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1-20 加護の鳥、檻の虎3

 


 真夜中の深い青の中。

 壁に掛かる燭台に、仄かな火が灯る蝋燭が一つ、二つ。

 それ以外には光源のない廊下は、窓の外から覗く夜の闇と同化していて暗い。

 窓の向こう、ガラス越し。空を見るもそこに月の姿は無い。何故なら今は新月である故に。

 良く目を凝らせばもしかすると月影の跡くらいは見つかるかもしれないが、それでも灯りが無ければ道を進むのは難しい。


 その廊下、一つの部屋のドアが音もなく開く。

 隙間より顔を覗かせたは漆黒の髪をした幼女。

 灯りも持たず、足音立てずに滑るようにして歩く様はまるで猫。その身に纏う色彩が如く、漆黒の。

「確か、この先に……」

 外に繋がる扉があった筈だと、かつての記憶を引っ張り出しつつ廊下を進む。

 この別邸の訪問回数は、片手程。

 だが、そう複雑な造りではないので迷う心配はない。……『差異』じみたものがなければ。

 そうこうしているうちに、薄闇の中にぽつんとある扉を見つける。

「あれか?」

 カモフラージュでもされているのか、夜の中では漆喰の扉は目を凝らさないと良く見えない。しかし上部に何かが吊られていて、近づいて見ればそれは小さな角灯だと気づかされる。

 黒猫の飾りのついた、妙に可愛らしい灯り。……さてこれは誰の趣味だろう?

 思わず失笑しつつ、ドアの取っ手に手を掛けてそっと押し開けた。

 すれば、開けた先にあったのは――。


「これは……」

 深々とした夜気の中、先ず出迎えたのは薔薇の園。

 白から黒へ。赤から青へ。黄から緑へ。

 色を重ね混ぜ合わせ、階段を登るように広がる色彩のグラデーション。

 溢れる薔薇の洪水がそこにあった。

 空は新月が近い為かかなり暗いというのに、その薔薇園は宝石を散りばめたように輝いて見える。

 ミゼラティは忍ぶのも忘れて、ふらりと近づく。アーチに絡む赤薔薇の一つに触れると、感嘆の息を吐いた。

「凄い……正しく『生花』だ」

 生きている、と表現したくなるほどに薔薇はどれもこれも瑞々しく、また夜の色に馴染みながらも鮮やかさを保っていた。

 素晴らしく腕の良い庭師がいるのか、きちんと剪定もされていて、全てがみな平等に美しい。

 その芸術は目の保養、心の栄養になるほどで、口からは称賛の吐息しか零れないでいる。

「こんな場所もあったんだな。……知らなかった」

 ミゼラティは本来の目的を脇へ置き、唐突な薔薇園見学へと切り替えた。

 そのまま歩き始め、上体を傾げて芳香を確かめたり、花に手を添えてその色味や造形を眺めて楽しんだりして庭を堪能する。

 赤の次は青、その次は黄色と、あちらこちらに植わっている薔薇を転々と。

 何故、人目を盗んで部屋を抜け出したのか。

 それをすっかり忘れて、今は自然の美を存分に堪能する幼女が真夜中に一人。



 ◇  ◇  ◇



「……あれ。開いてる?」

 園芸道具の入った箱を片手に、ロゼウスは扉の前で足を止めた。

 大切な箱庭。しっかりと鍵を掛けていた筈なのに、と疑問に思いながら『鍵穴のない扉』の上部をふと見やれば、そこに吊り下げた角灯に薄いオレンジ色の光が点灯していたので首を捻る。

「誰か居るな……身内か?」

 父ではない。それはない。だとすれば、兄弟の誰かとなるのだが。

 いや、彼らは『鍵』が掛かっている時は立ち入らない。ロゼウスがそう頼んでいるからだ。

 兄弟間の規則や約束は守ること。彼らレクスミゼル兄弟の絆ゆえ。

 ならば、解錠して中に居るのは。ロゼウスは警戒と興味とを半分ずつ抱きながら、侵入者に気づかれぬよう慎重に扉を開けて中に滑り込んだ。



 ――それは薔薇園にいた。



 庭園の中央、色とりどりの薔薇に囲まれるようにして置かれた小さな円形の東屋の中に小さな人影が一つ。肩までの黒髪を無造作に後ろで一括りにし、黒い外套を身に纏っている。

 口調がどことなく尊大で子供らしくないのだが、その容貌が非常に整っていて可愛らしいせいか、妙なアンバランスさに興味を惹かれた。


 ミゼラティ。

 ある満月の晩に、長兄ヴァイスリヒトが「連行」してきた幼女。会って間もない、四騎士が筆頭である長兄に『命令』し、単独で『知恵無きモノ(イグノランテ)』に止めを刺した恐ろしい――しかし満月を背負ったその姿は年齢に関係なく美しかった――不思議な子供。

 だから、己の容姿を利用して近づいてみることにした。

 幸か不幸か、我ら兄弟は両親の良いところを総取りした上に「加点」がある容姿をしている。尤も、相手はまだ幼女ともいえる年齢なので「健全でやさしい年上のお兄さん」で充分だろう――と考えていたのに。

 なのに、近づく前に彼女は消えてしまった。

 長兄曰く「家に帰った」らしい。

 どこかは知らない。そこは聞いておいてよ、と思ったが彼女は始終警戒していたので無理だったろう。

 一宿一飯の恩から躊躇いなく抜け出した子猫。


 次に見つけたのは、翌日。

 対極に位置する町の、雑踏の中だった。

 南にある港町サンズポルト。交易が盛んなのもあって、常に大勢の人間が賑わい混雑するその大通りを一人で歩いている所を見つけたので、これ幸いにと声を掛けようと近づいた。

 すると、何やら素人ではない怪しげな気配がする男たちが罠を張っているのを発見したものだから驚く。

 彼女は、頭からすっぽりとフードを被っていて目立たないようにしていた――つもりなのだろうが、残念。悪い輩というものは抜け目なく価値を見抜き、捕捉する。――捕食する為に。

 現に、影に潜んだ男たちの視線は一人無防備に歩く幼女に向けられており、その中の一人は厭らしく歪んだ笑みを浮かべている。

 彼女は一見するとただの幼女だが、例の外道生物を仕留める程の戦闘力を持っている。

 だが、相手が人間ならば?

 懸念から、男たちより先に彼女を確保しようと声を掛けた――が、なんとそのまま足を止めずに歩き去ろうとしてくれたので――ちょっと、それは酷くない?――前に回り込んで強引に捕まえた。さり気なさを装って。

 軽薄な軽口で「デート」に誘えば、彼女は思いきり顔を顰めて肩を抱き寄せた腕を振り解こうとしたが、すぐに落ち着いて大人しくなった。こちらの意図を汲み取り、状況を把握したのだろう。

(あ。この子、賢いな)

 ならばここは更に「良いお兄さん」になろう。

 ケーキを奢るよと少し大きな声で宣言をすれば、男たちが遠ざかる気配がした。

 アッサリ手を引いたのは、手間が掛かると踏んで諦めたのか、それとも他の「捕まえやすい獲物」でも見つけたのか。

(……慈雨が降るよう、祈っておくか)

 それ以上の詮索は、管轄外だ。

 そちらは天命に任せ、こちらは歩を運ぶことにしよう。

 彼女を連れて、有名な洋菓子店に向かう。


 道中、彼女自身のことについて色々訊ねてみたが、返されたのは端的な返答と溜め息だけだったのは酷いと思うよ、お兄さんは。



 ◇



 その店は元々待ち合わせの場所でもあったので、事前予約はしていた。

 だから空席待ちの人の列を颯爽と通り抜けようとしたところ、敵意の目を向けてきた女性たちがいた。

 しかも対象は同行者のミゼラティ。こんな小さな子に何を考えているんだと呆れ、憤ったものの、当人は涼しい顔。それどころか苦笑を浮かべ、仕方ないなというように肩を竦めただけ。

 それは諦観からか。敵意を受け流した彼女はまだ六歳。これまでにどんな迫害があったのか、どのような理不尽を受けてきたのかは知らない。

 ただ、他人事であるのに無性に苛立ち、どうしようもなく堪らなくなった。

(許せない)

 自然と体が動き、彼女を庇うようにして敵意の前に立ちはだかる。

 けれど、敵意に対して同じものを返したのでは意味がない。己の武器ともなる容姿を生かし、有効活用してその場を切り抜けた。

 お兄さんてば凄いでしょう?――そんな意味を込めて視線を戻せば、こちらをじっと見つめている彼女と目が合う。

 何を思っていたのか、その眼差しからは読み取れない。

 けれども、深く被ったフードの奥、大きな瞳はどこか揺らいでいたように思う。

 気にしていないわけじゃあなかった?

 ああ、そうか。彼女はそうするしかなかったのだ。

 幼すぎるが故に術を持たず、ただただ飲み込む以外に道がないなら。大人しくしていたほうが、被害もずっと軽く済むなら――。


(……兄さんは、この子の真意に気づいていた?)

 本当の姿を見ていたからこそ、子供扱いすることなく接していたのか。

 大きな瞳、長い睫毛。

 幼い顔立ちの向こうに静かに潜む、その美貌。

 子供扱いなどされたくはないだろう。幼く無垢な美しさを持つ『子供』であるが故に、酷い目に遭ってきたのかもしれないのだから。

(――だから、彼女は話さない? ……いや、話せないか。……話せるわけないじゃないか)

 浅はかだった。

 それならば、他者から向けられた敵意はさぞ恐ろしかっただろうと思い労わりから声を掛けたが、彼女は健気にも強張った笑みを浮かべて――痛々しく――それでも、お礼の言葉を返してきたので更に胸が締め付けられた。

 そのせいか、甘やかしたくなった。無性に甘えて欲しくなった。

(うーん……どうすればいいかな?)

 その小さな肩を守るように抱いて、店の中を進む。双子のシュヴァルツェが待っているだろう特等席に。

 よもや別の敵意が待ち受けていたなど、その時は解らなかったけれど。


(でも、結局あの子はそれさえも懐柔したんだよなあ)

 ハイドランジアの令嬢を口説き落とすが如くあしらい、颯爽と店を後にした幼女の姿を慌てて追いかけた――そんな洋菓子店での出来事を思い出し、つい噴き出してしまったのがまずかった。



「……人間観察どころか失笑までするとは良いご趣味をお持ちだな、次兄殿」



 ◇  ◇  ◇



 薔薇園の中央にいた幼女が振り返り、アーチの陰に身を潜めていた少年に怪訝の眼差しを向けたのは当然のこと。

 しまった、見つかった――いや、気づかれるのも当然か。

 ロゼウスは陰から進み出ると、慌てて弁明を試みる。

「誤解だよ、誤解。君に対して笑ったわけじゃないから。ちょっと色々思い出しちゃってて」

「そうか。ならば、その『色々』の中に私は含まれていないな?」

「え? あー……」

 そう聞かれると、答えは否になるわけで。

 ロゼウスが言葉に詰まり、曖昧な笑みを浮かべていれば、ミゼラティがやれやれと溜め息を吐く。

「まあ、個人の感傷だけならば害も無い。好きに笑えばいいさ」

「……なんか、子猫ちゃんって冷めてるよねえ」

「熱するところでもないだろう」

 いつかは火の中へ放り込まれる運命なのだから、自ら燃やすなどありえない。

「ところで、次兄殿もここには鑑賞で――」

 来たのかという問いかけは、相手に向けた視線を下方へずらしたことで飲み込むことになる。

 右手に提げた横型の長方形。状況を考えると、それは道具箱だろう。しかも、園芸の。

 ミゼラティは薔薇園を見回し、それから目の前に立つロゼウスに視線を戻して笑う。


「成程。ここは君の世界だったか」

「えっ」

「薔薇園を見に来たのだろう? 剪定か、それとも水やりか」

「えっ、え、ちょっと待って。俺は騎士だよ? この道具箱は頼まれたから持ってきただけで――」

「騎士の掟に、園芸禁止などというのは無いだろうに」

「そうだけど、いや、そうじゃなくてさ。ほら、俺にはそんな泥臭いものは似合わないでしょ? 貴族だし、騎士だし」

「花を育てる貴族など、探せば幾らでもいる」

 ミゼラティの脳裏に浮かんだのは、砂漠地帯のオアシスにて出会った少年。

 身なりから、恐らくは高位の身分であるだろう彼――「アシタバ」とは、そういえばあれきり会っていないが元気だろうか。

「それに、ロゼウス。君は先程からやたら騎士を強調するが、何か問題なのか。この庭かその園芸趣味を口外されたくないなら、そう言ってくれ。気を付ける――」

「――だって、騎士らしくないじゃないか! らしくない、って……思うだろう?」

 言葉の最後はすっかり声が弱く、気落ちしたようなふうになったロゼウスを見て、ミゼラティは内心で首を捻り、傾げる。


 何だか分からないが、彼は「騎士だから」園芸などする筈がない、するべきではないと思っているらしい。その割には隠れてこっそりこのような盛大な薔薇園を作り上げているのだから、本当に解らなくなる。

(別に、緑の手の騎士が居てもいいと思うんだけどなあ)

 ――植物学。騎士と比較すると地味だが薬草学に派生すれば衛生治療師に、または錬金術にも浸かれば「万能の霊薬」種の作成へ繋がるかもしれない、ある意味では貴重な能力だ。

 薔薇園の質を見る限り、ロゼウスの緑の手は相当な腕前だと思う。

 だというのに彼自身はそれを嫌っている。

 いや、嫌う振りをしているという方が正しいか。

 どうでもいい矜持だな、と笑うには、ロゼウスの表情が悲痛めいていた。

 選択肢を間違えると、厄介なことになりそうだ。

 ミゼラティは早々にこの場から立ち去りたかったが、この美しい薔薇園は失われて欲しくなかったので会話を繋ぐ。


「騎士の矜持に触りがあるというのなら、園芸ごとなどとっとと止めてしまえばいいだろう」

「そう、なんだけど……」

 ロゼウスが視線を落とし、園芸道具が入っているだろう道具箱を見つめる。

 ――そら、未練がしっかりたっぷりあるんじゃないか。

 ミゼラティは内心で苦笑し、ロゼウスに近づいて彼を見る。


「園芸を止めるか、騎士を辞めるか。道は二つに一つ――というわけでもない」

「……え?」

 顔を上げてきょとんとするロゼウス。互いに色の違うオッドアイの双眸を見上げ、幼女はにやりと笑う。

「君は騎士だろう? ならば、園芸の趣味も『守れ』。異を唱える者がいても切り捨てて進め、四騎士殿」

「きっ、切り捨ててって……ああ、いや、比喩なのは分かっているんだけど」

 ロゼウスが口元に片手を当て、困ったように眉を下げた。

 しかしその表情に先程までの悲痛さは無く、それどころか笑いが浮かんでいる。

 騎士としてそれはどうなんだ?とでも考えているのか。

 全く、煮え切らない次兄殿だ。

「自己犠牲は構わないが、それは全くに報われないぞ。誰も見ていないし、知らないのだからな。だから、君がその趣味を止めたところで何の痛みも無い。――ロゼウス、君以外には」

「犠牲、っていうのは大袈裟じゃ、」

「では言い換えようか。――自己満足」

「……こういう時は、優しく、柔らかに諭すべきじゃないの?」

「君がいつまでもぐじぐじしているからだ。それに、そういう甘味が欲しいなら余所へ行け。……ああ、そうだ。西の国に確か有名な大娼館があるんじゃなかったか」

「可愛い顔でそういうこと言わないの! ……でも、うん、君の励まし?は受け取ったよ。ありがとう、子猫ちゃん」

「どういたしまして」

 軽口を返したロゼウスの顔にはもう陰鬱な陰は見えない。

 まだこの先に悩むことがあるだろうが、それでも雲の切れ間から覗いた太陽を思わせる雰囲気を見る限りでは問題ないだろう。と、思う。

 なんにせよ、この庭の滅亡は回避できたようなので良しとしよう。

 ミゼラティは身を翻し、ロゼウスから離れて薔薇のほうを向く。

 夜の海に散らばる宝石箱。静かな箱庭。

「ここは昼間も美しいんだろうな」とつい独り言を零せば。

「うん、見応えはあるよ。実は、自分でも結構いい出来映えだとは思ってる。……って、ちょっと自惚れかな」

「はは。自惚れか――」

 落ちていた薔薇の花を掬い上げ、ミゼラティは再び振り返る。


「――馬鹿なことを言う。この庭園が素晴らしいというのは事実であり、君の自惚れなんかじゃない。真実だ」

 手にした薔薇を口元に当て、目を細める。

 猫の目よりも細い三日月の下で艶然と。

 幼女らしからぬ微笑を浮かべる小さな存在はもう「子猫ちゃん」には見えない。

 優しくもない言葉で突き放しておいて、なのに甘やかな部分を一突きで貫いてくれて。


 ああ、この子は。

 彼女は。


「ねえ、ミゼラティ。明日、時間が空いていたら俺を呼んで。ここで、ティータイムしよう」

 ロゼウスは穏やかに微笑み、自然と彼女に片手を差し出していた。

 ミゼラティはちょっと驚いたようで大きな目を更にまん丸にしていたが、ややあって苦笑交じりに答える。

「ああ、それは素敵なお誘いだ」

 その手を取りはしなかったが、それでもミゼラティは頷き、ロゼウスと暫くそうして薔薇園にて談笑するのだった。


 逃げることをすっかり忘れたのは、美しい薔薇が足止めをしてくれたせいだ。

 戻った寝室、ベッドの上でミゼラティが頭を抱えるのはそれから少し後のこと。



甘夜の月に猫のひと掻き

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