91.炎の花が咲く島
ライオンタウンから電車に揺られ、マクル国の駅を通過した。ユウヒは窓の外に流れる景色を眺め、島を出てから竜の筆に辿り着くまでのことを思い出す。ちょうど、マクル国の郊外、そして田舎町の方へと電車が走り、見覚えのある風景が飛び込んできたからだ。
不良集団に唆されて、危うく金持ちの男に買われそうになっていたところをなんとか逃げだし、電車に飛び乗ったユウヒであったが、しばらくの間はこの辺り、マクル国の田舎町で過ごしていた。当時のユウヒは大陸の土地勘がまるでなく、国境の駅で手続きをする際にやっと、ここがマクル国であることを知ったくらいであった。C級冒険者試験でマクル国の中心部に赴いた時には、自分の知るマクル国のイメージとはあまりにも違い、驚いて声も出なかった。ユウヒは持ち前の人懐っこさで田舎町の住人に気に入られ、小さなレストランでバイトをしながら、未完の冒険譚について情報を集めていた。冒険者になって、本の中の世界を旅してみたい。両親に頼み込んで、半ば強引に島を飛び出してきた時から、ユウヒの思いは変わっていなかった。居心地の良かったマクル国の田舎町を出て、ニマール国へ向けて出発したのも、レストランに来た客から「この辺りなら、マクルの中心部へ向かうより、ニマールへ行った方が近いぞ。あっちにはギルドもいっぱいあるからな」という話を聞いたからである。
電車はマクル国の中心部を通過し、コルアール国へと入った。これまた、前回ギルドの任務でナガレやジャンベ、そしていつもの4人パーティーで訪れた時とは印象が違う。線路は貧困街や、マティーニやミュールの育った闇通りのようなところを避けて敷かれているようで、電車は煌びやかな場所だけを通る。そして、ひどく見覚えのある、駅。ユウヒの顔が、少しだけ引き攣る。
「あの子たち、もういないのかな」
ユウヒは、その駅で電車を降りた。かつて、ここは不良少女たちの溜まり場であった。港から最も近いこの街は、ユウヒが島を出て初めて大陸の地を踏んだ場所でもあった。観光客の多いこの港町は、若者に人気のあるワキナ諸島のファッションや音楽の店が立ち並び、ここから大陸中に流行が発信されていくのだ。不良少女たちもワキナ諸島の女性に憧れがあり、浮ついた男たちに絡まれているユウヒを見て、「本物のワキナ・ギャルだ」と盛り上がった。ナンパ男らを追い払った不良少女たちは、ユウヒに「仲良くしようよ」と声を掛けたのである。ユウヒにとっても、今しがた船からは降りたばかりであったが、まさに渡りに船であった。
ユウヒは、駅を出て、港へと向かって歩き出す。しかし、ふと立ち止まると、「あ、そっか」と手を打った。
「うち、今ならあの子たちどころか、絡んでくる嫌な男たちだって、割となんとかなるんじゃない?」
自分がC級冒険者であることを思い出し、おかしくなって笑ってしまう。
「あの子たちとまた会えたら、仲直りしたかったな。1番不安な時に、良くしてくれたのは本当のことだし」
きょろきょろと、周囲を見渡す。賑わう人々のなかには、ユウヒを舐めまわすように見る男や、実際に声を掛けてくる男もいたが、今のユウヒは自信を持って断ることが出来た。
港から船に乗り、島を目指す。ワキナ諸島の中でも、オオルリ島の周辺は海の青が濃い。日が沈む頃にはそれがさらに際立って、夕焼けの色まで青く染まるようである。そんな群青色の海に囲まれたオオルリ島を訪れた者が最初に目にするのは、一転して燃えるような紅の花々が咲き誇る光景である。この、炎の花が表すように、島の住人たちは皆、炎の属性を持って生まれてくる。
船を降りて、海岸を歩くユウヒ。砂浜に未完の冒険譚が打ち上げられたと聞けば、目を輝かせて駆けつけていたことが懐かしい。島へは大陸のあらゆる港から船がやってきていて、未完の冒険譚はそれらの船にのせられて大陸へと送られていった。代わりに、生活に用いられる魔具や、物珍しい食べ物や娯楽品を船は置いていってくれた。最も頻繁に行き来しているのが、今しがた乗ってきた、コルアール国の港町から出ている船である。
海岸から坂を上りしばらく歩くと、炎の花だけでなく様々な色とりどりの花が咲き乱れる丘が見えてくる。子どもたちが追い駆けっこをしていて、年上の少年が焼き魚を挟んだサンドイッチを頬張りながら見守っている。その少年が、やって来たユウヒに気がつき、しげしげと眺める。そして。
「ユウヒ姉ちゃん・・・?ユウヒ姉ちゃんだ!!」
駆け寄ってくる少年。ユウヒが島を出て約4年、あの頃よりも随分背が伸びた。他の子どもたちは、ユウヒの記憶がないのだろう、きょとんとしている。
「テンピ!ひさしぶり!」
ユウヒが手を振って迎えると、テンピはその手を取って大喜びで跳ねまわろうとした。しかし、飛び跳ねたそばから引き戻される。ユウヒの身体の軸が、想像以上に強かったのだ。
「ごめんごめん、大丈夫?」
尻もちをつきそうになりながら、テンピはユウヒを見上げると、ニカッと笑った。
「さすが、ユウヒ姉ちゃん」
テンピや幼い子どもたちと一緒に家々の立ち並ぶ集落へと着くと、行く先々でユウヒの帰省は歓迎され、テンピと同世代の子どもたちやユウヒの無事を喜ぶ大人たちが集まって来て、途端に賑やかになった。誰かが知らせにいったのだろう、ユウヒの両親も慌てて顔を出した。
「ユウヒ!4年も帰って来ないで、この!この!」
橙色の坊主頭である父が、泣きじゃくりながらユウヒを抱きしめる。
「たまに手紙を送って来たかと思えば、余計に心配になるような大冒険の話ばかりで・・・でも、いつも最後に書いてくれる美味しかったお菓子の話、楽しみにしてるのよ」
海に反射する光のような金髪の母が、指で涙をぬぐう。
「パパ、ママ、みんな、ただいま!」
ユウヒも、思わず目が潤んだ。
両親や島の皆が、帰省を祝う宴会を準備してくれるとのことで、ユウヒはその間に長老を訪ね、挨拶をすることにした。
集落から、両側を背の高い草に挟まれた細い道を抜けると、長老の屋敷が見えてくる。しかし、まだその屋根も見えないうちから、懐かしい音色が聞こえてきた。心に明るい火が灯るような、温かい音色。両側の草の壁がなくなり、開けた場所に出ると、目の前に長老の屋敷がある。開け放たれた戸から中を覗くと、ユウヒと同じ年頃の女性が、楽器の弦を弾いている。ひとつ弾くたび、宙に火の蕾がぽんっと現れ、消える。そして部屋の奥には、こちらに丸まった背を向ける、長い白髪の老人。長老だ。
「おお、帰ったのか、ユウヒ」
長老が背を向けたままそう言うと、楽器を奏でていた女性がはっとした顔でこちらを向く。
「ユウヒ!?」
「長老、ただいまです。ついさっき、島に着きました。アカネも、久しぶり」
ユウヒが悪戯っぽく笑うと、アカネが頬を膨らませる。
「もう、島を出て行く時も突然だったけど、帰ってくるのも突然なんだから!」
「ごめんね、いきなり帰って、驚かせたかったんだ」
2人の会話を、長老が愉快そうに笑う。そして、ユウヒの方へ顔を向けると、手を差し出した。ユウヒは長老の前に座ると、その手を握る。
「ほう、好き勝手に燃えていた炎を、なんとかして手懐けようとしておるのか。お前さんの炎は意思も強くて激しいからのお・・・いやしかし、遊んでばかりいるわけではないようじゃの。鍛えてもおる。見た目もどうじゃ、大人のレディーになったかのう?」
にやっと笑う長老を、アカネが「セクハラですよ」と窘める。
「でも、島から出て行った時に比べたら、そりゃ、大人っぽくなってますよ」
アカネにそう教えてもらい、長老は頷いた。ユウヒも、「うん。うち、ちゃんと大人のレディーになってますから」と笑う。
長老は、目が見えない。代わりに、魔力の流れに敏感だ。
長老が、先程までアカネが弾いていた島の伝統楽器に触れると、弦を弾いた。そして、曲を奏でる。長老の周りに、赤に青に混ざって紫に、炎が弾けて花が咲く。
屋敷の外に広がる空の色が、少しずつ夜へと近づいてゆく。ユウヒは、演奏を終えた長老を見つめ、どう話を切り出したものかと考えていた。すると、長老が口を開く。
「アカネ。今日の稽古はここまでじゃ。先に帰っておくとよい。お前さんもユウヒと積もる話もあるじゃろうが、今宵の宴の時でもよかろうし、ユウヒも何日か泊まっていくじゃろうから、焦らずともよいじゃろう。わしはちと、長老としての、ユウヒの報告を聞かねばならんのでな」
アカネは楽器を抱えると、「じゃあ、ユウヒ。また後でね」と集落へ帰って行った。
「さて、ユウヒ。どうも、わしに聞きたいことがあるようじゃのう」
すっかり見透かされていたのだ。ユウヒは、えへへ、と笑った後、真剣な顔に変わった。
「うち、長老が魔具を使わずに炎を操っていたこと、島にいる間はなにも不思議に思わなかったです。でも、大陸に行って、それってかなり特別なことなんだって知って。それで・・・えっと、魔具なしで魔法を使うことが、実は色々と重要なんだってことで、その・・・」
ユウヒがしどろもどろになっていると、長老は突然愉快そうに笑った。
「わしは生まれてこのかた100年以上、何も特別なことを考えることなく、炎と共に生きてきたがのう」
「えっと、じゃあ、長老は炎を操る時にどんな・・・想像とか、してます?魔法を操る時に大事なのは想像力なんですよね?」
ユウヒの問いに、長老は首を傾げる。
「想像、想像力・・・なんともまあ、曖昧な言葉ではないか。わしは、炎というものを見たことがない。しかし、人を温め、脅威を燃やし、目の見える者にとっては暗闇を照らす光となる、そういう理解はしておる。形やら、色やら、このようなものだと聞いたことはあるが、いちいち炎を操る時に想像などしたことがないのう」
「え、そうなんですか?変だなあ、みんな、想像力がキーワードだみたいな感じで言ってたのに・・・」
長老は、ユウヒの方へ顔を向けると、「ふむ・・・」と息を吐いた。
「想像ということで言えば、わしにとって、何かに頼らなければ魔法が使えないということの方が、想像も出来んことじゃがのう。しかし、現実というのは、そういうものかもしれん。想像もつかぬことが常に起こり続けているのが、この世界じゃろう?つまり、人の想像力などたかが知れておるし、世界は無限の可能性に満ちておる」
長老の言葉にじっと聞き入るユウヒ。
「まあ、それでも想像すること自体は大切だと思うがの。相手の気持ちを想像する、より良い未来のために何が出来るかを想像する、己のしようとすることで何が起きるかを想像する。魔法も、何のために使おうか、使うことでどんな結果を生むのか、とかの。想像したところで無限の可能性には及ばんじゃろうが、だからといって無駄なわけではない。お前さんがこの話を持ってきたから言うのじゃが、わしは最近、それを実感しておるのじゃ。わしはの、若い頃は『炎の怪鳥』などと呼ばれておった。今よりもずっと、魔力の量も多ければ、凄いことだって出来ておったのじゃ。しかし、歳をとるにつれ、衰えてゆく。今のわしに出来ることは、なんじゃろうなと想像する。そして、気がついた。衰えた後の方がずっと、弦を上手く奏でられる。多いなら多いなりの、少ないなら少ないなりの、魔力の使い方があるもんじゃ。誰しも、魔力は多かれ少なかれ、生まれつき持っておるのじゃからのう」
ユウヒは長老の話を聞きながら思った。長老は、魔具なしで魔法を使う前提で生きている。そこを疑っていない。だからこそ、常識の外にいられるのではないか。異端渡りの、水と色水の例え話が蘇る。目の見えない長老にとって、水も色水も、違いがなかったりするのかもしれない。
それに、長老の言う、「無限の可能性」ということも、都合よく捉えるとするならば、水盆に雨が降り注ぐかもしれないし、突拍子もないことだけれど、別のところに2つ目の水盆があって、そこから水を移すことだって出来るかもしれない。
「長老、ありがとうございます。うち・・・」
ユウヒがそう言い、立ち上がろうとした時であった。
「冒険譚の中も、無限の可能性に満ちておるかもしれんがのう。だからこそ、未完なのじゃろう?」
長老の言葉を、ユウヒはゆっくりと咀嚼した。
「自分たちなりの完結を、考えるからってことです?」
長老は白髪を何度か撫でつけた。
「5年程前、ここに若き男が訪れた。その者が言っておったのじゃ。冒険譚の作者が、未完のまま世に放っている理由を想像したらしい。わしが、この世界は無限の可能性に満ちておると、今お前さんにしたように講釈を垂れたのじゃがの、熱心に聞いておったその若者が、わしにそう返しおったのじゃ。その若者は、想像力の枯渇とやらをより具体的に考えておったぞ。いずれ人は相手を思いやることすら出来なくなると。そこで、冒険譚の仕組みそのものを、作者に変えてもらうよう頼みたいと申しておった。現実世界に大きな混乱をもたらすだろうが、自分が諸悪の根源として扱われてもよいと・・・それこそ、わしには想像もつかんことじゃがのう」
そう言うと、長老はおもむろに立ち上がった。
「さて、宴がもうすぐ始まるようじゃぞい」
宴の席で、皆がユウヒに話しかけ、懐かしい島料理を楽しみ、アカネの演奏でテンピら子どもたちが歌い踊り、長老が魔具なしで炎をお手玉のように扱い宵闇を照らし、皆で大きなかがり火を作り、そんななかでもユウヒの頭の中には先程の長老の言葉が仄かに残っていたが、かがり火が消えて宴も終わる頃には記憶の奥の方に押し込まれていた。




