沈みこむ心
維心は、宮へと急ぎながら、維月の無事に安堵し、そして、義心のことを思った。
…維月のために、命を懸けたか、義心よ。
腕の中で、維月は黙ってじっとしている。いつもは何かしら話し、黙っていることは少ないのに。維心は、維月に声を掛けた。
「…どうした?どこか痛むか?」
維月はハッとしたように顔を上げた。
「いいえ、維心様。落ちる時も義心が庇ってくれておりましたので…気もくれたので、具合も悪くありませんし…。」
維月は、何かを隠している。維心はそう感じた。
「…あれは我に大変忠実であるのよ。よくぞ我が助けあげるまで、主を守り抜いたと感謝しておる。」
維月は頷いた。
「はい…。」
また黙りこむ維月を抱いて、維心は宮へと到着した。
洪が駆け寄って来た。
「おお、維月様!王がおられるので大丈夫だと思ってはおりましたが、ご心配申し上げました。」
維月は苦笑した。
「ごめんなさい、心配掛けて…。」
「さあ!奥でお休みを。王よ、維月様をお早く奥へ。」
維心は頷くと、維月を促した。維月は洪に言った。
「あの…私のせいで義心が死ぬところだったの。見てあげてくれる?」
洪は驚いた顔をしたが、頷いた。
「それはそれは、義心は任務に忠実でありまするから…維月様よりのお言葉、伝えておきまする。」
そして、維心に肩を抱かれ、維月は奥の部屋へ戻った。
維心の部屋で横になると、維心は維月の傍に横になった。そして額に手を当てると、気を補充し始めた。
「維心様…」維月はそちらを見た。「お手間をお掛けしてしまって…でも、大丈夫ですわ。」
維心は額から手を離した。
「…あれは、何か申したか?」
維月はびっくりして維心を見た。
「え?」
維心は視線を落とした。
「いや…何でもない。」
維心はそのまま黙って維月を抱き寄せると、自分も目を閉じた。
「維心様…。」
「眠れ」維心はそのまま言った。「今日は何も聞かぬゆえ。」
維月も目を閉じた。維心は、黙して語らぬ十六夜のことを考えていた。
次の日から、維月は奥の維心の居間から出なくなった。
体は正常でどこにも異常はないし、気を失った後遺症も全くない。
それでも、自分部屋や維心の部屋、居間以外を出歩くことが全くなくなり、出ても居間の横の広い庭へ行くぐらいで、それも誰かが来ようものなら、すぐに奥へ引っ込んで、出て来なくなった。
維心と話している時は普通なのだが、以前のような快活さは無く、どこにも出ようとしないので、月の宮の設計のことに関しても、蒼がここまで出かけて来て話していた。
蒼は、そんな維月を心配している洪や兆加達に代わり、維月にいろいろと聞いてみるものの、何もないと横を向くだけで、決して理由を口にしなかった。
蒼は、母がどれほど頑固であるか知っていたので、それ以上は何も言わなかった。話してくれる気にならなければ、絶対にこちらから強要されて話すことは、この母にはない。仕方なく、蒼は退散したのだった。
維月の沈んでいるような様子に、維心も気付いていたが、維月が何も言わないので、あえて聞こうとはせずにいた。
「維月様、王が湯あみからお戻りになられまする。」
侍女が庭で座っている維月に言った。戻って来ると言っても、そんなに急に戻って来る訳ではない。それに、戻ったからと言って、維月に何かすることがある訳でもなかった。全て侍女がわきまえて手配しているからだ。維月はわかったと頷いて、まだそこに座って、月を見ていた。十六夜は、最近は出掛けていることが多くて、話す事が出来ない。でも、呼んだら来てくれるだろうか…。
「十六夜…話せる?」
月に向かって言うと、しばらくして、どこかに実体化していただろう十六夜の気配が、月に帰って来たのがわかった。
《維月?どうしたんだ。》
維月は泣きそうになった。
《なんだよ、またケンカか?》
十六夜の慌てた声が言った。維月はかぶりを振った。
「違うの。私が悪いのよ。」
十六夜は少し黙ってから、言った。
《…あの落ちた時か。何があった?》
維月は月を見つめた。
「見ていたの?あの時は居ないと思っていたのに」
十六夜が言った。
《お前の気が急に感じ取れなくなったから、慌てて戻ったんだよ。まあ維心が居るから大丈夫だろうとは思ってたがな。》
維月は頷いた。
「私は守られてばかり…それに、維心様が、龍と人は違うとあれだけ忠告されていたのに、私は人としての習慣にこだわって、宮をうろうろとして…結果、一人、私の為に命を掛けさせて、もう少しで死なせてしまうところだったの…。」
維月はぽろぽろと泣いた。十六夜は困ったような声で言った。
《あのなあ維月、お前は人だったんだから、そうやって生きたいと願うことは間違っちゃいねぇ。お前が龍達にとって好ましい性質でも、それはお前のせいじゃねぇしな。だから泣くな。そこへ行きたくなるだろうが。》
維月は涙を拭いた。
「ごめんなさい。でも、私ってやっぱり人なの。人が神の中で生活してはいけない気がする…宮の中を乱すことは避けたいし、あのね、この間の半神の人、蒼が面倒みることになったじゃない?私も、蒼の作るシェルターに入った方がいいんじゃないかな。私はそんな気はなくても、きっとこのまま人のようにここに居たら、いけない気がして…。」
十六夜は考え込む声で言った。
《そうだな、お前がそれを望むんなら、オレはそれでもいいと思う。だがな、そうなると維心と別れなきゃならねぇぞ?あいつは根っからの神だから、人の世界が逆にダメだと思う。それに、あいつが好むと好まざると関わらず、神の世界はあいつを手放してはくれねぇだろうからな。》
維月は考え込んだ。
「私って…本当にここの宮を乱すために来たみたい…。自分の感情だけで、何もかも選んだりして。十六夜や維心様はいろいろ見ているのに。」
十六夜はため息をついた。
《…お前、それを維心に言ったか?言ってねぇだろう。ちゃんと考えな。神だろうが人だろうが、月だろうが、好きになる感情ってのはかわらねぇとオレは思うぜ。お前、オレが月だって忘れてるだろう?オレだって神の一種だろうが。維心だって同じだ。オレ達は小さい時から話してるから、お前はオレになんでもそうやって話すが、維心にだって話してもいいと思う…あいつもきちんと聞いてくれるよ。ましてオレは龍のことはからっきしだ。維心に話してみな。》
維月は十六夜を見上げた。
「うん。話してみる。」
十六夜は笑ったようだ。
《いい子だ維月。》そして、少し黙って、言った。《じゃあ、オレは行く。さっきから維心が居間に帰ってるぞ。》
維月は振り返った。維心がこちらを気遣わしげに見ているのが、窓ごしに見える。
「また、来月帰るわ。」
《待ってるよ。》
維月は急いで、居間の中へ入った。
維心が居間へ戻ると、維月は一人庭に座り、月を見上げていた。
十六夜と話している…。維心にはすぐにわかった。
維月は、小さい時からああやって、何かあると十六夜に話して来たのだ。それが維月の心の根幹にあって、そこはどうしても維心には入り込めない場所でもある。維月は、なんでも包み隠さず十六夜に話す。それがたとえ自分とのことでも、十六夜は寛容に受け止めて、怒ったりせず聞くからだ。そこにあるのは絶対の信頼関係で、維心はそこにいつも嫉妬を覚えていた。
ふと、維月が振り返った。こちらへ帰って来る。維心は、表情を引き締めて、維月を迎えた。
「もう、夜は冷えるだろう?中に居た方が良い。」
維心が言うと、維月は頷いた。
「はい…湯はいかがでしたか?」
維心は維月の肩を抱いて、奥の部屋へと促した。
「良い湯であった。主が風呂を好んで、露天風呂を作って良かったと思うておる。宮の者達もよく使っておるようだ。」
維月は微笑んだ。
「よかった。」
維心が寝台の上へいざなうと、維月は素直に従った。維心は口唇を重ねたが、それを離して、言った。
「維月、我に、話してくれぬか。なぜに主はこのところ、そのように塞いでおるのだ。」
維月は、困ったように黙ったが、思い切ったように口を開いた。
「私、維心様のおっしゃっていたことが、やっとわかったのでございます。維心様は常々、姿を晒すな、宮をうろうろと出歩くなとおっしゃっておられました。なのに私は、人としての習慣が抜けず、それに従えずにおりました。維心様は、龍と人とは違うとおっしゃっていたのに…その意味が、やっとわかったのです。」
維心は頷いた。
「…義心であるな。」
維月は驚いて維心を見た。
「なぜ…」
「…我には気が見える」維心は困ったように笑った。「主を見る時にあやつの気が跳ね上がるのを見て知っておった。あれは我と同じ反応よ。ゆえに、困ったことになったなとは思っておった。」
維月は寝台の上に座って頭を下げた。
「お許しください。義心が悪いのではありませぬ。私が姿を晒したばかりに…」
維心は維月の頭を上げさせた。
「なぜに謝るのだ。主の姿を見たのは、何も義心だけではない。主が悪いのではない。それに、義心が悪いのでもない。駄目だと思っても惹かれることはあること。我は自分がそうであったゆえに、それはわかっておるつもりでおる。義心が何も言わず、礼を尽くしておるので、我は何も言わぬつもりでおるし、気付かぬふりをするつもりだ。」
維月は維心を見た。あの時のことを、言うべきなのだろうか。今言わなくても、きっといずれ心をつなげば知られてしまうのではないか。なら、言うべきなのでは…。でも、維心様の反応が、怖い。
「維心様…私…。」
維心は眉を寄せて、目を伏せた。
「…主、義心を…?」
維月は首を振った。
「そうではありませぬ。私が愛しているのは、維心様と十六夜です。」それを聞いて維心は苦笑した。確かにそうだが。「しかしあの折り…私は、義心の心を聞き、口付けを受けました。私…私の為に死のうとしている、義心を拒むなど出来なかった。愛情ではなくとも、確かにあの瞬間、好意は持ちましてございます。」維月はもう一度頭を下げた。「私は…維心様にそれを申し上げることが出来なかったのです。いずれ心をつなげば、わかってしまうことだと思っていながら…。」
維心は黙っていたが、その心はその気に現れていた。湧き上るような怒りの気。目は光を帯びて青く光り、維月はどんな目に合うのだろうかと覚悟した。
維心は、維月を自分の方へ引っ張ると、その胸に抱きしめた。怒りの気はおさまりそうにないが、維心は自分を必死で抑えているようだった。
「…最後と、思うたのだろう」維心は、低い声で言った。「ゆえに主と、せめて…。」
維心は自分の心と戦っていた。十六夜なら、これほどまでに怒りはしない。自分の部下が、せめて最後に想いを伝えようとしたことや、せめて最後に口唇を合わせたいと思ったとしても…。その命を懸けることで、維月の心を震わせたとしても…。
この感情をどう持って行けばいいのか、維心にはわからなかった。十六夜は我に、なぜに維月を許せたのか。次々に子を生ませることを、どう思って見ていたのか。なぜにあんなに落ち着いていられるのか…。そして、我を庇うようなことを、なぜに維月に言えるのか…。
「我は…今、冷静になれぬ。」維心は正直に言った。「すまない。普通には主を抱けぬ…!」
維心は維月をその場に押さえつけて、激しく口付けた。
その夜は、そのまま維月を離せなかった。
目が覚めると、維月は隣に居なかった。
維心は急いで上着を羽織ると、維月を探して居間へ出た。そこに維月は居なかったが、義心が、膝をついて頭を下げていた。
維心は驚いて一瞬気が湧き上りそうになったが、それを抑え込み、そちらへ向き直った。
「回復したか。」
義心は頭を上げずに答えた。
「はい。本日より、軍務に戻らせて頂きますよう、お願いに参りました。」
維心は頷いた。
「戻るが良い。」
義心はそれ以上何も言わず、頭を下げ直すと立ち上がって背を向けた。維心はその背に言った。
「…義心」義心は、ピクリとして立ち止まった。「主の気、我は気付いておった。」
義心は振り返ると、それが何を意味するのか悟って、もう一度頭を垂れた。
「…如何様にも、処分を受ける覚悟でございまする。」
維心は頷いた。
「もう、十分苦しんだであろう。」
維心の言葉に、義心は驚いて顔を上げた。
「王…?」
維心は続けた。
「我も主の気持ちはわかるつもりでおる。だが、我の相手は寛大であった。しかし…我には無理だ。維月は誰にも触れさせぬ。主を確かに大事に思うておるが、維月だけは駄目だ。」
義心は維心を仰ぎ見、涙ぐんだ。
「王…我は逆臣だと言われても、仕方がないと思うておりました。」
維心は苦笑した。
「そうよの。我も怒りで我を忘れそうになったわ。しかし、維月も悩んでおった。主を嫌いでないゆえな。それを知って、考え直したのよ。抑えるのに一晩掛かってしもうたわ。」
義心はつぶやいた。
「維月様が…。」
それを聞いた維心が、グッと眉を寄せた。
「維月を許した訳ではないぞ。勘違いするでない。」そして背を向けた。「下がれ。」
義心は頭を下げて、今度こそ出て行った。
維心がため息をついてふと見ると、維月が、居間と自分の部屋へ向かう布の隙間から、こちらを見ていた。居間に義心が来るのを察して、そちらへ隠れていたらしい。維心がそれに気付くと、呼ぶ前にこちらへ走って来て維心に飛び付いて抱き締めた。びっくりした維心は、その勢いで、後ろのいつもの自分の座る辺りに後ろ向きに倒れた。
「い、維月?どうしたのだ。驚くではないか。」
そんな維心に、維月はそのまま深く口付けた。維心はそれを受けながら、尚も驚いたがされるままになっていた。あまりに長いので、そのうちに維心の方が上になり、維月に口付けていた。そして口唇を離した時、維心はもう一度問うた。
「どうしたのだ?維月よ。」
維月は涙ぐんでいた。
「…私、維心様がどれほどに怒るのかと…勘違いいたしておりました。こんなに寛大であられたなんて。申し訳ございませぬ。」
維心は苦笑した。
「これまでの我なら許しはしなかっただろうがな。この王である我の妃に手出しするなど、話し掛けることすら禁じておるぐらいであるのに、我慢出来るものではない。しかし…我とて同じよ。十六夜から主を奪うておる。命懸けで主を想うのは同じであるゆえな。だが、二度目はないぞ。」
維月は頷いた。
「それは、私が外へ出ませぬゆえ。」と維心の胸に抱きついた。「維心様…愛しておりますわ。」
維心は笑った。
「知っておる」と維月を抱いて立ち上がった。「朝は人が来るゆえ、奥へ参ろうぞ。今朝は起きるのが早すぎる。我が目覚めるまで待たぬか。」
維月は微笑した。
「はい、維心様。」
維心は満足そうに言った。
「良い返事ぞ。」




