すれ違い
「大丈夫か、お前。よくあんなこと……できたな」
先生の身体から出た私の意識は、自分の身体へと戻っていき、そしてやはりぐったりとして、後部座席で横たわっていた。
この倦怠感。
やっぱりそうだったんだ。
「うん、竹澤先生との訓練の時、最初は私の中に先生が入ってきてて。最初の頃は入られても私の意思では身体は動かせなかったから、入られると人形みたいに操られるんだなって思ってたし、先生もいちいち私の中に入るぞって前置きしてたから、そうなんだって思い込んでて」
話すと、疲れが追加される。
「でもいつからか、違和感を感じるようになったの。いつも入られた時は、はっきりと起きられるんだけど、ここ何回かはどっと疲れてしまって、そこら辺から、なんかおかしいなって気付いて」
そう、竹澤先生に勝手に身体を動かすなと怒られながらも、私の意識で動かせるようになった手をそっと盗み見たことがある。
それは、私の手でなく、大きな先生の手だった。
その時、確信したんだ。
これは竹澤先生の身体だと。
先生が私の中に入っているのではなく、私が先生の身体に入り込んでいるのだと。
どうやって、私を引っ張り出していたのだろうか。
多分だけど……。
意識の回路を一つ一つ意識し、私がオンオフができるようになった時点で、先生がまず私の中へ入ってから、私に気付かれないようにほとんどの回路をオフにし、少ないオンだけの意識を持って身体に戻っていったんじゃないかと、私は推測していた。
「そんなことができるのか?」
善光先生がハンドルを回しながら、問う。
それは正解ではないかも知れないけれど、これ以上の考えに辿り着くことはできなかった。
私はそう考えてからも、それに気付いていない振りをし続けた。
善光先生に会えるチャンスを狙って、この力を使いたかったからだ。
その頃になると、初めてドームに連れて来られた時より、私たちは何倍も大きなうねり猛る、業火の焔を作り出すことができていた。
渦を巻く、オレンジの焔をその身にまとわせて、ドームを煤で黒く染めていく。
それはまるで、檻を蹴破ろうとして怒り狂う猛獣のような焔だった。
だから、善光先生に乗り移ることが出できれば、きっと凄まじい力で、ここを出ることができるんじゃないかと踏んだんだ。
「うん、私が竹澤先生の中に引っ張り込まれてるって気付いてからは、色々合点がいったって言うか」
私がもう一度、納得するように、うんうんと頷くと、
「合点がいくって、お前、おっさんかよ」
先生がハンドルを反対へと回しながら、ぶっと吹き出す。
先生が笑ってくれて、私もほっとする。
「竹澤先生は、私がそのことに気付いていないと思っていた、んだと思う」
けれど、女の自衛官が言っていた。
私を善光先生に近付けないように言われてる、と。
知っていたのかもしれない。
その点はもう、確認する術はない。
「今から丸井のじいさんのとこ、行くから。お前は少し休め」
「うん、」
先生に伝えたいことは山ほどある。
けれど、ハンドルを回す手が。
血まみれで。
それが、否が応でも目に入ってきて、そして胸の中にも入ってきて。
苦しくて苦しくて、それ以上、何も言えなかった。
窓の外を見つめる。
途端に眠気が襲ってくる。
私は遠のく意識の中、目を瞑って車がカタカタと揺れる感触を感じていた。
✳︎✳︎✳︎
「悪りい、俺の部屋。っつうか、マンション。お前、すげえぐったりだったし、寝かせた方が良いかなと思って。な、何か食べるか? 腹、空いてねえ?」
早口で喋り続ける先生を、二度寝の頭で考える。
何か、照れているみたい。
あ、そうか、これ先生のベッド。
「先生の匂いがする」
小さく言うと、
「臭いだろ、まじ悪りい。ここしか思いつかんかった。お前の家だと俺が色々動けねえし、あんまりぐったりしてるもんだから、心配になって。気絶した女子高生連れて、ホ、ホテルもアウトだし、しょうがねえっつうか」
とにかくっ、しょうがねえんだよっ、と何度も言う先生が何だか可愛らしくて、ああ、好きだって思う。
気持ちを素直に口にしようとした瞬間、次に続けられた言葉で私は凍りついた。
「丸井のじいさんとこ行って作戦立ててから、竹を連れ戻しに行く。お、俺が絶対に説得して連れ戻して来るから安心しろ。そしたら、お前らさ、結婚しろ」
先生が、私から離れてキッチンに入る。
カウンターの向こうから、冷蔵庫を開ける音が聞こえた、気がした。
「丸井のじいさんの提案だけど、俺もそれが良いんじゃねえって思うし。さ、賛成っつうか。竹が旦那なら、俺ももうお前のこと見てなくても良いし。そしたら俺、丸井のじいさんの手伝いでもしながら、海外で起業でもしようと思ってる」
何かペットボトルのようなものを取り出している。
ねえ、今、結婚って言った?
誰と、誰が?
「まあ、全部片付いてからの話だけどよ。可愛いんだろうな、お前の、お前と竹の子ども。お、俺は、おじさんとかって呼ばれんのかな。あはは、何か抵抗あんな」
遠くへ、行くって言った?
「なあ、何か食うか? ほら、お茶」
私と竹澤先生の……子どもって言った?
何かがぶつっと音を立てて切れた。
何でとか、どうしてとか、そういうのだけが頭の中を駆け回る。
私は今、告ってもいないのにフラれているんだと、現実を直視させられている。
そう思うと涙腺も切れた。
私は堰を切ったように、うわあぁと泣き出した。
悲しくて悲しくて。
何でそんなこと言うの、どうして、そんなことを、と。
「うわっ、どうした? どこか痛いんか?」
バカだ、この人、本当にバカだあ。
私はこんな汚い顔を見られたくないと両手で覆うと、声を上げて泣いた。
先生は、おろおろとしているのだろうか。
けれど、直ぐに抱き締めて、背中を摩ってくれた。
「泣くな、お前に泣かれるとどうして良いか分からん。俺、何か変なこと言ったか。悪かったよ、ごめんな。自分で言っといて何だけどな、すまん」
優しく髪を撫でられる。
「なあ、お前に幸せになって欲しいんだ。こんな泣いてばかりじゃなくて。竹ならお前を幸せにできんだ」
私はしゃくり上げるのを抑えながら、やっとのことで言う。
「せっ、先生は、お母さんが好きっ、なのっ。わ、私じゃっ、ないもん」
善光先生はそれでも私を抱き締めて、
「あいつ、隠すの上手だからな。ちっせえ頃から、俺があんまり瑠衣瑠衣って言うもんだから、静さんを好きでいる振りをしてきただけだよ。優しんだ、誰にでもな」
俺にもな、先生は小さく言った。
「竹が教師になってお前に会いに行くって言った時、俺は怒り狂っちまって。ずりいって、横取りする気かって。はは、俺、まだガキだったんだ。嫉妬でバカみたいになっちまって。でも竹が、横取りなんてしない、静さんに会いに行くだけだって言って。それで、後に引けなくなっただけっつうか」
先生が優しい声で続ける。
「教師になって、お前と会う機会が増えて、そんでバカな俺もやっと気がついたよ。お前と会ってる時の竹の顔、すげえ幸せそうなんだ。そんで、お前も竹を慕ってて。認めたくなかった。最初は俺も教師になったんだし、お前をその……力づくでもって思ってた。でも、そんなことしたって意味がねえ。お前ら、お似合いなんだ。一緒にいると、お互いが幸せそうに笑ってんだ、必要としてんだよ。俺なんか、お前を泣かせるばっかで……やっと気づいたんだ、お前らが結婚するのが一番良いんだ。お前に幸せになって貰いたいんだ、」
愛してるんだ、そう言われてどくんと胸が鳴る。
けれど、直ぐにそれの意味は訂正された。
愛してるんだ、竹はお前を。
だからな、それが一番なんだって。
結婚すんのが、一番良いんだって。
先生は「結婚」という言葉を何度も繰り返した。
私を説得したいのか、それとも自分を納得させたいのか、先生は何度も何度も繰り返した。