第二幕 目覚める少年と微笑む美女
「あ~、よく寝たなぁ〜」
目が覚めた俊也は、勢いよく伸びをしながら呟く。
ここしばらくは小説作成の為に、ろくに寝ていなかったのだが、久しぶりにきちんと寝たおかげなのか爽やかな目覚めだった。
俊也はベッドから起き上がった際に違和感を感じる。
(なんか……おかしな夢を見た気がするんだよな)
確か学校の屋上で虹色の道化師に会ったと思ったら、いきなり紐無しバンジージャンプをする羽目になって、気付けば衝撃波を放って辺り一帯を吹き飛ばすという所で目が覚めた。
辺り一帯を吹き飛ばすという夢を見たせいなのか、妙に清々しい気分だった。
「………あんな夢を見るなんて疲れているのかな、オレ」
「お疲れ様でした、お水をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
不意に差し出されたコップを受け取った俊也は、中の水を一口飲んだ。
大分喉が渇いていたらしく、気付けば一息で飲みきってしまった。
「この水美味しいな、何か入れているのかな?」
「うす切りのレモンを水に入れて一晩置くと出来るんですよ、デトックスウォーターと言います」
「へぇ、レモンか。爽やかな酸味が効いていて、良い……」
俊也は飲んだ水に感心していたが、途中で言葉が止まった。
自分に兄弟姉妹はいない。
両親でもない、若い女性の声だった。
では、一体誰?
俊也が水を差し出された方をおそるおそる向くと、視線の先には女性が座っていた。
金髪碧眼に透き通るような白い肌の綺麗な女性だったが、顔の右半分は髪に隠れており、見る事が出来なかった。
シワ一つない黒いスーツを着こなしており、まるでドラマに出てくる仕事が出来る女上司かスパイ映画の女性諜報員のようだった。
美人で格好良い女性に、俊也は思わず見惚れてしまい、言葉が出てこなかった。
「どうかされましたか?」
急に固まってしまった俊也の様子を心配してたずねる女性の言葉に俊也は正気に戻る。
俊也の家庭は、サラリーマンの父とパート主婦の母の一般家庭だ。
家政婦やボディーガードを雇うような裕福な家庭ではない。
どうして、自分の部屋に美人がいるのか全く分からなかった。
「……ナ、ナンデ、オレノヘヤニキンパツビジョガ……?」
「あら、美女だなんて。若いのにお上手ですね」
思わずカタコトの日本語になってしまった俊也の言葉に女性は満更でもないのか嬉しそうに微笑む。
笑った顔も美人だなぁと思わず、俊也も釣られて頬が緩んでしまったが、慌てて頭を振って気を引き締めようと思い直す。
今は美人に見惚れている場合ではない。
「あ、あの……どちら様ですか………?」
「あぁ、これは失礼しました。私の事はジェーンとお呼びください、坂口 俊也さん」
「ど、どうしてオレの名前を……」
「クラウンから聞きました。移動中に気絶してしまった貴方を介抱してやってほしいと頼まれたので、お目覚めまで側にいました」
「く、クラウン? 王冠?」
「いえ、道化師のクラウンです」
(……なんかこのやり取り、つい最近もやった気がするな?)
ジェーンと名乗る美人の言葉に、俊也は既視感を覚えた。
『道化師の事をクラウンと言うんだよ!』
そうだ、夢で会った道化師も同じように説明していた。ピエロの事を『クラウン』と呼ぶんだ、と。
どうして、彼女は自分が見ていた夢の内容を知っているんだろう?
気味が悪いよりも疑問が次々と湧いてきて、俊也は訳が分からなくなってきていた。
「な、何で……ジェーンさんはオレの夢の内容を知っているんです?」
「夢?………大分記憶が混濁しているようですね。俊也さん、ゆっくりで良いので覚えている事を話して下さい。今日はどのように過ごされましたか?」
「え、えーと……朝起きて学校に行って、授業が終わってから担任に呼び出されて進路相談について話してから帰って……」
(………《《そういえば、どうやって帰ったっけ?》》)
昨日徹夜で小説を書き上げていたので、眠くてさっさと帰ろうしたが、担任に呼び止められた。
ここまでは覚えている、間違いない。
だが、ここからがはっきりと思い出せない。
まるで記憶に靄がかかっているような、あり得ない事が起きたような事があった気がするのだ。
抜けた記憶を思い出そうと頭を抱える俊也に、ジェーンは優しく声をかける。
「クラウンは貴方とは、学校の屋上で会ったと聞きましたが、覚えていませんか?」
「屋上……そうだ、進路相談に腹が立って屋上で叫ぼうとしたら、派手な服のピエロが校庭を覗いているのを見た……」
まるで動く様子がなかったので、始めは人形と勘違いしてしまい、独りでに動き出す様子からそういう妖怪かと思い込んでしまい、腰を抜かしたほどだった。
余りにも現実味がない事が多かったが、俊也は段々と思い出してきた。
「そうです、その派手な道化師がクラウンですよ。思い出しましたか?」
「た、確か……怪しいといったら芸を披露してくれて……オレがその後、急に怒鳴っても怒らずに話を聞いてくれたんだ……」
八つ当たりのように怒りをぶつけたのに、クラウンは静かに話を聞いてくれた。
俊也の話を現実味がないと否定せず、冷静に、丁寧に意見を言い、自身の夢を説明してくれるクラウンが格好良く、羨ましかった。
「……あの人らしいですね……」
「それで、『どんな人でも才能を持つ事が出来て、夢の為に努力出来る場所に行きたいかい?』とたずねられて、オレは行きたいと願った……」
「…なるほど、だからクラウンは貴方をここに」
「そしたら、オレの鞄を持って校庭側の柵に向かって歩いたから、追いかけて……」
「……うん? 」
急に俊也の話の展開が変わってきた様子にジェーンは怪訝そうに声をあげる。
「そしたらアイツが指を鳴らした途端に、いつの間にかオレとクラウンは柵の外側に立っていて……」
「………はい?」
「……クラウンがオレの襟首を掴んで、一緒に屋上から飛び降りました………」
話し終えた俊也は何ともいえない表情を浮かべており、聴いていたジェーンの表情はいつの間にか仮面のように感情が抜け落ちていた。
やがて、ジェーンは徐に天井を仰いでから大きく息を吐いた。
先ほどは無表情だったジェーンだが、今は頭痛を抑えているようなしかめっ面となっていた。
「……何やっているんですか、あの人は………」
ジェーンは深い溜息をついてから、俊也に向かって深々と頭を下げた。
「ウチの座長がご迷惑をおかけして申し訳ありません。クラウンには改めて謝罪させますので、ご勘弁いただけますか?」
「い、いえ。別にジェーンさんが悪い訳ではないですから……その、頭を上げて下さい」
「しかし、俊也さんは随分怖い思いをされました。流石に謝罪もなしでは………」
「勿論、無条件で許す訳じゃあありません。だけど、それ以上に聞きたい事がある状態です。だからまず、オレの質問に正直に答えてもらえますか?後、頭を上げてもらいたいです」
「……承知しました」
俊也の要求を了承したジェーンはゆっくりと頭をあ
げたが、彼女の表情は痛みを堪えているような渋い顔だった。
「まず最初にクラウンですが、ジェーンさんの上司という認識で合っていますか」
「はい、クラウンは私のというより、我々全員のまとめ役となっています」
「まとめ役……?さっき座長と言っていましたが、サーカスのリーダーか何かと思って良いですか?」
「えぇ、問題ありません。ですが、一点訂正を。我々はサーカス団という訳ではありません」
「え、でもクラウンは……」
「………クラウンは趣味であの格好をしています。本人は趣味と実益を兼ねていると言っているんですよ」
「えーと……つまり、クラウンは道化師の格好をして芸をするのが趣味という事でしょうか?」
「そうです。彼はとにかく明るくて楽しい雰囲気を好んでいまして、回りを楽しませたい一心で芸を覚えたり、振る舞いを練習してきたと言っています」
「確かに、凄かったですね」
「えぇ、私もクラウンの芸は大好きです」
屋上で披露してくれたショーを思い返しながら頷く俊也に、ジェーンも顔を緩めて嬉しそうに頷くも少し悲しげな表情を浮かべる。
「ただ、肝心のスカウトの方には余り結び付かず、怖がられるか不審者扱いをされてしまう事が多いのが現状でして……」
「それは……否定出来ないですね」
遊園地やイベントならともかく、路上で芸をする道化師から声をかけられたら、多少なりとも不信感を持つだろう。
ましてや、スカウトなどしてきたら余計にそう感じても仕方がない事だ。
俊也自身も始めてクラウンと出会った時は、怪しいと思っていた。
「小さい子には受けが良いのですが、ある程度の年齢の人は基本的に印象が良くありませんね。
ただ、クラウンは『スカウトが上手くいかないのは、注目してくれないからだ』と思い、服装や芸を派手にしようと考えまして……」
「たまにいますよね、そういう間違えた方向に努力しちゃう人……」
俊也もネットの掲示板で『店の商品が売れないから方向転換した』などの書き込みを見た事があるが、多くの場合、失敗したという話になっている。
「クラウン自身の事だけなら、まだ良かったのですが、勧誘用のチラシ、果ては私達の拠点も派手な色合いにしようとし始めたのでメンバー全員で本気で止めてどうにか考え直してもらいました」
「………ちなみに派手な色合いというと……」
「彼の着ている衣装ぐらいですね……」
「あぁ……それは流石に……」
一度見たクラウンの衣装はよく言えば彩り豊かだが、悪く言えば目が痛くなる色使いだ。
それを四六時中見ていたら生活に支障が出るのは間違いない。
「ただクラウンも、『内装にもう少し色彩を』と小さい子達を味方に引き入れて抵抗してきまして、何とか説得して今の色合いに妥協してもらえました」
「今の色合いって……」
「……そういえば俊也さんは気絶していましたから中を見ていませんでしたね。この部屋の内装と同じですよ」
ジェーンに言われて、俊也は改めて部屋を見てみると、家具や壁紙など部屋全体がパステルカラーで統一されており、まるで小さな頃に見た子供部屋のような柔らかな印象を与える。
「ここは空き部屋の一室ですが、内装は他の部屋と同じように……あの、俊也さん?何故両手で顔を隠しているのですか?」
「………部屋の内装で気付けよ、俺……」
曖昧になっていたとはいえ、見知らぬ部屋を自分の部屋と勘違いしていた事実に俊也は気恥ずかしさを感じてしまう。
「記憶が曖昧になっていたのですから、余り気にしない方が良いですよ」
慰めてくれるジェーンの言葉が却って俊也の羞恥心を増幅させてしまっていたが、俊也はそれを誤魔化すように会話を続けた。
「……で、でも、よくクラウンが納得してくれましたね」
「えぇ、しっかりと話し合いましたから」
「し、しっかりと……ですか……」
「最後にはちゃんと分かってくれましたよ」
ジェーンは先ほどと同じ笑顔を浮かべているはずだが、どこか圧を感じるような微笑みに俊也はそれ以上は詳しく聞くべきではないと理解した。
加えてジェーンが ここでは怒らせたらいけない人だと認識を改めた。
そんな俊也の視線に気付いたのか、ジェーンは軽く咳払いをしてから居住いを正した。
「失礼、大分脱線してしまいましたね。まだ聞きたい事があればどうぞ」
「ええと、それじゃあもう一つ聞きたい事が……あの、ここは死後の世界ではないですよね?」
「 ……そうですよね、あんな体験をしたのですからそう思うのも仕方ないです。大丈夫ですよ、貴方は死んで転生したなどという事はありません。きちんと生きています」
「《《では俺はどうやって助かったんですか》》?」
正直、これが一番の疑問だった。
俊也は先ほどまで全て夢の出来事だと思っていたのは記憶の混濁もあっただろうが、あまりにも現実離れした事が多く、事実だと処理出来なかった為でもある。
その最たるモノが今の状況だ。
アニメやゲームならいざ知らず、普通の人間は五階の高さから飛び降りたら死んでしまう。
だが、俊也は傷一つなくここにいる。
一体どうやって?
分かっているのは、クラウンが何かしたという事だけだ。
彼がどうやって自分を助けたのか、それを知る事が今の状況を理解する上で最も早道である気がした。
もしかしたら誤魔化される可能性もあるが、 少なくとも今までのジェーンの話し方から曖昧に答えるような真似はしないと判断した。
「教えて下さい、ジェーンさん」
俊也はジェーンの顔をじっと見つめて、返答を待った。
ジェーンは俊也の視線に目を逸らす事なく、まっすぐ見つめ返してきた。
数秒の沈黙の後、やがてジェーンは口を開く。
「それは、彼が………」
ジェーンが質問の答えを語ろうとした直後、
「ジェーンさんー、ちょっと良いですかー?」
彼女の言葉を遮るように、部屋に新たな声が響き渡ってきた。
「ひ、ひぃーーーっっ!!」
同時に、俊也は思わず悲鳴をあげてしまっていた。
《《目の前に褐色肌の少女の生首が部屋の壁を突き抜けて現れたのだ》》。
「な、生首が、しゃ、喋って……」
「んー?」
驚いて舌が回らない俊也の方に少女の首が向き直ると、少女はにこやかに笑いかけてきた。
「あー! さっきクラウンが連れてきた人だねー! はじめまして! アタシは―」
「マオ! 部屋に入る時は必ずノックして扉から入るように言っているでしょう!! 《《部屋の壁をすり抜けてはダメ》》と何回も注意していますよ!」
「ありゃー、忘れていましたー、ごめんなさいー」
ジェーンは壁を突き抜ける少女の首に驚く様子もなく叱りつけていたが、少女の首は舌を出してのんびりと謝罪の言葉を述べており、悪びれる様子が微塵もなかった。
まるで電気の付けっぱなしを注意する母親に対して軽い謝罪で済ませる子供のような光景だったが、子供の方は壁から出ている生首なので、些か猟奇的な様相となっている。
「……それでマオ、何かあったんですか」
「あー、そうでしたー。さっきラビ君が仕事の報告したいってジェーンさんを探していたんですよー。アタシの所にも来たからー、クラウンの部屋にいるんじゃないーって言っちゃったから、お伝えしようと思ってー」
「ラビットが? 随分早いですね。 分かりました、クラウンには私も用事があったので行ってみます」
「じゃあ、アタシもこれで失礼しますねー」
少女の首は再び俊也の方を向くと、「またねー」と笑顔で手を振ると、少女の首と腕は一瞬で壁から消えてしまった。
俊也は、マオと呼ばれた少女の首が消えた壁に慌てて近付いて壁を触ったが、堅い感触があるだけでシミ一つ付いていない。
まるで壁をすり抜けてきたかのようだった。
「まったく、マオにも困ったものです。何度注意しても壁抜けが直らないのですから」
ジェーンはマオが消えた壁を見ながら溜息を吐いた。
それは、 いつまで経っても癖を直さない態度に呆れている様子でマオの首が消えた事に関する驚きは感じられなかった。
「な、何ですか!? 今のは……! 生首が、現れたと思ったら消えて! 」
「大丈夫です。アレは彼女の、マオの異能による壁抜けです。心霊現象ではありません」
動揺する俊也を他所に、ジェーンは冷静に状況を説明し始めた。
「だ、大丈夫って……い、異能とか言われても訳が分からないですよ!」
「……本当ならもう少し落ち着いて説明したかったのですが、仕方ありませんね。俊也さん、申し訳ないのですが、私と一緒にクラウンの所に来てくれませんか」
「え、な、何で……」
「ここで説明するよりも実際にクラウンから聞いてもらった方が良いと思いまして…」
「い、いや! それより今教えて下さいよ! 異能ってなん…… 」
突然の出来事に混乱する俊也は、説明を求めようとしたが、途中で言葉が途切れてしまう。
「……私も彼に少し話したい事が出来ましたので……どうか、お願いできませんか?」
いつの間にか笑顔を浮かべているジェーンだったが、先ほどまでの温かな微笑みではなく、 凍てつくような冷たさと威圧を纏わせた有無を言わせない笑顔だった。
こんな状態の彼女に食い下がる度胸などない俊也は「はい」と答える以外の選択肢はなかった。




