HELP!……Vol.1
そんな折、かねてからバンドマンを目指していた会田が、ギター教室をやめると言ってきた。
「遂に俺たちのバンドが出来たんです! だからもう、誰かに頼らずに、自分たちだけの力で音楽の道を歩んで行きたいんです!」
熱のこもった声で目を輝かせながら言う瞳を、引き止める権利は俺には無い。
「頑張れよ! 何かあれば、何でも協力するからな!」
と激励する俺に、満面の笑みで頷き、礼を述べた。 彼からは未来への希望が満ちあふれていた。
生徒が減って寂しくなったが、より高いところを目指す意欲が出てくれるのは、教える側からしても嬉しいものだ。 長谷川さんは歳も歳だし、趣味止まりになる可能性が高い。 それでも、人生を楽しむのにギターが役に立ってくれるのは、嬉しいものだ。
そして、最初の頃はギターにしがみついている印象だったが、最近は構える姿も様になってきた城沢は、最終的にどうしたいのか。 アーティストを目指すのか、趣味止まりでいいのか。
それによっては、教える側にとっても力の入れ方が変わってくるからな。 一度本人に聞いてみよう。
そんなことを思いながら、多分今日も来ないだろうなと思いつつもセブンスヘブンに足を運んだ俺。
相変わらずマスターの車しか置いていない店の駐車場に車を止めると、分厚い扉のノブに手を伸ばそうとした。
その時、いきなり扉が開いて、中から人影が飛び出してきた。
「うわっ!」
思わず上げた声に
「ごめんなさい!」
と振り返った顔は、城沢だった。
「城沢……?」
彼女はどこか潤んだ瞳をこちらに向けて俺に驚いた顔をしたが、すぐに視線をそらすと、全速力で走り去って行った。
「なん……だ?」
呆気にとられてその後ろ姿を見つめていたが、城沢の潤んでいた瞳が気になって、とりあえず店のなかに入ることにした。
カランカランカラン……
心地よいベルの音が降り注ぐなか、薄暗い店内を覗くと、
「いらっしゃいませ」
と低く深いマスターの声が迎えた。 カウンターには、知った顔の女性が座っていた。
「あ、冴子さん?」
俺の声にこちらを向いたのは、間違いない。 マスターの嫁さん、冴子さんだ。
相変わらず綺麗な人だ。 嫌みの無いブロンドの髪がふわふわと揺らしながら、眩しい笑顔を見せた。 カウンターを揺らすオレンジの柔らかな光が、より一層彼女の色気を出している。
「あら、伊助くん、久しぶり!」
「あっ!」
忘れてた。 冴子さんは、俺のことを名前で呼ぶんだ。 名前で呼ぶなと言ってもきかないのであきらめているのだが、久しぶりに言われるとやはり胃がぐっと痛くなる。
「あ!」
その時、俺は気付いてしまった。
『もしかして城沢……?』
カウンターを挟んで仲睦まじく見つめあって微笑む二人。
「そうか……」
俺はそう呟くと、それ以上店に入ることもなく、呆気にとられる二人を置いて店を飛び出した。
「そうか、あいつ、マスターのこと……」
城沢を追いかけた……が、彼女の姿はすでに影すら見当たらない。 目の前には、すっかり日も落ちて街灯が点々と灯る住宅街の道があるだけだ。
「どうしようか……」
考えた挙げ句、懐からケータイを取り出すと、躊躇無くボタンを押した。 城沢に、ギター教室関係以外で電話するのは初めてのことだ。
トゥルル……トゥルル……
しばらく待つ間、俺は心拍数が徐々に上がっていくのを感じていた。 すると
「もしもーし!」
不自然に明るすぎる声が聞こえてきた。 そんなわけない。
「今どこ?」
俺は単刀直入に尋ねた。
「家ですけど?」
『……こいつ、ホント素直じゃないな』
あれからまだ数分しか経っていないはずだ。 車でも五分以上掛かると聞いたのに、そんなに早く家に着けるわけがない。 どんだけ足が速いんだって話になる。
「そんなわけないだろ? 今どこにいるんだ?」
俺に心配をかけまいとしているのか、いつもの明るい声はしているが、あきらかに作り物だとわかっていた。 やがて向こう側から、観念したように小さく息をついたのが聞こえた。
「公園」
俺は電話を切ると、足早に公園へと向かった。
城沢がマスターを気にしているのは、何となく分かっていた。 でも、マスターが結婚しているのは知っているし、城沢が冴子さんと仲良さそうに話しているところも何度か見たことがある。 まさかとは思っていたが……やっぱり城沢はマスターの事があきらめられなかったんだ。
さっきちらりと見た、城沢の潤んだ瞳が胸に突き刺さる。
ここから徒歩で行けるほど近い公園は、ひとつしかない。
車での行き帰りに通る道沿いに、遊具もあまり無いだだっぴろい公園が、セブンスヘブンの近くにあるのを知っていた。 とはいえ、運動不足な俺は、すぐに息が上がった。 ただ早足で歩いているだけなのに、だ。 等間隔に立ってポツンポツンと外灯に照らされた公園の端っこのベンチに、一人きりで座る城沢の姿が見えた。
俺はゆっくりと近付き、不快感は出していないだろうと信じて、そっと城沢の隣に座った。 ここまで来たくせに、落ち着かなきゃいけないのは俺の方だった。
城沢は落ち着いた雰囲気で、少し俺を睨んだ。
「先生って、ストーカー?」
ガックリ……。 そんな風に思われてるのか……。
「そんな言い方ないだろ」
俺は震える指先がばれない様に、平静を装いながら煙草に火を点けた。
城沢は少し俯いて、それでも、いつもと変わらない口調で言った。
「裕理を振ったらしいじゃん?」
『えっ? そういうことになってるのか?』
俺は目を泳がせながら煙草の煙を吐いた。
「そんなつもりじゃなかったんだけど、向こうから断ってきた」
そう言いながら、城沢の反応が気になっていた。 彼女は顔を上げて、少し驚いた顔をした。
「向こうからって、裕里から?」
「そう」
城沢はなにやら考えている様子だった。
公園の脇を走る公道を、ライトの筋を地面に落としながら走っていく車の音が時折聞こえる。 それ以外は静かな夜だ。 会話が止まってしまったので、俺はもう一度煙草の白い息を吐くと言った。
「城沢の気持ちは知ってる」
すると城沢は、黙って俯いた。 俺は探るように言った。
「だけど、自分でも分かってたんだろ?」
城沢は少しムッとした顔で視線をそらせた。 だが、俺の言葉は止まらなかった。
「ステージ上と同じで、無理して明るく見せてもバレるからな」
それは俺にとって、最高に気遣った言葉だと信じていた。 ところが……
「分かってるよ、そんなこと!」
城沢はいきなり立ち上がった。 俺を見下ろして暗がりに揺れる瞳が潤んでいることに気付いた。
『やばい! 泣かせた!』
俺の頭の中が真っ白になるなかで
「先生には関係ないでしょ? 友達のマスターに余計な心配させたくないからそんなこと言うんだろうけど、あたしだって分かってる! だから、自分に正直になんてなれないし、ならないの!」
そう吐き出すように言いながら、城沢は背中を向けた。
「城沢、それは……」
『お前を思って……』
その言葉は喉につかえて届けられなかった。
俺の尻すぼみな声を背中に受け、城沢は言い放った。
「放っておいて! 先生なんて大っ嫌い!」
『大っ嫌い』……『大っ嫌い』……『大っ嫌い』……
俺の頭のなかに、その言葉がリフレインした。
「だいきらい……って……」
俺は、城沢の走り去っていく後ろ姿を茫然と見送っていた。 体から滝のように力が抜けていった。
「あんたのせいだからなあああっ!」
俺はカウンターに突っ伏して叫んだ。 冴子さんはもう帰った後で、店には俺一人だった。
事情を知ったマスターは、ひたすら苦笑いをしている。 でも決して謝らないんだ、こいつは! 俺は呑めない酒を無理矢理出してもらい、出てきたカクテルを一気に喉へと流し込んだ。 途端に身体中が熱くなり、感情が押さえきれなくなってしまった。
「あんたが無駄に仲良くなんかするから、勘違いするんじゃないか! 城沢に謝れっ!」
灰皿をカッタカッタとカウンターに叩きつけながら叫ぶ俺に、マスターは困惑した顔で首を傾げた。
「これだから女好きは困るんだ! 人の気持ちをなんだと思ってるんだっ!」
俺がどれだけ説教しても、マスターはそれ以上営業スマイルを崩すことはなかった。




