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2-2 夜に歌う鳥の名は 2

 


(何だろうかこの状況は)

 人気のない裏庭の休息所。

 樫木で出来たベンチに、少年と青年がいた。

 少年はナハティガル。その隣には、すこぶる美形だが寡黙で冷徹な気配を纏った青年騎士が座っている。

 彼の騎士は常に厳格で冷徹にすら見える雰囲気を漂わせ、部下や同僚たちを纏め上げている四騎士筆頭、ヴァイスリヒト。それがいまや水に漬かった青菜がごとく萎れている――もしくは、落ち込んでいる、と捉えていいのかどうか。

 とにかくナハティガルには相手が消沈しているようにしか見えないが、どうすれば良いのか分からない。俯いたまま話さず、語らず、沈黙の貝と化した置物。


(この人の行動範囲を把握しておくべきだったな……)

 美しい貝――ならぬヴァイスリヒトを横目に、ナハティガルは嘆息つく。

 発端は、昼から夕方へと向かう時間帯のこと。

 今日も今日とて、ひとり裏庭にやって来たナハティガル。周囲を見回すも他に人影は無し。気配もなし。

 それもそのはず、ジェイバンが来るのは昼の休憩時間だけ。その為、今日はナハティガルひとりきり。別にジェイバンを厭うているのでなく、ここ最近とみに構いすぎてくるので疲れていたのだ。

 なので、がらんとした庭を見た時は喜んだ。久しぶりに静かな時間を過ごせるなと……そう思っていた矢先に、今度は通りがかりの騎士殿に見つかったのだった。


 こちらに気づくなり近づいてきたヴァイスリヒトに、ナハティガルは隠密系の魔術でも掛けておけばよかったと顔を顰めそうになる。それでもどうにか表情を抑え、ペコリと挨拶すれば向こうも目礼を返してきた……が、それだけ。

 目礼した後はナハティガルの側に立ち、何も言葉を掛けてこなかった。

 そこは少しだけ気になったが、優先したは己の日課。ナハティガルは相手に背を向けると、いつものように剣を構えた。なるべく欠かさぬ自己研磨。最低限の礼儀は返したのだから、相手のことは構わずとも良いだろうと考えて、剣舞を始める。

 ――そのつもりだったのだ。

 そのまま立ち去ると思っていた騎士が側のベンチに腰掛け、見物しだしたりなどしなければ。

 集中しにくいので見ないで下さい。

 気が散るのでどこかへ行って下さい。

 そうハッキリ言えたら、どれだけ良かったか。

 敵意を向けられたわけではない。

 何かをされたわけでもない。

 相手はただそこに座って、ナハティガルの様子を眺めているだけ。それに相手は見物ではなく単にぼうとしているだけかもしれないではないか。(その視線はしかし明らかにナハティガルへと留められてはいるのだが。)

 なので、ナハティガルとしても追い出すわけにもいかず。

 最終的に鍛錬を諦めて、騎士の隣に座ることにした。会話相手を求めるような気配を相手が発していたせいもあるだろう。

 これは勘違いではない。視線がナハティガルを追いかけていたので。

 つい「言いたいことがあるならとっとと言え」と口にしかけたが、それではこちらが話したがっているようではないかと考え、ナハティガルは相手からの反応を待つことにしたのだが――。


 ――まさかそこから無言の時間が始まるとは思いもよらず。



 ◇



 ナハティガルが隣に移動しても、沈黙状態は変わらなかった。

 じわじわと無駄な時間が過ぎているが、静寂は嫌いではない。むしろこの方がありがたいので、ナハティガルは好きにすることにした。

 鍛錬はもう諦めた。なに、一回くらいせずとも腕は鈍ったりしないと、半ば己を慰めて。それと、休憩時間は有限なのだから有意義に使わねば勿体無い。

 空を見上げたり鳥の鳴く声に耳を済ませたりなどして、ナハティガルは貴重な休息を楽しむ。

 隣の様子は? 変わりなし。まあ、放っておいたところで死にはすまい。

 ……よもやいきなり自害したりはしないだろう。そう思うほどに今のヴァイスリヒトは沈み込んでおり、いまいち声が掛けづらい状況だった。

 やはり放置するのが最善か。ナハティガルは自己の休息を続けることにした。

 静かな時間がゆるゆると流れていく……。


 火にかけた鍋の水が湯に変ずるくらいの時間は経っただろうか。

 小さなつむじ風が一筋、ひゅるんと通り抜けた。それに乗って流れてきた鳥が、ナハティガルの膝上にちょんと止まる。丁度いい止まり木とでも見たか。 

 大胆な闖入者に、ナハティガルは目を細めて微笑する。

 美しい色をした青い鳥(ロワゾブルー)。幸せを運ぶらしいが、はたして?

「なんだ。パンくずでもねだりに来たのか? 今は休憩しているだけだから何も持ってないよ」

 クスクス笑って、鳥の頭を指先で撫でる。鳥は逃げず、少年の指先にくすぐられるがままにしていた。人慣れしているのか、うっとりと目を閉じている鳥を見てナハティガルはまた笑う。

 そのようにして鳥と戯れていれば、隣から声――「君は何に対しても優しいのだな」 

 見れば、しおしおになっていた氷の花が少しだけ立ち直っている。金色の獅子の瞳は、まだ光が弱々しいが。ナハティガルは鳥に視線を戻して、言葉を返す。

「買いかぶりですよ。生憎と、無差別な情は持ち合わせておりませんので」

 なー? と、見つめ合う鳥と同じように小首を傾げて、ナハティガルは笑った。その振る舞いは年相応に見える。

 それを眺めていた獅子は苦笑を浮かべつつ起き上がり、萎れていた姿勢を正して言った。「いや、君は優しい」

「……」

 騎士様はどうにもナハティガル少年を『良い子』にしたいようだ。

 ナハティガルはチラと隣を一瞥して、どうでもいいといったふうに肩を竦める。おおよそ従卒がとる態度ではない。なのに、ヴァイスリヒトは微笑むばかり。どうやら何かがお気に召している様子。

 ――騎士殿は反抗される方がお好みか。

 ナハティガルはそんなことを思うも、口には出さなかった。藪の蛇は突かないのが得策だと考えて。

 青い鳥との触れ合いを楽しみつつ、それでもこれだけは言った。

「上辺だけで判断するのは止めたほうがいいですよ」

「そうか。留意する」

「まあ、痛い目に遭ったほうが覚えも早いでしょうけど」

「ははは。そうなる前に回避できるよう努めよう」

 どこまでも余裕ある姿勢で、従卒の軽口を柔らかく受け止め返す筆頭騎士。萎びていた精神が回復したようで何よりだ。

 青菜が氷の花の体裁を整えたのを見計って、ナハティガルは切り込んだ。


「それで――お悩みは解決しましたか」

 指先に留めていた鳥を空へ放す。鳥は空中で不服そうに留まりチイチイ鳴いていたが、やがて空の向こうへ飛んでいった。

「時間外ですが、小鳥(バーディ)の手で宜しければ貸しましょう」

 そう言いながらチラッと視線を向けて話を聞く姿勢を見せたナハティガルに、ヴァイスリヒトが眉を僅かに下げる。

「やはり君は優しい子だ。……そうだな、君の知恵を借り受けたい」

「厄介事ですか」

「そう……なるかもしれない。ああ、もし良ければ少し相談に乗ってくれないか。とは言っても、私事なので恐縮だが」

「…………仕事、ではなく……筆頭様ご自身の相談、ですか。……この従卒風情に?」

「ここにいるのは私と君だけだろう」

 先に話を聞いてから手を出すべきだった、とナハティガルが後悔するも遅い。とにかく顔いっぱいに拒否の感情を滲ませて、己の挙手を何とか取り消せないだろうかと考える。

 だがその思考中、相手がじっと……じいっと凝視してくるものだから、どうにも怯んでしまって。

 結局、溜め息を吐いて頷いた。

「羽を差し出したのはこちらですし……仕方ないですね。聞きましょう」

 ナハティガルの嘆息とは反対に、ヴァイスリヒトは微笑みを浮かべる。



 ◇



 語られた相談内容の所々は、色々とぼかされていた。

 必要以上のことは知られたくないのか、それとも不必要な秘密を知ることになる少年の身を案じでもしたか。アレが、コレが、ソレが、という単語があまりにも多く、また曖昧に語るものだから、ナハティガルは途中で差し出した羽をしまい込みたくなった程だ。それくらいの面倒さが、ヴァイスリヒトの会話にあった。

 それでも辛抱強く聞き続け、どうにか判明した内容は――。


『とあるものが懐いてくれない。どうすればいいか』

 ナハティガルが引き攣った笑みを浮かべ、押し黙ったのはいうまでもない。


(これは何の冗談だ?) 

 ナハティガルの眉間に、これでもかと皺が刻まれる。困惑、煩い、面倒、という単語が順繰りに胸中を巡る。ちなみにナハティガルの内なる返答は――「知るか」だ。

 しかしながら、そのような発言はすまい。なにせ相手はちっぽけな少年を拾い上げ、高給を与えてくれる雇用主。広い懐の持ち主だが、あまりにも無礼が過ぎると不興を買い、解雇されてしまうやも。(別にそれはそれで仕方ないと諦めはするが。)

 比類なき力を持つ四騎士最強の男とはいえ、喜怒哀楽のある人間だということを忘れてはならない。

 かといって、媚びを売るのもまた違う。ヴァイスリヒトもそのような態度など望んではいないだろうし。

 色々考えた結果「とりあえず一定の情けは見せておこう」となったので、少年は無慈悲な言葉の代わりに溜め息を吐くと、会話を続ける為に口を開いた。

「どうすればと仰いましたが、それはどこまでの意味ですか?」

 それは懸想(?)相手に迷惑が掛かりかねないと思ったが故の問い返し。ナハティガルが相談内容を読み違え、ヴァイスリヒトに妙な助言をしてしまった結果、大ごとになるのを避ける為だ。己が過失のせいで見知らぬ相手が悲惨な目に遭わされては堪らない。

 もっとも、彼の騎士殿は蛮行へ走るような愚者ではなかろうが。……ない、と思いたい。助言者側の保険として。

 そして当のヴァイスリヒトはというと、気難しげな顔になったかと思えば何故か目を逸らし、口元を片手で覆う仕草をした。

「どこまで、と訊かれると……そうか、そこは答えねばならないか……」

 言うなり騎士はまた沈黙の裡へ。

 また煮え切らない真似をしてくれる。彼の騎士殿はこれでも日頃は明晰な判断で対処し、他の騎士たちに尊敬されている男なのだが。

 しかも遠回りはこれで二回目。三度目は流石に勘弁願いたいとナハティガルは思い――半分は面倒臭くなり――相手が答えやすくなるよう、ここで助け舟を出す。

「では、今から私が幾つかの選択肢を並べますので、該当もしくは近いものを選んで下さい」

 ふうと息を吐いて、ナハティガルは言う。

遊愛(ルダス)友愛(ストルゲ)恋愛(エロス)慈愛(アガペー)――後は偏愛(マニア)……と、まあ大まかではありますが、どうですか」

「……」

「筆頭様?」

「あ――ああ、いや……君はその、何というか……見かけによらず哲学的なのだな」

「見かけによる判断は危険だと、先程言ったはずですが」

 冷めた眼差しを向けられたヴァイスリヒトが苦笑を浮かべる。

「そうだな……そうだった。君の気遣いを無下にしたな、すまない」

 律義に頭を下げた騎士を前に、従卒たる少年は音のない息を吐く。

「謝罪は結構です。それで? 何か該当するものはありましたか」

「む……完全に一致したわけではない、が……近しいものならば、多分」

「多分でも構いませんので、仰って下さい」

「ああ。…………慈愛――だろうと、思う」

 不確定。だが目安にはなろう。

 ヴァイスリヒトの返答を受けて、ナハティガルは自身の考えを修正する。

(慈愛ときたか。じゃあ……恋愛相談ではない?)

 やはり聞いてみて良かった、とナハティガルは安堵の息を吐く。情と愛の読み違えは、流石にとんでもないことになる。

「そうですか、慈愛ですか。では、貴方はその者とどういう距離をお求めで?」

「…………触れられる距離に、ありたい」

 はて? もしや相手は犬猫の類か。

 ナハティガルは助言の方向性をもう少しだけ修整する。

「触れることの出来る距離……でしたら、筆頭様は上背があるほうなので、相手と接する時は目線が合うよう姿勢を低くすればいかがでしょう?」

 小動物と接するならまずはこれだろう。

 しかしヴァイスリヒトは眉を下げて首を振る。

「常にそうしてはいるが、あまり上手くいっていない」

「ああ。もうお試し済みで」

「膝をつき、極力姿勢を低くして目を合わせてはいるが……どうにも距離をとられるというか、避けられるというか」

 ここで、ふうと息を吐く。「それに……近づきすぎると爪で引っ掻かれてしまう」

 まあ野良猫相手にだとそうなるだろうな、とナハティガルは内心で頷く。距離感は大切に。

「ちなみに、猫は逆に凝視されるのを嫌がりますよ」

「…………そうなのか?」

「ええ。猫の方からならば大丈夫なんですけど、基本的にこちらからじっと見つめるのは避けた方が宜しいかと」

「……成程。為になる」

 ひどく感心したように頷くヴァイスリヒトを見て、ナハティガルは「おや?」と思う。

 やはりヴァイスリヒトの「懸想相手」は猫なのか。この王都だと主にスラムの片隅で見かけることが多い下級層の友だち。そういえば、あの辺りは巡回範囲だったか。

(猫は特に警戒心が高い個体が多いからなあ……)

 なるほどなるほど。ヴァイスリヒトの相談内容がようやく見えてきた。

 しかしこの程度なら最初から「猫に懐かれたい」とでも言ってくれればいいものを。ナハティガルは不満顔になるが、すぐに表情を引っ込めて助言を続ける。

「後は、餌付けという方法もありますね。個人的にはあまりお勧めしませんが」

「何故だ?」

「過度の餌付けは、衛生や健康面で問題がおきかねません。それに……繁殖の増加もありえるので」

「はんっ……、んっ、げほっ。それは………そちらのほうは大丈夫だ、と思う」

「そう言いきる者に限って無自覚にやらかすんですよ。どうぞお気をつけを」

「あ、ああ。留意――いや、強く肝に銘じよう」

 何故だか気まずげに顔を背けて咳払いした騎士は非常に動揺した様子を見せたが、すぐに冷静さを取り戻してナハティガルを見る。

「助言をありがとう。大変参考になる話だった。……君は本当に出来た子だな」

「……はは。ありがとうございます」

 野良猫の懐柔方法をちょっと語っただけなのに、これだ。感極まる顔をしてナハティガルに礼を言い、深々と頭を下げるこの騎士殿は意外と純粋なのではなかろうか。

「ところで、どれくらい袖にされているんですか」

「六年だ」

 即答ときた。本気で懐いて欲しいらしい。

 どんな猫なのだろう、と少し興味が湧いたので、ナハティガルは訊ねる。

「そこまでして懐いて欲しいのは何故か、お窺いしても?」

「……何故だろうな。放っておけないというか……常に側にいたい衝動がある」

 なんともはや。どうにも危険な台詞に聞こえるが、相手は猫。余程可愛らしいのだろう。

 それにしても――。

(六年とは驚いたな。長患いすぎるだろう)

 人の年齢に換算するなら年寄、いや中年猫か。子猫だとばかり思っていたのでこれは予想外。

 ともあれ、今は”恋路”を助けてやろうではないか。ナハティガルは追加で助言する。

「構いすぎるのは逆効果ですよ」

「ん……なら、私は……嫌われてしまっただろうか」

 その顔に感情の欠片は一片も浮かんでいないが、声はどことなく沈んでいた。

「心当たりはあるんですか?」とナハティガルが訊ねるも、ヴァイスリヒトは緩く首を横に振る。

「そこまで深刻な行動はしてはいない、と思うが」

「何でもいいから、相手にした行動を言って下さい。でないと、こちらとしても現場を見ていないので判断しかねます」

「分かった……例えば――」

 ヴァイスリヒトが幾つかを語り始める。ソレとどう接してきたかを。

 全てを聞き終えた後、ナハティガルは何度目かの溜め息を吐くことになる。

 撫でる、抱き上げる、付け回す。猫の行く先を予想して、あちこちと。

 ちなみに、きっちり餌付けもしている始末。こちらは嫌がられてはいないようだが、話を聞く限り日に一度どころか二度三度は与えていたらしい。回数が多すぎる。ヴァイスリヒトの落ち込みよりも猫の肥満のほうが気掛かりで仕方がないとはこれいかに。

 ナハティガルは頭痛がするというように顔を顰め、溜め息と共に言った。


「どう考えても構いすぎです。自重して下さい」

 やっぱり無自覚でやらかしていたんじゃないか。そう言いたいのをどうにか堪えた己を褒めてやりたかった。盛大に。

 ともかくその日の休憩時間は、ヴァイスリヒトの悩み相談にすっかり消費されてしまったナハティガルだった。



小鳥は虎の心を知らず

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