第一幕 ある少年の苦悩
(クソっタレが!!)
坂口 俊也は心中で激しく毒づいていた。
(何が『現実的じゃない』だよ、あのハゲ教師っ!!)
自分がこの事を伝えれば高確率で言われるであろう言葉を言われてしまった事実に。
(『若いから夢を見るのは分かる』って、分かっているんなら黙っていれば良いじゃねぇかよ!! 自分の髪がまだ生えてくるって夢見てるあんたよりは真剣に考えたんだよ!!)
自分なりに考え悩んだ夢を否定された事に。
(『ご両親だって、そんな不安定な職に就くなんて言ったら心配するし、もう少し落ち着いて考えるんだぞ』とか典型文みたいな慰めをしやがって!! そんな事はオレ自身が一番分かっているんだよ!!!!)
掛けられた言葉に悪意はなく、僅かな呆れと純粋な心配が混ざっている事に。
「……正直にやりたい事を言って何が悪いんだよ…」
俊也の悔しそうな呟きは人のいない廊下に空しく響いた。
発端は、三十分前の進路相談だった。
俊也はここ数日の睡眠不足で疲れており、本日は特に眠気が強かった。
それでも居眠りの誘惑をしてくる睡魔をどうにかやり過ごして、ようやく今日の授業も終了、さっさと帰ろうと支度するも担任の山本から声がかかった。
要件は一ヶ月前に配られた進路相談に関してだった。
まだ書類が提出されていないと告げられた俊也は寝不足の頭をなんとか動かし、鞄の中に入れたままであるという記憶を掘り起こした。
鞄の底にあったあちこちに折れ目の付いた書類であったが、事前に両親とも相談して進学と志望校の候補は考えており、押印もされていた。
もう少し早く提出しなさいという山本の小言に生返事の謝罪で返した俊也は今度こそ帰ろうとしたが、再び山本より待ったがかかる。
なんでも生徒個人とも面談を行わないといけないらしく、俊也以外の生徒は既に全員終わってしまっていた。
書類もあるなら今日やってしまおうと俊也はそのまま進路指導室まで連行されてしまった。
(生徒の進路を片手間で片付けるなよ…)
内心で山本のずぼらな対応に腹を立てた俊也だが、書類を提出していなかった自分が悪い、必要事項も記入してあるからすぐに終わると自分に言い聞かせて担任への怒りと眠気をどうにか鎮めた。
実際、俊也の進路相談は特に深く突っ込まれず十分も経たず終了した。これでようやく帰れると期待した俊也だったが、「学校から最低三十分は時間を取れと言われているから〜」と妙な所で律儀な山本からの昔の自分の進路相談の時に関する世間話が始まった時は、落胆よりも目の前の担任に対する殺意が芽生えたほどだ。
(マジでついてねぇ、早く終われ……)
自身で招いた不運と己の後頭部と同等の不毛な話を続ける山口への呪詛で俊也は何とか眠気を抑えていた。
しばらくすると自分の話に満足したのか、「ちょっと早いが、もう終わるかー」と言う山口の提案が聞こえた時は俊也は真剣に神様に感謝を捧げたほどだ。
しかし、それがいけなかった。
「ちなみに坂口は将来どういう事がしたいとかあるか?漠然とした事でも良いぞー」
ようやく帰れると気持ちが緩んでしまい、適当に答えれば良いと考えていた質問に俊也は正直に答えてしまった。
「自分は、小説を書いていきたいと考えています」
俊也の答えに山本は一瞬驚いた様子だったが、すぐに表情を戻して先ほどとは別人格かと疑うほど真剣な顔で告げた。
「小説か、良い趣味だとは思うが現実的ではないぞ」
生徒の将来を心配する善意の忠告が俊也の心を深々と抉ってきた。
その後の山本の話を、俊也はひたすらに聞き流しながら相槌を打つだけに徹した。
胸中では今すぐにでもその口を訊けなくしてやりたいという激しい怒りが渦巻き、目の前で口汚く罵りたい衝動が止めどなく沸いてきていたが、黒い感情が溢れ出ないように必死で抑え込んでいた。
だが表情は隠せていなかったようで、俊也の顔を見た山本は怪訝そうにたずねた。
「坂口、大丈夫か? 随分と顔色が悪いぞ」
「……すいません、先ほどからお腹が痛くて……」
「何? それは大変だ。ご家族に迎えに来てもらうように連絡するか」
「いや、そこまでしなくて大丈夫です。ですが、トイレに……」
「あぁ、もう相談は良いから行ってきなさい。終わったらそのまま帰って良いぞ」
「すいません、失礼します」
「おぉ、お大事に」
幸か不幸か俊也の顔色が変化した理由を勘違いした山本にあっさりと解放されたが、俊也には最早その気遣いは無価値も同然だった。
咄嗟の言い訳で面談を乗り切る事に成功、怒りによって眠気は霧散した。鞄も持ってきていたのでさっさと下校する事は可能であった。
しかし、俊也はこのまま帰宅する気にはとても慣れなかった。
(チクショウ!)
出来る事なら今この場で喚き散らしたかった。
しかし、そんな事をすればどうなるかは分かっている。
皮肉な事に余計なお節介をした担任への怒りと迂闊に口走った自分自身への怒りが俊也を一時だけ冷静にさせていた。
(今部屋にいる山本はもちろん、何も知らない誰かに聞かれるなんて御免だ)
俊也に出来る最善は足早に立ち去る事だけであった。
(何で適当に頑張れとかで流してくれなかったんだよ……)
無謀な夢を追っていると心配されている事実が悔しかった。
(……急に真面目な教師になりやがって……!)
心を突き刺してきた言葉が自分の将来を案じていると理解出来る事が辛かった。
(でも、それよりも………)
先ほどまで腑が煮えくり返ると思っていたはずなのに、かけられた忠告を受け入れようとしている自分が情けなくて仕方がなかった。
それは即ち、俊也自身が夢を叶えられないと諦めているのを認めたも同然だった。
(無謀な夢……なのか……?)
想像も出来ない将来を自分なりに必死で考えて出した結論は『現実的ではない』という一言で潰され、人生経験による根拠で念入りに地鳴らしをされた。
示されたのは『安定した生活を送る』という一方通行の道だけというあまりにも惨めな結果だった。
早足だった歩行は徐々に速度が落ちていき、気がつければ立ち止まっていた。
それに伴うように怒りが疲労へと変化した俊也は力なく呟いた。
「……帰るか」
別に自分の成績や態度が悪いと言われた訳では無い。将来についてやや難色を示されただけで進路に関しては特に問題はなかった。
(なら、それで良いじゃないか。小説を書くのは続けていけば良いし、進学していれば気持ちも変わるかもしれない。きっとそうだ)
ひとまず俊也はそう結論づけて無理やり自分を納得させた。
そしてようやく自分の現在地に意識が向いた。
少々広めのスペースには、畳まれて幾つも積まれたパイプ椅子の山と掃除用具入れが一つ置かれており、上へ続く数段の階段と扉が見える。
(ここ、屋上近くの踊り場じゃないか)
どうやらあの場から去る事に夢中で、無意識に階段を昇っていたらしい。
(どうせなら下に降りていれば、帰るのも楽だったんだけどな……)
降りるだけとはいえ、勢いで反対方向に上がってしまった自分に思わず嘆息する俊也。
仕方なく階段を降りようとするが、ふと吹き抜けが目に入る。
(あ〜、ここで叫んだら少しはスッキリしそうだな……いや、やらないけども)
一瞬そのような魔が差し掛けた俊也だったが、そんな事をすればまだ居残りしている生徒や教師が集まって来てしまう、突然の思いつきを消すように頭を振る。
(ここで叫んだら、逃げる場所なんて屋上しかないし、隠れる所もないから……待てよ?)
俊也の記憶から屋上についての情報が浮かび上がってくる。
それは一ヶ月前、進路相談の知らせと共に屋上に関する注意事項が告げられていた。
屋上の扉の鍵が壊れてしまい、修理するから近付かないようにという注意喚起だったが、クラスメイトの数人がそれに興味を持ったのかこっそり屋上まで行ったのだ。
その中に友人の仲村がおり、屋上の様子を教えてくれたのだが、教室よりも少し広いだけのスペースで安全対策に高い鉄柵が周囲を被っていて景色も見えない上に先生にも見つかり、説教までされてしまったとボヤいていた。
聞いた時はあまり興味を惹かれなかった俊也だったが、今自分の近くに屋上の扉が見える。
(屋上なら多少叫んでも校内ほど響かないよな?)
いつの間にか俊也は屋上までの階段を上がり、扉のノブに手をかけていた。
(どうせこのまま帰った所で、気持ちが落ちつく訳じゃない。だったら思いっきり叫んだら気が晴れるかもしれない)
名案を思いついたと浮かれる俊也だったが、見回りの先生に見つかる恐れがあるというリスクが頭から抜けている事に気が付いていない。
俊也がドアノブを回すと、扉は難なく開いた。
「よしっ!開いてる!」
まるで宝が眠る扉を開ける事が出来たように喜ぶ俊也は屋上へと足を進めた。
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