母の愛
学校を出ると、遠野が迎えにきていた。風真と遠野の勧めもあって、舞を家まで送ることになりーー
夜、茉莉は布団の中でなかなか寝付けないでいた。
そわそわと落ち着かない。だが決してそれは不快なものではなく、むしろ幸せな高揚感だった。
茉莉は今まで同性の友達がいなかった。だが帰りの車の中で、舞とたくさん話すことが出来た。
やはり舞は本が大好きで、本の話題になると思いの外饒舌になってくれて。
彼女が言うような嫌な思いなど一つもしなかった。それどころか楽しい時間を過ごせたのだ。
成り行きで、お互いを名字ではなく名前で呼ぶことにもなった。
もし学校以外で遊ぶことになったら、何をすればいいのだろう。
街で一緒に買い物とか、甘いもの食べに行ったりとか……?
そんなことを考えながら目を閉じた茉莉は、ほんのり嬉しい気分で眠りに落ちていった。
※
ため息を吐きながら、颯馬は制服のネクタイを外す。
今日もまた、京華とその友人とやらに付き合わされた。本当に暇な奴らだ、とつくづく思う。
結局自室に戻ってこられたのは、夜も遅い時間だ。
襖の前に立っている颯馬は、少しの間考えに耽る。
京華の友人達からの自分の印象は上々だ。京華には、愛想笑いが少しはマシになったとも言われた。颯馬の口の端が吊り上がる。
こんな作り笑いであんたが満足するなら、いくらでもしてやるーー
何年も前から、茉莉には作り笑いすら見せていない。自分の感情を押し殺し、表情を取り繕うのに必死だからだ。
だが当主の祝いの会の日に、茉莉が矢島に襲われた時はだめだった。
内心の様々な感情が抑えられなかった。自分の表情や声音、態度がいつもと違うことに茉莉なら気付き、不思議に思っただろう。
あの日から今までの全てを、台無しにするような失敗だった。
今の状況が辛くないと言えば嘘になる。
だが、これは罰だ。
茉莉を守れなかった自分のーー
いつの間にか、颯馬は口を引き結んでいた。
制服ズボンのポケットが震える。颯馬はポケットからスマホを手にし、着信相手の名前を見てから電話に出た。
「……どうしました?」
しばらく黙って相手の話を聞いていた颯馬の口元が、知らず緩んだ。
※
『まつり……茉莉……』
懐かしい声だ、と朧げに茉莉は思う。
気付くと目の前に母親がいた。細く薄い身体、青白い顔、悲し気な表情ーーそんな母親の姿に、茉莉は違和感なく受け入れる。
これが茉莉の知っている母親ーー桜のいつもの姿だった。
『お母さんが愛してあげるからーーそれ以上は何も望んじゃだめよ、茉莉』
桜が言う。強く念を押すように。茉莉を縛り付けるようにーー
昔、何度も何度も桜に言われてきた言葉だ。
急に桜が険しい顔になった。茉莉には初めて見る顔つきだ。
『どうしてお友だちを作ったの? あなたに関わった人は、みんな不幸になるのにーー』
はっとして、茉莉は目を覚ました。
夢だったのに、母親である桜の姿や声がやけにこびりついている。
思考がそちらに引っ張られそうになるのを振り払うために、茉莉は頭を軽く左右に振った。
まだ辺りは暗く、静かだ。茉莉は自分がしっとりと汗をかいていることに気付いた。
母親の夢を見るのは久しぶりだった。
いつも少しだけ目覚めは悪いが、今は最悪だ。
母親は自分を愛してくれた。あの当時、きっと誰よりも。
だが、歪んだ愛だった。
母親自身も離れから出ることはなかったが、茉莉を離れから出そうとはしなかった。外に出ることを、許さなかった。
格子窓から見える外の世界は美しく魅力的で。茉莉は思いっきり飛び出して行きたかったけれど、母親を悲しませたくなくていつの頃にか諦めた。
そんな母親だったけれど。
あんなことは言わなかった。
茉莉に関わった人はみんな不幸になる、などとはーー
でも、でも、そうか。
「あなたもそうだったね。私がいなければ、この家に縛り付けられることはなかった…。ごめんなさい、お母さん……」




