最終話 俺を恋人として見ている吸血鬼の先輩が可愛すぎる
「え? え?」
幻聴かな?
「文都! 手を出せ!」
ジュースで濡れた手で擦られる度に、手首がベタベタになっていく。
あの、今更拭いても意味ないと思いますし、そんな事より俺には気になる事が……。
「俺の恋人にキスするなんて! 絶対絶対絶対許さない! 首を噛み切ってやる!」
「わあ怖いですう」
幻聴じゃなかった。
本当なら、先輩を煽る鬼ちゃんさんを諌めるべき所だけど、俺は今、それどころではない。それどころか、例え、明日隕石が地球に衝突するとしても、それどころではない。
「先輩?」
「文都。俺が、二度とお前にちょっかいを出せないよう、鬼ケ原伊織に釘をさすから……」
「恋人って、どういう事ですか?」
摩擦を繰り返していた手が、ピタリと止まる。
「俺達、いつから恋人になったんですか?」
この世から音が消えてしまったかのように、しんと静まった部屋に、突如、兄の叱責がこだまする。
「お前、倫理観おかしいんじゃないの!?」
「ちょっとややこしくなるから、お前は黙ってて」
理人が、ため息を吐いて、衝撃の事実と疑問を俺に投げかける。
「ここにいる全員、甲斐くんと先輩は恋人同士だと思ってるんだけど。違うの?」
は?
俺だけが、別の世界線を生きていたのかな?
「甲斐くんが、先輩とのクリスマスデートに浮かれてた時から、俺はそう思ってたけど。だから奪いたいって言ったのに」
迷いを表すように揺れた、月のない夜のような瞳を思い出す。
「あれって、そういう意味だったの?」
「それに、先輩にご褒美でキスしてって言ったら……」
淡々と、俺の知らない情報を追加する理人。
「そういうのは、恋人同士でしかしないからって、先輩から言われて」
恋人同士でしかしない。
思わず心の中で復唱する。
俺、何回か先輩とキスしてますけど。
「それで、やっぱりそうなんだ、二人は付き合ってるんだって再確認したんだよね」
は? 何それ? どういう事?
俺、先輩から付き合うとか、そういう話された事ないけど!?
「だから代わりに、ご褒美として先輩と一緒に寝る権利を貰った。まだ行使してないけど」
「うぉい! その件に関してはまた今度!」
相変わらず、人とズレた先輩の感覚に不安がよぎる。
「でも……鬼ちゃんさんは、俺に恋愛対象として見られていないって、言っていましたよね……?」
鬼ちゃんさんが、手に持っていた紙コップをテーブルに置いた。
「二人が、恋人同士だと認識していなかったのでは?と思っている、違いますか?」
その通り。
「実をいうと、亜蘭くんは恋人だと思っている、甲斐文都さんは、その事に気付いていない、その構図に俺が加わった時、君の色恋にどんな科学変化が起こるのか、俺の知りたい欲が止まらなくなりまして」
聞いた事のあるフレーズに、犬の着ぐるみでバイトをした時のことがリマインドする。
「まさか、最初から……?」
鬼ちゃんさんの肩を片手で掴んで揺らす。
「それは大人として、やっていい事なんですか!?」
いや、大人としてというより、人としてどうなの!?
「すぐ教えて差し上げようと思っていたのですが、余りにも君が魅力的で、つい離し難くなってしまい」
「そういうのは今いらないです!」
いや、そんな事より……。
俺って本当に先輩と付き合ってるの……? 俺の知らない内に? そんな事ある?
「おい」
先輩の地を這うような声が、俺の肩を震わせる。
「じゃあお前は、恋人じゃない人ともキスするって事?」
いっそ殴ってくれた方が楽だと思えるくらいに、冷静に放たれた言葉が鋭く胸を刺す。
「いえ、あの、そういう意味では……」
「一緒にお風呂入ったり、一つのベッドで寝たり、キスしたり、ハグしたり、デートしたり……。夕暮れ時にブランコを揺らして、約束を誓って、お前が笑いかけてくれた事も、全部、俺の勘違いだったって言うのか!?」
ウワァーン!
俺が、この前思った事、そのまま跳ね返ってくる!
「おいこら! 亜蘭くんを弄んで楽しいか!? お前、亜蘭くんにご奉仕までさせておいて、よくそういう事言えたな!?」
お前はもう、最初から勘違いしてたからどうでもいいけど……。え? お前が正しかったって事?
「俺、クリスマスの時に、甲斐くんの事、揶揄えなくなっちゃったって言わなかったっけ? 今回ばかりは、俺もフォローできないよ」
あれもそういう意味だったの?
いつの間にか、ライバルの顔から、友達兼、俺の浮気監視役の顔になってたけど、お前の中で気持ちの整理があったって事?
「見損なったぞ!」
「先輩が可哀想」
「罪な男ですね」
「俺だけが恋人だと思ってたのか!?」
非難の嵐。
「うう……」
沈黙を貫き、一部始終を見守っていた希惟さんが口を開いた。
「亜蘭から、欲しいと言われたものがあったのでは?」
先輩と出会った日に、血が欲しいと言われた事を思い出す。あの時、甘くとろけるような声が耳に残って、二度と引き抜く事ができないように深く、心臓を射抜かれた気がした。
「亜蘭の言葉を、そのままの意味だと勘違いしていたようだが、それは我々にとってのプロポーズだ。一生を背負う覚悟を意味する」
やさしさを感じる口調に、弟を奪われる嫉妬よりも、俺に対する同情が上回ったように思われた。
兄が、
「上流階級だけが知るプロポーズが存在するって事?」と呟く。
もうそれでいいから、お前は黙ってろ。
「亜蘭、お前も人間とは愛情表現の仕方が違う事を知るべきだ。手を洗ってから、よく話し合った方がいい」
希惟さんが、俺と先輩を廊下の先にある洗面台へと促した。
後ろから抱きしめるように立って、先輩の手を洗う。
「あの……文都? 俺、自分で洗えるから……。お前、片手しか使えないし、むしろ俺がやった方が……」
蛇口の水を止めて、先輩の濡れた手を俺の口元に寄せる。先輩の冷たい指が、心地よく俺の唇を冷やした。
「こういう事しても、許されるって事ですよね」
「へ……?」
鏡に映った先輩の顔が、真っ赤に染まっている。
「俺が先輩の恋人なら」
先輩が振り返って、拗ねているような顔を向けた。
「俺の恋人だと思ってなかったくせに……」
濡れたままの手で、先輩の睫毛にそっと触れる。
「この宝石みたいな瞳も、俺のって事ですか?」
「あ、文都……?」
お互いの距離を埋めるように、先輩の後頭部に手を当てて抱きしめる。
「俺が、先輩の恋人だと信じられるようになるまで、こうしていてもいいですか?」
今までずっと、俺は食欲の対象として見られていると思っていたけど。
「先輩は、最初から俺を好きでいてくれたんですね」
俺に顔を寄せたまま、先輩が弁解をするように話し出す。
「俺、人間式のプロポーズとか分からなくて……。誰かと恋人になりたいと思う事もなかったし。でも言葉通りの意味って……今まで、ただ俺が血が欲しくて、お前と一緒にいると思ってたの?」
「俺も、吸血鬼の事情が分からなくて……」
ちょっと待って……?
先輩の言葉に、聞き流せない部分が。
心臓の鼓動が早まる。
「まさか先輩、俺が初恋ですか?」
先輩が不機嫌そうな声で答える。
「……だったら何? やっぱり、恋愛経験豊富な大人が良かったのか?」
やっぱりって何ですか。
恋愛未経験の先輩が、俺に好かれようとあれこれ頑張ってたかと思うと、愛しすぎるんですけど。
ニヤけるな俺ー……!
「あの……ちなみに、いつから恋人同士になったんですか?」
仕方なく答えるみたいに、先輩が呟く。
「お前が、初めて俺の家に泊まった時……」
夏休みが終わりに近づいた夜に、先輩の家に泊まった時の事を思い出す。
そういえば、あの時も先輩のご機嫌が悪くなってしまって、だけど怒っているのに、愛しくて仕方なくて。
「その時、お前、言ったよな? 望むだけ、俺の血を差し上げますって」
その後の過剰にも思える先輩の反応に、違和感を感じた覚えがある。
「血を捧げるということは、人間でいうプロポーズを受けるのと同じ事だから」
「な……」
なんだってー……!?
「え……な……ということは、夏ですか!? 文化祭の時にはもう、俺たち付き合ってたって事ですか!?」
「わざわざ聞くなよ、そんな事」
つまり、先輩が俺に、キスしたいって言ったり、触れてほしいって言ったり、鬼ちゃんさんとの事にやきもちを過剰に妬いたりしたのも、俺が恋人だったから!?
力が抜けて、先輩の肩に顔を埋める。
「俺は約半年もの間、何をやっていたんでしょうか……」
それどころか、出会ってすぐに、あれが吸血鬼式のプロポーズだと知っていたなら、早々に付き合えていたのでは……?
「吸血鬼が言う、血が欲しいは、一生を添い遂げるくらい重い告白だから、意味を分かってなかったなら、返事はもう一度よく考えて欲しい」
これは、本音とは違う事を言っている時の声だ。
「ドナーと違って危険だし、吸う方にとっても責任が伴うから」
先輩の声に不安が滲んでいる。
「先輩、俺の血が欲しいですか?」
「欲しい」
俺が先輩のプロポーズを断る訳ないじゃないですか。
「俺の血を先輩に捧げます」
先輩の淡い茶色に緑が混じった瞳が、宝石が光を反射するみたいに、キラキラと輝いて見えた。
好きな人と通じ合う事が、こんなに満たされた気持ちになるなんて。
「先輩、好きです」
「知ってる」
「いや、先輩は知りません。俺がどれだけ先輩を好きか。もっと伝えさせて下さい。それに、先輩が俺の恋人だと、ちゃんと家族にも紹介したいし、他にも色々とやり直したい事が……」
「これからずっと一緒にいるんだから、何回だってやり直しできるよ。でも、俺は今までだって楽しかった」
これからずっと一緒にいる事を、当たり前のように言って笑った先輩が、これまで見た先輩の中で、一番可愛く見えた。
「今、一つだけやり直してもいいですか?」
「うん」
「俺から、キスしたいです」
今まで伝えられなかった分、俺が先輩を思う気持ちが伝わるように、先輩の唇にやさしく自分の唇を重ねる。
「ん……」
先輩が、胸に手を当てる。
「ふふっ。心臓が破裂しそう」
白い肌が赤く染まって、瞳が薄い水のベールを纏ったみたいに潤んでいる。
「もう戻る? 俺、顔赤くないかな?」
「あの、先輩」
「ん?」
「まだ、全然足りないですけど」
「……へ?」
先輩の肩に手を置き、俯いて熱弁する俺。
「先輩に、思うまま触れる事も許されなかった我慢の日々。先輩が手を伸ばしたら触れられる距離にいるのに……。血を吸われている時には、息遣いまで感じるのに……。ようやく許された俺の愛情表現が、たった一回のキスだと思いますか?」
「き、急に全部取り返そうとしなくていい!」
「いや、無理です」
先輩が、目をギュッと閉じて、身を固くした。
緊張を解くように、ゆっくりと柔らかな唇に触れる。
離して触れる事を繰り返しているうちに、体の内側から満たされて、溶けてしまいそうな気になってくる。
先輩が俺の血を吸っている時も、こんな気持ちだったのかな。
先輩の唇を、指でそっとなぞる。
「っん……」
トロンとした目が、同じ気持ちでいる事を教えているようでホッとする。
「先輩、俺、もう我慢しなくていいんですよね?」
「うん……。その代わり、浮気したら許さないからな」
「こんなに可愛い恋人がいるのに、浮気なんてしません」
キスをねだるように、先輩が目を閉じる。
許されたのをいいことに、それに甘えようとすると、後頭部に強い衝撃が走って、触れる事を阻止された。
「人の家でイチャイチャするなっ! お前、心配して来てみれば、何を急にがっついてるんじゃ!」
「お、お兄さん……」
先輩が真っ赤な顔で狼狽える。
「恋人同士の邪魔をするな」
「仲直りして良かったね! でも今すぐ離れろ! お前、亜蘭くんが許すのをいいことに、何回キスするんだよ!」
いつから見てたの?
「俺の兄なら、見て見ぬふりしろ」
「お前、希惟の顔見ても同じ事言えんの?」
兄が、鬼の形相の希惟さんを指差す。
希惟さんの後ろで、理人が俺を揶揄うような仕草をし、鬼ちゃんさんが手をヒラヒラと振った。
「人間、亜蘭を泣かせたら、殺すからな」
先ほどのやさしさはどこへ?
「甲斐文都さん、心変わりをしたら、いつでも言ってくださいね」
しませんけど。
「甲斐くんが浮気しないよう、俺が見張ってるからね!」
する訳ないだろ。
「文都」
先輩に服を掴まれ、引き寄せられる。
「この後、俺の家寄って」
どの瞬間であっても、これより尊いものなんて存在しないのではと、思わずにはいられない笑顔に、軽い目眩を覚えた。
俺の耳元で先輩が囁き、甘くとろけるような声が耳に残る。
「お前の血が欲しい」
俺を恋人として見ている吸血鬼の先輩が可愛すぎる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
感想、評価、ブクマなど、とても励みになり、お陰様で続けることができました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
読了記念として、ご評価、引き続きのブクマをいただけましたら、とてもうれしいです。
その後の二人の話を先輩視点、甲斐くん視点で二作品投稿しております。こちらもご愛顧いただければ幸いです。
ありがとうございました♪




