下編
彼女の告別式が終わり、どれくらいの日にちが経過したのだろう。
僕は彼女の死を知ったあの日以来、告別式以外に外に出ることができず、毎日部屋の中で塞ぎこんでいた。
本当は告別式なんかには行きたくなかったけれど、行かなかった方が大きな後悔が残ると思って赴いたけれど、どの道残ったのは後悔だけだった。
あの静謐に包まれ、全てが粛々と為されていく雰囲気に耐えることができない。
あの場所は死が充満しているから。
黒く塗りつぶされた人たちが、決められた動作を決められた通りにこなしている姿は、もはや人間には見えなくて、その決められた所作をこなし続けるだけの亡者にしか見えなかった。
僕もその亡者となって彼女の死を形上は弔ったけれど、気持ちの整理なんてできていなかった。
だから今もこうして、布団に包まって震え続けている。
あれほど死を恐れて遠ざけ続けてきたと言うのに、それは突然に僕の目の前に振り落とされてたじろいだ。何よりも僕を苦しめたのはやはり、彼女の死だった。
彼女は僕と違って死に魅かれていたけれど、死ぬまでの間はずっと生き続けていた。だから、これから先も死に魅かれながらも、それでも生き続けて行くのだろうと思っていた。
そんなのは僕の一方的な考えであって、彼女にとっての死と言うモノは、僕にとっての生と同じだけの魅力があったのだから、この別れ方は遅かれ早かれいずれ迎える運命にあったのだろう。そんな風に割り切ることができれば僕はこれほどまでに苦しい思いをしないで済んでいたのに。
人間はいつか死ぬ。
そんなこと誰かに教えて貰わなくなってわかりきっている事実だ。でも、それは今じゃなくても構わないことだろ。
精一杯生き抜いて、手や顔に沢山の皺を刻んで、生きてきた証を残して微笑んだまま眠るように亡くなる。
そんな風に死ぬために努力をしてもよかったのではないか? 死ぬにしてもまだ早すぎるだろ。
成人すら迎えることなく幕切れを迎えるなんて、幾らなんでも早すぎる。
彼女の考えがわからなかった。
けれど、彼女の想いはわかっていた。
僕たちは正反対だから。
僕が生を想っていたのと同じだけ、彼女は死を想っていた。
それは自分がここにいる意味であり、意義でもあった。
それをなくしてしまったら、生きることも、死ぬことも、全て無意味となってしまう。
意味を持たないで身体を動かすのであれば、そんな物は操り人形で十分だ。
人間である必要なんかない。
木材と糸だけで作られたそれで、十分事足りてしまう。
そうなることを避けたのだろう。
きっと彼女の中で死に対しての想いに揺らぎが生まれていたのだと思う。
死に向かって進んでいた彼女にとって、それが揺らいでしまっては、今までの自分とこれからの自分の在り方を見失ってしまうのと同じだから、決意を固め直す為にあんな質問をしたのだろう。
『ねえ、生きていて辛くないの?』
あの時の彼女の表情と声が頭の中に蘇ってくる。
「辛いに決まっているよ」
布団に蹲る僕は過去の彼女に答える。
「それでも毎日を過ごさないといけないんだから」
一瞬、死んでしまいたいという思いが頭を過ったが、必死になって振り払う。
僕は生きていたいんだ。どんなに辛い日々が待ち受けていようと、苦しい時があろうとも、生き物としてこの命を授かったのだから、力尽きるまで必死になって足掻き続けるんだ。
『それって本当に生きているって言うのかな?』
再び蘇った彼女の言葉に胸を抉られた。
何もしないでただ息をし続けているだけのこの現状を、本当に生きているなんて言ってしまっていいものなのか。
自信がなかった。
『どうせいずれは消える命なのに』
ずっとこのままこうしていれば、ただ息をし続けているだけの僕はいずれ、この吐き出す息に全てが溶けだしてしまって、空気と混ざって本当に消えてなくなるのではないか、と思えた。
あの時のように『死なない為に生きている』なんて言えそうになかった。
今の僕は、生きているの? 死んでいるの?
どっちなんだろう。
君ならなんて言うのだろう。
その時、携帯のバイブが鳴り響いた。
薄く開いた目で画面を確かめてみると、そこには想像もしていない相手からメールが届いていた。
送り主は彼女だった。
驚きのあまり掛けていた毛布を吹き飛ばし、すぐさま内容を確認する。
『どうせ暇を持て余しているのでしょ?』
今の僕のこの状況を見ているかのような出だしに、心臓がドッと高鳴った。
『なら、学校に来てくれないかしら』
〝来て〟と言う言葉に反応し僕はすぐさま飛び起きた。
彼女はまだあの場所にいるんだ。そう信じて疑うことなく制服に着替えて家を飛び出した。
本当は制服に着替えるなんて手間は省いてしまいたかったけれど、学校で会うのに僕だけ私服だなんておかしいし、僕たちはお互い制服の姿が見馴れているから、この方が落ち着くことができる。
電車に乗っている時も急く気持ちを押さえながら、飛び降りてからは柄にもなく駆け足で学校へと向かう。
日も段々と沈みかけていたこの時間、すれ違う僕のことを部活帰りの人たちが、奇異の視線が捉えてくるけれど、そんなものに構う余裕なんてない。どうでもいい。
学校までの坂道を無我夢中に駆け登り、几帳面に上履きに履き替えてから自分の教室に入り、メールの最後の文面を思い出す。
『あなたのロッカーの中』
このたった三行しか書かれていない、簡素なメールだけれど僕の心が急げと囃したてていた。
暖房も付いておらず冷えた教室だと言うのに、僕は額に汗を浮かべながら肩で息をしていた。
心臓の高鳴りがやけに五月蠅い。
これはただ単に走ったからなのか、この中に何が入っているのか期待しての緊張なのか、わからなかった。
ただ、心臓の鼓動の早さがいつもよりも早まっていることは事実だ。
ニ、三度息を吐いて呼吸を整え直し、僕のロッカーの中を覗いた。
雑然と荷物が詰め込まれた見馴れた中身、その中に二つだけ見馴れない物がおかれていた。
一つは、鍵。
もう一つは、紙だった。
この鍵は屋上のものだろう。そして、この紙は僕に宛てたメッセージが記されているのだろう。
今すぐ内容を確かめたい気持ちを押さえこんで、教室を出て廊下を渡り、階段を上がって行く。
登りきった先にぽつんと置かれている扉の鍵穴に、さっき手に入れたばかりの鍵を差し込み、回す。
――カチャリ、
小気味いい共に、ドアノブのねじり、少し建てつけが悪くなっている扉を開ける。
正面から降り注ぐ茜色に目をすぼめた。
火照っていた身体を十二月の冷たい風が撫でて行き、全身が一気に冷たく澄んだ気がした。
僕と彼女だけの二人きりの秘密の場所。
彼女からの最後の言葉を受け取るにはこの場所が相応しいと思った。
彼女もここで読んで欲しいからこそ、鍵を一緒に置いたんだ。
すっかり整っていた呼吸、あれほど騒がしかった鼓動もいつの間にか落ち着いていて、なんだかいつもここにいるときと同じような感覚になっていた。
不思議と寒さも何処かへと消えて、背中には君の背中が触れているような温かさを感じていた。
二人きりの屋上。
他のもの全ては背景となってぼやけて映る。
掌に収まった君からの言葉を受け取る。
『どうせあなたのことだから、私が呼び出すまでずっと家に引き籠っていたのでしょう?』
ノートの一ページを切り取って作られた簡素な手紙の書き出しは、僕のことをずっと見ていたかのようで驚かされた。
『どうしてわかるのかって? それは私たちがお互いに反対のものをみているからでしょ? 私がここで生きるのが辛くて引き籠ったように、あなたなら目の前に置かれた死に直面して塞ぎこんでいることなんて容易に想像がつくもの』
僕の気持ちがわかっているのに、君はなんでそんな行動を取ってしまったんだよ。
『あなたの気持ちはよく理解しているつもりよ。それでも、私はこの行動を取らなくてはならなかったの。私はあなたと違って死にたがりだったけれど、あなたと日々を重ねて行く中で〝生きてみたい〟なんて思いが心の片隅に生まれてしまったの。それは日に日に大きくなっていって、私の身体を蝕んで苦しかった。私にとって生きる喜びとは、あなたにとっての死への恐怖となんら大差のないものだから、ただ苦しかったの』
全力で生き続けること肯定する僕だけれど、彼女の言葉がすぅと心に沁み渡っていった。
『だから、私は本当の意味で生きる為に腕に消えない傷を作るのではなくて、今回飛び降りたの。私は生きる屍だから。身体はあなたが住んでいるここにあるけれど、私の心はいつも別の場所にあって、死に近づいた時だけ心と身体が一つになれたの。それなのに、生きたいなんて思うようになってしまって、私の心と身体の距離がどんどん遠くなっていって、それが本当に苦しかったの』
彼女の気持ちが痛い程伝わってきた。ここ数日僕はずっと誰とも口を利かないで部屋に閉じこもりっぱなしだったけれど、この自分が生きているのかわからないでいた。
この僕は生きていながらに死んでいるような気がしてならなかったんだ。
君のように腕に傷を付けてみようとも思った。けれど、僕の中に残っていた生への執着がそれをギリギリの所で留めてくれた。
僕の身体は今、ここにある。
でも、僕の心はどこにあるのだろう?
生き続けるのは辛いことだ。それなのに僕はなんで生き続けているのだろう?
『だからそんな苦しさに決別するために、飛び降りることにしたの。これでやっと私はちゃんと私として生きることができるの。だからあなたには感謝しているのよ。もし、あなたに出会うことがなければ、ずっと腕に傷を作り続けるだけで、ずっとここで死に続けていただろうから。生き続ける場所はあなたとは異なってしまうけれど、私は向こう側であなたを見習って生き続けてみようと思うの』
君はもう、僕の目の前に姿を現してくれることはない。けれど、僕のいない場所で生き続ける。
僕はもう、君の目の前に姿を現すことはできない。
君のいなくなった場所で生きているか、死んでいるのか、区別がつけられない。
ねぇ、今の僕は生きているの? 死んでいるの? 今の僕にはどっちなのかわからないよ。
君は死んでしまったのに生き続けて。
僕は生きているはずなのに、実感がないんだ。
この場所に居続けるのが、とてつもなく辛いよ。
『だから、いつかあなたがこっちに来るまでの間しばらくはお別れになるね。生きることに苦しくなったらいつでもこっちにおいで。私は待っているわ。だからお別れの言葉ではなくて、いつものように挨拶をするわね』
君はもう僕のいる場所にはいなくて、見ることも触れることも叶わない場所にいるのに、別れを告げてくれないなんて、酷いけれど君らしかった。
生きたがりの僕の気持ちを、少しでも死に近づけようとする僕のよく知っている君だった。
そして、僕のことをよく知っている君だからこそ、僕が絶対に死のうとすることはないと考えている。
手紙の最後の一文に目を通す。
『また会いましょう』
そうだね、また会おう。
今の僕は君がここにいた時とは違うんだ。君の真似事として腕に傷を作ろうだなんて、前の僕なら絶対に思いもしなかっただろ?
そんな僕だから。
生きているのか、死んでいるのかわからなくなってしまっている僕だから、君がしたのと同じようにフェンスを登り、頂上に座り込む。
視界からフェンスの網目が消え去り、目に映り込んでくるのは君の身体と最期に会った時に見た風景。
ただ少しだけ違う所があって、否応なしに映り込んでくる網目が消えて、クリアになった風景だった。
僕は今君が見た風景と同じ物を見ているんだよね。
遠くに見える山裾は濃い影を孕み、空の反対側からは夜が迫っていた。
吹き抜けて行く風に何もかもが搔き消してくれそうで、ゆっくり目蓋を閉じて意識を風に流して行く。
どこか遠く、現実味を欠いた喧騒が耳に届いているけれどいずれ聞こえなくなる。
意識が空気の中に溶け込んで、身体は傾いでフェンスから離れた。
――ああ、また会おう。
どうも337(みみな)です。
この度は『生きたがりの僕。』を読んでいただきありがとうございます。
本小説は冬童話祭2015に向けて書いたものとなります。
私自身この企画に参加するのはもう四回目だったりします。時間の流れって早い。本格的なあとがきはこの後投稿する活動報告でしますので、この辺で一先ず終わりにします。
最後に、去年の冬童話祭に投稿した『死にたがりの僕が見つけた生きる理由。』も読んでいただけたら幸いです。
では、ありがとうございました。




