最終話:【悲報】ヒロイン(弟)はバナナの皮研究以外に興味ありません〜
「まず、兄様は僕が誰かに嫁いだ後、セシウスさんと結婚しました。セシウスさんを愛していない兄様の態度は、非常に冷たく、そのせいか家庭気温は摂氏-273.15℃になりました」
「……絶対零度だな。よく死人が出ないものだ、その家庭」
俺が呆れ果てて口にすると、リヒルは真顔で頷いた。
「死人は出ませんが、あまりの寒さにセシウスさんは毎朝、髪をガチガチに凍らせて起きてくるんです。それを兄様が『今日もよく冷えているな』と氷の微笑で眺める……」
想像したくない光景が、鮮明に浮かぶ。
「二人とも不幸なのに、別れられない。貴族社会とは、不自由なものです」
「氷結耐性あるのか、あいつは……」
自分の将来の嫁(の可能性)に戦慄していると、リヒルが俺のシャツの袖をぎゅっと掴んできた。
「僕は、兄様にもセシウスさんにも不幸になってほしくありません。セシウスさん、あの人、見てるだけで面白いですから」
ヒロインの癖に、悪役令息をお笑い枠に分類するな。俺の心のツッコミを知らず、リヒルは、続ける。
「それから、僕の未来。まず、殿下――フリード様と添い遂げた世界です」
いつもは快活なリヒルの目が虚ろになった。
「殿下は執着心と独占欲が強い方でした。僕を王妃(笑)として迎えた彼は、僕がどこへも逃げられないよう、汚い字でセカイノハンブンと書かれた建物にとじこめてしまいます。世界の半分が欲しいなんて言ってないのに」
王妃の後ろに(笑)って付けるな。
――というか、あの殿下、王妃を閉じ込める?保管物扱いか。俺は殿下の評価を静かに下方修正した。
「次は、レックス先輩と結ばれた世界線です。あの先輩、情熱的すぎて、僕の待つ家にドラゴンに乗って時速320キロのスピードで帰ってこようとして、転落死します」
「……」
「結婚して、わずか半年」
「み、短い」
「僕は絶望して、引きこもりました」
結婚して半年で未亡人ルート。重すぎる。
「で、ハリス先輩との世界線、彼は騎士としての義務感が強すぎて、僕を守るために半径20メートルへ誰も立ち入れないように結界魔法を張ってしまいます。おかげで僕は、買い物すら碌にできません」
え?そこ!?もっと色々問題あるだろう?!
「最終的には結界魔法が強くなりすぎて……ハリス先輩すら、僕に近づけなくなるのです」
「ヤンデレのアホ!」
リヒルはふぅ、と小さくため息をつき、俺の顔を覗き込んだ。
「僕はただバナナの皮で人を滑らせる研究がしたいだけなのに……」
「お前の幸福の基準はそこなのか……」
「兄様、後でバナナの皮で滑ってくれますか?」
……………………うまく滑れるだろうか?
どこまで弟が本気で語っているのか測り兼ねるが、口調は真面目そのものだ。
「だから兄様、僕は、この三人と恋愛するのはごめんです。どんなに熱烈に愛されても、最後には檻に入れられるのですから」
「リヒル……、いや、他にも相手は……」
「いえ、他にもいろんな人とのルートを見ましたが、ろくなことになりません。」
不意に、距離が縮まる。
「僕の希望は兄様だけです……。夢の中の兄様は、いつも優しくてバナナの皮で滑ってくれます」
――夢の中の俺、なぜ常に滑っている。
リヒルは俺の手を自分の頬に寄せ、すり寄せるように目を細めた。
「僕はこの先、誰とも恋愛なんてしないですから、この家でずっと暮らします。兄様は、誰かと結婚しても僕を追い出さないでくださいね?タライを開発するために開発した超軽量新素材のロイヤリティ、兄様の名義に入れますから」
俺を見つめる瞳には、深く、底知れない執着が宿っているように見える。
「……お前、これは一種の『監禁』だ」
俺の問いかけに、リヒルは心外だと言わんばかりに小首を傾げた。
「何故ですか?僕はただ、世界一安全なセーブポイントで、ずっと兄様と、のんびりしていたいだけですよ」
誰がセーブポイントだ!と思いながらも、結局のところ、俺はこいつを拒否できず、手のひらの上で転がされることを自覚した。――ああ、そうだ。
胸の奥で小さく腑に落ちる。
こいつは、俺を監禁しているわけじゃない。逃げ道すら、何通りも用意されている。
だが――リヒルは自分の望まない攻略対象を「魔性の微笑」で困惑させ、「未知の体験」で変な方向に導き、「吊り橋効果」で退場させた。そのくせ、自分は「家族の情」という名の絆で俺を独占する。これは全て弟の計画だったのか真実はわからない……。
「……お前、将来どんな魔王になる気だ」
呟くと、リヒルはニコッと笑う。
「兄様、魔王はイヤです。冒険者がいいです」
俺の手をとったまま、楽しそうに喉を鳴らす弟は、世界で一番美しく、
そして、手に負えない厄介な相手。
それでもなお――
今日も俺は、差し出されたバナナの皮を受け取る。
たとえ、この先に、泥沼のような未来が待っていたとしても。
弟にとっての「安全なセーブポイント」でいることを自ら望んでしまった。
俺の本心を知る本命の弟は今日もご機嫌だ。
終
【余話1:金髪なの?青髪なの?どっちが好きなの?】
「兄様、昨日は運命に定められた幼馴染の金髪の美人か、運命的に出会った青い髪の美女か、どちらかと結婚を選ばされる世界に行きました」
あー、あの有名な世界……
「……どちらを選んだんだ」
「その世界の僕は、どちらかを選ぶなんて出来ませんでした。だからそばにいた青髪の女性の父親を選びました」
……何てことだ。リヒル。 あれは、血の涙を流してどちらかを切り捨てるイベントなのに、富豪の父を選ぶのか?というか選べるのか?
「その選択、物語が進まないだろう?」
「いいえ。ラブラブになりました!」
……金髪美人と青髪美女が気の毒過ぎる。聞かなければよかった……。
【余話2:時速は30キロメートル。スピード違反は許しません】
春先とはいえ、風は青空を駆け巡り、どこまでも冷たい。
雲を潜って進むドラゴンの背に、レックスは手綱を強く握りしめている。
「もうすぐだ……!」
眼下に見えるのは、大切な人と約束した魔物の森。広大な森も上空から見下せば小さな木の塊だ。
この森の洞窟の入り口に待っている人。
「丸くて、赤とか緑とか青の魔物を見つけたいんです」
彼の可愛い望みを手伝いたくて、魔物の森への動向を願い出ると、心よく承諾してくれた。
"デートだ!"
ちょっと違うかも知れないが……
レックスの胸は高鳴っていた。
初めてのデート(確定)。
一刻も早く彼に会いたい。
「来るのはいいですけど、サラマンダーに乗ってくるのは無しですよ?丸い子が驚くから」
リヒルがそう言っていたが、うっかり、人助けをしていて、時間に遅れそうになり、そのまま乗って来てしまったが許してくれるだろうか?
――ドラゴンは速い。
風圧が風よけのマントを翻し、視界がぶれる。
それでも乗り慣れたドラゴン。彼は余裕だった。
ドラゴンが高度を下げ始めた、その瞬間――
突風
ほんの一瞬、手綱が緩んだ。
ドラゴンの巨体が大きく揺れ、次の瞬間、重心が崩れる。
「――っ!」
声にならない叫び。
視界が反転し、空と大地が入れ替わる。
手を伸ばした。
必死に、何かを掴もうと。
(間に合わない……)
頭に浮かんだのは、
笑ったあの人の姿。
「……時間に……」
風が、言葉を引き裂いた。
ドラゴンの咆哮が遠くで響く。
身体が宙を舞い、重力が、すべてを思い出させる。
落ちていく。
ただ――。
最後に見えたのは、
穏やかな青空だった。
「先ぱーい!!!」
重力が全身を掴み、内臓が浮く感覚に、レックスが歯を食いしばった時に聞こえた、愛しい人の声。
その瞬間。
黒い影が、下から跳ね上がった。地鳴りのような羽音。
そしてドン、と鈍い衝撃。
次の瞬間、身体が生暖かい温もりに受け止められた。
「――え!?」
レックスは、理解が追いつかないまま、目を見開いた。
自分を受け止めていたのは、
青い鱗を持つ、ずんぐりとしたドラゴン。
そして、――目の前にいたのは、こちらを見つめる少年。
「……間に合いました」
涼しい声。
「リ、リヒル……?」
落ちていく感覚は、もうない。
「朝、やっぱり心配になって迎えに行ったら、サラマンダーに乗って、お年寄りを家まで届けたと聞いたので、もしかして、そのまま来るかな?と思って張り込みしてました」
「は、張り込み……?」
「このドラゴン、兄様にねだって、買ってもらいました。ちょっと高い子でしたけど、兄様のポケットマネーは潤沢です」
「……ポケットマネーって……」
「兄様、我が家の財布を運用して稼いでますから……。父上には内緒ですよ?」
呆然とするレックスをよそに、リヒルはちらりと、上空で旋回するサラマンダーを見上げた。
「やっぱりサラマンダーより早い。……あ、言っちゃった!」
「……」
――サラマンダーより、速く飛ばなければ、追いつけなかった。
リヒルの巨大なブルードラゴンは、そのまま滑るように高度を落とし、森へと着地する。大地に降ろされた瞬間、レックスは膝から崩れ落ちた。
「……助かった……」
心臓が、まだ暴れている。
リヒルは何事もなかったようにドラゴンを降り、少しだけ困ったように眉を下げた。
「無茶苦茶です。いくら風よけの結界を張るからって、時速320キロは駄目です」
「……耳が痛い……」
そう答えながら、レックスは空を仰ぐ。サラマンダーが、ようやく状況を理解したのか、心配そうに低く鳴いている。
「……君が来なかったら……」
言葉が、続かない。風よけのマントはいつの間にかなくなっていた。
リヒルは一瞬だけ黙り込む。
「……騎士団責任者に、ドラゴン速度規定:最高時速60キロにするように訴えましょう」
「え、……いや、空賊と戦闘になったら、60キロではぼろ負け……」
「では、通常時は、ということで」
「……時速200キロは?」
「200キロ?」
少し考える素振りをしてから、あっさりと言う。
「一辺、落ちてみます?」
「……」
空気が凍った。
リヒルは笑っているが、黒いオーラが見えた。
「わ、わかった。……確かに、無茶なスピードはドラゴン騎士全体で考え直したほうがいいかもしれない」
「それがいいと思います。今回は助けられましたが、いつも間に合うとは限りませんから」
淡々とした返事。
レックスは、いまだ震える自分の手を見つめた。
死ぬはずだった。
あの速度で落ちれば、魔力で強化した肉体とて無事では済まない。
目の前で、兄に買ってもらったというブルードラゴンの鼻先を撫でているリヒル。
その細い指先が、自分の命を、繋ぎとめた。
恐怖と、そしてそれ以上の、魂を震わせるような陶酔が胸を焼く。
(この命は、もう俺だけのものではない)
レックスは心の中で騎士の誓いを唱えた。
『我が剣、我が盾。今日この時より、すべてを貴方に捧げます、リヒル様』
「先輩? さっきから固まってどうしたんですか。ま、まさか、脳に風圧でダメージが?」
リヒルが心配そうに振り返る。その無垢で残酷な琥珀色の瞳に見つめられ、レックスは顔を上気させた。
「……いや。何でもないんだ、リヒル。ただ……一生、君の指示に従おうと決めたよ」
「本当ですか!? じゃあ、まずは罰として時速30キロ制限を守ってくださいね」
「さんじゅう……。……善処するよ」
誓った直後に、超低速速度を課せられる。
それでも、レックスの顔には、救われた喜びと、得体の知れない情熱が混じった、どこか恍惚とした笑みが浮かんでいた。
――この世界線で、レックスは死なない。
終2




