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1-22 加護の鳥、檻の虎5

 


 レクスミゼル家兄弟の別邸に来てから、何度目かの夜がやって来た。

 正確ではないが、月の形からしてもうすぐひと月にはなるだろうか。


(私は何をのんびりしているんだろうな?)

 ミゼラティは自己嫌悪から嘆息する。

 そもそも、長く滞在する気は微塵も無かった。当たり前だ。

 本邸は元より、この別邸のほうは己の破滅に強く関わる四騎士兼義兄弟の住処。

 そのせいもあってか、常に緊張しっぱなしで何もかもが落ち着かない。

 そのうちにカリカリと精神が削れる幻聴らしきものが聞こえた気がしたので、これは早急に解決しないとまずいと姿勢を正したのが今現在である。

(回復しにくいのは魔力だけにしてくれないか、我が運命)

 虎の檻の中に放り込まれた羊。

 それなのに今もこの別邸にいるのは、この生活に甘えている……わけでは決してない。

 当然ながら、何度も脱出を試みていた。

 ぬるま湯のような檻の内から、冷たくも自由な外へ――飛び立とうとしたのだが、これが何故か上手くいかない。

 それどころか、日を重ねるにつれて彼らとの距離が近くなっている気がするのは思い過ごしだろうか。


(単に私の動向を探っているだけか?)

 だとすれば、その方がありがたい。

 距離の云々などは気のせいであり、ただの自意識過剰であり、過去の願望からの勘違いであり、恥ずかしい自惚れであったほうが、ずっと良い。

 そう考えているのだが……好意ではなく単なる監視の為にしては、彼らの構いに来る頻度が高い。

 これも「気がする」だけなのか、それとも――?

 寝台の隅の隅。重ねた枕に背もたれて。

 ミゼラティは、このひと月にあったことを回想する。



 ◇  ◇  ◇



(ここに長くいるとボロを出しそうだから、さっさと出て行こう)

 思い立ったが吉日よろしく、夜は流石に怪しまれるだろうと思ったので敢えて行動したのは昼間。

 当たり前のことだが、日のあるうちの方がずっと見つけやすい。……結果は語らずとも分かるだろう。


「見つけた。こんなところにいたのか。一緒に出掛けよう、ミゼラティ」

 時にはロゼウスに、ある時はシュヴァルツェに。

 見つかり、見つけられ、街の飲食店や服飾店、果ては秘密の薔薇園に連れて行かれたのは数知れず。五回から先はもう覚えていない。(途中から疲れ果て、以降は屋内にしてもらったほどだ。)

 やはり明るいうちは駄目か、と作戦を練り直す。


 隠密行動するなら、やはり夜か。夜なのか。

 考え直してすぐに行動した、夜の時間。この建物は侵入者対策も兼ねているのか灯りが少ないので、昼間よりはずっと動きやすい。

 ひたり、ひたりと。

 足音立てず、気配も潜め。

 密かにそっと部屋から抜け出し、そのまま廊下の先に広がる闇夜の中へ抜け出せる――筈だった。


「また一人で月見か、お嬢さん」

 死角、穴場、隅の隅。恐ろしい精度で見つけてくれる、最強たる宿敵殿。

 勿論、ミゼラティとて対策はしており、白き聖獣より賜った杖にて自身の足音や気配を遮断及び隠蔽する術をしっかり掛けていた。

 それこそ用心して、三重四重にも重ね掛けていた――なのにコレだから、堪ったものではない。

 夜の中でも目立つ美しい銀髪をなびかせながら、いつも真っ直ぐに近づいてくるヴァイスリヒトの姿はもはや狩人。

 彼はもしや探査系の術を極めているのでは……とミゼラティが考えているうちに、目の前に立った青年に片手を差し出されて。


「私も同行して構わないな?」

 美しい微笑を添えた上で、一択のみの選択肢を突き付けられては断るわけにもいかず――そもそも逃げること敵わず。

 そこから無意味な夜のお散歩(お兄様付き)が始まる。

 邸内から玄関先の庭園(薔薇園ではないほう)までを歩き、最後は自室前にてお別れするそれを、何度繰り返しただろう。

 昼間の双子たちとの「散策」と同じ回数であるのは、間違いない。


 とかく、こんな調子で昼と夜があっという間に過ぎてくれたものだから、気づけばひと月あまりが経っていたわけだ。

 心身ともに忙しない日々が続いたが故に、滞在期間に対して鈍くなるのも致し方ない。

 だから自分は悪くないのだ、と役に立たない責任転嫁をしておいて、ミゼラティは自省という名の現実逃避を続ける。

(よもや粗末で粗雑な場所の方が恋しくなるとは思わなかったなあ……はあ)

 自身が置かれている環境もそうだが、迷いの森に置いてきた「我が家」のことも、いい加減に気になり始めていた。

(満月が近い時に作ったから、大丈夫だとは思うが……うん。……大丈夫だよな?)

 家自体には『鍵』を掛けているが、買い溜めた食料辺りがどうなっていることやら。

 一応、時間魔法の類である『時空個庫(ディスセラ)』を保存庫代わりにして設置してはいるものの、こうも長く不在にする予定はなかったので期限が切れて悪くなっていないか心配なところ。


 ふと、窓越しに外を見やる。

 遠い夜空にかかる月は欠けていた形を取り戻し始めており、もうすぐ満月になることを示していた。

 それでも、この邸の夜は暗い。

 かつての地下牢ほどではない――尤も、兄弟たちの態度からしてもう既に色々違い過ぎるので、比較にもならない――が、いつまで経っても居心地悪く感じるままだ。

(強行突破しようにも……「コレ」ではな)

 指先を動かし、ついと引いてみたは『幻線管路(レムレニア)』。しかしそれは絹糸よりも細く、引いた側から線は薄れて消えてしまう。

(やはり、まだ駄目か……)

 今の魔力量では別邸に敷かれた結界に重ね書きできず、失敗に終わってしまう。

(角杖の増幅効果があってもまだ届かないとは……私はアレにどれだけ注ぎ込んだんだ)

 ここに来る魔力の枯渇原因となった、オアシスの創成を思い出す。

 水場は必要だったので後悔してはいないが、想定外の魔力消費については勘弁して欲しかった。

 せめて事前に教えてくれれば――というのは流石に横暴か。

 これまでに重ねられてきた封印の影響か、新月の間は魔力の回復が遅くなることも要因だろう。未熟が故に素質が馴染んでおらず、封印に抵抗しきれていないのかどうにも遅い。

(まあ、この辺りは成人儀式の通過で解消されるだろうから良いとして……あとは――)


 コツコツ、と。

 控え目にドアを叩く音がしたので、ミゼラティは回想を中断する。

 時計を見やり、「ああ」と音のない溜め息を零すのと同時に、ドアの外から声がした。


「……あの、姉さま。まだ起きていますか?」

 いつもの時間、いつもの声。

 常態化しつつある「お誘い」が今宵もやって来た。

 約束はしていない。故に、返事も対応も必須ではない。

 むしろここは眠ったふりをし、やり過ごすのも手段の一つ。

 けれども、「姉さま」と呼ぶそれは自分よりも幼く、どうにも遠慮がちな声音でいるものだから――ああ、どうしてきっぱり切り捨てられないんだろう――ミゼラティは己の甘さに呆れながら寝台から下りると、ゆっくりとした足取りでドアの方へ向かった。



 ◇  ◇  ◇



「あっ。あの――こんばんは、姉さま」

「……こんばんは、末弟殿」

 ドアを開けて出迎えた相手は、大きな瞳の小さな少年。さらりとした肩までのおかっぱ髪はいつ見ても綺麗で、ミゼラティはちょっとだけ微笑を浮かべる。

 四兄弟の中で一番幼く、あどけない彼――アズラシェルは、今日も胸の前で本を抱えていた。

 世界の成り立ちを絵本形式にした、聖典よりは幾らもとっつき易い手軽な書物。ミゼラティはその緋色の装丁に視線を留め、少年に訊ねる。

「それも――同じものかな?」

「はい! あ、ええと、お話の中身は違います!」

「……ということは、連作物か。……やっぱり、絵本?」

「はい。僕、この本が大好きで、全部揃えているんです。挿絵が綺麗だし、話の内容もそう難しくないので良かったら姉さまも――」

「ああ、うん、少し落ち着こう。立ち話もなんだから――どうぞ、末弟殿」

 矢継ぎ早に紡がれる言葉を曖昧な微笑で一先ず遮り、ミゼラティは身を引いて少年を部屋に招き入れる。

 ドアを閉めながら思い返すのは「あの時」のこと。


 この邸の構造が分かる地図はないだろうかと、一人こっそり探索していたあの日。

 こっそり立ち寄った書庫にて遭遇したのが、この末弟アズラシェルだった。

 彼の少年はミゼラティの急な出現に、さして驚いた様子はなく、純粋に「ここへはどうして?」と質問を投げる。

 ミゼラティは、適当な理由を付けて誤魔化そうとした……が、その返答が切っ掛けとなったのかもしれない。

「ああ、何となく時間を潰したくてな。面白い本は無いかと」

「えっ――姉さま、文字が読めるんですか!」

 アズラシェルの反応にミゼラティは「ん?」と眉根を寄せる。だがすぐに、彼はミゼラティの出身を思い違いしているのではないかと考えた。

 ――下級層の人間は、読み書きが出来ない者が多い。

 ミゼラティは自分には識字能力が有ることをやんわり伝えると、少年はパアッと目を輝かせて言った。

「じゃあ、僕にご本を読んで頂けませんか? 僕、まだ少し読み間違うことがあって」

 好意を宿した瞳に真っ直ぐ見つめられては、無碍にも出来ず――災禍の魔女とはいえ、悪意なき者に手酷い真似など出来やしない――結果、ミゼラティは相手の頼みを受け入れてしまい、今に至る。


(冷酷非道になれたら楽なんだろうが……いや、八度くらいはしてるか。してたな、非道行為)

 これはもしや、その贖罪の一端かもしれない。他愛ないが。

 寝台の端に肩を並べて腰掛けたミゼラティは、これまでの過去を思い返し――長くなりそうだったので適度に中断し――可愛らしい「弟」に意識を向けると、今夜も本の内容をとつとつと語り聞かせてやる。


 それはさながら仲の良い姉弟のようで――などと表現しかけたので即座に断ち切り、癖になりつつある溜め息をそっと零した。



 ◇  ◇  ◇



 ノックの音はしなかった。

 けれども、それは時間ぴったりに姿を見せる。


「こんばんは、ミゼラティ。……アズは眠ったか?」

「ああ、こんばんは。末弟殿なら今日もぐっすりだ」

 絵本の読み聞かせから、きっかり一時間後。

 音も無くドアが開き、部屋に入って来たのは長兄ヴァイスリヒト。静かな歩行に合わせて揺れる銀色の髪を見ながら、「本当に気配を消すのが上手いな」とミゼラティは心の中で感心する。

 そして、うんざりする。寸前まで感じとれない己の未熟さを。

 水の上を流れる木の葉のように、滑らかに。

 近づいてきたヴァイスリヒトは寝台の上、ミゼラティの膝を枕にして眠っている弟を一瞥して少し眉根を寄せた。

 しかし何も言わずにその場で片膝をつくと、目線を合わせた上で小声にて話しかける。

「連日連夜、弟の我が侭に付き合わせてしまってすまないな」

「……はは。一つ二つ語るうちに静かになってくれるから、大した手間じゃない」

 肩を竦めて苦笑を返す幼女に、ヴァイスリヒトは少し眉を下げて微笑する。

「君も、時々は我が侭を言ってくれて良い」

「一時的な滞在の身で、そのようなことはしないさ」

「では、『一時的』でなくなれば、君は我が侭を言ってくれると?」

「……いや、そういうわけでは――それよりもなんだ、その妙な問いかけは。長兄殿は私に何かさせたいのか」

「君に甘えて欲しい」

 真っ直ぐに言い切った長兄を見て、ミゼラティは皺を刻んだ己の眉間に手を当てる。


「以前にも言った気がするが……小児愛の趣味が?」

「私も同じ答えを返したと思うが、君が気になるからだ。……君にしか言っていない」

 穏やかな声、綺麗な微笑を見せて語るのは頭痛一択の代物で、ミゼラティは大きく溜め息を吐き、ドアをスッと指差して言い返す。

「雑談はここまでにして、そろそろ末弟殿を部屋に運んであげたらいい。――そら、お帰りはあちらだぞ」

「ミゼラティ、私は」

「あまり子供に夜更しをさせてくれるな。――おやすみ、長兄殿」

 何か言おうとするヴァイスリヒトから顔を背け、返答を拒絶し、うんざりした様子を隠しもしないで促すのは退出。

 ヴァイスリヒトは少しの間ミゼラティをじっと見つめていたが、これ以上の対話は望めないと悟ったらしい。身を丸めて眠っている小さな弟をそっと抱き上げると、静かな声で言った。


「では……おやすみ、ミゼラティ。良い夢を」

「君たちもな、ご兄弟――さようなら」

 ミゼラティは最後までうんざりした声音で返し、ヴァイスリヒトが部屋を後にするまで視線を向けることは無かった。

 ドアは音なく閉じられ、部屋にはミゼラティと静寂だけが残る。

 沈黙の空白の後、長い溜め息の音に続いて――小さな呟きが、ぽつり。


「ダメだ。そろそろ本気で出て行こう……なし崩しにされる予感しかしない」


 角杖を手繰り寄せ、眉間に皺を寄せ、ミゼラティは窓際に近づくとそこで一心不乱に集中してどうにか魔力の回復に努めるのだった。



 ◇  ◇  ◇



「――いつまで続ける気だ、アズラシェル」

 灯りの少ない静かな廊下。

 歩きながら、ヴァイスリヒトが腕の中の弟に言葉を投げた。

 すれば「ぐっすり眠っていた」弟――アズラシェルが目を開け、長兄を見上げる。

「どういう意味ですか、兄さま」

 答えた声は明瞭で、眠りの気配はどこにもない。ヴァイスリヒトが眉間に皺を寄せて、零すのは苦言。

「狸寝入りをして彼女を遅い時間まで付き合わせる意図は何だ、と訊いている」

「……別に。昼間はロゼ兄さまとシュヴァ兄さまが一緒だから、姉さまが空いている時間が夜しか残っていないんです」

 少し口を尖らせて。むくれる幼い弟に、長兄が返すのは慰めではなく諌め。

「ロゼたちと話し合い、時間を調整すればいい。……アズ、お前は彼女の疲労に気づいていないのか」

「……気づいてます。姉さま、目の下に薄くクマが出来てました」

「ならば――」

「――姉さま、古代語が読めるんです」

「……何だと?」

 訝し気な視線を向けてきた長兄に、弟は両手に抱えていた本を見せる。

 真紅の表紙には、艶を消した金色の文字が箔押しされていた。


『慈悲の女神と世界の涙』


「それは……以前に、お前が取り揃えた神話書の一つか」

「はい。この連作には、それぞれ本を開いてすぐのトビラに詩が書かれているらしいんです。僕には、ただの装飾にしか見えてなかったんですが……」

「それが、古代語だったと?」

「ええ。姉さまが、読んで下さって。僕、驚いちゃって。それで、聞いてみたんです。『それは装飾じゃなかったんですか』って」

 アズラシェルには、それが従来の文字を崩して飾りにしているものだとばかり思っていた。どれも似たような造形で、同じように見えていたから。

 けれども、彼女は――ミゼラティは違った。

 表紙をめくって最初に飛び込んできたそれをサラリと読み上げ、なんでもない顔をしたままページをめくろうとしたので、驚いたアズラシェルが訊ねたのだ。

 ミゼラティは苦笑して、「悪筆のせいもあるが、古代文字で書かれた詩篇だよ」と答えてから、本の読み聞かせを始めた。

 アズラシェルは初めて知った消失文字と、そしてそれを難なく解読してみせたミゼラティに感動を覚える。


(僕は見誤っていた)

 下級層に近い裏路地で出会ったという、ボロに似た布を身に着けた物乞いらしき子供。

 自分たちには「敵」が多いと解っていたので、アズラシェルには彼女はただの警戒対象だった。

 けれども、詮索も兼ねて挨拶に顔を出したあの夜、あの時……その考えは少しだけ覆る。

 室内でもフードを被っていたが、その隙間から覗く美しさは目を瞠るものがあった。

 瞳は混じりけのない黒曜石で、長い睫毛が白い肌によく映えている。

 子供らしからぬ口調。時々、ちょっと面倒くさそうな表情をするのもいい。貴族の屋敷に招かれたのなら、あざとくも適度に媚びを売っていれば施しを貰えるというのに。


 なのに、彼女はお構いなし。

 傍若無人に振る舞い、自分の思うまま行動し、そして――長兄の力を借りて、『知恵無きモノ(イグノランテ)』を仕留めた。


 月光を背負ったその姿は、夜の中においてなお眩く。

 墨色の空に風を孕んで流れる黒髪。

 ボロめいた外套に月の色が沈みこむ。

 その中で静かに振り上げた短剣らしき刃の煌めきが、見上げていたアズラシェルの心臓を貫いた。魔物がそうされたように。

 一直線に落ちてきた星。自分とそう年は変わらないだろうに、躊躇いも無く強大な獣に向かった強い人。


「ヴァイス兄さま。もう一つ我が侭、良いですか」

「うん? 何だ?」

 訊ね返す長兄の腕の中、真紅の本を抱えた子供がにっこり微笑む。


「僕、姉さまが欲しい」

「……それは、彼女の気分次第だな」

 返された答えに、末の弟は不満そうに頬を膨らませる。


 それを見たヴァイスリヒトは、よく難しい表情をしていたミゼラティをふと思い出し、少しだけ共感を覚えながら薄明りの廊下を歩くのだった。



心の欲する所に従えど

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