『リ・バース』第二部 第4話 Juvenile⑦
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国境を越え、フェラーリに着くと、花園はまさに満開のシーズンだった。
アウロラたちは、御者に「夕方には戻ります」と断って馬車を降りた。今日は日帰りで、城へ帰り着くのは夜になってからの予定だった。
色とりどりの花々が秩序を持って並び、鮮やかながらも優しげな諧調を成している。緩やかな丘の地面に絨毯を敷いたように広がる花たちの名前を、アウロラはどれ一つとして知らなかった。
その間を縫うように蛇行して続く薄い卵色のパステルタイルの道には、観光客と思しき春服の人々の姿がちらほらと散見された。道を目で辿った丘の上には、ユークリッドの聖堂のような白亜の塔が青空に向かって屹立しているが、よく目を凝らすとその石材は仄かに花淡紅を帯びていた。
「あれが、メゾン・デューで特に有名な『花の塔』だな」
ライガが、塔を指差しながら言った。
メゾン・デューという国名の由来は、旧バルドバロア王朝時代以前にあちこちに建設された塔建築だとされている。それらは主に精霊を祀る目的で築かれたもので、故に巡礼を行う精霊招喚士たちにとっては国全体が「聖地」というような扱いをされる事もあった。
「確かあそこに、花の精霊フルールが居るんだよな」
「ライガ、契約しないの?」
リクトが彼に尋ねる。ライガは城の調教師ルーク・ネリアーから魔物招喚術を教わっていたが、精霊の方は修得出来なかったらしい。騎士見習いの身分では国外に出ての巡礼は難しいので、詮ない事なのだろう。
ライガは「そうしたいのは山々だけど」と後頭部を掻いた。
「フルール一体とだけ契約しても仕方ないし、そもそも今の俺にそんな時間はないしなあ」
「でも、とりあえず丘の上まで行ってみましょうか」
シアリーズが、指抜きの手袋を嵌めた両手を叩いて音頭を取った。
「丘の向こうもお花畑になっているみたいですし、きっと頂上から眺めたら絶景だと思いますよ」
誰も、特にプランは練っていなかった。日帰りなので所要時間は短いし、旅行とはいえ少し遠くへのピクニックといった感じだ。だが、姉やリクトの目的は皆で過ごす時間を作るという事なので、融通を利かせられるようにあまり厳密なスケジュールを敢えて立てる必要はないのだそうだ。
五人は連れ立って、蛇行するタイルの道を歩き始めた。
──やはり、気まずい。自分が入る事でこのような雰囲気になる事を遠慮して、姉たちが天秤宮でお茶会をする時も、アウロラは途中で席を外してしまう事が多かったのだ。
その一方で、自分は今までマロンと共に旅行をした時、彼とどのような話をしていたのだったっけ、と考えた。彼の方から話し掛けてくる事はほぼないので、話題は自分の方から提供せねばならなかった。
カレンデュラが付き添ってくれていれば、彼女がアウロラが返しつつマロンに球をパスしやすい話題を提供してくれる事もあったのだが──。
「……マロン様」
話し掛けてしまえば何とかなるだろうか、と思い、アウロラは隣を歩く彼に声を掛けた。歩く時の並びは、自分たちが隣り合うようにそれとなくリクトが気を回してくれていた。
「何か?」
馬車の中でライガに絡んだきり、ずっと黙っていたマロンだが、こちらの呼び掛けに対しては無視するような事はなく、ぶっきらぼうながらも返してくれる。アウロラは胸元に拳を当て、深呼吸しつつ言葉を紡いだ。
「その……今更という感じではあるけれど、お帰りなさい。去年からずっと、こうしてお顔を合わせる事が出来なかったので」
「お気遣いなく。都合をつけて伺う事を怠ったのは、私の方だ」
「いえ、それはいいの。マロン様も、ベズー会談では大変な働きをされたと伺っていますから」
「……ベズー会談、ね」
呟いたマロンの声は、何処か浮かない調子だった。元々彼が明るい声を出す事の方が滅多に──というより全く──なかったが、その響きは無感情というよりも、何処か鬱々としてすらいた。
「ヤーツ議員が、お父上にお礼を言っていたそうですよ。あなたのお陰で、交渉が決裂せず、ソレイユの方々の命も損なわれる事なく向こうの肢国への復帰を実現する事が出来た、と」
「……それだけですか?」
「えっ?」
マロンからの思いがけない言葉に、アウロラは首を傾げる。
「ライガもリクトも、フェートのオルフェ・アッシュ──いや、今ではイェスネットか──も、終戦の間際までずっと名を轟かせ続けた。彼らはずっと、前線に居たのだから。しかし私は、そうではない。ベズー以来、ずっとファタリテの主力はソレイユ領内に駐屯を強いられていた。結局その後、我々が女王蜂と相まみえる事はなかったのだ」
「結果的に、デルヴァンクール隊を三年に渡って苦しめたジェムシリカたちは討たれました。そして、マロン様はこうして無事にユークリッドへの帰還を果たされた。それでは納得が行かなくって?」
励ますつもりで言ったアウロラだったが、その瞬間マロンはきっと顔を上げて鋭い目をこちらに向けてきた。
アウロラは、思わずはっと息を呑んで口を噤む。前を歩く姉たち三人は何やら彼らで囁き合っており、こちらを振り返ってはいなかった。マロンは釣られたようにこちらの視線を辿り、彼らを見てから、矢庭にアウロラの左手首を掴んでぐっと顔を近づけてきた。
「私は、匍匐獅子の悲願を達成すべく期待を背負っているのだ! 獅子宮ファタリテを、正統なる獅子心王配下、五人の英雄の長の裔たる者たちと知らしめ、筆頭騎士団としての復権を成し遂げる為に」
彼は小声ながら、強い意志を孕ませた声でそう言った。
「エルヴァーグこそ、大英雄の末裔だ。私はそれを証すべく、次世代の騎士たちの最上位たる必要があった。しかし、実際はどうだっただろうか? 一時はベズー会談成功の立役者とされた私がその後生きているのか死んでいるのか、知っていた者たちが居ただろうか?」
「それは──」
「アウロラ姫、あなたはどう思われる? リクトやオルフェが戦果を挙げたという報せは、首都に毎日のように伝聞されていた。しかし、私はその会談以降、名が人々の口の端に上った事があったか?」
「マロン様──マロン、私は」
「あなたにとっては、アウロラ姫、私はフォルトゥナの首席リクト・レボルンスと同年代で、以下同分のその他騎士団の騎士見習いたちの一人なのかもしれない。デスタン騎士長の息子、フェート騎士長の息子、カルマ騎士長の息子、そしてファタリテ騎士長の息子、その中の一人で、別に殊更に私である必要は、皇帝陛下にはなかったのかもしれない。
しかし──私にも、あなたの許婚としてではない、私自身の理想も価値観も、矜持もあった。私自身を主としない肩書きで、何故自らの事を定義しなければならないのか?」
彼の声色は、苦悩に飽和したものだった。
「何故、あなたなのだ? 将来、あなたがどのような肩書きを得ようと、それで私が授かる『皇后の妹婿』という見られ方に、どれ程の価値があるというのか? 父上や私の理想にとって、柵になるばかりではありませんか!」
「………」
そうかもしれない、と、アウロラは思った。
マロンが自分を「余り物」と呼んだ事について、ショックは受けたし憤りも幾分か感じはしたが、彼の気持ちも理解出来なくはない、と思っていた。しかし、こうして実際に彼の口から聞かされると、彼もまた、望まない関係や大義によって雁字搦めになっているのだ、という事がはっきりと分かった。それは想像出来る事よりも、遥かに現実味を帯びていた。
せめて、自分が彼から愛される女になれていたら──と思った。理想や立場上の権限というような事柄を全て度外視してでも、自分と結ばれさえすれば他に望むものはない、と彼が思える程の相手であるのならば、と。
だが、彼にそう思って貰おう、などと考える事は、いよいよ傲慢なのかもしれないとアウロラは思う。
当の自分が、想いをリクトに向けてしまっているのだから。
アウロラは俯いたまま、「ごめんなさい」と小さく口に出した。マロンは唇を噛むと、彼自身も気まずくなったのか体を離し、握り締めていたこちらの左手首をぱっと放した。
自分たちは再び無言で──今度は先程までよりも少し距離を取って歩き出す。
アウロラは、横を向いて花畑を眺める事に集中している風を装った。しかし自分の横目は、微かに、しかし確かに前方を歩くライガがちらりと首を振り向かせ、こちらを窺って眉根を寄せたのを捉えていた。




