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1-21 加護の鳥、檻の虎4

 


 ――最近、ロゼの様子がおかしい。


 魂の片割れ、半身ともいえる双子のロゼウス。

 そんな兄弟の異変に気づいたのはいつからだったか。

 それは『子猫ちゃん』とからかっていた呼び名が、『ミゼラティ』という個人名になった辺りからか。

 それとも、軽薄な態度の底に潜めていた詮索の刃から毒が抜け、穏やかな目をするようになった時からか。彼女の肩を気安く抱く仕草には確実な好意があった。(当のミゼラティは顔を顰め、すぐにロゼを振り払っていたが)


 ロゼウスが急に心を違えた理由は解らない。

 なにせ当人に訊いたところで返ってきたのが――「え? 可愛いからだけど?」

 恋は盲目、いや既に闇の中に浸かっているのかもしれない。

 シュヴァルツェは額を押さえ、顔を顰める。

 彼は己の相棒ともいえる兄弟の変化を、なかなか受け入れられないでいた。

 あの時、あの瞬間までは。



 ◇  ◇  ◇



「ここに居たのか。探したぞ、お嬢ちゃん」

 昼下がり。薔薇園に置かれたティーテーブルに、対象者はいた。

 ティーポットと、二つのカップ。彼女の前には、スコーンが二つ載った皿が一枚。

 対面に空の皿が一枚。他に人は居なかったが、茶器は二人分。

 つまり、少し前まで「そこ」に誰かがいたのだ。そして、相手は恐らく――。

「ロゼは何処に行っ」

「城から連絡蝶で呼び出しがあった。内容は知らない」

「む。そうか。では、お嬢ちゃんはどうし」

「『せっかく用意したから食べて。君はゆっくりしていってね』――と言われたのでその通りにしている」

「……お嬢ちゃんは読心の心得でもあるのか?」

「まさか。単なる予想だ。それに――」

 スコーンを突いていた手を止めたミゼラティは、そこでフォークを持ち上げて。


「君は顔に感情が出易いようだ。実に明快で良い」

 からかいの言葉と共に銀の切っ先を軽く突き付け、機嫌の良い猫のように微笑するその姿は小悪魔じみた妖しさがあった。

 漆黒色の髪と双眸。魔性と呼ぶべきそれには子供が持つ無垢さと、無邪気さと、それから――それから、後は?

 見つめていると吸い込まれそうなほどに、深い闇色をした大きな瞳。

 整った、いや整い過ぎた顔立ちをしている彼女は「お嬢ちゃん」ではなく、むしろ幼女とは名ばかりの美しい女の姿でいて。

 目立つ容姿のせいか、媚びを売ってくる女たちしか見てこなかったシュヴァルツェは、一瞬ばかり息を飲み――反射的に、後ろへ一歩下がってしまった。

 それは単に気圧されただけか、それとも内なる防衛反応か。

 視線を横へ流し、咳払い一つ。

「ン、ンンッ。……年上をからかうんじゃない」

「はは。幼女の戯言だと思って聞き流せ、次兄殿」

 そう返すと、ミゼラティは視線を手元のスコーンに戻してクリームを塗り始める。

 一人ティータイムの再開。

 簡単に意識を逸らされたシュヴァルツェは、相手の気紛れさにムッとするも……いや、そうじゃないとばかりにかぶりを振り、ミゼラティの対面にある椅子の背に手を掛ける。

「相席しても構わないか、お嬢ちゃん?」

 そう言いながらそこへ腰掛ければ、ミゼラティが静かに溜め息を吐いた。

 これもまた、今までの女たちとは違う態度。好意ではない反応に、シュヴァルツェが眉根を寄せる。

「俺との相席は嫌だったか」

「いや。……いいや。構わないさ。ただ……」


 君たち兄弟は、どうして選択肢のない選択を提示してくるんだろうな、と思っただけだ。

 そんな皮肉は飲み込み、代わりに空になっている対面のカップに紅茶を注ぐと、ミゼラティは「どうぞ」と片手を振って相席を首肯するのだった。



 ◇



「スコーンはお嫌いか、次兄殿」

 ロゼウスから譲渡されたのをそのまま戻す形で対面の皿に乗せたのだが、シュヴァルツェは一向に手を付けない。何かが気に入らないのか、ムスッと押し黙っているので声を掛けた。

「それとも、勝手にクリームを塗ったのが拙かったか、すまない。どうせ食べるのだから、ついでだと思って一緒に塗ったのだが」

「あ……、待て――下げなくていい!」

「……っ」

 シュヴァルツェが声を上げ、皿の上にあるスコーンに伸ばされたミゼラティの手を、はっしと掴んだ。四騎士の手枷。いや違う。唐突な拘束にミゼラティは少し驚き、思わずその身を強張らせる。

 暴力には慣れていた。恐ろしいのはこの後に続く断罪だった。

 ――ここは断頭台ではない。庭園の一席だ。

 すぐに冷静に返った。

 動揺は綻びへ繋がる。掴まれた手はそのままに、落ち着いた声で相手に言った。

「そう強く声を荒げなくとも、取り上げたりはしない」

「ム。あっ、いや、これは――俺は、その、違うんだ。俺はただ、騎士として」

 妙にしどろもどろしているシュヴァルツェの耳が赤い。

 そして、ここでも出てきた「騎士として」の単語。

 騎士なのは分かっている。だから、それが何だと言うんだと問いたい。

 どうせこの後には「騎士だから甘いものは云々」などとでも続くのだろう。


 ――馬鹿馬鹿しい。

 矜持というよりは、拘り、いやロゼウスの時にも感じたがこれはどことなく「呪い」にも似ている。

 そうしなければならない、そうであるべきという自らが敷いた強制力によって彼らは動けなくなるのだろう。

 かつての三十六回の運命線。

 その時も彼らは個々の「呪い」を持っていたのだろうか。

 なにせ昔はほとんど会話も接触も無かったし、最後の接触といえば封印の呪を受けた時とそれから最期の火刑の時くらいだ。

 もっとも、後者はただ灰になるまで「監視」されていたようなものだが。


 火に包まれた向こう側。

 シュヴァルツェは眉間に深い皺を刻み込んで妹が燃えるのを見つめていた。

 火に包まれたこちら側。

 災禍を、魔女を、義妹を、じっと――凝っと睨み付け、兄弟の中で一番気難しい顔をしていた美しい双子の片割れを揺らぐ陽炎の中で見ていた。

 碌に言葉すら交わさなかったのだから、視線など合う筈も無い。

 けれども、その時だけはシュヴァルツェと目が合っていたような気がする。


(……真相は炎の中だ。「いま」考えても仕方がない)

 ミゼラティは思考を目の前に戻す。

 相変わらず手は掴んだまま、しかしその視線は机上のスコーンに落としたままでいるシュヴァルツェを見上げ、苦笑を浮かべた。

「落ち着いたならその手を離し、席に着こうか次兄殿」

「ム? ……っ!」

 顔を赤くした騎士殿が、小さな淑女から「手枷」を外す。



 ◇



「――すまない、お嬢ちゃん!」

 気まずげに頭を掻きながら腰を下ろすなり、机上に両手をついてシュヴァルツェが示したのは謝罪。

「騎士ともあろうものが、女子供に手を出すなど――すまなかった!」

「……危害とならなかったのだから、構わないさ。そら、顔を上げてそれに手を付けると良い」

「あ、ああ。……しかし、こんな状況で言うのもなんだが、お嬢ちゃんのその物分かりの良さは少し気になるな」

「気に障ったか? はは。これは既に染みついた性分だから、仕様がない」

 とつとつと言い返しながらミゼラティは微苦笑し、スコーンを頬張る。

「そう、か……」

 羞恥から我に返ったシュヴァルツェは、その様子をじっと見つめる――観察する。

 妙に大人びた子供。子供らしさはあまりない。

 染みついた性分だと彼女は涼しい顔で言いのけたが、まだ幼い身に何があった? 何を経験した? 

 達観めいた眼差し。その深い瞳で何を見てきたというのだろう。

 つい先日、ロゼウスと彼女について意見を交換した時のことをシュヴァルツェは思い出す。


 双子の己でも読み取れない陰を常に潜めていた兄弟は、彼女に対しての厚意を――好意を?――隠そうともせず、シュヴァルツェに語っていた。

 家族以外には胸襟を開かないレクスミゼル。

 だというのに、他者には決して向けないはずの情を乗せて幼女のことを話す己が半身、双子のロゼウス。彼女が薔薇を受け取ってくれた、剪定を手伝ってくれた、庭でお茶がしたいと頼んできた。

 そう嬉々として話す姿は初めて見るもので、尾を振る狼さながらに部外者に懐いた半身を前にしたシュヴァルツェは、すっかり戸惑ってしまう。常日頃ならば、女の一人や二人、容易く懐柔して煙に巻くだろうに。

 長兄ヴァイスリヒトも、末弟アズラシェルも、素性の分からぬ子供を甘やかす。……父親はどうだか知らないが。

 とかく、良く知っている身内が未知の者に見え、この数日は自分だけが輪から外れてしまったような気がしていた。


(家族は「俺」なんだぞ、兄貴、ロゼ、アズ……!)

 逆恨みなのは自覚している。だが、無性に彼女が――ミゼラティが憎いと思っていた。

 敵意か、単なる嫉妬か。

 それを知るために、彼女を探ることにした。

 表向きは気の良いガサツな騎士――ロゼウスの対として、丁度いい役割――を演じて。

 卑怯と言われても構わない。だからどうした。騎士としてよりも己が護りたいのは我が家族。

 長兄は良い顔をしないだろうが、けれども一定の理解はしてくれるはず。レクスミゼルの人間として。兄弟であるが故に。


 試しに自分も「お嬢ちゃん」と呼んで、ロゼウスがそうするように己も纏わりついてみた。(そう意識はしていないが、我が家の容姿はそれなりに秀でているらしい)

 ミゼラティの出自は不明だが、一見するとボロのような外套を身につけていたので下級層の人間ではないかというのが当初のロゼウスとシュヴァルツェの見解だった。

 人を見た目で判断してはいけないのは承知していたが、レクスミゼルは味方の数と同等に敵も多い。

 そのせいもあってか、ミゼラティは間者か何某に利用されている諜報係かと考えていた。

 なにせ彼女は皇女誘拐未遂の現場にいて、その場にいた男たち(しかも結構な荒くれ共ときた!)を小さな体躯で打ち倒したと聞く。

 そんな怪しい子供など、警戒するのも当然ではないか――と思ったのだが、長兄の判断は違っていた。


 なんと、夜も遅いからと彼女を屋敷に一泊させると言い出した。

 一応、話の前に否応の選択肢はあったが、年長者であり四騎士の筆頭でもある優秀な長兄に対し、拒否権は無いに等しい。その判断には強い信用があったし、ヴァイスリヒトならば間違いを犯さないという確信もあった。

 至上の信頼、確たる真実。

 不抜の規律者。気高く厳格な存在。

 兄バカと言っても過言ではない信頼。

 それはさておき、長兄の意見に承諾はしたものの、シュヴァルツェには彼女を探るという目的があった。

(朝になったら、食事の時にさりげなく会話をしてみるか)

 しかしその目的が叶うのは朝ではなく昼であり、まさかロゼウスが同行しているとは予想もつかなかったが。

 待ち合わせた「有名な洋菓子店」にて、シュヴァルツェは幼女の一端を知ることになる。



 ◇  ◇  ◇



 その子供、ミゼラティからすれば、ハイドランジアの令嬢とは全くの初対面であった。

 双子たちの対応も原因の一つなのだが、八つ当たり先は子供とはいえ同性であるミゼラティに向けられた。悪意と共に。

 ミゼラティは貴族の令嬢に蔑む目で見られ、その身なりを嗤われてしまう。

 離れのような特別席だったとはいえ、彼女の服装にもっと気を遣ってやるべきだったと深く反省するのは、情けなくも彼女たちの「対面」がすっかり終わってから。


 一度目の侮辱。ミゼラティは泣かなかった。

 むしろ、食事を終えて自ら早々に立ち去ろうとしたミゼラティを引き止めたのが令嬢の方で、言い足りなかったのか更に口撃を重ねた。

 何もしていない、しかも大人しく焼き菓子を食べていた六歳の子供にしたその行為は騎士でなくとも到底看過できるものではない。

 思わず立ち上がり、文句を言い返そうとしたそれを止めたのは小さな手。

 振り向きもせずに片手でシュヴァルツェたちを制した上で、子供が返したのは更なる謝罪と退出。

 健気な行動。

 だというのに、また令嬢が引き止めたのだからどうしようもない。

 傍らに数人の護衛がいたが、彼ら程度ならばどうにでも出来る。ロゼウスと目配せし、彼女たちの間に割って入ろうとしたその時だった。


 そこからは――その先に起こったのは、何とも不思議な出来事だった。


 二度目の侮辱。

 外套を着用したままなのは無礼だと指摘された(無礼なのはどっちだ!)ミゼラティは少し肩を竦めたものの、令嬢の言葉に素直に従う。

 小さな肩から黒い影が滑り落ち、現れたのはしかし憐れな姿ではなく。

 神秘的な黒が、彼女の身を包んでいた。

 更なる「見すぼらしさ」を揶揄しようと考えていたのだろう令嬢と、いつでも対応できるように様子を窺っていた双子たちは、目を瞠る。

 美醜に対し、特にこだわりはない。ミゼラティはフードを被って顔を隠す様にしていたが、それでもその容姿は整っている方だとは思っていた。

 憐れな格好をした可愛らしい子供、それだけ。

 それよりもこの子供は自分たち家族の輪に割り込んできたのだから、忌避すべき存在だと疑い、怪しみ、嫌悪していた――つもりだったのに。


 昼間だというのに、その一点だけ真夜中のようだった。

 黒い髪は滑らかであり艶やかでもあり、フードが外れた相貌はハッとするほどの美で彩られていた。

 夜の闇に輝く星。ひっそりと、けれどもその蟲惑は艶やかな妖しさがあって。

「お嬢、ちゃ……」

 喉奥に貼りつき、弱く掠れた声が自分のものであると少し遅れて気づく。

 まともに見てしまった……認めてしまった。

 目を背けていたその美しさを。

 双子の騎士と令嬢の護衛達が固まっている中、動いたのは黒を纏った小さな星。


 ミゼラティには、何が見えたのだろう。

 初めから彼女の真実を見つけていたのだろうか。

 躊躇いなくハイドランジア嬢に近づいたと思ったら、なんと彼女を美しいと褒め倒し、向けられた敵意をあっという間に消し去ってしまった。

 傲慢な令嬢はすっかり大人しくなり、最後にミゼラティの助言を受け入れた時には、少し気弱そうなだけの「お嬢さん」になっていた。

 改心した――とまでは言い過ぎだろうか。

 とにかく幼女は一人の令嬢を変えてみせ、そのまま店を後にした。

 魔法を見ているようだった、とはその場にいた一人の護衛の言葉。


 ああ、確かに見た。――魅せられたのだ、あの瞬間に。

 その姿は長兄とよく似ていた。

 気高き黒の獅子がごとく敵の前に立ちはだかり、黒絹のような言葉の一閃で断ち切った少女。

 刺々しい剣に対してしかし彼女が持ち出したのは微笑みの盾。

 丁寧に敵意を解き、優しさで溶かしたあの姿は長兄とはまた違った慈悲があった。

 疑念は薄らぎ、嫌悪は溶け。

 シュヴァルツェに残ったのはロゼウスと同じ好奇心。


 なんとも単純で、なんたる不純。

 あっさりと気持ちを裏返した己の軽薄さに呆れたものの、火が点いてしまったのだから仕方がない。


「……次兄殿。クリームが垂れているぞ」

 呆れた声が、外から聞こえた。


 回顧より戻ったシュヴァルツェは、己の右手首辺りを伝う白い雫に気づいた。

 慌てて舐めとれば、正面で失笑する音がして、言葉が続く。

「それは取り上げないと言ったが、そうものんびり食べていると、鈍牛(のろまうし)になるぞ」

「鈍牛……せめて、もう少し格好いいものに例えてくれないか、お嬢ちゃん」

「格好の良い例えときたか。それも騎士の矜持か、次兄殿」

「いや、俺の意見だ。牛も悪くはないが、もう少し格好いいものが良い!」

「はは。子供か。――いや、子供だったな。考えてみよう」

「ああ、そうしてくれ。……ム? いま何かおかしくなかったか?」

「さぁて。私はわからないな。雑談はいいから、それをすっかり食べてしまえ次兄――」

「――シュヴァルツェ。シュヴァでもいいぞ、ミゼラティ」

「……どうした、急に名乗ったりなどして」

 談笑の途中に挟み込まれた唐突な自己紹介に、ミゼラティが微かに眉根を寄せれば当の本人は笑って。

「なに、ミゼラティがなかなかに名前で呼ばないものだから、忘れたのかと思ってな!」

「……はは。……まさか――」


 繰り返された業火の磔刑。重ねられてきた呪いの印。

 逃げきれない破滅。追いかけてきた死の連鎖。

 忘れるものか。

 忘れられるものか。

 ミゼラティは震えかける身を宥める為にカップを手に取り、残っていた紅茶を飲み干す。中身はすっかり冷めていたが、それでも気持ちを落ち着かせるには充分だった。

 吐息を零し、その顔に微笑を貼りつけてシュヴァルツェを見る。


「ところで、君はもう一人の次兄殿に用があったんじゃないのか?」

 そう問えば、シュヴァルツェは「ん?」と言う顔をして空を一度見た後、ミゼラティに目を向けて首を振る。

「いや、用は――無くなった! それよりもミゼラティ、お前はどこか行きたいところはないか。案内するぞ!」

 急に距離を詰めてきたシュヴァルツェに疑問を抱き、内心で首を傾げるミゼラティ。

 とっととこの場を離れようと遠い目で薔薇園を眺めながら、残りのスコーンを口にする。

 正面では妙に生き生きとしだした次兄の片割れが、城下町のあちこちについて語り、ミゼラティに誘い文句を投げてくるのだった。



陽のあるうちに摘みとろう

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