第三十一章『鳳凰于飛(一)』
酒楼の二階で呆然とへたり込む凰華の耳にけたたましい馬蹄の音が響いてきた。
音の方へ眼を向ければ、なんと焔星と桃花が凄まじい勢いで階段を登って来ている。
「……焔星、桃花……」
焔星と桃花は凰華のそばで脚を止めた。焔星は凰華の涙の跡をペロリと舐めると、『乗れ』と言わんばかりに馬首を自らの背へと振って見せた。
「焔星……!」
凰華は両手でパンッと頬を叩くと、
「————そうよね、拓飛はきっとまだ生きてる! あたしたちが助けてあげないと誰がやるって言うのよ! ……それに————」
凰華の脳裏に先ほどの拓飛の言葉が蘇る。
(……あんな事を言うなんて、絶対に許さない……! 必ず元に戻して、キツい一発をお見舞いしてあげるからね……!)
覚悟を決めたように立ち上がり、焔星の背に跨がった。
凰華が騎乗した事を確認した焔星が大きくいななくと、こめかみの辺りが隆起しツノが生え出し、四つの蹄から真っ赤な炎が吹き出した。
「桃花! お前はこの鎮で待ってて、必ず迎えに来るから!」
宙に浮いた凰華が声を掛けると、桃花も高くいななき跳躍した。次の瞬間、その背から大きな羽が広がり、薄紅色の馬体を重力から解放した。
「……桃花、お前……! いいわ、一緒に行きましょう!」
凰華は頼れる仲間と共に闇夜へと駆け出した。
————空が白んでくる頃、凰華たちは崑崙山脈へと辿り着いた。
上空から下を覗き見れば、拓飛と共に登った道のりが今も変わらず続いており、あの日の記憶が鮮明に思い出される。
あの日は雪が降っていた。
寒さに身体を震わせていると、拓飛は自分の上着を羽織らせてくれた。あの時感じた温もりを思い出すたび、今でも心がポカポカと温かみを帯びてくる。
今度は自分が、独りで震えている拓飛を包み込んであげるのだ。手綱を握る凰華の腕により一層、力が加わった。
さらに進んでいくと、龍悟と出会った窪地に差し掛かった。
いま思えば、あの時にはもう姉弟と感じていたのかも知れない。弟は無事に眼を覚ましただろうかと思いを巡らせていると、以前、西王母に案内された桃源郷の入り口までやって来た。
何かに気付いた凰華は思わず眼をこすった。
あの時、吹雪が渦のようになっていた空間に、獣の爪痕のような五連の裂け目が生じている。すでに檮杌が侵入しているに違いない。
「……行くわよ、焔星、桃花……!」
二頭の頼れる仲間が高らかにいななき、空間の裂け目に飛び込んでいった。
飛び込んだ先はどうやら前回と同じ場所のようである。
あの時と同じように桃の花が咲き乱れ、馥郁たる桃の香りが鼻腔を刺激するが、流れている空気はどこか違うモノを凰華は感じ取った。
そのまま真っ直ぐ進んで行くと、やはり崖に行き当たったが、天空へと伸びるようだった無限階段は明らかに段数が減っており、目線を上に向けると西王母の宮殿がある浮島が眼に入った。
今回は徒歩で登らず騎乗したまま浮島へ降り立つと、宮殿の周りには数十人の門人が倒れていた。凰華は近くの男に歩み寄り、様子を窺った。
男にはなんの外傷も見られなかったが、固く眼を閉じて、いくら呼び掛けても反応は無い。この症状に凰華は覚えがあった。
(……これは、西王母さまの桃氣……、でもどうして西王母さまが白虎派の門人を……⁉︎)
宮殿の入り口に顔を向ければ、扉が開かれている。
「二人とも、ここで待っててね。必ず拓飛を連れ戻してくるから」
凰華は力強く宣言して、宮殿の中へと進んでいった。
宮殿の中は外観からは予想も付かないほど、変わらず迷路のように入り組んでいた。
前回訪れた時には西王母が声で案内してくれたが、今回は期待できそうにない。しかし、正しい道順などはすでに覚えておらず途方に暮れかけたところ、またしても前方に空間の裂け目がポッカリと口を開けているのが見えた。
迷わず飛び込んだ凰華が眼にしたものは、掌門の間で対峙する西王母と檮杌の姿であった。
周りには複数の門人が倒れており、その中には蘇熊将の姿もあった。
「————蘇師兄!」
血相を変えて凰華が抱き起こすと、やはりその眼は固く閉じられ、死んだように眠っている。
「その者らは妾が眠らせた」
突如、西王母が声を発した。その顔は扇で遮られており表情は読めない。
「西王母さま、どうしてこんな……⁉︎」
「こやつの前では無駄に命を散らすのみじゃからのう」
凰華は檮杌に眼を向けた。
顔は拓飛の面影を残しているが、その表情は人間離れしたもので、愛する男の気配は微塵も感じられない。
「檮杌よ、何をしに参った?」
「とぼけんな、てめえに落とし前を付けるためだ……!」
「ホホ、復讐か。そなたも中々に俗な事よの」
愉快そうに西王母は肩を震わせた。
「そんなモン関係ねえ。てめえが強えからだ」
「……何よりも闘争を好み、唯ひたすらに強き者を求めるか。肉体が変わろうとも性根は変わらぬな」
「その言葉、てめえにそっくり返してやるぜ」
「ほう?」
「このガキがここに来た時、てめえは俺の存在に気付いていたはずだ。だが、饕餮の野郎と潰し合わせるために泳がせやがったな?」
「左様。『貪欲』の饕餮が青龍派の掌門に巣食っておるのは分かっておったが、門派を率いて攻め入れば多くの血が流れるゆえ、そなたのような一匹『虎』は実に好都合であった。ぶつかりおうてどちらかが倒れれば良し、共倒れになってくれればなお良しじゃったがのう」
西王母の言葉を聞いた凰華は愕然とした。
あの時、西王母が『原初の仙人』や父、黄志龍の話を小出しにしたのは、拓飛の内に潜む檮杌の魂を揺さぶる目的があったのだ。目論見どおりに拓飛は知らず知らずの内に青龍派に敵対する行動を取ってしまった。
凰華はキッと西王母に顔を向けたが、西王母はその視線に気付く風でもなく言葉を続けた。
「————それで、妾を殺した後はなんとする?」
「知れた事だ。神州中の強え奴を殺して回る。人間だろうが妖怪だろうが誰でも構わねえ」
「神州の地を根絶やしにするつもりかえ?」
「根絶やしにするだと?」
突然、檮杌の赤眼が大きく見開かれた。
「そんな事をしちまったら、闘う相手がいなくなっちまうじゃねえか! 親父は殺すが、ガキは殺さねえ! 兄貴は殺すが弟は見逃してやる! そうすりゃ俺は死ぬまで闘い続ける事が出来るぜえッ‼︎」
檮杌は狂ったように高笑いを上げ、掌門の間がまるで地震に遭ったかのように激しく振動した。
その時、昏倒していた熊将がガバッと跳ね起き、渾身の体当たりを檮杌に繰り出した。
拓飛を吹き飛ばしたほどの重い熊将の一撃だったが、檮杌は微風を受けたように微動だにせず、熊将の首根っこを掴んで吊るし上げた。
「……てめえ、なかなかやるじゃねえか」
ニタリと笑った檮杌の左掌底が熊将の胸を打ち、その身体は凄まじい勢いで壁に激突した。
「蘇師兄!」
壁にめり込んだ熊将はゴボッと鮮血を吐き出し、再び意識を失ってしまった。
「今は殺さずにおいてやる。鍛え直して来な」
嬉しそうに檮杌が言うと、先ほどまでとは打って変わった口調で西王母が口を開いた。
「……何者の命も受けず、何人たりとも教え導くこと叶わぬか。言の葉を交わすのは終いじゃ『難訓』めが……!」
西王母が扇を下ろすと、そこには青緑色の眼と黒い斑点が浮かび上がった獣の顔があった。




