婚約の行方
王妃との謁見が終わり、帰ってきたのは夕方ごろだった。玄関から入ると、目の前には子猫のポピーが小さな前足を揃えてこちらを見上げていた。両親や姉も迎えに出てきてくれた。僕は足元まで来てくれたポピーを抱き上げた。
「遅くなってすいません。心配をおかけしました」
「よくやってくれた。昨晩には連絡をもらっている。アーサー殿下もご無事で何よりだった。よく勤めを果たしてくれた」
父は嬉しそうにしている。
「まあ、まあ、食事の準備ももうできていますよ。早く上がってくつろいでください」
母もホッとした顔をしていた。
「後で、部屋に来てちょうだい。報告お願いね」
姉はいつもの通りの様子だった。
◇
いつものように、食事が終わり、しばらく両親とも話をした後に姉の部屋に上がってきていた。姉は何事もなかったかのように紅茶を飲んでいる。
「随分なご活躍だったようだけど」
「ジョージやアーサー、それに護衛の皆さんのおかげで命拾いしました」
「ふーん、それで、試練は無事合格したの?」
「大丈夫です。アーサーは王妃殿下にも認められました。アーサーは大活躍でしたよ」
「そう、なら、そのうち婚約破棄の連絡が来るのね」
「そういうことになりますね」
姉はこちらの方をじっと見ていた。何を考えているのだろう。
「それにしてもよくあの王妃を説得できたわね。あんな親、私ならすぐ家を出て行くわ」
「説得じゃなくて感謝が必要だったんですよ」
「どういう意味?」
姉はびっくりした顔で僕を見た。
「王妃はアーサーではなく自分をいつも責めていたのだと思いますよ。自分の育て方がダメなのか、自分の子供だからうまくいかないのか。夫は頼りにならないし、アーサーも思うように成長していない。世間では陰口を叩かれる。長年、王太子を育て上げるというプレッシャーにさらされることは並々ならぬものがありますからね」
姉は黙っていたが、やがて、表情を緩めて紅茶をまた一口飲んだ。
「まあ、ご苦労さん。これでアーサーの問題も解消したわね。あのままだったら、アーサーは親との関係もこじらせたままだったから、入学したあとシャーロットの介入を許す展開になったかもしれないけど、この状況まで持って来れば、もう大丈夫ね」
「まあ、そううまくいきますかね。4年後までは何が起きてもまだおかしくはありませんよ」
「問題ないわ。あなたはジョージとも親交を結んだみたいだし、ジュリアンやマーガレットとも顔馴染みになった。あとは、4年後までに下手な失敗しなければ破滅フラグも無事終了ということになるわ」
「姉さんは自分でトラブルを引き寄せるところがあるから、気をつけてくださいよ」
「はいはい」
◇
翌日。その日は朝からゆっくりと自室で過ごしていた。そこに、ドアを強く叩く音が聞こえてきた。
「誰ですか?」
「私よ開けて」
姉の声が聞こえてきた。彼女が自分から僕の部屋に来るのは珍しい。ドアを開けて彼女を部屋に入れた。
「どうしたんですか?」
「王宮から使者が来て、封書を持ってきたの。お父さんやお母さんはウィリアムも来るようにって言ってたから、急いで呼びにきたのよ」
「もしかしたら、婚約話を中止するお知らせかもしれませんね」
「私もそうだと思っているのよ。でも、両親二人ともものすごく喜んでいて、正式な婚約の申し込みが来たって大騒ぎしているから、どうしようかと思って」
「まあ、あれだけ期待していましたしね。なんだか、両親を裏切ったみたいで後味悪いです」
「私だってそうよ。でもここまできたらやり切るしかないわ。色々悲しい思い出でも思い浮かべて、アーサーに振られたことに対して泣く準備でもしなきゃ。あなたはうまくみんなを慰めてあげてね」
「分かりました」
◇
僕ら二人が行くと大広間で両親が待っていた。なんだか落ち着かない様子だった。
「ウィリアムも来たか。では早速開けるぞ。表に使者も待たせているが、返事は今すぐじゃなくてもいいんだぞ」
父は興奮した様子だった。
「そうよ。大事なことなんだから。でも、とっても良い話だし、私たちは大賛成だから」
母もいつになく取り乱している。
「私も結婚するならアーサー殿下だと思っていました。でもアーサー殿下は国中みんなに愛されるお方、私なんかを選んでくれるのでしょうか?」
姉は調子を合わせているが、さりげなく前振りしている。
「もっと自信を持ちなさい。お前は十分魅力的だよ」
「そうよ、マリア。ここ最近、いつも遊びに来てくれていたじゃない。自信を持っていいわよ。それとも、何か心配なことでもあるの。もしかしてケンカとして気まずくなってはいないでしょうね」
(ケンカなんかしょっちゅうで、というより最近は姉の方から一方的に罵倒していたような気もするが…)
「ううん、でも心配なんです。断られるんじゃないかって。だから…… たとえ婚約がダメになったとしても心の準備はしています」
「そうか、じゃあ開けるぞ、いいか」
父がそう言うと、皆、声を上げずにうなずいた。
封を開け父が目を見開いた。姉は少しフライング気味にその場でうずくまり、すすり泣きをあげていた。
「ああ、私、もう立ち直れない。これからどうして生きていけばいいの」
しかし、父は姉の言葉が聞こえなかったかのようにこう言った。
「マリア…… 喜べ」
「えっ」
姉は涙をふいて父の方を見上げた。
「正式な婚約の申込みだ。やったぞ。母さん、今日はお祝いだ」
「ああ、良かった」
母は涙ぐみ父の胸に顔をうずめている。父は上気した表情をして目を潤ませていた。姉の方は…… 呆然としていた。
「おめでとうございます」
まあ、この場で僕はそう言うしかない。
「あ、ありがとう」
「では早速、使者に返事を」
父がすぐに出て行こうとしたので、姉は止めた。
「ちょっと待ってお父さん」
「なんだ」
「もう少し返事は待ってもらったほうが…… 心の準備が」
「だが、待たせているし、お前も、もう心の準備はできているって言ってたじゃないか。こういう時は勢いも大切だぞ」
「そうよ、そうよ」母もこのチャンスを逃してんるものかと父を急かしている。
そして、 父はすぐに出て行ってしまった。
かくして、姉の婚約は正式に決定してしまったのであった。
◇
「いよう」
「いようじゃないわよ、いようじゃ。一体どういうことよ」
アーサーはいつも通りの様子で、こちらの家にやってきた。彼は両親に挨拶を済ませて、姉の部屋にいる。僕も気乗りはしなかったが、しょうがなく部屋に連れてこられていた。
「そんなに怒るなよ。いやなら断れば良かっただろう」
「簡単に断れないに決まっているじゃない」
「いったいどういうことですか? 王妃殿下に言えなかったんですか?」
「言ったよ。マリアさんと結婚したいって」
「「えっ」」
二人とも同時にアーサーを見たが、彼はいたって真面目な顔をしていた。
「約束が違うじゃない」
「約束は4年後になんでもいうこと聞くってことだろ。もちろん大丈夫さ」
「結婚したくないって言ってたじゃない」
「そんなことは言ってないよ。好きじゃない相手とは結婚したくないって言っていただけで」
「ってことは」
アーサーは真剣な顔になって、しっかりと姉の方を向いて言った。
「うん、マリアさんのことが好きなんだ。結婚してください」
姉は少し考え込んでいたが、こう答えた。
「王立学校を卒業するまでに返事をするわ。だからもう少し待っていて」
「分かった。待っているよ」
◇
アーサーが帰った後、僕は姉に尋ねてみた。
「本当に結婚するつもりですか?」
窓辺に立つ彼女は月の光に照らされていた。今夜は満月だった。
「分からないわ」
ためらいがちに答える姉は、いつもの姿とは違っていた。
「アーサーは本気のようですよ」
「でも、いきなりこうなるなんて、予想がつかなかったから。混乱しているのよね私。ゆっくり考えてみるわ。まだ時間はあるから」
「そうですね。ゆっくりやっていきましょう」
姉は物憂げな顔つきで、窓の外をぼんやり眺めていた。月の魔法のせいなのか、彼女の姿はいつもよりも魅惑的に見えた。
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