑む中、二つの属性魔術を同時に喰らったペトスコスは口元で発射直前だったブレスを暴発させ、水面に倒れ込んだ。
即座に、茶色マントの正騎士たちがそれを仕留めに掛かる。
「オルフェ、お前……高位者だったのか?」
尋ねるライガに、彼はぼそぼそと答えた。
「先週までの訓練で、僕の魔術適性が火と闇、二つにあった事が分かったんです」
そのまま彼は、誇るでもなく列に戻る。
やがて、魔物を倒し終えたネクアタッド騎士長がこちらにやって来た。
「君、いいセンスをしているな!」
彼はオルフェの背を勢い良く叩き、例のはっはっは、という豪快な笑い方をする。
「は、はあ……」オルフェ本人は、やや迷惑そうだった。
「デルヴァンクール殿の仰った通り、今年の入団者は豊作だな! 伸び代も十分、鍛え甲斐があるというものだ。ウロータス、お前もフォルトゥナやフェートの者たちに負けじと頑張るんだぞ! はっはっはっ!」
「エミルス殿……」
現場でも尚息子に対して父親として振舞う騎士長に、ウロータスは「今は上官と部下の関係だ」と言わんばかりに他人行儀な呼び方をした。オルフェの方は、注目が自分から逸れたので幸いというように息を吐いている。
訓練生たちよりも更に後方に下がっていた水道局員たちは突如として襲って来た魔物に震え上がっているようだったが、バトラス局長が真っ先に我に返った。
「魔素知覚術を使ってみましたが、強力な魔物二体が倒されたというのに特に変化は見られません」
「という事は、この濃厚な魔素の発生源はもっと強い魔物だという事ですな」
騎士長は言い、水路の奥の暗がりを見た。
ひとまずの危機を逃れ、安堵の息を吐いていた訓練生たちの空気が、一瞬にして再び引き締まる。
自然に皆が静かになったタイミングで、リクトは耳を澄ます。水路は依然ごうごうと激しい音を立てて水を流していたが、その奥に微かに鈍い反響のような音が混ざっているような気がする。しかし、それが魔物の鳴き声なのか、狭い空間を吹き抜けた気流が壁にぶつかって立てている音なのかはよく分からなかった。
「我々の目的には、今回この地下水道に発生した魔物が何処から生じたものなのかについて、原因を突き止めるという事も含まれている。今し方の戦闘で、足場が狭い中で、水中から奇襲を掛けてくる魔物との戦いがどの程度困難なのかは把握出来た。とりあえずは偵察を行って、明日改めてフォーメーションの再編成を含めて作戦を立てよう」
ネクアタッドは、皆を振り返りながらそう言った。
「到着から休憩を取らずに実戦で、諸君らも疲れているだろう。ボス格の魔物との戦いには、万全のコンディションで臨む事が鉄則! という訳だから、今日のところはそこまでとする」




