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三田一族の意地を見よ 6

第肆拾話 越後の龍と甲斐の虎


弘治三年四月十日


越後國えちごのくに 頸城郡くびきぐん春日山城かすがやまじょう


越後春日山城では越後国守、長尾景虎ながお かげとらに奉行職、本庄実乃ほんじょう さねよりが都からの急報を伝えていた。

「なに、伊勢の輩が上洛したと言うのか!」

(長尾景虎は後奈良天皇の勅命で伊勢氏から北條氏へ改姓した事を認めずに何時までも伊勢と呼び捨てにしていた)

「はい、都の隼人佑はやとのすけ神余親綱かなまり ちかつな)殿より火急の文が届きました」

実乃の言葉に景虎が眉間に皺を寄らせて大声で叫ぶ。

「実乃、儂も上洛を致すぞ!」

幼少の頃から見てきた主君の激高を軽く流しながら、実乃は別の問題を提起する。

「御屋形様、上洛も大事でございますが、武田の善光寺平への侵攻を止めませんと、高梨殿が持ちませんぞ、二月十五日に葛山城かつらやまじょうが落ち、落合備中守殿(落合治吉おちあい はるよし)と小田切駿河守おだぎり するがのかみ殿(小田切幸長おだぎり ゆきなが)が討ち死にし、他の落合一族は武田に寝返っております。

更に高梨殿は本拠地中野郷が攻められ続け、中野北部の志久見郷の国衆、市川孫三郎いちかわ まごさぶろうが武田に寝返りました」

「ええい、晴信め儂の邪魔ばかりしよる!」

怒り心頭の景虎。

「その為にも武田に痛烈な打撃を与えませんと、上洛など無理にございます」

景虎は実乃の言葉に更に険しい顔をし始める。

「しかし、このまま手をこまねくわけにもいかん、伊勢の輩は公方様に関東管領職補任かんとうかんれい ぶにんを求めるに違いない、そうなれば、儂が態々負け犬(上杉憲政)を飼っている価値が無くなるではないか!あれが上杉家家督と関東管領職を譲るからと言うから、態々高い金をかけて御舘まで作ったというのにだ!」

「御屋形様、余り大きな声を立てずに」

実乃が景虎の言葉を遮るように手を翳す。

「判っておる。あれ(上杉憲政)が逃げてきたときは、尾羽うち枯らす状態で、儂に泣き着いて全て譲り渡すと言ったのだが、息子が無事帰ってきて欲が出たのか、最近は余所余所しい感じよ」

心底面白くないというような言いようで話す。

「実子は可愛い物ですからな」

「ふん、伊勢も伊勢よ、あの様な小童なんぞくびり殺せば良い物を、態々関東管領後継者に相応しい格式で送還してくさったせいで、余計な手間が増えるではないか、忌々しい!!」

「憲政殿が前言を翻して龍若丸殿に管領職を継がせたいと仰ったら如何致しますか?」

実乃が思案気に尋ねる。

「ふん、駿河守するがのかみ宇佐美定満うさみ さだみつ)にでも船遊びに連れ出させて船を沈めれば良かろうよ」

何も臆することなくさらっと景虎は答えを言う。

「なんとも、不幸な事故であれば致し方有りませんな」

「そう言う事だ」

そんな話の中、直江景綱が財政について話が有るとやって来た。景綱は景虎の上洛話を聞くと一瞬苦虫を噛みつぶした様な顔をしてから質問をはじめた。

「御屋形様、上洛も宜しゅうございますが、財源は如何為されるのですか?」

大和守やまとのかみ直江景綱なおえ かげつな)如何致した?なんぞ不味い事でも起こったか?」

「御屋形様、実はここ数年、越後塩の売り上げは下がる一方でございます」

「何故じゃ?海のない信濃へは最低でも塩尻までは越後塩の独壇場ではないか?」

「いえ、不味い事に、ここ数年は武田が信濃を制圧する過程で相模から安価な塩が多数入るようになった為に越後塩が排除されつつ有るのが現状です」

「大和守殿、糸魚川いといがわから深志ふかし(松本市)ま百五十里(97km)程だが、相模からはどの位なのだ?」

(一里=六町(648m))

「うむ、駿河から二百五十里強(162km)、相模から二百八十里程(181km)だな」

「しかし二倍の遠距離から運ばれる塩の値段が越後塩より安価とは到底信じられんが」

「越後側の塩商人の運上金が高すぎる事も原因の一つに御座いますが」

「しかし、大和守殿、塩商人の運上金を減らせば他の所も減らせと騒ぎになるぞ」

新左衛門尉しんさえもんのじょう(本庄実乃)殿、事は運上金所の問題だけに済まない、此を見てくれ」

景綱が袱紗から袋と懐紙を取り出し、その袋を開けると懐紙の上に真っ白な粉が積もった。

「ん?此は?」

「塩だ」

「馬鹿な、この様なさらさらの塩見たことがない」

「新左衛門尉の言う通りじゃ、塩と言えば粒が粗い物と相場が決まっておる」

実乃の言葉に景虎も同意するが、景綱が頸を左右に振る。

「嘘だとお思いならば、舐めてみるが宜しかろう」

景綱はそう言うと指で一つまみし舐める。それを真似して実乃、景虎も舐める。

「うむー、確かに塩じゃ」

「塩ですな」

二人が納得したのを見て景綱が話を再開する。

「この様に、越後塩と比べものにならない上に味もまろやかな良き塩が廉価に出回っているのです」

景綱の話に再度塩をなめてみる二人。

「うむー確かに味が何とも言えない旨味を感じる」

「こんな物が出回れば越後塩が売れなくなる事は必定」

「して、この塩は如何ほどで売られているのだ?」

「深志の塩問屋に卸される越後塩が一升二十五文ですが、この塩は一升十五文で卸されているのです」

「なんと、破格すぎる値段じゃ」

「それでは太刀打ち出来んぞ」

景虎と実乃が渋い顔で唸るが、景綱が更に追い打ちをかける。

「勝てないだけでは御座いません。最近深志で相模塩を買い越後で売り出す者達も出始めました」

「しかし、運んでくるだけでも大変な労力が掛かるであろうに何故じゃ?」

「御屋形様、最近の梅干しの味は如何でしょうか?」

いきなり話題を変えた景綱の態度を不思議がりながらも景虎は答える。

「うむ、去年に比べ苦みが消え味がまろやかになったが、まさか城の塩も相模塩なのか?」

「はい、台所方からの報告では高級塩でありながら安価であると昨年より殿のお召し上がりになる物はそれに切り替えたとの事で御座います」

景綱の話を聞いて景虎が怒り出す。

「なんじゃと、伊勢の輩の塩を儂に喰わせたというか!即刻塩を越後産に代え台所方の責任者を厳罰にせよ!」

「御屋形様、台所方も相模産とは知らずに商人より仕入れた物、商人に謀れたので御座います」

景綱の説得に景虎も幾分落ち着いたが、忌々しい伊勢の作った塩と言うだけで怒りが沸々と沸いて来た。

「えい、その様な商人は磔刑にせよ」

「しかし、それでは……」

景綱が再度説得しようとしたが結局相模塩を扱う塩商人の幾人かが磔刑に処せられ、少なくない数の商人が越後を去ることになった。


弘治三年五月二日


■山城國 京


北條家が都に来てし始めた事、それは御所造営だけではなく、荒れ果てた都での清掃作業と炊き出しそして人材収集であった。今日も宮城建設地付近の炊き出し所で炊き出しを受けた浮浪児や流れてきた流民の勧誘が続いている。

“仕事が無い、住む所が無い君達、坂東の広大な大地が君たちを待っている”

“坂東へ来れば、もれなく一町歩の土地を与えよう”

“5年間は年貢を取らない”

“年貢は四公六民”

この様な看板の募集所に人生に疲れ果てていた人々が並んでいる。

「こっこの、話は本当なのか?」

「うんだ、騙して売り飛ばす気でないか?」

中には疑問を投げかける者をいるが、それを募集官が丁寧に説明していく。

「まあ、そう思うのは仕方が無いが、坂東には未だ手つかずの台地が有るんだ、其処を開墾するという訳だ」

「本当に、土地が貰えるだか?」

「開墾するという事は有るが、開墾すればその土地の所有は出来るんだ」

「凄いだ」

「んだ」

結果多くの民が坂東行きを承諾していくのである。



同じ頃、町中を仕事が無く暇そうにしている若者を見つけては声をかける行為も行っていた。

「お兄さん、良い体してるね、自衛隊に入らないかい?」

「自衛隊?」

「そう、自衛隊」

にこやかな侍を見て怪訝そうな顔をする若者達。

「自衛隊ってなんだい?」

「今、都で御所を再建しているのは知っているかな?」

「ああ、北條って言う坂東武者が発起人だと聞くが、それが関係有るのか?」

「私も北條家の家臣だが、御所再建の際に都の清めをする為に清掃をする組織を現在発起準備を行い、その構成員を募集しているところだ」

「それにしても何で自衛隊って言うんだい?」

「自ら衛生する隊って言う意味さ」

「へー」

衛生の意味も判らずに納得する人々。

その話にいつの間にやら入り込んでいた人物が質問する。

「しかし、三好様の許可を受けないで大丈夫なのかい?」

「三好様には既に話をしているし、朝廷の皆様にも連絡済みだから」

「へー、それは面白い」

「だろう、今の都は応仁以来、荒れ果てて屍が町中に放置してある状態だから、少しでも良くしようという、左京大夫様の思し召しだ」

「凄いお人だな」

「そうだ、我々には想像もつかないお考えをする御方だ、所で応募するかい?」

募集員に聞かれた何処にでも居るような青年は思案した後答える。

「取りあえず、今は未だ両親にも話さなければならないから、考えておくよ」

それを聞いた募集員は一枚の紙を手渡した。

「取りあえず、此に待遇等を書いてあるから検討して、気に入ったら二條大宮の神泉苑前の募集所へ来てくれ」

「ああ、ありがとう」

「期待しているよ」

青年が離れると、廻りに居た者達も我先にと募集要項紙を貰い字の読めない者は読める者に読んで貰いながら、直ぐに募集所へ向かう者も居た。



其処から離れた、貧民窟に先ほどの青年がスーッと現れた。其処には彼方此方に見窄らしい小屋があり其処へ青年は入って行く。

「六郎遅かったな」

「小介様、遅くなりましたが、北條の動きを掴みましたぞ」

その言葉に小介と言われた三十代の男が無言で頷く。

「どの様な事だ?」

「此に御座います」

募集紙を読み出す小介。

「うむ、清掃とは道楽にも程があるな」

「如何致しましょう?」

「藤兵衛、お主が潜入せよ」

小介が藤兵衛という男に命令する。

「はっ」

それが終わると、次の者の報告を受け始める。

「小介様、三田康秀ですが、噂通りの食道楽でございます」

「ふむ」

「カリーなる物を本願寺にて振る舞い、顯如の喝采を浴びたとか、更に種々の料理を創作し振る舞っているそうです」

「なる程な、つまりは氏康夫妻の食道楽の為に婿にしたというのは事実か」

「そうなるかと」

「御屋形様が仰っていたが、氏康は武将の風上にも置けない贅沢、その為なら娘の一人や二人差し出すか」

「堺衆や本願寺が絶賛するのであればそうかと」

「うむ、判った」

又次の者の報告を受け始める。

「小介様、大久保長安ですが、此方へ来ていることが判明致しました」

その言葉に、三田康秀の事など忘れて小介は色めき立つ。

「なに、それは真か?」

「はっ、堺にて彼の者に会ったと堺衆の一人が話しています」

「そうか、小七でかした。早速、長安の身辺を探り頃合いを見て甲斐へ連れ去るのだ」

「はっ」

「藤兵衛、先ほどの話は無しだ、お前も長安を探れ」

「はっ」

部下の者達が去っいった後、武田家三ツ者(忍者)頭穴山信光は一人甲斐の方を向き呟く。

「御屋形様、遂に長安の尻尾を掴みましたぞ、吉報をお待ち下さい」

その日以来、武田方の三ツ者は長安の姿を追うことに全力を懸けた結果、康秀などは完全に注意外に置かれ、動きやすくなったのである。


第肆拾壱話 スカッと爽やか


弘治三年五月三日


■摂津國 堺 丹波屋


堺にて、砂糖や各種漢方材料を手に入れた康秀達は更に継続的な供給を頼む為に薬種問屋丹波屋の小西弥左衛門(小西行長祖父)を尋ねていた。

その会談の最中にポツリと康秀が言った言葉が又事件を引き起こす。

「多田院の近くに霊泉があるそうですね」

康秀の言葉に同席していた津田宗達が答える。

「霊泉ですか、噂には聞きますが、それが何か?」

「なんでも、源満仲が住吉大社の神託に従い三つ矢羽根の矢を放ち、矢の落ちた所に城を築き、その後、鷹狩りに出かけた際、偶然居城近くの塩川の谷間で、一羽の鷹が湧き出ている水で足の傷を治して飛び立つのを目撃しそれから霊泉として崇められていると聞き及びましたので」

「ほほー、その様な事が」

感心したという感じの宗達と弥左衛門。

「体に良き霊泉なら帝の御病気にも効くかと思いまして」

康秀が如何にも帝のことを心配しているように見せる。

「なるほど、多田の領主塩川伯耆守様(塩川國満、織田信忠側室の祖父)に伝手がありますがお訪ねになりますか?」

宗達の言葉に康秀は一二もなく頷く。

「是非に」


弘治三年五月八日


■摂津國 川辺郡かわべぐん 大神郷おおむちごう 多田院ただいん


多田院に康秀を含む北條一行が津田宗達、小西弥左衛門、子息小西弥十郎(小西隆佐こにし りゅうさ小西行長父)と共に多田院へ参拝した。三好長逸には話を通したため無用な軋轢も無く、多田院ただいん御家人衆筆頭ごけにんひっとう塩川國満しおかわ くにみつと会うことが出来た。

「北條様、拙者は多田院御家人衆筆頭塩川伯耆守と申します。三好様よりお話はお伺いしております。本日は多田院参拝と平野霊泉の見学との事、この伯耆にお任せ下され」

一応塩川氏は三好家の勢力下にある為、三好家の頼みを断るわけにも行かずに笑顔で対応する。

源満仲みなもとのみつなか殿か、源氏を勃興させた大人物よな」

氏堯がしみじみと呟く。

「しかし、北條様は平氏、源氏とは相打つ家系ではございませんか?」

津田宗達が不思議そうに尋ねる。

「源平の合戦と言うても、実際は伊勢平氏と坂東平氏との戦いのようなもので有ったからな、のう長四郎」

氏堯が長四郎に話を振る。

「そうですね、源頼朝公の部下達は北條時政ほうじょう ときまさ三浦義明みうら よしあき和田義盛わだ よしまさ千葉常胤ちば つねたね梶原景時かじわら かげときなどの有力御家人は坂東八平氏出身でした。逆に源氏である新田義重にった よししげは日和見、佐竹秀義さたけ ひでよし志田義広しだ よしひろは敵対しています」

腹の中では先祖平将門公謀反と嘘の第一報を入れて将門公の立場を悪くした源経基みなもとのつねもとの息子だから、むかつくけどと思っていたが。

「そう言う事よ、多田大権現殿は、執権北條家にとっては主君の祖先神と言う訳でしてな、それに箱根には源満仲殿の宝篋印塔ほうきょういんとうもあるぐらいですからな」

康秀と氏堯の話に其処にいた皆が納得した。

その後、多田院の参拝と貫首との面会も終え地元の者に案内させ霊泉へ向かった。

多田院から三里程(2km)北東にある霊泉へ着くと康秀は早速、碗に霊泉を汲み泡立つのを確認してから、一口二口と飲んでいく。

「三田殿、どうでしょうか?」

塩川國満が心配そうに尋ねる。

「美味にして、喉越し爽やかですね。此ならば帝も御喜びになるはずです」

それを聞いて、塩川國満と多田院貫首がホッとした顔をする。

「それはようございました」

「この霊泉ですが、加工すればさらに良い物が出来ます」

康秀の食知識を信頼している氏堯はやってみよと思う。

「長四郎、面白いやってみよ」

康秀は最初からやるつもりで、堺で手に入れたガラス瓶などを駆使して霊泉に砂糖を混ぜた物や、それに柚の絞り汁などを混ぜた物、抹茶を混ぜた物を作り振る舞う。

皆はおっかなびっくり飲むが、泡のはじける喉越しに驚きながらも口々に悪くないと言う。

「此は驚きだ、口当たりが何とも言えぬ」

「爽やかな感じがしますな」

康秀が更に新作を作る。

「次は生姜の絞り汁と砂糖を混ぜ、蜂蜜と柚子の絞り汁と丁寧に粉末化させたカラメルを溶かし入れると、喉越しの良い飲料になる訳です」

再度の飲むで見るが良い味と感じた。

「なるほど、面白い事だ」

「霊泉がこうも良き物とは」

「此を帝に献上し、更に多田院で配布すれば、霊験あらたかと多くの者が求めるでしょう」

康秀の提案に津田宗達、小西弥左衛門が直ぐに頷く。

「此は素晴らしい事です」

「塩川様、貫首様、どうか我等にそのお役目を」

目聡く商人二人は自分を売り込む。

「うむ、しかし、此は三田殿の提案、勝手に我等が決める事も出来まい」

「左様」

塩川國満と多田院貫首はそう言って康秀と氏堯を見る。

「多田院は源氏霊廟にございます。平家の我が家がその霊廟で金を稼ぐわけには行くますまい」

氏堯がそう言い康秀が肯定する。

「左様でございます」

「おお、北條殿、三田殿感謝致します」

「拙僧も感謝致します」

「我等も感謝致します」

五人全員が感謝の言葉を告げる。

其処へ康秀が更に話を投げかける。

「此を、南蛮人に売りつければ、相当な利益を何れは見込めるはずです」

皆はいきなり南蛮人と言う事に不思議がる。

「南蛮人にございますか?」

弥左衛門が不思議そうに聞く。

「左様、聞くところでは南蛮人の國は我が國のように生水を飲むことが危険なそうで、その為に子供の頃から酒を飲ましているらしいのです。ご存じのように酒は百薬の長と言いますが、乳児の頃から飲ませて良い訳がありません。其処でこの霊泉を瓶に詰め売りつけるのです」

康秀が色々と料理を作り外れがないことから、宗達と弥左衛門は納得して頷く。國満と貫首は話しについて行けなくて唖然としている。

「名前は何としますか?」

宗達が早速売り込むための名前を尋ねる。

「我が国向けと、南蛮人向けでは名前を変えた方が良いでしょう」

「どの様な?」

「我が国向けは、多田院の霊験あらたかな神水として、多田権現水とするのが良いのでは思うのですが、貫首殿は如何でありましょうか?」

「此ならば、我等は異存ございません」

やっと頭が動いた貫首が頸を縦に振る。

「ならば、決まりですな」

「歩合については、多田院、塩川殿、小西殿、津田殿、それぞれに二割ずつ、三好殿に運上として二割で如何でしょうか?」

康秀の話に、北條側の割合が入っていない事に小西弥左衛門が訝しむ。

「北條様の取り分は無いのでしょうか?」

氏堯が左右に手を振りながら疑問に答える。

「先ほど言った様に、多田院は源氏霊廟にございます。白旗大明神(源頼朝)様家臣であり平氏の我が家がその霊廟で金を稼ぐわけには行くますまい」

その気っぷの良さが後々まで語りぐさになり『流石北條よ』と畿内は元より堺商人と多田院氏子達により全国に知れ渡ることになる。

「所で南蛮人に対する名前は如何しますか?」

「それも考えておりまして、ジン○ャーエールと言うのは如何でしょうか?」

「神社エール???」

「それは如何なる意味ですかな?」

「南蛮では生姜事をジンジャーとか言うらしく、更に食事時などに飲む飲料をエールとかと言うそうです」

「なるほど、三田殿は博識ですな」

実際、英語読みなので、ポルトガル人やスペイン人には意味が不明になるかも知れないが、康秀がポルトガル語やスペイン語を知っているわけが無いので仕方が無い事である。

「いやいや、書物や又聞きですよ」

「それでも直ぐに出てくることは素晴らしいです」

「はは、食い物の知識だけですがね」

康秀の自虐ネタに白ける場。

「まあ、それはそうとして、多田院参拝者へは気が抜ける前に出せますが、南蛮人が持ち帰るには時間がかかり過ぎるかと思うのですが」

「流石は小西殿、目の付け所が違いますね。其処で私は南蛮人のギヤマンの瓶を用意させ、それに詰めて、コルクなる物で蓋をすれば良いと思いまして」

そう言いながら、堺で手に入れたガラス瓶(この当時は未だワインボトルは製造されていない)と木の蓋を持ち手際よくジン○ャーエールを詰め蓋をして確り蜜蝋で密封し鹿皮で蓋を押さえて縛り付ける。暫くしてから、再度蓋を開けたが、確りと泡が立つ。

「おお、此ならば、堺までなら余裕ですな」

「確かに、これを売れば、面白いですな」

その後、多田権現水は帝に献上され好評を得る。その為、多田権現水は名物となり、塩川氏と小西家、津田家の財源になる。更に堺で飲んだポルトガル人ルイス・フロイスはその著書日本史(Historia de Iapam)で『喉越し爽やかであり、酒のようであるが全く酔わず。子供にも安心して飲ませられる』と絶賛してる。多田権現水が欧州に紹介された結果、欧州やアメリカで似たような飲料が製造される発端となった。

(平野水は明治になり三ツ○サイダーの原水になりました。つまり天然炭酸水だったわけです)


弘治三年六月四日


■相模國 足柄下郡 小田原城


氏政室梅姫が懐妊して五ヶ月たった最初の戌の日の今日、帯祝いで岩田帯を巻く儀式が行われ、目立ってきたお腹を保護すると共に「岩のように丈夫な赤ちゃんを」という願いも込めた宴が開催されていた。

「祐殿、見事な飲みっぷりよの」

氏康が康秀の側室井伊祐を労っている。何故なら祐が井伊家嫡男として育てられてきた経験を元に北條家の子女に領地経営や武術などを教えていたからである。

「はあ、お恥ずかしながら、嫡男として育てられて来たため、こうした宴で率先して家臣一同と飲み明かしておりました故このような事に」

氏康の言葉に祐は照れる。

「まあ、良いではないか、今日はめでたき日よ、祐殿もじゃんじゃん飲んでくだされ、ささ」

「はっ、喜んで」

「ブファー!」

「良い飲みっぷりだな、ささもう一杯」

「はっ」



数時間後

「ウゲー、気持ち悪い」

「祐姉さん、いくら何でも飲みすぎですよ」

「妙殿、苦労かけてすまぬ」

酔っぱらった祐を妙姫が介抱している。

「それにしても、すごい量ですね」

「いやー、この焼酎に果汁を混ぜたのはのどごしが良くてついつい……オエー!!」

「それにしても、この状態は」

呆れる妙姫が見回せば周りは死屍累々状態で氏照や氏邦も青い顔で斃れている。

「しかし、変だな。このぐらいなら平気の平左だったんだけどな。年か……いやまだまだ俺は若いんだ……ウエップ!!」

祐は盥にゲロゲロと吐きまくる。

「ほら、お水ですよ」

「すまないな。あー旨い。よっしゃまた飲むぞ!」

「祐姉さん、少しは食べないと駄目ですよ」

そう言いながら祐の好物であるハマグリの佃煮を勧める。

しかし臭いを嗅いだ祐は吐きそうになる。

「ウゲッ、悪いけど最近その臭いが駄目でさ」

「体調がお悪いんでしょうか、飲み過ぎは本当に毒ですよ」

「んーここ最近、佃煮とか刺身とか、匂いのきついのとか、生臭いので気分が悪くなるんだよな。病気かな?」

「まあ、それは大変です。すぐにでも医師に診てもらった方が良いですよ」

「いやいや、それ以外は鎗振り回す程に体調はすこぶる良いし、飯とか酢の物とかはバリバリ食えるんだよな」

「不思議ですね」

「まあ、今日は飲み過ぎたんだよ」

「そうですね」

「しっかし、小鰭こはだの酢〆旨いなー、酒が進むこと進むこと」

「もう、祐姉さん」

「悪い悪い、ついついね……ウゲーッ!!」

又盥に吐きまくる祐であった。

翌日、妙姫は実家にいる女衆の中で母である瑞子姫に次ぐ最高位であるので、宴の終わったまま倒れている青い顔で死にそうな感じの氏照や氏邦に朝餉を出しながら、祐にも朝餉を出す。

「ほら、兄上、朝餉ですよ」

「ウゲゲゲ、頭痛てー!」

「うんー飲み過ぎた!」

妙姫は呆れたように二人を見ながら侍女に命じてテキパキと朝餉を渡させていく。

「祐姉さん、朝餉ですよ」

祐には自らが優しく朝餉を渡す。

「妙殿すまないー」

祐は湯気の出るホカホカの飯椀を受け取り箸で飯をすくい口元へ持って行くが、又吐き気が発生する。

「二日酔いで吐き気が……オエップ」

「あらら、御茶でも飲みますか?」

祐は青い顔で頷く。

「頼みます」

「やはり一度医師に診て頂いた方が宜しいかと」

心配する妙に頷く祐。

「判ったよ、暇な時に見て貰うわ」

「それが宜しいかと」


第肆拾貳話 九條稙通と言う人


弘治三年六月六日 


■山城國 京 内野


京を離れ二ヶ月で北條家一行は色々な成果を上げて京へ帰還した。

氏堯が建物の建設が始まった現場を見回っていると山科卿が訪ねて来た。

「御所の造営も滞りなく進みそうですな」

「此は山科卿。今日は如何しましたか?」

「なに、酒が切れたので貰いにな」

ニヤリと笑いながら仮屋に置いてある酒樽から焼酎を飲んでいる。

「それはそれは」

「まあ、噂やけど関白はんが、柳原亜相(大納言)家人の真継って言ううんと何やら頻繁に会っているそうやから、まあ気いつけることや」

山科言継は焼酎をガブ飲みしながら重要な情報を教えてくれる。

「ありがとうございます。後で酒はお送り致しましょう」

「そか、宜しゅう」

この後、風魔者に命じ近衞前嗣と真継久直を探らせ、二人の陰謀を探知する事になった。


弘治三年六月八日


■山城國 京 押小路烏丸殿おしこうじからすまどの(二條邸(後の二條御所))


帰洛した氏堯は康秀を伴い二条晴良邸へ赴き、二条晴良と九條稙通と会った。

「二條様、九條様、お忙しい中、申し訳ございません」

氏堯の挨拶に二條晴良、九條稙通がにこやかに答える。

「なんの、朝家の為に働いてくれる左衛門佐の頼みとあれば、断る術もないさかいな」

「で用事とは何やね?」

「はっ、お聞き苦しい事ととは存じますが、御所造営と皆様の御屋敷の建築も進み、今年中には完成の予定でございますが、我等の帰洛後の修繕などが滞る事が心配だと、左京大夫は心配しております」

「なるほど、確かにそうやな、今の御所の状態見れば、そう感じるのは至極普通や」

「先立つ物が無いさかい、修繕も禄に出来へんしの」

「左京大夫にはなんかええ考えでもあるんかい?」

「はっ、左京大夫は朝家、宮家には御料所を、摂家を筆頭とする公家衆と門跡には荘園を寄贈したいとの事、又地下家には年二十貫(二百万円)を永続的にお渡しするとの事にござます」

氏堯の話に普段から生半可なことでは驚かない二條晴良と九條稙通が驚きの顔をする。

「御料所に荘園かいな、殆どが横領されてしもうたからな」

「はっ、その為、御料所と荘園は我が北條家が責任を持ち管理し、年貢をお送り致す所存」

「わてらは管理せんでええ訳やな」

「はっ、管理に関しては厳格に行います故」

氏堯の話に二条晴良と九條稙通は喜んでいる。

「左衛門佐、左京大夫の朝家を思う得心あい判った。当今はんも嘸かし御喜びになるやろう」

二条晴良の言葉に氏堯は深く礼をする。

「そう言って頂くだけでも、都へ来た甲斐がございました」

それから雑談をした後、氏堯は屋敷から下がった。

「九條はん、ありがたいこっちゃ、此で朝家もわてらもええ目が見えて来たで」

二条晴良がニコニコしながら話しかける中、九條稙通は何やら考えながら頷いている。

「そうやな、そうかの」

その姿に全然気が付かず、喜んでいる晴良。

「そやそや、荘園が返って来るなら、薄い粥を啜ることも無くなるさかいな」

浮かれている晴良。

「そやそや、前祝いでもしましょっか?」

晴良の言葉に稙通が如何にも今思い出したかのように言う。

「しもうた!二條はん、すっかり忘れとった、午後から客を待たせておったんや」

「ありゃ、九條はん、それはいかへんな、しゃああらへんから、宴は又今度にしましょか?」

「そやな、えろうすまんね」

「いやいや、ええってこっちゃ」

いそいそと二條邸を後にする九條稙通だが、帰りながら家臣に何やら話しかけ、その家臣は直ぐさま氏堯の後を追い氏堯に稙通からの言付けをした。


弘治三年六月八日 夜半


■山城國 京 九條邸


九條稙通から密かに会いたいと言付かった氏堯と康秀は夜陰に乗じて風魔者の手引きで九條邸へ忍び込んだ。

「九條様、左衛門佐にございます」

稙通は庭園に現れた氏堯と康秀一行にも驚かず、離れへと案内する。

「こっちや」

こぢんまりとしてうらぶれた感じのある離れへ入ると、周りを風魔者が監視した。

「えろう、厳重やな」

「此方としましても、名指しで呼ばれました以上、こうするよりは」

神妙な顔の氏堯を見た稙通が笑い出す。

「クックック、そう畏ばることはないで、此は雑談や雑談や、堅苦しゅうせいへんことや」

普段と違う稙通の態度に氏堯も康秀も驚く。

「雑談と申しますと?」

「それが堅苦しいっていうんや、此処に居るのは太閤九條稙通やなく、単なる飯綱いいずなの法(魔法)使いよ」

笑いながらそう言う稙通に氏堯も康秀も呆気に取られる。

「最近は成就したらしゅてな、自分が寝るところには、必ずその頭上の木に梟が留まるし、道を歩けば必ず旋風が起こるようになったんや」

「はっあぁ」

「まあ、ええわ。それより、さっきの話やけど、あれには裏があるやろう?」

「先ほどの話と申しますと?」

「御料所と荘園や」

鋭い質問に氏堯の目が泳ぐ。

康秀は、織田信長が足利義昭を奉戴して上洛した時、稙通は信長を見ると、立ったまま『上総介か、上洛大儀』と言い放ってプイと出て行った。九條稙通の逸話を思い出していた。

稙通は氏堯の目の泳ぎを見てニヤリと笑うと言い放った。

「左衛門佐、左京大夫の狙いは朝家や我等の救済だけでは無かろう?」

流石に、海千山千で信長、秀吉にさえ屈しなかった稙通である。その鋭い感覚で北條の裏の狙いを感じ取ったらしい。

此処は、氏堯としても疑念を持たれたままでは、折角の友好感を削ぐ可能性があるために真実を話す。

「はっ、九條様の仰る通り、左京大夫としては、朝家の復興もありますが、それに続いて関東の民の平穏を求めております」

「そやな、左京大夫の領土では民草が生き生きしてるそうやからな」

「しかし、我が北條家は関東では新参者、他國の兇徒と未だに言われる始末。特に先の関東管領上杉憲政を擁した越後守護代長尾景虎は攻め込む気満々にございます。又海の向こう安房の里見義弘さとみ よしひろも海賊衆を使い三浦半島で夜陰に隠れ無辜の民を襲い攫い犯し殺しております」

「うむ、長尾は確か先々代が、徳大寺大納言を括り殺して、越後國主と関東管領も殺しとるさかい、野蛮なんやろうな」

「はっ、当家は先の関東管領上杉憲政様と戦いはしましたが、殺害まではしておりませんし、御子息龍若丸様も無事お返し致しました」

「筋は通したって言う訳やな」

「はっ」

「しかし、里見っ言うんは碌な事をせんな」

「元々、謀反人足利持氏あしかが もちうじの家人にて、持氏敗死後にその子息達を旗印に無謀な叛乱起こし、敗北後に安房へ逃げ込み、混乱に乗じて安房を横領したのございます。更に現当主 義弘の父 義堯よしたかは、当主になる為に本家で甥の義豊よしとよを葬り去る際に、我が家の援助を受けたにも係わらず。当主になるや北條家を裏切りました。また義弘は昨年には尼僧一人のために鎌倉を焼き討ちし、その尼僧を攫い妻にしたのです」

「何とも、高くつくことやな。その尼僧は何者なんや?」

「はっ、古河御所の傍系、足利義明あしかが よしあきの忘れ形見で青岳尼しょうがくにと申します。若き頃から義弘は姫の美しさに心奪われ、姫に恋焦がれる余り、我慢できず攫うためだけに鎌倉を焼き討ちするという暴挙を働いたのです」

「何とも、源氏物語みたいやな、源氏物語はええ物語やが、あれは作り話や、それを地でいくような行動、当今はんが知ったら、激怒しそうや」

「はっ、その為だけに沢山の無辜の民が悲惨な目に会いました」

「そやな、為政者としては最低な行為や」

「民をい守る為に、長尾勢と里見勢が攻め込む際に通らざるを得ない地を御料所と荘園としたいのです」

「なるほど、朝家と麻呂達の土地なら攻め込めないっていう算段かいな」

「仰る通りにございます」

「せやけど、餓狼のような兇徒にはそんな事、効かへんと思うで」

氏堯の話に稙通は思案しながら疑問の述べる。

「はっ、しかしそれにより帝の御料所を荒らす朝敵として我が家が堂々と攻撃できます」

「悪い考えやな、せやけど、そうでもせんと坂東の民草を守れへんやろうな」

「その通りにございます」

「せやな、当今はんの御心思うたら、協力も吝かやないで」

「ありがとうございます」

「ええんや、けどほかの者んに知れたらやっかいやな」

「はっ、その為に九條様に……」

氏堯が九條家にはそれ相応の礼をするのでと言おうとしたが、稙通はそれを遮る。

「そう言う訳や無い、金が欲しゅうて言うとる訳やない、帝に御心労を懸けないようにして欲しいだけや」

「それは十重に」

「そならええが、それにしても、左衛門佐にはええ相談者がおるな」

稙通が康秀を見ながらニヤリと笑う。

「如何なる事でございましょうか?」

「ククク、それやそれ、左衛門佐は武人としては一流やが、麻呂達と付き合うには未だ未だやな。話の節々で小童を見てるんがバレバレや。あんじょうせんと麻呂以外にもばれるで」

稙通は笑いながら氏堯と康秀を見ている。

「はてさて、その様な事は」

氏堯の額に脂汗がにじむ。

「誰にも言わへん、其処の小童名は何と言うんや?」

稙通の追及に仕方なしに答える。

「平朝臣三田長四郎康秀と申します」

「女地頭の噂は山科卿から聞いとるで、傑作やな久びさに笑わせてもろうたわ」

稙通は康秀をニヤニヤ見る。

「お恥ずかしい次第」

「左衛門佐、左京大夫でも幻庵宗哲でも今回の様な事は思いつかないやろうな。発想が違いすぎるんや、麻呂かて、若い頃から困窮で摂津国や播磨国を流浪したが、ただ放浪してた訳やないで、婿の讃岐守(十河一存そごう かずまさ)と共に戦場へ出た事かて有るんやから、引き際も弁えとるし、海千山千を対処人してきたんやから、人を見る目は確かやで。それに、本願寺を天竺料理で懐柔したんも、それだけでは無く料理できるもんしか判らへん機微ってもんがあるやろ」

稙通の指摘に流石出来ると康秀は感心していた。

「はっ」

「単刀直入に言うで、麻呂も悪巧みに参加させて欲しんや」

稙通の言葉に氏堯と康秀は、はぁっという顔で驚く、それを見て稙通は大笑いする。

「アハハハ、それやそれ、それが未だ未だ未熟なんや、麻呂達に対応するには腹芸が足りへんのや」

「九條様の仰る通り長四郎が今回の発案者にございます」

氏堯が遂に降参して真相を話したが、康秀にしてみれば言っちゃうのかという感じであった。

「やはりのー、安心せい、話はせえへん」

「九條様、其処だけは必ずにお願い致します」

氏堯と康秀が頭を下げて懇願する。

「ええで、此で面白うなるで、どうせ男児が無く家は兼孝(養子)に継がせるだけやし、楽しみは源氏物語読むだけやったからな、よろしゅうな」

稙通のはっちゃ気振りに溜息をつく氏堯と康秀であった。


第肆拾参話 征東将軍


弘治三年六月八日 夜半


■山城國 京 九條邸


「九條様に是非お願いしたき議があります」

「早速やな、なんや?」

「はっ、さる御方との会談をお膳立て頂けないでしょうか?」

「会いたい言うのは誰何や?」

「その御方は……」


弘治三年六月十五日


■畿内某所の門跡寺院


氏堯、氏政、康秀が九條稙通に願い出た去る門跡との会談の為、畿内某所へ向かった。

「門跡様、本日はお会い頂き忝なくぞんじます」

「太閤殿(九條稙通)から話は聞いています。しかし世俗から離れた拙僧に何の用でしょうか?」

氏堯から門跡様と呼ばれた僧がにこやかに返答する。

「はっ、詳しくはこの者に」

氏堯に指された康秀が話し始める。

「三田長四郎康秀に御座います。いきなりで失礼とは存じますが、門跡様は昨今の仏僧の堕落について如何お考えでしょうか?」

「此はまた敵厳しいですね。確かに昨今の仏僧は鳥獣を喰らい女を抱き子を作るなど、戒律にそぐわない行為をする者が多いことは事実ですが、真面目な仏僧もいる事も事実です」

康秀の微妙な質問にも嫌な顔一つせずに真摯に答えてくれる。

「更に失礼は承知の上で門跡様にお聞き致しますが、昨今本邦に入ってきたデウスの教えをどうお想いでしょうか?」

「此は又、三田殿は仏僧たる私にその質問をしますか」

「はっ、是非ともお願い致します」

此も完全に失礼な質問であるが、門跡は感情論に囚われずに答える。

「ふむ、そうですな。拙僧もさほど詳しくありませんが、その者達が奉仕滅心にて貧しき者達へ行う布施、医療など、我々も参考にすべき点も有るようですね」

「はっ、堺などで聞く限りはその様な話が多いのですが、私としても門跡様よりご意見を頂きたく、色々調べた結果、驚くべき事が判ったのです」

「ほう、それは如何様な事ですかな?」

康秀の言葉に興味津々の門跡。

「はっ、彼等の事を我等は南蛮人と申しておりますが、実際には葡萄牙人ポルトガル西班牙人スペインと申すそうにございます」

「なるほど、南蛮とは唐の言葉で南方の蛮人という意味ですからね」

「彼等の國は、本邦より遙か西の彼方、天竺より先にございます。その距離凡そ一万六千里(11000km)ほどだそうにございます」

「なんと、万里の彼方より信仰の為に参ったと言う訳か、まるで玄奘三蔵法師様の様な者達ですね」

門跡が艱難辛苦を越えてきて布教の旅をするとはと関心してる。

「門跡様、全てが全てその様な高尚な人物では御座いません」

「そうでね、確かに人がいればその人数だけ煩悩と言う物がありますから」

「はっ、彼等は真面目に布教しておりますが、その後にいる葡萄牙、西班牙の目的は、世界征服と自らの民族以外の総奴隷化なのです」

康秀の話に驚く門跡。

「なんと、それは真ですか?」

「はっ、我等が調べた事でございますが、デウス教えの最高権力者に羅馬ローマ教皇という人物がいるそうですが、その教皇が百年程前、ポルトガル人以外の異教徒の土地は全てポルトガル人の物であり、異教徒を永遠の奴隷にして良いとお触れを出したとのこと」

「何と、傲慢な。御仏はその様な事をお許しには成りません」

「門跡様、我等の手の者が西國にて調べた事ですが、西國ではデウスに入信した者達が、神社仏閣、墓、位牌などを破壊し、更に仏僧を迫害しているようにございます。何でも彼等の教えでは、仏教も神道も全て異教であり邪教であると教え、デウスを信じぬ者は全て悪魔の手先であるから容赦は不要だそうにございます」

門跡が康秀の話し信憑性を感じて静かな怒りを見せる。

「なんと余りに独善的で排他的な事をする。その様な教えを広げるとは許せませんね」

「更に、彼等葡萄牙商人は在地の領主に武器弾薬を供給する代わりに、人身売買にも手を染めているのです。戦で捕獲された民を一人数文で買い取り、更に火薬の原料の硝石一石(150kg)をうら若き乙女五十人と交換し、海外へ売り飛ばしている事が判っております」

「その様な無体がまかり通るとは」

「人の欲とは底知れぬ物にございます。彼等は、白き肌をしていますが、それは神より支配者として認められた姿であり、それ以外の肌の色をしている者は家畜であると考えも有るようです。現に海の向こうにある大陸の國々は、西班牙の金危棲蛇怒屡コンキスタドールなる者達により滅ぼされ、富は奪われ、女は犯され、人々は奴隷として虐げられているとのことにございます」

「なんと、南蛮人は其処まで危険な者達なのですか」

「はっ、印家インカという國の帝は比詐呂ピサロなる者と会談中に囚われた挙げ句、人質とされ全ての財宝を奪われた末に括り殺されたとの事」

「なんと由々しき事態ぞ。数年前にザビエルなる者が上洛し、帝と公方への拝謁を願ったが、それが侵略の準備だったとは、危うく帝のお命が危険に晒される所であった」

門跡は康秀の話にザビエルを危険な人物だと考えた。しかしフランシスコ・ザビエルは真面目な宣教師だったので、康秀も流石に誤解させたら不味いのでフォローする。

「聞くところに依りますと、ザビエルなる者は純真な宣教師だったとのこと、問題はその様な純真な者を利用する悪しき輩にございます」

「なるほど、確かに仏僧にも救いのない者もおりますが、真摯に御仏に使える者達も大勢おりますから、その事は理解できますが、人を人とも思わぬ教えは我が國にはそぐわないですね」

「はっ、今は西國と堺などで少数の信徒がいるだけですが、何れ我が國の富と民の多くを持ち去ろうとするで有りましょう」

「三田殿の懸念は尤もですね。この件は拙僧から帝へお伝え致そう」

「はっ、何れ西國へ向かえし者達が更に詳細な資料と、売られた者達を取り返して来ますので、その際に再度門跡様に確実な証拠をお渡し致します」

「それは重畳です。帝も民の事で非常に御心をお痛めです。少しでも民に幸せが来る様に我等も致さねば成りませんね」

そう言う門跡に氏堯と康秀が畏まって懇願する。

「門跡様、その為に門跡様に関東へ下向して頂きたく存じます」

何がその為なのか判らずに、門跡様が考え込む。

「拙僧には、寡聞にして存じぬ事ですが、何故ですかな?」

「はっ、関東では、応永二十三年(1416)の上杉禅秀うえすぎぜんしゅうらん以来、戦乱が留まることを知らず続いておりましたが、昨今元凶とも言える関東管領上杉兵部少輔(憲政)殿を追討致しましたが、管領殿は越後へ逃走致しました。

彼の地の守護代長尾弾正少弼(長尾景虎)は管領殿を保護すると上杉の家名と関東管領職譲渡を条件に支援を決し、関東へと攻め込もうとしております」

「なるほど、しかしそれがどうデウスの教えに係わるのでしょうか?」

「はっ、現在当家は西國などから葡萄牙商人により売り飛ばされる民を博多商人神屋紹策、嶋井茂勝達に買い戻させております。そして彼等の新たな受け入れ先として関東に迎え入れる為の準備を致しております」

「なるほど、西國で迫害されし民を関東で慈しむ事をを目指す訳ですね」

「はっ、今現在の我が國の現状では全ての民を護る事は出来ません。それならば救える限りの民を救い出そうとの考えにございます」

「つまり、その為に拙僧の下向が必要と?」

「はっ、門跡様に還俗して頂き、是非とも征東将軍せいとうしょうぐんとして坂東へ下向して頂きたく、失礼を承知の上でお願い致しております」

氏堯氏政康秀が深々とお辞儀をする。

「しかし征東将軍とはまた、古い物を持ち出しましたね」

「はっ」

「しかし、確か北條殿は古河公方殿を自家薬籠中じかやくろうちゅうの物に為さっているはず。更に古河公方殿より関東管領職に任命されているのでは?」

「その通りでございますが、現古河公方足利左馬頭様(義氏)は前公方晴氏様の御次男、本来公方になるはずであった御嫡男藤氏殿を押し出しての公方就任にございます。その為に左馬頭殿の公方就任を認めない勢力が多々有るのです」

「なるほど、その最右翼が関東管領上杉兵部少輔殿と長尾弾正少弼殿ですか」

「はっ、更に佐竹右京大夫殿、里見刑部少輔殿(義堯)も同意見といえましょう」

「なる程、御神輿が多くて収拾がつかない訳ですね」

「左様にございます」

「ふむ、それで拙僧に征東将軍に成れと言われるか」

「はっ、現在の情勢では遅かれ早かれ長尾や里見が牙を剥くは必定、例え左馬頭様が命じましても、彼方は自分達で藤氏殿を公方として押してくるはず」

「なるほど、それでは左馬頭殿がいても何の役にも立たないと」

「はっ、その通りにございます」

「征夷大将軍に対するのは征東将軍ですか」

「はっ、征東将軍は木曾義仲きそ よしなか敗死以来、一時的に足利尊氏あしかが たかうじ就任して以来、凶位として誰も就任しておりません、更に鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんと違い征夷大将軍と同格の上、同時に存在してはならないと言う前例がございません」

「随分と古いことを知っていますね」

「関東静謐の為に調べましてございます。凶位と申しましても、門跡様は徳高き高僧にございます。さすれば、凶事を調伏し慶事になるが道理にございます」

「しかし面白いですね。凶事でも拙僧がなれば慶事になるとは、穢れの逆転ですね」

「はっ、関東静謐の為、國を襲う國難の為に、門跡様には、鎌倉に下向して頂き、征東将軍として鎌倉府を開いて頂きたくお願い申し上げます」

「その場合、北條殿が執権となる訳ですね」

「仰る通りにございます」

「鎌倉将軍府と古河公方が両立しては些か困るのでは?古河公方殿は如何するのですか?」

「はっ、古河公方様は公方と称されていますが、実際には関東総奉行職のような物、征夷大将軍ではございませんから、征東将軍の方が格が上になります」

「そうなると、鎌倉将軍府は征東将軍の拙僧、執権の北條左京大夫殿となる訳だが、他の諸大名は如何致すおつもりかな?」

「はっ、佐竹左京大夫殿には副執権或いは侍所別当に就任を働きかけたく、その際には門跡様のお口添えをお願い致したく」

「なるほど、一番の敵ならば味方に引き込んでしまえと言う訳ですね」

「はっ」

「しかし、佐竹は誇り高き一族でしょう。それに言っては何ですが、北條は他國の兇徒と嫌われているのでは?」

「はっ、その通りにございますが、佐竹は筋を通す一族にございます。特に現当主右京大夫殿(義昭)、嫡男徳寿丸殿(義重)は高潔な人物と聞き及んでいます」

「なる程、朝廷が直々に命じた征東将軍が開府した鎌倉将軍府であれば、佐竹も話に乗ると言う訳ですね」

「そうなると、拙僧は山車だし(出汁と御神輿を懸けている)になる訳ですね」

「はっ、真実を申しませばその通りにございます」

「ハハハ、面白い事よ。普通の者であれば、拙僧の機嫌を取るために『傀儡など滅相も御座いません』と取り繕いますのに、三田殿は真正直に拙僧に傀儡になれと言われる」

「國難の為に坂東にて王道楽土を目指しますれば、嘘偽りを申す訳には参りません」

「確かにそうですね。拙僧は此処で北條殿、三田殿が耳心地の良い話をしてきたら、断るつもりでしたが、北條殿も三田殿も真正直に話して下された。此処は拙僧の力が何処まで役立つか判りませんが、東国下向も吝かではないです」

その言葉に再度お辞儀する康秀達。

「南蛮人のことも含めて主上にも相談致さねば成りませんね。その際には三田殿も昇殿して貰いますぞ」

「しかし、私には官位がございません故」

「なんの、拙僧とて門跡をしているのですから、伝手ぐらいは有り申す。西國よりの証拠の品々が参ったら帝へお伝えし、昇殿を出来る様に取りはからおう」


第肆拾肆話 近衞前嗣の陰謀弐


弘治三年(1557)六月十七日


■京 内裏建設現場


「左衛門佐様、大変な事が起こりました」

内裏建設現場で資料を見ていた北條氏堯の元へ内裏建設の頭領 中井正信なかいまさのぶが訪ねて来て心底困った顔で話かけてきた。

「中井殿如何しましたかな?」

「はい、帝の浴槽や宮殿の飾りを頼んでいた鋳物師が皆、仕事が終わらずに其方を進める為に、此方の仕事をする事が出来ないと連絡がございまして」

「それは又何故ですか?」

山科卿からの忠告の後、近衞前嗣と真継久直を調べた氏堯にしてみれば、敵が仕掛けて来たかと思ったが、その様な事をおくびにも出さずに対応する。

「はい、何でも鋳物師は鋳物師の元締めたる御蔵職真継殿の支配下に有るのですが、真継殿が数ヶ月前から高野山の本殿修理に鋳物師を派遣していたそうですが、その期間が延びたそうにございます」

高野山を出汁に使っては、帝と言えども文句が言えない、ましてや一介の田舎大名なら尚更と言う訳かと

氏堯は近衞前嗣と真継久直の考えに反吐が出る思いであったが、顔には出さずに中井正信に対応する。

「なんと、内裏造修という禁裏御用でありながら、それが出来ないと言う訳ですか」

「はい、真に無念ながら、鋳物師が作るはずであった品々が未完になる恐れが出ております」

氏堯は神妙な顔で生真面目に眉間に皺を寄せる正信を少々からかって見るかと思った。

「中井殿、それは困りますな、鋳物師の代わりに鍛冶を使う事は出来ませんかな、同じ鉄や銅を扱う職ではないか?」

氏堯の話に正信は頸を振って否定する。

「左衛門佐様、それは無理にございます。確かに鋳物師も鍛冶も鉄や銅を扱いますが、仕事の方法が全く違います。とてもとても納得のいける物は出来ません」

「うむ、さすれば何か考えねば成らんな、中井殿の伝手で鋳物師を集めることはできんか?」

「私もそう思い地元の大和へ連絡を入れたのですが、何故か大和鋳物師も興福寺鐘楼鋳造で手が足りぬと言われまして」

中井正信が済まなそうに答える。正信は鋳物師が来ないと知って直ぐ早馬で伝手をあたっていたが全て寺社の仕事が入り手が離せない状態になっていた。

それは近衞前嗣と真継久直が暗躍し、堺が手当を付ける河内鋳物師や中井家が伝手を持つ大和鋳物師を朝廷は疎か幕府にも手が出せない高野山や興福寺の仕事をさせる事で鋳物師を懐に抱え込んでいるからであった。

「うむ、それは困った。都で差配できない場合は腕は劣るが小田原より鋳物師を呼ぶしか有るまい」

氏堯の苦悩している姿を見て、正信も苦悩している。

「はい、左衛門佐様、それで宜しくお願い致します。此方も他の伝手をあたって見ますが、今の所は出来る限り鋳物師の仕事を最後に廻すように致します」

「うむ、宜しく頼む」

「はい」

中井正信が作事場に戻ると、数人の番匠大工達がやって来て氏堯との話を聞く。

正信が小田原から鋳物師を呼ぶ話をすると安心したのか皆仕事に戻っていった。

その夜、人目を伺うように近衞邸へ入る一人の番匠大工の姿があった。


弘治三年六月二十日 午前


■京 近衞前嗣邸


中井正信との話の三日後、北條氏堯は近衞邸へ呼び出された。

一応関白であるから礼儀正しくしてはいるが、氏堯にしてみれば敵地である。

「関白様にはご機嫌麗しく存じます」

氏堯の挨拶を聞いても扇子を閉じるだけでまともに答礼もしない。

「そか」

「関白様、本日は如何なる御用にございましょうか?」

何も言わないので氏堯が聞く。

「左衛門佐は流石鄙者よ、挨拶仕方も判らんようやな」

腹が立つがじっと我慢で頭を下げる。

「申し訳ございません」

「まあ、ええわ。所で左衛門佐、噂では内裏に必要な鋳物師が揃わんというて、坂東の鄙者を呼ぶとかいうが、帝のお使いにならしゃる物は畿内の物でなければ、麻呂としては納得できまへんな」

関東からの鋳物師は罷り成らんと言う態度の前嗣にイラッとする氏堯だが顔には出さずに話す。

「お言葉ではございますが、河内も大和も鋳物師が皆寺社の仕事で手が離せぬとの事にございますれば、他國の者を使うのも仕方なき仕儀かと存じます」

氏堯の反論に全く動じず前嗣は坦々と話し続ける。

「そこでや、高野山も興福寺にも麻呂が話しても良いぞ」

氏堯としてみればアホらしいが、前嗣の話しを聞き出す為に光明が見えたように喜色を顔に出す。

「関白様、それは如何様な事にございましょうか?」

「何と言うても帝の為や、高野山も興福寺も関白たる麻呂が話せば鋳物師仕事の延期ぐらいはしてくれるはずや」

「おお、それは是非お願い申し上げます」

床に頭を擦りつけるように氏堯はお辞儀する。

それを見ている前嗣はしてやったりと腹の中で笑っているが、実際は康秀の掌で踊っているにすぎない。氏堯の我慢強さがこの会見の胆であったが、見事に康秀の期待に応えている。

「そこでや、高野山と興福寺は麻呂が何とかするが、鋳物師を呼び戻すんは御蔵職の真継兵庫助に、話さねばならんのやけど、兵庫助は柳原家やなぎわらけの家人や、そやから本来なら柳原家の資定すけさだはんを仲介にせねばならへんのやが、黄門(中納言)はんは、未だに荘園のある因幡へ行ったきり帰洛してへんのや。それでな代わりに麻呂が仲介をしてもええがどうや?」

「関白様、宜しくお願い申し上げます」

「ええことや」


弘治三年六月二十日 午後


氏堯が帰った後、近衞前嗣は奥座敷で真継久直と話ながら笑っていた。

「ホホホ、幾ら北條言うたかて、麻呂に掛かれば単なる坂東の端武者よ」

「真に、阿衡あこう(関白の唐名)様は役者にございますな」

前嗣は久直の追従に満更でない顔をする。

「ホホホ、あの顔を見たか、あの土下座を見たか、愉快愉快や」

「真に、此で北條領の鋳物師も我が支配下に持って行くことが出来ます」

「ほんまやな、御所造営で鋳物師がいない訳にはいかんからの、ホホホ、兵庫そちも悪よの」

「恐れ入ります。しかし此で、阿衡様も北條の輩の首根っこ押さえられたん違いますか?」

久直の指摘に畳んだ扇子をクルクルと回しながら前嗣はニヤリと笑う。

「それが言わぬが華や、此からジリジリいじめ抜いてやるさかい、兵庫そちも精々奴等をじらすが良いぞ」

「はっ、それは心得ております」

「ホホホ、御所の外見は出来たが飾りや調度品が間に合わねば、帝のお怒りと失望は大きくなる訳や、その後不興は北條と連んだ二條や九條の阿呆に行く訳や、これで麻呂の太政大臣の障害が無くなる訳や」

「真におめでとうございます」

「兵庫、そちも全国の鋳物師の総元締めや、目出度いの」

「はっ。しかし」

「どないしたんや?」

「はっ、万が一鋳物師を何処から連れてきた場合どうしようかと」

「ホホホ、兵庫は心配性やな、万が一の時は、応天門のように焼いてしまえばええだけや、それであの番匠大工も永遠に口噤ませればええだけやから、麻呂と兵庫は知らぬ存ぜぬや」

「なるほど、阿衡様のお考え素晴らしく存じます」

「ホホホホホ」

「アハハハ」


弘治三年六月二十日  午後


■京 内裏建設現場


氏堯が近衞前嗣邸から内裏建設現場の外れにある屋敷に帰宅すると既に関係者が集まっていた。

「叔父上御苦労様でございました」

「左衛門佐、その顔では相当疲れたようじゃな」

「御苦労様でございました」

氏政、九條稙通、康秀達がニヤニヤしながら待っていた。

「フッ、その通りにございます」

氏堯は不敵に笑う。

「左衛門佐、近衞はんはどんな無理難題を吹っかけてきたんや?」

九條稙通がワクワク顔で聞いてくる。

「はい、鋳物師を呼び戻す為に関白様が骨を折ってくれるとの事にございます。更に呼び戻す為に御蔵職の真継兵庫助にも話をして頂けると」

氏堯も態々関白に様を付けて大仰しく話すが、顔は完全に笑っている。

「なる程な、近衞はんは朝臣の鏡やな、帝の為に骨を折ってれるんやから」

稙通は完全に笑いながら近衞前嗣を賞める。

「真にございます。当家としても関白様に如何様な御礼をしたらよいか判りませんな」

「そやな、どうや左衛門佐、いっそ北條家の家督を近衞はんの弟で聖護院しょうごいんにいる道澄どうちょうはんの譲ったら」

笑いながら稙通と氏堯が掛け合いを行う。

「それは面白うございますな、祖父早雲庵宗瑞も嘸や喜びましょう」

そんな中、隣の座敷から笑い声と共に一人の人物が現れた。

「カッカッカ、此は面白い、太閤様も左衛門佐殿も冗談がお好きなようですな」

「蔵人か」

「此は此は、山科卿」

現れたのは笑いながら酒徳利から酒をラッパ飲みする山科言継卿であった。

「太閤様、左衛門佐殿、話は聞きましたぞ、酒を貰いに来たついでに長四郎と話し合っていましてな」

挨拶の後、場を仕切り直して氏堯、氏政、康秀、稙通、言継が参加し話し合いが始まった。

「先ほどのように、関白と御蔵職が奸計を働かせ御所造営を自らの出世と金儲けの道具にする気満々なのは此方の調べで明々白々にございます」

「近衞はんらしいと言えば近衞はんらしんやけど、余りに悪手や」

稙通が先ほどのおちゃらけとうって変わった表情で呟く。

「そうじゃな、関白はんは焦ってるんや無いやろうか?」

言継の指摘に皆がどうしてなのかと質問する。

「山科卿にはどの様に思われるのでしょうか?」

「聞くところに依れば、関白はんは北條はんに些か鬱積した感情があるそうや、それに最近は帝や東宮のご信頼は二條はん、九條はんに傾いているのは自明の理や、恐らくその辺りの鬱積が北條はんを叩くことで相殺する気やとおもうんやけどな」

言継の指摘に頷く面々。

「なるほど、それに以前我が家に鋳物師の差配をけんもほろろにされた真継が繋がった訳ですな」

「そうじゃな、跡継ぐ為に新見はんの跡継ぎを餓死させた兵庫助なら悪知恵も働くとおもうで」

氏政の話に言継が賛同する。

「しかし、個人的な虚栄心、出世欲、金銭欲で心待ちにしておられる主上の御心を踏みにじるとは許せんやからや」

「太閤様の言う通りです。我等も薄汚い考えには反吐が出ます」

話が進むにつれて参加者全員の顔から笑いが消え、苦々しさを感じ高のように眉間に皺を寄せはじめた。

「太閤はん、畿内の鋳物師以外は罷り成らんとは、そんな決まりなかったんやないか?」

言継の質問に稙通が答える。

「そやな、そんな決まりは無いと思うで、そやけど関白の言う事やからな、嘘でも誠になるんや」

元来小田原から鋳物師を呼ぶことで、近衞前嗣と真継久直の悪巧みを崩す予定で、稙通から畿内の鋳物師でなければ罷り成らんと言う事はないと言う答えを期待していたのに、その期待が破れ先ほどまでの明るさは消えて座敷はお通夜のようになる。

すると、稙通が居住まいを正し、氏堯に向かい深々と礼をしながら話す。

「左衛門佐、主上の御心中を思えば御所造修を止める訳にはいかんのや、無理は承知やが、真継の無理難題を聞いてくれんやろうか頼むこの通りや」

時の太閤の土下座である、それを見て皆が凍り付く。

やっと氏堯が稙通に話かける。

「太閤様、お顔をお上げ下さい、我等も主上の御心中を思えば否応がありません」

「左衛門佐、済まぬ済まぬな」

「太閤様」


第肆拾伍話 再度本願寺へ


弘治三年六月二十三日


■攝津石山本願寺


顯如と三條家息女春子姫との婚姻準備で慌ただしい本願寺に身分を隠した九條稙通と康秀が訪れたのは、近衞前嗣と氏堯との会談が行われた三日後だった。康秀は堺に関東からの荷が届いたのでそれを受け取りに来たというのが摂津へ向かう理由となっており、九條稙通は病で休んでいることにして、康秀の近習として参加していた。

「急の訪問すまぬな」

「急にお訪ねし真にもう訳無く存じます」

稙通が気さくに、康秀が顯如にお辞儀しながら突然の訪問を詫びる。

急に康秀だけでなく九條稙通が現れたことに些か顯如も驚いていたが、ごく普通に対応するだけの冷静さは持っていた。

「何の、太閤様と義兄弟殿の訪問は嬉しきことです。お気になさらずに」

顯如はにこやかに稙通と康秀の訪問を喜ぶ。

「ありがたや」

「ありがたく」

「して本日は如何様な用があっていらっしゃったのですかな?」

「麻呂は、婚姻の祝いを言いに来たのよ」

「私は、婚姻の儀に相応しい料理をお伝えしようかと思いまして」

「なんと、お気遣い真にありがたく」

その後、康秀が押し寿司や色とりどりのちらし寿司などを作り皆に振る舞った。

「いやはや、この錦糸卵は鮮やかですね」

「此方の飾りも素晴らしい」

康秀の料理は相変わらず好評であった。

その後、顯如は下間頼康、頼廉親子と共に稙通、康秀と話し始めた。

「太閤様、三田殿、今回の訪問は料理だけでは有りますまい。真の目的は如何様な事でしょうか?」

流石若いとはいえ、顯如上人である。稙通、康秀訪問の裏の理由が有る事をかぎ分けていた。

顯如の問いに康秀は今までの和気藹々の姿を正して真顔で話し始めた。

「はい、実は現在我が家は御所造営を行っており、そろそろ仕上げにかかる時期となり、鋳物師が必要なのでございますが、鋳物師が全く集まらない状態なのです」

康秀の話に顯如、頼康、頼廉も不思議そうな顔をする。

「三田殿、それは可笑しいのでは?そもそも御所造営は国家的事業と言えましょう。それに朝廷の諸国鋳物師御蔵職いもじみくらしきより鑑札を受けている鋳物師が集まらぬとは、いったい何が起こりましたのか?」

顯如が驚いたように稙通と康秀を見て質問してくる。

その質問には稙通が答えた。

「実はの、御蔵職の真継兵庫助が鋳物師全てを高野山と興福寺の仕事に就かせてしもうて、左衛門佐は仕方なく関東から鋳物師を呼ぼうとしたんやが、阿衡が許しをださんのや」

「なんで、御蔵職はその様な事をするのでしょうか?」

不思議そうな顯如達。

「実は以前真継兵庫助が当家に諸国鋳物師御蔵職の偽勅を使い当家領内の鋳物師を支配下にする為に画策したのですが、左京大夫がそれを見破りけんもほろろに追い返したのでございます」

「なるほど、虚仮にされたのを怨んでの仕儀と、さすれば阿衡殿も同心と言う事でしょうな」

流石は顯如である、直ぐさま近衞前嗣と真継久直の枢軸を読み切った。

「このままでは、御所の造営が遅れてしまい、帝の御心中を察すれば、口惜しいながら真継に頭下げねばならない状態になりつつあるのです」

「なるほど、しかし北條殿にしてみれば、薄汚い陰謀にて御所を汚したくない訳ですね」

「そや、麻呂も主上と東宮のお住まいになる御所を汚したくはないんや」

「はい、更に偽勅などで、坂東に住まう者達へ負担を増やしたくもございません」

康秀の言葉に顯如が眼を細めて頷く。

「太閤様と三田殿の心意気、素晴らしき事なれど、如何致すおつもりですか?」

康秀が再度身を整え顯如に向かい深々とお辞儀しながら話す。

「その為に、本願寺に現在集まっている鋳物師をお貸し頂きたく、お願い致します」

顯如も頼康も頼廉も咄嗟のことで意味が判らなかったが、次第に判り難しい顔をする。

「なるほど、婚姻の準備を延期して鋳物師を御所造営に派遣せよと言われるのですね」

「はい、上人様の御婚儀の準備を止める事と成りますが、是非お願いしたく」

「三田殿、その様な仕儀、門徒衆が認める訳がございませんぞ」

「鋳物師達は上人様のお祝いに石山まで来ている者達、彼等に上人様の祝言の品々を差し置いて御所造営に派遣せよと言えませんぞ」

「それに、門徒衆の鋳物師は加賀、三河、伊勢などから来た者達ばかり、関白殿の言う畿内の鋳物師では有りませんぞ」

頼康、頼廉が次々に無理であると理由付ける。

其処を康秀が床に頭を擦りつけ懇願しながら理由を一つ一つ論じていく。

「今回の御所造営は後土御門帝より実に100年ぶりの譲位の為でございますし、大嘗祭の為でもございます。朝家の復興の為と心待ちにしておられる主上の事を考えますと、是非にご協力をお願いしたいのです。それに主上はこう思いになるやも知れません“顯如上人は自らの婚姻の準備を延期してまで、御所造営に鋳物師を派遣してきてくれた。本願寺は主上の為にこれほどまでに尽くしてくれるとは”となれば、主上は御感動し、蓮如上人以来の御悲願である門跡への道も可能ではないかと思うのです」

「そやで、その辺は麻呂が口をきいてやるさかい、頼まれてくれんか」

稙通が康秀をフォローする。

「ななんと、其処までお考えとは」

稙通、康秀の口上に顯如も頼康も頼廉も唸り出す。

「今回の騒動は阿衡と兵庫助の仕込んだ事や、主上の御心を知りながら、己の私利私欲が為に踏みにじる行為は許されざる事や」

稙通が唾棄するように険悪感を見せながら話す。

「確かに主上の民を思う心は拙僧もよく判っております」

「さすれば、是非お願い致します」

「麻呂からも頼む」

再度頭を床に擦りつける康秀。

「しかし、阿衡殿が言われる、畿内の鋳物師でない事は如何致すのですか?」

頼廉が康秀に疑問を問う。

「それならば、お聞き致しますが、今石山に参集している鋳物師達はいつ頃から石山に来ておるのでしょうか」

「そうですな、早い者で上人様ご婚礼の話が出た四月中に来た者すらおります。遅き者でも今月前半に来ておりますが、それが何か関係でもありますか?」

「いやはや、それは重畳にございます」

その答えを聞いた康秀が安堵し、喜ぶが、顯如、頼康、頼廉は不思議そうに彼の顔を見る。

「地方の鋳物師では罷り成らないのでは?」

頼廉が再度聞くなか康秀が此処でニヤリと笑った。

「いえ、鋳物師達は石山へ来て既に一ヶ月以上この地の水を飲んできたのですから、既に体の中の血は攝津の血にございますよ」

最初は訳が判らないと言う感じであった顯如達であったが、意味が判り康秀と共に笑い出した。

「ハハハ、なる程、石山で寝起きした以上は既に皆、攝津の住民と言える訳ですか」

「此は此は、三田殿に1本とられましたね」

「トンチでございますな」

此処で再度康秀が頼み込む。

「上人様、この様な風で、お願いできませんでしょうか」

顯如、頼康、頼廉も此処まで言われたら断る訳も行かぬと、お互い頷いた。

「三田殿、本願寺は帝の為に鋳物師を派遣致しましょう」

「顯如はんえろうすまんな」

「上人様、忝なく存じます」

康秀が頭を擦りつけ、お辞儀し続けた。




その後、再度康秀が料理を振る舞い無礼講の宴になった。

「実は、石山を見ていると些か残念な事に気が付きまして」

些か酔いながら話す康秀を顯如、頼康、頼廉がマジマジと見る。

「石山が残念な事とは、如何なる事でしょうか?」

康秀が心底残念そうな喋り様な為、悪感情は持たないで居られるが、三人とも何がだという顔をする。

「はい、蓮如上人様以来真宗は多々の迫害を受けてこられました。大谷本願寺、山科本願寺などを焼き討ちされてきました」

「そうですね」

「現在は平穏が続いてはおりますが、何時又石山が攻められるやも知れません」

康秀の言葉に頼康が反論する。

「しかし三田殿、石山は既に要害堅固ですぞ、此の何処が残念と言えましょうや」

「その点にございますが、先だって此方へお邪魔した際に南側の守りが弱いと感じました」

「南でございますか?」

「ええ、玉造付近から東は台地続きにございます。其処を突かれると防御に穴が空き申す」

「うむー確かにあの地は台地続きなれど、それほど気に病む程の事では無いのでは?」

頼康の言葉に康秀も頷く。

「確かに頼康殿の仰る通りで杞憂とも言えましょう、其処で若輩者の戯れ言としてこの作事図をご覧下れれませ」

康秀が示した地図には見事に石山本願寺が描かれ、その要所要所に朱で水濠、空堀、土塁、石塁などを巧みに配置した大城郭が描かれていた。

「ここれは」

「見事な縄張りですね」

「凄い」

「おもろいわな」

地図自体は先だって石山本願寺に来た際に許可を得て写させて貰った物を元にしているが、城の縄張りは豊臣と徳川の大坂城に真田丸などを加えた上に、角馬出や丸馬出などを巧みに配置した各城郭の良い所取りを城郭マニアで、新人物○来社刊“日本城○大系全巻も読破した康秀が作図した物であった。

酔いも吹っ飛んで、見事な作図に顯如、頼康、頼廉、稙通は一々感心する。

「此を頂けるのですか」

「はい、是非に」

「ありがたく」

「そう言えば、石山の名の起こりは、蓮如上人様がこの地に御堂建立時に礎石が出たからとの事と聞きましたが」

「左様です。蓮如上人様の御堂に合うように礎石が並んでいたのです」

「不思議な事が有るものです」

「もしやと思いますが、その礎石は仁徳天皇にんとくてんのう難波高津宮なにわのたかつのみやの礎石やも知れません」

「ほう、それはそれは、凄い事や」

「なる程、それならば疑問が解けますな」

「其処で、思いついたのですが、御上も仁徳天皇も慈愛の御方、この事をお知らせし、石山の地を一旦、主上へ献上し再度下賜されるが真宗にも非常に良き目が出るかと思いますが」

康秀の突然の話に唸る三人。

「しかし、石山の地を献上しても戻ってこなければ、甚だ困り申す」

「左様」

「顯如はん、その旨なら麻呂に任せてくれへんか、悪いようにはせえへん」

太閤の九條稙通にそう言われた以上、顯如も承諾することになった。

この事が、本願寺の運命を変えるかも知れない事になる。


第肆拾睦話 放火事件


弘治三年(1557)七月一日


■山城國 京 土御門つちみかど東洞院殿ひがしのとういんどの


この日、知仁帝ともひと てい(史実の後奈良天皇)は九條稙通くじょう たねみちから慶事を奏状された。

本来であれば五摂家当主などが集まり朝議にかけるところであったが、戦國時代には既に五摂家などの経済的にやっていける家は天皇のそばに仕える事が少なくなり、勘解由小路在富かでのこうじ あきとみ山科言継やましな ときつぐ達が側近として側に仕えていた。

その為、九條稙通が直接慶事を奏状する事が出来たのである。

「太閤如何致した」

知仁帝が九條稙通に問う。

「攝津石山の地で大鷦鷯天皇おほさざきのすめらみこと(仁徳天皇)の難波高津宮の礎石が見つかりました」

稙通の話に知仁帝が驚きの顔をする。

「なんと、大鷦鷯天皇の礎石がとは、それは何処にあったのか?」

「はい、石山本願寺御堂の礎石として大事に使われておりました」

「なる程、王法為本を信条とする本願寺御堂の礎石としてとは何かの縁やもしれん」

しみじみと語る知仁帝。

「本願寺では、礎石を御所の礎石として献上し、更に石山の地も献上するとのことでおじゃります」

稙通の話に知仁帝は益々関心した顔になる。

「真宗は何かにつけて争乱の元となった事も有ったが、親鸞しんらんは元々は日野亜相(大納言の唐名)の血を引く身、此も何かの縁か」

「縁は異なものでございますな」

公卿の一人がそう呟く。

「更に顯如は、御所造営の為に人材を是非派遣させて頂きたいと願いが出されました」

「なるほど、太閤殿が心配していた、鋳物師ですかな?」

「左様、顯如より『現在畿内の鋳物師は全て高野山と興福寺の作事をしている最中との事なれば、主上の御所造営に是非とも、婚姻の為に全国より集まりし鋳物師を使って頂きたい』と頼まれました」

「主上、それは良きことではございませんでしょうか」

事情を知らない側近の一人が話す。

「顯如と言えば、亡き三條左府殿(左大臣の唐名)の御息女との婚姻が決まっていたはずじゃな」

九條稙通の話に山科言継が絶妙な助けを入れる。実は会議の前に山科言継に堺へ入荷したばかりの新酒を三十樽送った事で協力して貰ったのである。

「なるほど、顯如は自らの婚姻準備を遅らせてまで、主上への馳走を行いたいと言う訳じゃな」

山科言継の話に九條稙通が頷く。

「左様じゃ」

それに釣られて他の側近達も顯如を褒め称える。

「主上、顯如の得心をお認め頂けますでしょうか?」

頃良しと見た九條稙通が知仁帝にお伺いを立てる。

「うむ、朕も顯如の得心ようわかった。許そう、して顯如は何が望みぞ?」

知仁帝も只で顯如がその様な事をするとは思っていない為に稙通に問いかける。

「はっ、献上した石山の地を再度主上より下賜して頂きたいとの事」

門跡位でも求めるのかと思ったがそれをしないことに知仁帝は気をよくして稙通の願いを許可する。

「顯如の得心見事と言えよう、太閤の言う下賜の件あい判った」

「はは-」

知仁帝はにこやかに九條稙通を見ながら許可した。帝にしてみれば、今まで散々諸大名の“金さえやれば官位などくれるのが当たり前”という態度に憤慨すること多々有った。

一度など土佐に下向したまま帰らない一條房冬いちじょう ふさふゆの左近衞大将就任で一万疋(1000万円)の献金を受け取ることを皆が知らせずに居た為に『言語道断。是非なき次第である』と激怒したほどであり、その一万疋を突っ返したのである。

それに比べて、本願寺の態度は民が喜んで帝の為に労力を献上すると言う、天下臣民の父母たるを自認している知仁帝にしてみれば非常に嬉しい事だったからである。


弘治三年七月二日


■近衞邸


近衞邸で近衞前嗣と真継久直が密かに会っていた。


「何ですと、本願寺が出てきたというのですか?」

「そうじゃ、顯如め、主上の為に自らの婚姻の準備を止めてでも鋳物師を公事させるとは、悔しいてしょうがないわ!」

「何故本願寺が出来てきたのでしょうか?」

「それよ、恐らくは北條の輩が手を回したんに違いないで、あれと顯如は昵懇やし」

「不味い事になりました」

「それよ、仕方ないさかい、兵庫よ応天門の二番煎じやが出来るやろう」

「はい、それならば、大工の一人を使えば直ぐにでも」

「見てるがええわ、関白虚仮にした報いを受けるがええわ」


弘治三年七月四日夜半


■山城國 京 御所造営現場


新月に近い月明かりの中、御所建築現場で寝たふりをしていた真継久直の命を受けた大工が密かに飯場から出て、御所の清涼殿の床下へ忍び込んだ、其処で懐から火口箱ほくちばこを取り出し、昼間入れておいた大鋸屑に火を移し始めた。

その瞬間、目にも留まらぬ早さで忍び寄ってきた風魔忍により頸動脈を押さえられ大工は全く抵抗も出来ずに気絶した。

上方における風魔衆を率いる二曲輪猪助にのくるわ いすけが大工の手から火口箱を取り上げ他の風魔が延焼していないかを確認の上、下忍が大工を担いで氏堯達の元へ向かった。

氏堯達の前に引っ立てられた大工は最初は何も言わなかったが、康秀が言いだした事で青く成りだした。

「猪助、それほどまでに何も言わぬのであれば、木綿針を爪の間に刺すのが効果的だと思うぞ」

尋問に対する康秀の提案にどん引きになる猪助であったが、それだけ御所の放火を許さぬと言う康秀の気合いの表れに見えた。

「康秀様、いくら何でもそれはやり過ぎでございます」

「そうか」

猪助も康秀の目配せで、意図を知りそれに合わせる。

「そうにございます」

「しかし、御所放火の大罪、正に本朝無双の謀反人よ。その様な謀反人で有れば、手足の指を一本ずつ切り刻むとか、生皮を剥ぐとかせねば成るまい」

「それはいくら何でも」

康秀と猪助の話を額に皺を寄せたまま目をつぶって聞いている氏堯だが、腹の中では大笑いしていた。

「長四郎、その辺にしておけ。いくら何でも死んでしまう」

氏堯が真面目そうな顔で話を止めると、真っ青な顔をしていた大工が神様でも見るような目で氏堯を見る。

「いやいや、幾ら左衛門佐殿のお言葉とはいえそれは叶いません」

「しかしの」

再び絶望の顔をする大工。

康秀が暫く考える様に目を瞑る。

「康秀様、如何致すのでしょうか?」

其処へ猪助も話しかける。

「そうだな、道具に罪はないか、所詮道具に罪はないか」

目を瞑りながら大工にも聞こえるような声で康秀が呟く。

その言葉を聞いて大工が喋り出す。

「申し訳ございませんでした。諸国鋳物師御蔵職真継兵庫様に、火付けに成功すれば禁裏大工惣官職に就けるように口利きしてやると言われました」

「左様か、詳しく話して貰うぞ」

氏堯がそう言い、大工はその後の尋問で全てを吐いた。

その一報は詳しく九條稙通に伝えられ、五日では準備が間に合わない為に六日の朝議に出される事となったが、この一日の遅れに康秀達は泣かされることになる。


弘治三年七月五日 夜半


■河原町今出川


河原町今出川にある廃寺に密かに真継久直が現れた。

「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」

普段の不貞不貞しさが見えない程慌てて寺の本堂へと向かう。

「こっちや」

久直を呼ぶ声が聞こえる。

「阿衡様」

関白とは思えない武家のような姿で近衞前嗣が現れ手招きする。

「こっちや」

前嗣に呼ばれ本堂へと入ると久直は一気に話し始める。

「阿衡様、容易ならざる事が起こりました」

「兵庫如何したのや?」

久直は汗をダラダラ垂らしながら青い顔をして話す。

「御所放火を失敗致しました」

「なんやて」

「大工が火をかけようとした際、北條側に見つかり捕らえられた模様でございます」

久直の話を聞いた前嗣は額に手を置いて考え込む。

「そか、所で兵庫、そなた此処へ来るとき誰にも見られておらんやろうな?」

「それは、無論です」

「そか、それならえんや」

そう言うと、前嗣は額に置いた手を降ろして、腰の辺りをさすり始める。

「取りあえずは、知らぬ存ぜぬと言うしか有りませんな、知られれば我等は破滅にございますれば」

「そうじゃな、破滅よの、兵庫はな」

そう言うと近衞前嗣は腰をさすっていた手で素早く太刀を抜くといきなり久直を袈裟切りにした。ガズッという鈍い音と共に鮮血が体から吹き出し仰向けに倒れる。突然の事に久直は驚愕の表情を現しながら前嗣に絶え絶えの息で問いかける。

「ああ阿衡さ・・・・ま・・いっったい……」

前嗣が、悪人面をしながら久直に語る。

「フン、役立たずが、安心してあの世へ行くがええで、直ぐに家族も後を追うさかい」

前嗣が自分を始末しようとしている事と家族も手にかけようとしている事に気づいた久直が怒りの形相で絶え絶えの声を上げる。

「さきつ・・・ぐ・・・・き・・・さ・・・・ま……」

前嗣は能面のような顔でそんな叫びも無視し、太刀をドスッと久直の心臓目がけて刺して止めを刺す。

「フン、使えへん道具は始末するに限るじゃろ」

太刀を引き抜きながら前嗣は呟く。

「後は任せたで」

前嗣は仏像にそう言うと、何も無かったかのように寺を出ていった。

前嗣が寺から出ると、仏像の裏から人影が現れ久直の死骸を調べ、主人との繋がりのある物を持っていないか調べた後、鴨川に放り込んだ。同時刻、真継久直邸では夜盗により家人が皆殺しになり更に放火されて、近衞前嗣と関係のある品々と共に付近の町屋一町程(100m四方)を巻き込んで全焼した。

七日、鴨川の九條河原に袈裟切りにされた真継久直の遺骸が流れ着いた。此により諸国鋳物師御蔵職真継家は一家が全滅し断絶、更に放火に関しては穢れになる為に隠されたが、偽文書、新見忠弘にいみ ただひろ殺害などの罪状により久直の遺骸は六條河原で斬刑に処された。


弘治三年七月六日 午前


■山城國 京 土御門つちみかど東洞院殿ひがしのとういんどの


この日、朝議で知仁帝ともひと てい(後奈良天皇)は九條稙通から奏状された真継久直の罪状をみて激怒した。それには真継まつぎが諸国鋳物師御蔵職の役職を悪用し数々の偽勅を使い私腹を肥やしていたことが記されていた。

更に、御所造営に必要な鋳物師派遣を邪魔した事に続き、更に帝を激怒させたのは、禁裏大工惣官職就任に破れた大工を使い密かに造営中の御所に火をかけようとしていたことまで、捕まった大工の尋問で判明したからであった。

「朕は、國家と民の安泰を願い、あの者に幾度となく綸旨りんじを与えたが、それを改竄し偽文を持って、己の私利私欲が為に使うとは何たる事ぞ」

主上のこの上ない怒りに、朝議に参加していた者達から口々に真継への攻撃が始まる。

「主上の御心を知らぬ有象無象にございますれば」

「話によりますれば、真継は新見家を乗っ取り、本来の跡継ぎ忠弘はんを無残にも餓死させたとの事でおじゃる」

「更に北條左京大夫に鋳物師を派遣させたければ、左京大夫の所領での鋳物師を諸国鋳物師御蔵職の統制下にする事を約束せよと申した次第」

「麻呂達は朝臣は主上の宸襟を安んじ奉らん事こそがさがであるのに、私利私欲に走り、恐れ多くも御所の放火を企み主上の大嘗祭と譲位を邪魔するとは、本朝有数の謀反人や」

「朕は、國家臣民の為にと思い、あの者へ綸旨を下したが、とんだ見込み違いであった」

知仁帝の嘆きを見て右大臣うだいじん西園寺公朝さいおんじ きんともが話す。

「主上の國家万民の事を思い天下静謐を願いし事は、我等朝臣皆判っておりますが、あの様な地下以下の者にはそれが判らぬ様にございます」

「そうでおじゃる、主上の御心を踏みにじる粗野野望の者におじゃります」

「そう言えば、兵庫は阿衡殿の屋敷に度々、出入りしていようでおじゃります」

「主上、阿衡殿を参内させ子細を確かめたいのでございますが」

右大臣西園寺公朝がそう奏状する。

「近衞阿衡は如何なる考えを持っておるのであろうか、右府そなたが詰問致せ」

「御意にございます」

弘治三年七月七日 午前


■山城國 京 土御門つちみかど東洞院殿ひがしのとういんどの


この日、御所放火未遂事件への関与を疑われた近衞前嗣は朝議にて詰問を受けた。

「確かに真継なる御蔵職と付き合いはありもうしたが、それは本来の主人たる当家の家礼かれい柳原大納言が因幡へ蓄電しているが為に麻呂が対応していただけじゃ、しかしあの者が伴大納言(応天門の変の主犯と言われている伴善男とものよしお)の如き謀反人とは露知らず、主上に多大なる御心労をお掛けしたことを鑑み、麻呂は左大臣を退くことに致す故、主上にお伝え頂きたい」

この事により、決定的な証拠がない近衞前嗣は処罰を逃れ左大臣辞任だけで関白に留まることとなる。此は近衞前嗣の妹が将軍足利義輝の妻であること、前嗣の父親で前の関白太政大臣近衛稙家このえ たねいえの事も鑑み、幕府との繋がりの喪失や、対立を避ける為に政治的な解決策と成った訳である。

結果、康秀が内裏放火未遂事件を利用して近衞前嗣の影響力を排除し追い落としを行い、後々の長尾景虎への近衞前嗣の支援を排除する企みは、近衞前嗣と言う時代の荒波を潜り抜けてきた逸材の動きにより失敗に終わった。


第肆拾漆話 暗闘


弘治三年七月五日夜半


■ 京 


真継久直の監視を命じられた左膳さぜん貳之助にのすけ太兵衛たへいは夜半に屋敷を出る久直を見つけ、太兵衛を屋敷の監視に残し後を付け始めた。

久直は護衛らしい武士一人を従えて鴨川沿いを北上していく。その姿をつかず離れずに尾行しながら二人は進む。かなり進んだ河原町丸太町付近で突如二人を斬撃が襲った。

暗がりに隠れていた、男が目にも留まらぬ早さで斬撃を喰らわせてくる。その凄まじい勢いに一瞬の内に貳之助の頸と胴が離れる、その直後、頸が飛んだ胴体側の切れ口から鮮血が吹き出す。貳之助とて風魔一族の猛者であるにもかかわらず、全く抵抗できずに斬撃より葬ふられた。

ドサッと言う音を立て、貳之助の胴体が倒れる僅かの間に、斬撃は残る左膳にも襲いかかるが、左膳は風魔でも剣戟に長けた男故、斬撃を避けつつ応戦する。

何合もの鍔迫り合いが続くが、次第に左膳は襲撃者に押され始める。

数十合目に左膳がズルッと足を滑らした瞬間、襲撃者の斬撃が左膳の右目と右腕を永遠に失わさせた。襲撃者は巧みな誘導で左膳を貳之助の胴体が噴出させた血溜まりへと誘導していたのである。

「ぐぅぅぅ……」

腕と目を失い得物まで腕と共に失った左膳に対して襲撃者は情け容赦無い斬撃を喰らわせるが、左膳は断腸の思いなれど連絡をせねばと鴨川へ飛び込んだ。その後流れ出る出血に気を失いそうに成りながら、下流の鳥羽付近まで流された後、翌々日の七日早朝に這うように風魔屋敷へ辿り着いたのである。

同じ頃、一人真継邸の監視に残っていた太兵衛も暗がりから突然飛来した矢により眉間を射貫かれ事切れていた。その直後真継邸に夜盗に扮した者達の襲撃が行われ太兵衛の遺体諸共焼け尽くされていった。

近衛邸を監視していた者達は、出入りの商人に扮していた近衞前嗣に気が付かずにまんまと屋敷脱出され、真継久直との話し合いに行く事を察知できずにいたのであった。これも人材不足が原因で、公家ならば格下でも大丈夫で有ろうと、比較的練度の低い者を配置していた為であった。


弘治三年七月七日午後


■京 風魔屋敷


京における風魔の活動拠点に康秀が現れたのは真継久直の遺体が発見され、真継屋敷が燃え去り、久直に付けた左膳が満身創痍で担ぎ込まれたと連絡が有った為だった。

康秀が屋敷に入ると二曲輪猪助にのくるわ いすけが悲痛な顔をして対応する。

「貳之助と太兵衛がられ、左膳が右腕と右目を取られました」

康秀に状況を猪助が伝えながら、左膳を看病している部屋に案内する。

康秀が現れると、全身当て布で手当てされ布団に寝かされいる左膳が無理に体を起こそうとし始める。

「三田様」

「良い、そのまま寝ておれ」

康秀が左膳を労る。

「左膳、御苦労であった、左衛門佐様も大層心配しておられるぞ」

「ありがたき幸せ」

「左膳と貳之助を襲った者はかなりの手練れの様です」

猪助が康秀に説明する。

「左膳、その者の特徴は?」

受け答えには支障がないのか、左膳は一字一句間違えぬようにと確りと話す。

「はっ、年の頃は三十前後、身の丈は五尺半程(170cm)の浅黒きガッチリした体つきでございました」

「うむー、猪助、心当たりはないであろうか?」

「真継屋敷にその様な男は一度たりとも参っていないはずにございますぞ」

康秀が猪助に尋ねるが、猪助も首を捻るばかりである。

「左膳、他に何か特徴はなかったか?」

左膳は必死になってあの時のことを思い出す。

「あっ」

「何か思い出したか?」

「はっ、あの者の太刀筋が以前対峙した鹿島新當流かしましんとうりゅうの使い手の構えに非常に似通っておりました」

左膳の言葉に康秀は唸りながら話す。

「うむー、新當流と言えば、塚原卜伝殿の流派、畿内の新當流と言えば、公方様(足利義輝あしかが よしてる)、北畠中納言きたばたけ ちゅうなごん殿(北畠具教きたばたけ とものり)、三好義賢みよし よしかた殿、十河一存そごう かずまさ殿などが主な所だが、皆国元におられるはず、しかも関白や真継に繋がりは希薄なはず」

「そうでございます。公方様は未だ朽木谷でございますし、三好殿は阿波、十河殿は讃岐におられます故」

康秀の脳裏に何か引っかかっているが、それが何か思い出せない。

「うむー、恐らく左膳達を襲った者の雇い主は真継ではなく、関白だろうな」

「恐らくは」

「さすれば、関白に繋がりのある新當流と言う事に成るやも知れんな」

「早速に調べます」

「猪助、敵は相当な手練れだ。くれぐれも無理せぬようにさせてくれ」

「しかし」

「猪助、風魔もそうだが、私も、左衛門佐様、新九郎様も、上洛した皆が無事に小田原へ帰ることを望んでいるのだ。決して無理をするな、皆で帰ろう」

「三田様……」

康秀の言葉はその場にいた者の心に染み渡った。

一拍おいて康秀が猪助に告げる。

「関白に繋がりのある者に対しては私の方も太閤様、山科卿に話を聞いてみるつもりだ、特に山科卿は形だけとはいえ近衞家の家礼だからな」

「判りました。我等も出来うる限り調べます」

頷く康秀、その時である、突然左膳が叫んだ。

「さすればご免」

伝えることを伝え終わった左膳はいきなり無事な左手で鎧通しを持つと自らの頸動脈をかっ切ろうと、左の首に刃を当てようとする。

(鎧通し=戦場で組み打ちの際、鎧を通して相手を刺すために用いた分厚くて鋭利な短剣。反りがほとんどなく長さ9寸5分程(約29センチ))

皆が唖然とする中、康秀の手が左膳の首筋を保護したために、勢いの付いた鎧通しが康秀の右手の甲を傷つけ鮮血がほとばしる。康秀は血が流れるのもお構いなしに左膳から鎧通しを奪い投げ捨てる。

左膳は元よりその場に居た皆が唖然とする中、康秀は普段のおちゃらけた表情ではなく真剣な表情で左膳の両肩を握りしめ、目を見て話し出す。

「左膳、何故死に急ぐか!」

その剣幕に左膳も思わず答える。

「拙者のせいで、御屋形様、三田様、小太郎様の作戦が失敗したのです。更に貳之助、太兵衛も死なせてしまいました。この事万死に値します」

その言葉を聞いた康秀が更に手の力を強める。

「何を言うか、関白と真継の企みを知りながら、後手後手になったは、我等上の物の見通しの甘さが最大の罪じゃ」

「何を仰りますか、左衛門佐様、三田様のせいではございません、我等風魔の未熟が原因」

猪助が康秀に頭を下げながら訴える。

「いや、お主達はよくやってくれている。ここへ来ている僅か五十人足らずで畿内諸國、西國への諜報、武田の連中との暗闘、御所の護衛、我等の護衛、そしてあの事までやっている。真に頭の下がるばかりだ。今回とて、同時進行であの仕掛けをした為と御所の護衛の為に人手を割き過ぎた俺の策が原因だ」

血を流しながら、風魔衆に語りかける康秀の姿にこの場にいた全ての風魔が感動を覚えていた。

「三田様……」

風魔衆が涙ながらに康秀を見ている。

左膳の肩を掴みながら康秀は再度左膳に話しかける。

「左膳、お主のせいではない、我のせいだ」

「三田様、ご自分をお責めにならないで下さい!」

「左膳よ、生きよ、貳之助、太兵衛の分まで生きて生きて生き抜くのだ!」

「三田様、最早この体ではお役に立てません」

左膳もとうとう泣き出した。

「左膳、此からは野の仕事ではなく、風魔を育てる事をするのだ、お主なら必ず出来る。良いな」

「三田様……」

「猪助、此で良いな」

猪助すら、康秀の言葉に感動していた。

「御意に」

「それと、貳之助、太兵衛もせめて遺骨だけでも國へ返してやってくれ」

その言葉に再度風魔衆は感涙に噎ぶ。

後に左膳は隻腕隻眼の欠点を乗り越え、風魔の次世代教育に力を発揮することになる。


弘治三年七月十日


大和國やまとのくに添上郡そえかみぐん


大和國の山間、木津川の支流沿いの村に年の頃三十代の男が数人の門下と思える荷物を背負う若者達を連れて帰ってきた。その男は、村の中心にある小規模な山城を目指していた。

男は城の麓にある屋敷の前まで辿り着くと門前まで迎えに出てきていた六十才程の老人に挨拶をする。

「父上、戻りました」

「新左衛門、よう戻った」

「はい」

二人は挨拶もそこそこに屋敷の隅に設けられた道場へと向かう。

道場へ着くと、人払いをした後に話を始める。

「新左衛門、この度は如何致した」

老人の問いに新左衛門が答える。

「はい、風魔を仕留め損ねまして、顔を知られてしまいました」

その答えに、老人は顔を顰める。

「それは不味いの」

「はい、その為、暫しほとぼりを冷ます必要が出来まして」

「ふむ、そう言う事か」

「父上、面目次第もございません」

「未だ未だ修行が足らんと見えるな」

老人の言葉に新左衛門がばつが悪そうな顔を見せる。

「はい」

「過ぎたことは仕方が無い、関白様の仕事は如何致す?」

老人の言葉に今度は自身を持った表情で新左衛門が答える。

「それについては、既に真継自身は関白様が始末致しましたし、真継家自体も門弟により処分済みにございます」

「成る程、やはり真継は切られたか」

老人の眉間の皺が深くなる。

「その様で、些か真継はやり過ぎました」

「そうよな、新左衛門、我等とて気を付けねば成らぬぞ、何時真継の様に切り捨てられるやも知れん」

そう言う老人に新左衛門が含み笑いをしながら話しかける。

「父上、それだからこそ、松永霜台まつなが そうだい(弾正忠の唐名)(松永久秀まつなが ひさひで)に誼を得ているのでは有りませんか」

「そうよな、筒井の輩に恨みを返さねば成らんからな」

「そうですな」

「そうなると、関白様の護衛は如何致した?」

「関白様は、暫し帝のお怒りを避ける為に大人しく為さるとのこと、それならばと多くは要らぬとの事にございましたので、太郎兵衛(鏑木太郎兵衛かぶらぎ たろうひょうえ)と阿里助(有澤阿里助ありさわ ありすけ)を残してきました」

新左衛門の話に納得の表情の老人。

「うむ、あの二人であれば心配要らぬであろう。新左衛門、今日は休め。明日より扱いてくれよう」

「はい、父上、二度と風魔に後れを取る訳には行きません故、よしなに」

老人の言葉に新左衛門が頷いた。


弘治三年七月十二日


大和國やまとのくに興福寺こうふくじ一乗院いちじょういん門跡もんぜき


「ぐわー……」

「お労しや」

「ああああ……」

興福寺こうふくじ一乗院いちじょういん門跡もんぜき覚慶かくけいは一旦下がった猛熱が再度発生し、今度は猛熱が下がらずにのたうち回っていた。今回は比較的安全で毎日清掃も実施されている寺内にも係わらず、何故か興福寺と言う一点だけに疱瘡が発生しそれにより覚慶は生死の境を彷徨っていた。

弘治三年は史実では京で麻疹ましん(はしか)、疱瘡ほうそう(天然痘)が大流行したので有るが、北條家が京へ来た結果、自衛隊による衛生管理や、清掃作業により京の町が清潔になり、大規模な貧民保護政策(東國へ移民させる)、更に九条稙通くじょう たねみち山科言継やましな ときつぐ達と協力し種痘を密かに行った事により疱瘡大流行は起こらず、麻疹も手当が行われ栄養が行き届いた結果、死者数が激減していた。


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