遠回り
「何だよ、お前ら喧嘩してんの?」
後部座席の隣に座る崎さんが、むっすりとした私に声を掛けてくる。
「ありゃりゃあ、じゃあ、僕の出番ってことかな」
軽い口調で、私の腰に手を回してくる。
この人は全く。
けれど、私は構わず、崎さんを睨みつけた。
「可愛いなあっ‼︎ そんな口をとんがらせてると、チュウしちゃうぞ‼︎」
「崎っ、やめろ。瑠衣をからかうな」
善光先生が、助手席から言葉を投げてくる。
「からかってねえもん。チャンスは逃さないもんね。それに、僕ら仲良しだもんねー。このマフラー、僕からのプレゼントだもんねー。使ってくれてんのな、嬉しいなあ」
鬱陶しい、そう顔に出して、さらに睨みつける。
「崎、彼女の顔をよく見てみろ。お前、完全に嫌われてるんだよ」
そう、私の横にはウェイリンが鎮座しているのだ。
何でこの二人に挟まれるっ‼︎
運転手は環さんで、その助手席なんて絶対にイヤ‼︎ ってなって、後部座席に乗り込んだら、右側に崎さんが楽しそうに乗り込んで来て、左側にウェイリンが冷ややかな顔を浮かべながら乗り込んできて。
動けないし、降りられないんだな、これが。
「良いんだよ、瑠衣ちゃんはいっつもこういう顔なの。またそれがなあ、可愛いのなんのって」
「おい、崎、やめろっ。瑠衣にくっつくなって。お前、いい加減にしねえと、車から降ろすぞ‼︎」
「お前は、環ねえさんと仲良くやってろよ、僕らは僕らでやるもんねー」
「環は関係ねえって言ってんだろっ‼︎」
「おーおー、瑠衣ちゃんの前で、すげえ念押ししてんな。必死すぎて、笑えるわ」
ここから見る環さんの口元は、口角が上がっていて、にやにやしていると分かる。
何ですか、それ。
余裕ありって、ことですか。
「善はバカエロだからな。あ、エロバカだったか。こいつ変態だからな、もっと言ってやってくれ」
ウェイリンの嫌味が炸裂している。
「くっそ、お前ら覚えてろよ。それより、メイファはどうした」
善光先生が、話題を変える。
「ああ、途中参加、ライズもね。環ねえさん、皆んなが来たら教えてちょ」
崎さんがそう言うと、環さんがいいわよ〜と、頷く。
そして、そのまま先生が続けて、問う。
「空は? まあ無理だろうけど、どうだった?」
「弟くんの誕生日だってさ」
そっか、それは無理だな、先生が苦笑すると静かになった。
「おい、崎、手離せ」
崎さんがさっきから私の手を握っていた左手を少し上げて掲げると、
「あれ、ばれてら~、あはは」
ああ、と私は頭を抱え込んだ。
このまま、あと一時間以上もこの状態で走らなくてはいけない。
はあっと大きな溜息を吐くと、私は頭を膝につくくらい抱え込んで、そして目を閉じた。
✳︎✳︎✳︎
行き道の途中で、メイファと呼ばれる、中国人の女性と合流した。
ウェイリンと雰囲気は似ているが、ウェイリンは台湾人。
国と国との間の事情で、行き違いのある国民同士ではあったが、それ以上にお互いがお互いを気に入らないのであろう、二人とも一切口を聞かない。
そんな空気が、異常に重苦しい。
同じく合流したライズに問いかける。
「メイファさんは、いつもあんな感じなんですか?」
ギョロリと蒼い目と、背の高いがっちりな身体を私に向けて、彼は言った。
「そうだ。いつも、あの仏頂面だ」
日本語、相変わらず流暢だな、仏頂面って言葉も知ってるんだ。
途中で寄ったコンビニでトイレを借りた後、私はカフェラテを買うと、コンビニの横にある喫煙所に戻る。
ライズと崎さんが、煙草を燻らせている。
崎さんなんかは、美味しそうに目を細めて、ふぅっと煙を細く出している。
そう言えば、先生たちが煙草を吸っているところを見たことがない。
吸わないのだろうなと思い込み、吸わないのかと問うたことも無かった。
コンビニの玄関辺りを覗き見る。
ウェイリンとメイファはまだ店内のようだ。
ああ、そうでした、善光先生と環さんは車に仲良く乗っています、分かってますよ、はいはい。
私は、むうっと口を結ぶと、再度コンビニの横に姿を隠した。
「瑠衣ちゃんは、本当に分かりやすいねえ。あはは、でも僕の希望通り、善を好きになってくれたんだね、助かるわ~」
何だかこの軽口が無性に頭に来て、私はいつもより強い口調で言った。
「別に。そんなんじゃないです」
「いやいや、そうでしょ。顔に出てるんだよ、分かりやす」
絶対に告白しようと決めていたのに、なかなか思うようにいかなくて、環さんのこととか、善光先生が竹澤先生と結婚しろとか、そんな思ってもみなかったことを言うもんだから、ああ、もう一度言うけどあと環さんの事とかっ、色々あって滅茶苦茶ブルーになってるのに。
この能天気な人ときたら。
「崎さん、そんな事より竹澤先生をどうやって連れ戻すかとか、考えなくて良いんですか? 私、もうそれで頭いっぱいなんです。これ以上、負荷掛けるのやめて貰えませんか」
「そんなことよりって、善、可哀相だなあ。いつまで経っても、報われんなあ」
「もう、いい加減にしてくださいよ、先生はっ……」
崎さんもライズさんも、変な顔をしている。
私が、珍しく大声を出しているからだろうか。
「私のことなんてっ、何とも思ってませんよっ‼︎」
好きな人に、他の人と結婚すれば良いだなんて、私だったら口が裂けたって言えないし、絶対に言わない。
善光先生にとって、その程度の私だったんだ。
そう思って、泣いて泣いて泣きまくったんだから。
けれど、それでもこれはもう絶対に告らなきゃって、強く決意したのに、今度は環さんが現れて。
それどころじゃ無くなっちゃったのっ‼︎
私は残り少なくなったカフェラテの容器をゴミ箱に捨てようとして、くるりと踵を返した。
ぎくりとする。
車に乗っていたはずの先生がそこに立っていた。
だから、二人が変な顔を。
善光先生は表情を変えずに、私のカフェラテの容器を持つ手元を見ると、
「お前、コーヒーはブラックじゃ、ないんだな」
あ。
うちのリサイクルのゴミ箱に山積みになったブラックのコーヒー缶を思い出す。
「分かっていた、分かっていたんだ」
小さく呟く。
私は、ついに居たたまれなくなり、先生の横をすっと、通り抜けた。
なるべく、先生の体温を感じないように。
なるべく、先生の匂いを拾わないように。
そうやって五感をシャットアウトして、車に乗り込んだ。