2.
「――――――――」
瞼を開くと、木々に遮られた夜空が視界に広がった。
「……………………」
仰向けに寝転がったまま視線を動かして周囲を見渡す。光は無い。一方には岩肌の剥き出しになった崖が、遥か上方まで壁の様に続いている。
「…………えっと、」
記憶に掛かった靄が、徐々に晴れていく。
ああ……そうか。あの上から落ちたのか。
身体を起こすと、全身が軋みを上げると共に僅かな目眩を覚える。が、動くのには支障はなさそうだ。
「……………………っ」
ふと、右腕に痛みが奔った。
「……まずいな。捻ったか?」
動かないわけではないが、強く握っても力が入らない。これでは、銃を握ることも出来ないだろう。
状況は最悪に近い。真夜中の森、A級危険地域。身体は負傷している。それに……。
「そうだ……有里は……!」
確か、あいつも一緒に落ちた筈だ。だったら、絶対にこの辺りに居る筈……!
立ちあがり、周囲を見渡す。すぐ近くの木の根元に、うつ伏せに倒れる有里の姿があった。
「有里……っ!!」
ふらつく足で、有里の下まで歩み寄り、彼女の身体を抱きあげた。意識は無い。でも、呼吸はしている。
掠り傷だらけだが、命に関わるような怪我は無いようだ。
……良かった。
全身から力が抜け、大きく息を吐く。
「ん…………」
腕に抱えた有里が、静かに瞳を開く。
「気が付いたか」
「あれ……先……輩……?」
普段とは違う、弱々しい顔をした有里が、焦点の合わない瞳で俺を見つめた。
「あれ……えっと…………」
頭を押さえながら身体を起こす有里の身体を支える。
「大丈夫か? 身体に変な所はないか?」
「え、あ、はい……」
有里は、未だ状況を理解していないのか、ぼんやりとした顔で周囲を見渡した。
「ここ、は…………」
「崖の下だよ。マモノに襲われて真っ逆さまって所だ。覚えてないか?」
「あー…………」
崖の上へと目を向け、有里は唸り声を上げると、再び視線を落として俺を見つめてくる。
「じゃあここ、A級危険地域ってこと、ですか……?」
「…………おう」
有里が顔をにわかに顰める。俺は、その顔から視線を逸らすように顔を背けて、ゆっくりと有里の身体を起こしてやる。
「身体、大丈夫か? 何処かおかしなところないか?」
「……………………」
「……どうした? やっぱりどこか……」
「あ……いえ、なんでもないです。えっと、身体はなんともないんですけど……ライトと……銃を、上で落としたみたいで……」
「…………そうか」
有里が十四歳という若さながら、学校の訓練生として周囲に一目置かれているのは、その射撃センス故だ。逆を言えば、彼女は銃を持っていなければ、その肉体や運動能力は一般的な思春期の少女のものでしかない。
有里は僅かに顔を伏せると、彼女には似合わない表情を浮かべながら口を開いた。
「……ごめんなさい、先輩。あたし……役立たずで」
「バカ言うなっ」
有里はただ、俺に着いて来ただけだ。だから、この状況の原因は、俺にある。
…………最悪だ。
何のために他人と関わらない様に生きてきた。何のために、一人で戦える力を手に入れたんだ、俺は。
「…………先輩?」
「なんでもない……ともかく、ライトが無いなら、夜の間は移動することも出来ない。今日はもう休んどけ。俺が、周りを見張っといてやるから」
「え……あ、はい」
有里から手を離すと、俺は踵を返した。
……後悔していても始まらない。今はとにかく、有里と共に、上に戻ることを考えないと。
だが、銃を無くした有里は、普通の少女と変わらない。そんな彼女を守りながら、戻る事が出来るだろうか。
動かない右手を見つめる。ずっと、何もかも独りでやろうとしてきた。そっちの方が気楽だった。右手に銃と、左手に刀を握り、他人の手を握ろうなんて考えたことも無かった。
そんな俺の手で――本当に誰かを守ることが、出来るのだろうか。
「…………先輩」
普段とは違う、躊躇いがちな、弱々しい力で裾を引っ張られる。
振り返ると、有里が俺の脚に縋り付くようにして、泣きそうな顔で俺を見上げていた。
「……そんな遠くに行くわけじゃない。すぐに戻ってくるから」
「わ、わかってます……わかってるん、ですけど……」
裾を掴む手が震えている。その手は今にも離れそうだ。大丈夫。なんて言葉は、何の意味もないのだろう。どちらにせよ、俺が彼女を暗い森の中に一人置いて行こうとしている事には変わらないのだから。
……動けない。有里を安心させれば良いのだろうが、そんな器用な言葉、俺の口からは出てこなかった。
……これも、他人を拒絶していたツケか。こんな時、なんて言えば良いのか、分からない。
「…………はぁ」
彼女の手が離れないように、ゆっくりとその場に座り込んだ。有里の表情が僅かに緩む。
「ありがとうございます」
有里は一度息を吐くと、安心したのか、顔を上げて頬を緩める。
「……なんで笑ってるんだよ」
「あ、えっと……ごめんなさい。なんか、先輩と初めて会った時の事、思い出して」
……初めて会った時?
「覚えてません? 先輩とあたし、学校に入学した時に会ってるんですよ?」
「……………………」
入学した時って事は、四年前か。……全然覚えてない。
首を傾げていると、有里は寂しげに苦笑いを浮かべる。
「あたし、学校の最年少入学者とかだったじゃないですか。突然親元から引き離されて。周りは年上の知らない人ばかりで。凄く不安で。震えが止まらなくて。だから、思わず前に居た人の裾を掴んじゃったんです」
「…………あー」
……何となく、思い出してきた。そうだ。確か、入学時の説明会の時、突然俺の裾を掴んできた、見知らぬ女の子が居たっけか。
「その人は振り向いて、ちょっとだけ嫌そうな顔をしたんですけど。でも、振り払ったりとかしなくて。だからあたし、ずっとその人の裾を掴んでたんです」
徐々に思い出してきた。今よりももっと背が低くて、今よりもっと、年相応の少女の様に、大人しそうで、不安気な顔をした少女。
「結局、その後は先輩と会う機会は殆ど無くて。再開したのは、同じ班になってからでしたけど……でも、あの時の事があったから、あたしは今でも此処に居るんですよ?」
そう言って笑う有里から、俺は視線を逸らした。有里は随分と美化しているようだが、そんな大層な事をした覚えはない。彼女が今、天才少女として名を馳せているのは、一から十まで彼女の力だ。俺の影響なんて、あるわけがない。
「先輩って、捻くれ者だし、口悪いし、意識的に人を遠ざけようとしてるから、皆には嫌われているけど――」
……でも。有里は、微笑みを浮かべ俺を見つめて。
「――本当は、凄く、優しいんですよね」
「……そんなわけないだろうが」
……唇を噛む。有里の顔を直視出来ない。
「そうですか? さっきから先輩、ずっとあたしの心配してくれてるじゃないですか。気付いてないみたいだけど」
「……そりゃ、俺の責任だからだよ」
「それに、先輩ってあたしが裾を掴んでも、嫌そうな顔はするけれど、無理やり振り払ったりは絶対にしないじゃないですか」
「それは、単に面倒くさいだけだ」
多少は元気を取り戻したのか、有里の口調に軽い調子が戻ってくる。だが、一方で俺の心は沈みっぱなしだった。
有里の信頼は、有里の想いは、思った以上に、重い。
「………そんなんじゃ、ないんだよ。俺は……」
……俺は、そんな大した人間じゃない。
誰かの為になれるような人間じゃない。
寧ろ、誰かを犠牲にして生き残る様な、そんな人間なんだ……。
俺の瞳には、命が視える。だから俺は、他の奴らに比べると、僅かながら死に難い。
誰が生きているかを把握して、何処に敵が居るかを確認すれば、一人で逃げる事は簡単だった。
俺の家がマモノに襲われた時、俺は、家族を犠牲にして生き残った。家族の命の灯が消えていくのを見ながら、俺は逃げる事しかしなかった。
その後も、誰かが死んでいくのを見ながら、俺は逃げ続けた。
だから、学校に入学した時、俺は他人と関わるのを止めた。誰とも関わらなければ、誰も犠牲にすることはない。
ずっと一人で居れば、死ぬときだって一人だ。
それだけが、俺みたいな人間でも、他人を守ることができる、唯一の方法。
「…………いや、違う」
……違う。そんな理由じゃない。そんな大層な理由じゃない。
俺は、ただ――
「…………先輩?」
「……………………怖いんだ」
口から洩れた声は、情けないくらいに震えていた。
「怖いんだ……。誰かが死ぬのが怖い。目の前で見知った人間が死ぬのが、怖くて堪らないんだ。……それだけなんだよ。他人を寄せ付けないのも、仲良くしたくないのも……失うのが、怖いからなんだ。俺は……本当は、凄く、臆病なんだよ」
……我ながら、ダサ過ぎるな。
例え本音でも、口にして良い事と悪い事がある。
年下の、自分を信頼してくれている少女に、こんな事を話している。
本当は安心させないといけないのに、むしろ失望させようとしている自分に自己嫌悪して死にたくなる。
……でも、これが俺なんだ。格好付けても、強がってみせても、結局、俺の本音なんてこんなもんで。
だから、本当は、彼女に頼られるような資格なんて、ある筈がないのに……。
「――――安心しました」
有里は、そう言った。
こんな臆病な男に一番似合わない台詞を、口にした。
「――だって、臆病な先輩は――失うのが怖い先輩は、あたしの事、絶対に守ってくれるでしょ?」
裾を握る手に力が込められる。まるで、二度と離さないとでも言うかのように。
「挫けずに先輩と話し続けて、良かった。先輩にそれだけ想われていて、良かった」
「――――っ」
言葉に詰まる。先程までとは違う意味で、有里の顔を直視出来なくなる。
「……あたし今、凄く恥ずかしい事を言ってしまった気がするんですが」
「自覚があるなら俺に聞くなよ……」
他人を寄せ付けないように生きてきた俺に、一人だけ空気も読まずに絡み続けてきた、有里。そんな彼女を、ずっと突き離すように過ごしてきた。
なのに、何だこの空気。何だコイツ。
……何なんだ、俺は。
それだけの時間をずっと過ごしてきて……それでも他人だと言い張れると。どうでもいいと言い切れると、本当に思っていたのだろうか。
「先輩」
「……なんだよ」
振り返らずに答える。
「もう、あたしの事避けないでくださいね。また冷たい態度なんて取られたら、あたし、きっと泣いちゃいますから」
「……………………」
何も、答えられなかった。返答は決まっているのに、それを口にする勇気が出ない。
ああ……本当に、俺はつくづく、臆病な人間らしい。
「…………寝とけ。俺が見張っといてやるから」
「照れてる」
「うっせぇ……」
ジャケットを脱ぎ、有里に手渡した。有里は、頬を染めながら破顔すると、それを敷いてその場に横たわる。
「…………おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
寝息はすぐに聞こえてきた。怪我は無くとも、精神的に参っていたのだろう。
あどけない寝顔にこびり付いた泥を、左手で拭いとってやると、有里は僅かに顔を顰める。
「…………くそっ」
何に対する舌打ちなのか、自分でも良く分からない。この状況にたいしてか、ふがいない自分にたいしてか。それとも、今更になって気付いてしまった事にたいしてなのか。
何も分からない……ただ、熟睡している彼女の右手は、未だ俺の裾を掴んでいた。
♪
「……………………」
隣で眠る有里を起こさないように、武器と装備のチェックを行う。
手元には山刀が一本と、ナイフが数本。散弾銃もあるが、下手に大きな音を出すのは拙い。奴らは普通の獣に比べて攻撃的である上に、恐怖心というものが圧倒的に少ない。害敵を見つけると逃げるよりも前に襲いかかってくる。
結局、役に立ちそうなのは山刀とこの両目だけらしい。
心許なくて笑えてくる。こんな無骨な刃物と、良く分からない瞳だけで、マモノの巣と呼ばれる此処を駆け抜けろというのだ。しかも、俺一人じゃない。守るべき女の子と共に。
「…………上等じゃねぇか」
自然、山刀を握る手が震えていた。
武者震いなんてものじゃない。これは、純然たる恐怖の証だ。
……怖い。
怖いのは、死ぬ事じゃない。彼女を失うことで。
だから、俺は全力を尽くす。恐怖に苛まれているからこそ、生き残る為の努力をしよう。
俺の身と俺の力を全て費やして、彼女と生きる事にしよう。
「……………………」
山刀を再び鞘に戻す。空は既に白んで来ていて、柔らかい光が木々の隙間から薄暗い森林内を照らしている。
良い時間だ。俺は有里へと向き直り、彼女の身体を揺さぶる。
「おい。起きろ有里」
「…………ん。んん……せん、ぱい……?」
俺の裾を掴んだまま寝ている有里が、うめき声を上げてうっすらと瞳を開いた。
「……ふぁ、おはようございます…………」
有里は身体を起こし、片手で瞼を擦ると、大きく欠伸をしてから答える。思わず脱力しそうになった。
「お前……いくらなんでも爆睡しすぎだろ」
「…………? 先輩は寝てないんですか?」
「当たり前だ」
幸い、マモノが姿を現す事は無かったが、それでも此処は敵陣のど真ん中だ。見張りを怠るような危険な真似はしない。
「んー…………はっ」
寝ぼけ眼のまま周囲を見渡していた有里が、不意に目を見開いて俺を見つめた。
「な、なんだ……?」
「先輩……あたしが寝てる間になにか、言えない様な事はしてませんよね?」
「…………する気も失せるくらい間抜けなアホ面晒してたくせに」
いやほんと、この状況で良くもまあそこまで安心出来るなってくらいに爆睡してやがったわけで。
「ほほう……つまり、する気が無かったわけではないんですね……?」
「…………流石に、こんな状況でそんな事しねぇから」
「そ、それはつまり、こんな状況じゃなかったら思わず何かやってたかもしれないと……!」
「ああもう頬赤らめんなそう言う意味じゃねぇよ! つかなにこの会話!? 結構危ない状況何だから緊張感持てよ!?」
そうでした。と能天気に呟く有里。…………くそっ。緊張の糸が一気に切れちまった。
「いやー……。昨夜はあたしらしくもない所を見せてしまったので、ちょっと挽回しようかなと」
「いらねぇ…………」
「あれ? 先輩はおしとやかなあたしの方が好きですか?」
「そういう意味じゃねぇから! ……てか、だからそんな話をしてる場合じゃないんだって……っ!」
何かを言い返そうとするが、結局その気も失せる。代わりに大きく肩を落として息を吐きだした。
「…………はぁ。お前と話していると、調子が狂いっぱなしだ」
「だって、先輩の調子に合わせてたら、すぐに話が終わっちゃいますもん。あたしはもっと先輩と話したいんです」
なんて、恥ずかしげもなく口にする有里。……こいつの、言いたい事を何でも口に出来る性格は、少しだけ羨ましかった。……内容が違えば、だが。
立ち上がり、有里から受け取ったジャケットを羽織る。周囲を見渡していると、再び有里が俺の裾を握り、口を開いた。
「…………本当は、馬鹿言ってないと怖くて、ですね」
「……………………」
……俺には、こんな時に、彼女を安心させる事が出来る様な気の利いた言葉は言えない。
だから俺は、無言で右手を彼女へと差し出した。
「…………え?」
「……わざわざ、そんな掴み辛いところを握る必要もないだろ」
「――――――――」
有里がぽかんと口を開けて、間の抜けた表情で俺を見つめる。その視線に耐えきれず顔を背けると、有里は小さく吹き出して、裾を握る手を放し、改めて俺の手を握る。
「……なんで先輩の方が、あたしより震えているんですか」
「だから言っただろ。臆病なんだよ、俺は」
震えを抑え込む様に、彼女の小さな掌を強く握りしめた。
有里の手を握ったまま、左手で山刀を抜く。
瞳を切り替える前に、彼女の笑顔を焼き付けるように見つめた。
さあ――それじゃあ、誰かを守る為の戦いを始めよう。
♪
とにかく、上層に戻らなければ森から出る事はおろか立花や春日さんと合流する事も出来ない。
俺達が落ちた崖はかなり傾斜が急で、その上かなり先まで続いているので、ここから登る事は不可能に近い。他の道を探さなければ。
瞳に映る世界には赤色が犇めいている。その中から色の薄い所を選び、更には常に周囲に目を光らせながら進んでいるので、探索は中々進まない。それでも、これだけの注意を払わなければ生きて帰れないのが、A級危険地帯なのだ。
「…………っ」
長時間連続で能力を使いすぎた所為か、こめかみの辺りに痛みが奔る。灰色の視界が僅かに歪み、俺はその場に足を止めた。
「……先輩? 大丈夫ですか……?」
「……問題ない。それより、もっと強く手を握ってくれ。右手、力が入らないから。いざって時に離れたら困る」
有里は頷くと、握る手に力を込める。それで、少しだけ頭痛が和らいだ気がした。
大丈夫だ。有里が居てくれる限り、俺は頑張れる。俺が諦めるという事は、有里の命も諦めるということなのだから。
「――――はっ」
笑ってしまう。昨日まであんなにも彼女の事を拒絶していたというのに。今では、彼女の存在が、俺の脆弱な心を支えている。
……いや。今までだって、避けているようで、本当は俺の事を気にかけてくれる彼女に救われていたのかもしれない。
多分、俺が本気で拒絶すれば、彼女との関係なんてとっくの昔に断ち切れていただろうから。そうならなかったということは、無意識のうちに、俺は有里の事を容認していたと言う事で……。
そんな事実に、今更気が付いた自分が、ひたすらに滑稽だった。
「先輩、どうしたんです?」
「なんでもない。時間が惜しいから先に向かおう」
歩き出してから、既に数時間。時間は、正午よりも少し前程度。
せめて、再び日が落ちるよりも前に、上へと辿り着きたい。出来るなら、立花達との合流も。
俺は一度首を振ると、痛む右手に力を込めて、有里の手を握り返し、再び歩みを進めた。
森の中を歩く。
昨日まで歩いて来た森と同じ場所の筈なのに、周囲にはどこか禍々しい空気に満ちている。
普段なら馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす所だが、なまじ俺の瞳には、その理由が見えてしまう。まるで、地雷原の中を歩いている様な気分だ。
そんな状況では、自然、口数も少なくなり。殆ど無言で光の落ちてきた山中を歩き続けていた。
隣に目をやると、有里の姿が赤い光に包まれて見える。この状態だと、細かい表情等を読み取る事が出来ないので、彼女が今、どんな顔をしているのか分からない。無表情なのか、それとも、少し疲れた顔をしているのか。
何時間も、常に集中の糸を張り詰めたまま歩き続けているのだから、疲れていない筈がないのだが。こいつは、そういうのを、顔に出す方だったろうか。訓練中は殆ど一人で居た所為か、まるで記憶にない。
……良く考えたら。俺は有里の事を、殆ど知らない事に気が付いた。
「…………悪いな」
「……? なんです、いきなり」
「俺、今までずっと、お前に酷い態度を取っていた」
それも、意識的にやっていたのだから救えない。きっと有里にとっては辛い対応だったろう。
「……今更、こんな事言うのもなんだけど、さ」
「本当に今更ですね」
くすりと、有里が苦笑を洩らしたのが分かった。
「別に、構いませんよ。先輩がそう言う人だって、知っていますし。先輩が臆病だって事も、知ってますから」
なんて、当たり前のように呟く有里。ああ、そうだろうとも。こいつなら、こう言うと思っていた。有里かのんという少女は、つくづく俺に優しくて。だから俺は、彼女に対してずっと甘えていたのだろう。
……だから、せめてその分の借りだけは、返さなければ。
と、有里は、くすりと、意地悪げに頬笑んで、
「うん……でも、そうですね。そう思うなら、学校に戻ったらもっとあたしに優しくしてくださいね」
「……………………」
「……何故そこで黙るんですか」
「いや、なんとなく…………」
優しく……ね。そうすぐに対応を改める事は、中々出来ないだろうが――まあ、良いさ。
「わかったよ。帰ったら――」
――視線を感じた。
木々の隙間。枝の向こう。赤い瞳が、俺達を見つめている――
「――――掴まれ」
「え? え――っ!?」
「良いから、絶対手を離すんじゃねぇぞ――っ!」
痛みを気にせず、手を強く握りしめる。途端、咆哮が響き、森を揺らした。
「せ、せんぱ――――」
「喋るな。良いから手を握っとけ――――っ」
轟という音と共に、狼の様なマモノが疾風の如く迫りくる。
枝を折りながら突進してくるそれから有里を庇うように前に立ち、抜き去った山刀をマモノへと向けた。
「――――っ!」
唸り声と共に飛びかかってくるマモノの口に山刀を突き入れ、内側から腹に向けて斬り抉る。
覆い被さってくる死体を蹴り飛ばし、血液と臓物のへばりついたジャケットを脱いでその場に捨てる。
「走るぞっ!」
「は、はい……っ!」
周囲の赤色が蠢く。マモノの雄叫びは獲物を見つけた合図だ。すぐにでも此処から離れなければ、数えきれない数のマモノが集まってくる。
「作戦変更だ。とにかく、安全圏まで逃げのびる。後の事はまた考える。いくぞ――っ!」
「先輩っ! ま、前――っ!」
「――――っ!!」
大木が炸裂し、巨大な猪のような姿が目の前まで迫ってくる。俺は咄嗟に有里の身体を抱きしめ、真横へと跳んだ。
泥の上を転がり、態勢を立て直しながら、鼻息荒く俺達を睨む化物を見つめる。
「こいつ――――っ」
巨大な体躯。白刃の牙。鋼鉄の如き外皮。
間違いない。上で俺達に襲いかかって来た、あのマモノだ。
「せ、先輩……っ! これ、あたしたちの討伐対象です!」
「はっ――――道理で見覚えがあるわけだ。巨体の割に良く動くじゃねぇか……!」
マモノは隙を見計らっているのか、赤い瞳で俺と有里を見つめていた。距離は、約10メートル。多少の障害物なんて諸共せず、奴は俺達を粉々に粉砕するだろう。
「…………っ」
どうする……? あの外皮を斬り抉るには、生半可な一撃じゃまず不可能だ。だが、かといって不用意に距離を詰めれば、あの突撃の餌食になってしまう。
そもそも、今の距離ですら十分奴の射程圏内だ。全力で回避に専念して、ようやく避けられる程度。
「……………………」
状況は緊迫している。意外と冷静らしいマモノは、赤い瞳で俺の挙動を見つめている。一瞬でも気を緩めれば――或いは、俺に対抗する手段がないと分かれば、すぐにでも突進してくるだろう。
せめて、少しでもあの動きを止める事が出来れば――
「…………先輩。手、離しても良いですか?」
言うが早いか、有里は俺から手を離し、僅かに俺から距離を取る。マモノの赤い瞳が、有里へと向けられる。
「おい、何やってる。俺から離れるなって――」
「いえいえ。騎士に守られるお姫様の気分も、中々良かったのですけどね。……やっぱりあたしは、そういう柄じゃないようでして」
軽口を叩く有里が、両手で構えるのは、俺の散弾銃だった。
マモノの脚に力が籠る。その狙いは既に有里に向いている。俺よりも確実な害敵だと判断したのだろう。
止めるよりも早く、有里は即座にマモノに狙いを付けて――
「――このくらいは、やりたくなっちゃうんですよっ!!」
――轟音が響く。有里の華奢な身体が反動に耐えきれず、たたらを踏んで後退する。
マモノは文字通り面食らったのだろう。散弾銃の弾がその外皮を貫く事は無かったようだが、予想外の攻撃と音に、化物は一瞬、俺から注意を逸らし――
「――――っ!!」
――そして、その一瞬があれば、十分だった。
跳びかかるように間合いを詰め、逆手に持った山刀の刃で、マモノの頭蓋に斬りかかる。マモノは俺に気付くと、即座にその場から離れようと動く。
――だが、もう遅い。振り下ろした刃は、マモノの額から右の眼球を切り抉った。
「はぁぁっ!!」
マモノの咆哮が周囲に響く。視界を奪われたマモノは即座に身体を反転すると、怒涛の勢いで辺りの樹木を蹴散らしながら森の奥へと消えていった。
「――――ふっ」
山刀にへばり付いた肉塊と血液を振り払い、一度鞘に納め掛け、止める。敵は逃がしたが、未だ終わっていない。コレだけの騒ぎを起こしたのだ、すぐに他のマモノが向かってくるだろう。
俺は山刀を握り直して、有里の下へと駆け寄る。
「有里、大丈夫か」
「はは……。なんだか、むちゃくちゃ反動強いんですけど、コレ」
有里は苦笑いを浮かべながら、両手で抱える散弾銃へと目を落とす。
「そりゃそうだ。お前に使えるような代物じゃない。ほら、手」
右手を差し出すと、有里は静かに首を横に振った。そして、散弾銃を握る手に力を込める。
「だから、言ったじゃないですか。お姫様は柄じゃないんですって。あたしはやっぱり、こうやって先輩の世話を焼いている方が、よっぽど性にあってます」
「…………っ! でも、それじゃ――っ!」
「やらせてください」
有無を言わさぬ口調と、強い瞳で見つめてくる有里に、俺は何も言えず、視線を逸らした。
コイツがどれだけ頑固なのか、俺は身を持って知っている。こうなるともう、どれだけ止めても聞かないだろう。
いざという時、有里は臆病な俺なんかよりもよっぽど強い。
それに、時間がない。赤色は既に此処の塊となって俺達を囲む様に近づいてきていた。その数は、既に二十を越えている。
「先輩、あたしと手を繋ぎたいのは分かりますが、それはこの場を抜けてから、ということでお願いします」
「誰がお前と手を繋ぎたいって言ったよ……」
有里の場にそぐわない軽口に、俺は踵を返し、山刀を構えた。
視線の先には、数多のマモノ。狼の様な姿をしたものも居れば、立派な角を持つ鹿のような姿のソレも居る。……あのデカイのは、元は熊か。
「それじゃあ、背中は任せましたよ、先輩っ!」
「ああ……くそっ! 分かったよ! お前こそ、俺から離れるんじゃねぇぞっ!」
その言葉に、呼応するかの様に。周囲のマモノが同時に雄叫びをあげて蹂躙を開始した。
山刀に力を込める。両目に意識を集中する。守袖は俺の能力を情報処理と言った。俺の眼は光を見ているわけではなくて、五感で感じた情報を脳内で処理しているのだと。なら、全ての思考を中断して脳をフル活用すれば、それだけ正確に敵の動きを感じ取る事が出来る――っ!
有里の散弾銃が小型のマモノを一撃で蹴散らす。中型、大型のマモノはそれを受けても尚突進を止めないが、それらを相手にすることこそ、俺の仕事だ。
姿勢を低くして疾駆し、鹿型のマモノの出鱈目に生えそろった角の刺突を避ける。そのまま左前脚を断ち、切り上げるように腹を抉った。
「――――っ」
続けざまに跳び上がって熊の一撃を避け、逆手に持ち直した山刀を首筋の頸動脈に正確に叩きこむ。
動きの止まった俺に跳びかかってくる小型のマモノが、有里の散弾銃の一撃を受けて吹き飛んでいく。流石は天才少女。使いなれない武器だろうに、もう使いこなしている。
だが、それよりも恐ろしいのは、俺の瞳だ。
状況は最悪だというのに、俺の身体は絶好調だった。忌まわしい両目は既に視界に映らない敵の位置ですら的確に把握できる。どころか、背後に居る敵や有里の挙動すら、実際に見ているかのような精度で理解する事が出来た。
既に、俺に死角というものは存在しない。敵の筋肉の動き、体重の偏りすら透けて見えるこの瞳は、その内未来さえ読む事が出来る気さえする。
……いや、実際、俺の眼は殆ど数秒先の未来を見ていると言っても過言では無かった。敵が次に何処を狙ってくるのかを、赤い線として確実に予測出来る。唯の直感や経験則からの予想では無い。多分、これもこの目の力なのだろう。周囲の環境情報から見える筈の無い世界を映すのが俺の眼だ。ならば、そこから更に、見える筈の無い未来を映す事が出来たとして、何の不思議があるだろう。
「はは、ははは……!」
此処まで見えてしまうと、もう死ぬ気もしない。絶対絶命、九死の状況にありながら、一生を確実に引き当てる事が出来るのが俺の能力だ。
ならば、奴らがどれだけの数で迫ろうと、俺を殺す事なんて出来る筈がない。
マモノの数が目に見えて減っていく。恐怖心の薄い奴らですら、今の俺には何か感じるものがあったのだろう。立ち向かってこないどころか、尻尾を巻いて逃げていく奴さえ居た。
――――行ける。
これなら、確実に生き残れる。
死ぬ筈がないという自信は、死なないという確信に変わり、俺の思考を益々隅へと追いやっていく。
目の前に迫る赤い光。背後を駆ける赤い光。両方共捕捉していた俺は、身体の応じるままに正面のマモノに優先して刃を向け。
「――――え?」
俺の背後――有里の死角から迫っていた狼型のマモノが、有里の華奢な身体を一瞬で押し倒した。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!?」
「有里っ!?」
トランスしていた頭が、一瞬で現実に引き戻される。直前に刃を止めた俺に、機を逃さんとばかりに目の前のマモノが俺へと跳びかかる。
「ぐっ!?」
咄嗟に山刀の峰でマモノの口を塞ぐが、勢いを殺す事は出来ず、俺はマモノに押し倒された。
「いや!? いや、きゃぁああっ!! いたっ! いやぁぁッ!? いたいいたいいたいいたいあ゛ぁぁぁあ゛あ゛ぁあ゛ッ!!」
「有里ぉおおっ!!」
聞いた事もない様な絶叫が、森の中に響き渡る。有里の上へと伸し掛かったマモノが、その牙で有里の身体を貪り食っている。
「たすっ助けてっ!! やだっ! やっ! あがっ!? た、食べられ……っ!! あ゛ぁぁあ゛あっ!?」
「有里! 有里っ!! くそっ!! 退き……やがれぇぇえ!!!」
左腕と足で山刀を支え、右腕で胸元のナイフを抜いてマモノの瞳に突き入れた。深く差したまま捻って脳を破壊する。
マモノの身体から力が抜けて、俺の上へと伸し掛かってくる、俺はどうにかその下から抜けると、即座に立ちあがって有里へと向かう。
「いだいいぃぃぃぃうあ゛ぁぁぁぁ!! 先輩! 先輩! せんぱい! せぇんぱいぃい!! 食べられて……う゛ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! あ゛、あたし、腕、何処……や、だ…あ゛、あ゛ぁぁあ゛ぁあ゛あ゛――っ!!」
「いい加減――そこから退けぇぇぇええ!!」
何の技もない。瞳すら使っていない。唯、山刀でマモノの上顎から上を力任せに薙ぎ払う。絶命を確認する事もなく、その身体を蹴飛ばして、有里の上から退かせる。
山刀を投げ捨てる。こんなものがあっても邪魔なだけだ。すぐに彼女の隣に膝を付いて、名前を叫ぶ。
「有里……! あり――」
――有里は、死んでいた。
「有――里――?」
瞳に、赤い光は映っていない。目の前の『有里だったモノ』からは、とっくに命の光が消えうせていて――
それが、どんな希望よりも明確に、絶望的な現実を俺に突き付けていた。
「有……里……」
手を、握ろうと思った。でも、有里の掌が見当たらない。
彼女の小さな、だけど暖かな手は、マモノに喰われてしまったらしく、肘から先が無くなっていた。
「…………有里」
――視えて、居たのに。
俺には、有里に迫る危機が、確かに視えていたのに。俺は、自分が生きる為に、それを当たり前の様に放置してしまった。
あの状況で、俺の力は自分の危機と有里の命を秤にかけて、迷うことなく保身に走ってしまった。
「………………」
……最低だ。
どうして気が付かなかったのだろう。結局のところ――俺の能力も性質も、何処まで行っても、俺自身を守る為の力で。
こんな力で、誰かを守るなんて出来る筈がないという、そんな当たり前の事を。
「――――――――」
草むらから、一匹のマモノが飛び出してきた。今なら勝てると思ったのだろうか。マモノは一直線に俺へと向かってくる。
「――――――――」
俺が何も考えずとも、身体は勝手にマモノの突進を避け、右手の人差指と中指をマモノの左目に突き入れていた。ぐちゅりという不快な感触。鈍い音が指から響く。どうやら折れてしまったようだ。
気にせず指を捻り、マモノを絶命させてから指を引き抜いた。マモノの身体が、有里だったものの上に落ちる。
既に俺の周りにマモノの姿は無くなっていた。今のが最後の一匹だったらしい。
俺はこのまま、確実に上へと戻り、春日さん達と合流する事が出来るだろう。
……だが、それがどうしたというのだろう。俺が生き残ったからと言って、有里が生き返るわけでもないのに。
また、俺だけが生き残ってしまった……。
「…………なんでだよ」
なんで……なんで、なんだよ。
「どうして、俺はこうなんだ……」
……どうして、俺は死ねないんだ。
死ねばよかったのに。今、あの瞬間、飛び出してきたマモノに喰われてしまえば、良かったのに。
こんなにも死にたい気分なのに、身体は勝手に、生き残る為に動き始めている。俺の身体はとっくに、俺の意思よりもこのわけの分からない力を優先して行動しているらしい。
――それが、ただ、哀しかった。
♪
「――以上の理由により、四回生、先崎誠也に一カ月の禁錮処分と、騎士候補生訓練施設からの除籍を言い渡す。君の今後の進路については、数日の内に渡される資料を確認する様に。尚、命令を無視した場合、罰則が与えられる。分かったね?」
「…………はい」
この学校の『校長』の言葉に、俺は静かに頷いた。『校長』は長く伸ばした白いヒゲを摩ると、残念そうに伏せた顔を横に振るう。
「残念だよ。君は実に優秀だった。協調性の無い所は問題視されていたが、それを補って余りある才能を有していた。そんな君を手放すのは、私としても惜しいと思っている」
「はぁ…………」
生返事を返す。殆ど顔も知らない、話をしたことすらない相手に惜しがられても、ちっとも嬉しくない。こんな、どうでも良い赤の他人なんかよりも、俺は、俺を必要とする誰かに、生きていて欲しかったのに……。
……だが、それも終わってしまった。俺を求めた誰かは、俺が求めた誰彼は、もう居ない。俺は本当に、正真正銘、天涯孤独となってしまった。そんな事、随分と昔から分かっていた事なのに。
「だがね、先崎くん。安心すると良い。――君の戦いは未だ終わらない。これから君が向かう場所は、君達が『学校』と呼ぶこの場所よりも、更に深い闇の中だ。オメデトウ、不死身の少年。君は君に相応しい地獄へと向かう。誰に遠慮するでもない。その力を存分に使い果たすといい」
「……………………」
気易く肩を叩かれる。うっとうしいが、それすらも、今の俺にはどうでもいいことだ。
……そう。どうでもいいことなんだ。この先、俺がどんな戦場に連れて行かれる事になろうとも。俺にはもう、自分で大切にする物がひとつもない。
大切な人は、死んでしまったし。
自分の命は、身体が勝手に動いてしまう。
だから――俺にはもう、何もすることがないのだ。
「……失礼します」
軽く会釈をして、踵を返す。後ろで『校長』さらに何かを言っていたが、そんな煩わしい言葉には耳を貸さず、俺は部屋を出た。
「――――――――」
校長室を出てすぐの廊下。寮へと向かうその道の中心に、何故か立花が立っていた。立花は部屋から出た俺を見やると、早足で俺の元へと近寄って――勢いそのまま、俺を殴り飛ばす。
一瞬、視界が白く染まり、気付いた時には、俺は立花の前に仰向けに倒れていた。彼はそんな俺を冷たい瞳で見下しながら、口を開く。
「――好き勝手に動いた挙句、人を一人殺した。その心境はどうだい? 先崎」
「――――――――」
俺は答えず、ただぼんやりと、彼の顔を見上げている。
「……答える気もないってか。だから僕は嫌だったんだ。君と一緒の班だなんて。自分の力を過信している君は、何時かきっと、取り返しのつかない過ちを犯すと。……その結果がコレだ。君が有里を殺したんだ。分かっているんだろう? なあ、先崎」
「――――――――」
「無視、か……。そんなにショックだったのか、それとも、君にとっては有里の死なんてどうでもよかったのか? なあ、答えろよ、先崎……っ!」
ぽたりと、俺の顔に雫が落ちた。俺は、何も答えない。立花は舌打ちをすると、軽く目元を拭って踵を返す。
「――さようなら、人殺し。二度と会う事もないだろう。……いや、違うな。二度と、会いたくない」
そう言って去っていく立花に、俺は最後まで、何も言う事が出来なかった……。
♪
部屋に戻ると、俺の部屋の前に、何故か守袖が立っていた。彼女は俺に目を向けると、まるで旧来の友人であるかのように軽く手を上げる。
「やあ、先崎」
「守袖……なんで、ここに?」
「噂でな。話を聞いた。大変だったみたいだな」
言ってから、守袖は目を伏せる。その表情は、哀しんでいるようで。普段の無表情な彼女の姿を知っていると、少しだけ意外に思えた。
「先崎は、これからどうするんだ?」
「さあな……。とりあえず、学校からは除籍処分を喰らったけれど……その後、何処に回されるのか、見当もつかないよ」
そもそも、強制的に連れてこられた学校だ。愛着はあっても未練は無いが、ここ以外に居場所のない俺は、何処に行けばいいのやら。……それも、やっぱり、どうでもいいことなのだけど。
……どうでもいいことだ。今後も、人生も、自分の命だって。
もう、どうでもいいんだ。
「…………先崎」
「もう寝るわ。悪いな守袖。心配掛けちまったみたいで」
物言いたげな守袖の視線を無視し、俺は彼女の横を通り抜けて部屋へと戻る。
四年間慣れ親しんだ部屋、唯一独りになれる事から、それなりに気に入っていたその部屋が、今はどうしてか、酷く寂しい。
次回更新は12月10日20時更新予定