別居
部屋を出た後、しばらく歩いて、維月は義心に言った。
「…ごめんなさい。いきなりあんなことをして…。」
義心は首を振った。
「それで惨状がおさまったのですから。我は…元より嫌だとは思っておりませぬ。」
維月は苦笑した。
「驚いたでしょう?あの二人はね、仲がいい癖にたまに喧嘩するの。今回はあまりに酷いから…回りの人にまで迷惑掛けて…だからきついお灸を据えなきゃ。私も、悩んでばかりも居られないわ。前を向いて歩くしかないもの…。ここのところ、自分で自分のことを決める必要もないから、甘えていたわ。しかりしなきゃ。」
義心は、維月の手を取った。
「では、我の屋敷へ参りましょう。宮の我の部屋でもよろしいが、また大変なことになり申しましょう。」
維月は笑った。
「どっちにしても大変なことになりそうだけどね。」
義心はクックッと笑うと、維月を抱き上げ、自分の屋敷へと連れて帰った。
蒼はその報告を聞いて呆然とした。思ったより被害は甚大だ。
人的被害はなかったものの、宮が大々的な補修作業を要しているのは、分かった。一緒に聞いているはずの維心も十六夜も、明後日の方向を向いているようで、心ここにあらずだ。蒼は、一人でこの大仕事をこなすのは骨が折れるので、とにかく維心様だけでも復活してほしいと思った。
居間に、義心が入って来た。それを見た維心と十六夜は、今までどこ吹く風な雰囲気でいたのに、一気に殺気立って義心を見た。
「…よくここへ来れたものよ。」と維心は言った。「まさか主が維月を持って行こうとは…。」
義心はひるまなかった。
「…我は、維月様に何も致しておりませぬ。」義心は言った。「維月様が是非にとおっしゃるので、今は我が屋敷に居られまするが、別の部屋で休み、お話を聞くのみでございます。」
維心は唸るように言った。
「当然だ。一時の気の迷いであるのに、それ以上のことになっておったら今すぐ我が主を消しておるわ。」
義心は頭を下げた。
「では、月よ、王よ。我の所に置くのも、そう長くはいけないと思いまする。我もそうそう我慢は出来ませぬゆえ。」維心が不機嫌に眉を寄せた。「維月様と、お話してはいかがでございましょうか。我の屋敷へ来られてもよろしゅうございますが、どちらかへと申されまするなら、そこへお連れするように致します。」
蒼は頷いた。
「そうだよ、ゆっくり話した方がいいって!母さん、あんなこと言ってたけど、きっとまだ愛情残ってるんじゃないかな。確かに愛情の度合いは減ってる可能性はあるけど…。」
二人は顔を見合わせた。
「それは…まず、蒼が話して来てくねぇか。」
十六夜が言った。維心も頷いた。
「いきなり我達が行けば、維月のことだ、話も聞いてくれぬ気がするのでな。」
蒼は呆れた。
「あのさあ、これってオレが聞いて来ることなのか?宮の修復もしなきゃならないのに。二人とも、自分達がやった癖に、全然何にもしないじゃないか。」
蒼が珍しく怒っている。十六夜は仕方なく頷いた。
「わかったよ。こっちのことはオレと維心でなんとかするから、お前は維月をなんとかしてくれ。できたら今すぐに。」
維心も頷いている。そうはため息をついて立ち上がった。
「わかったよ。じゃあ、宮のことは頼んだよ?ちゃんと報告聞いて、指示出してね。」
蒼は、義心について居間を出た。
正直、ホッとした…。
しばらく歩いていると、宮の出口付近に赤い甲冑が見えた。蒼がそちらへ歩いて行くと、見慣れた顔が、ホッとしたように蒼に話し掛けた。
「おお、蒼!どうしようかと思っておった」炎翔だった。「維心殿に会いに参ったら、宮はこの様子であるし、先触れを出そうにも誰も彼も慌てておるしの。」
蒼は恐縮して言った。
「…やはり、あの気は…?」
炎翔は憮然として言った。
「そうよ。あれのせいで我が宮もえらいことになったわ。何事かと見てみれば、維心殿と月が遥か上空で戦こうておって…あんなもの、誰が止められるのだ?主が地を守る気を出してくれてなければ、我が宮は崩壊しておったわ。」
蒼は頭を下げた。
「本当にご迷惑をお掛けしてしまって。」
炎翔は手を振った。
「まあ良い。ここほど激しく損傷したのではないからの。他の神の宮も大変だったようだが、他は小さく岩の中などにある。さらに損傷は少ないであろうよ。で、維心殿に会わねば、我は帰れぬのだが。」
蒼は困ったが、迷惑を掛けた炎翔をこのまま放っておくわけにも行かない。仕方なく、義心に言った。
「炎翔様を維心様の所にお連れして来るよ。後から義心の所に行くから、母さんによろしく。」
義心は頷いた。蒼は、炎翔を促した。
「ご案内致します。こちらへ、炎翔様。」
炎翔は頷いて、蒼について奥へと歩いて行った。
義心は一人、屋敷へ戻った。すぐに召し使い達がこちらへ出迎えにやって来る。
「義心様、お召し替えをなさいまするか?」
義心は頷いた。
「部屋へ帰るゆえにな。」
維月が出て来た。
「義心。おかえりなさいませ。」
義心は微笑んだ。いつ見ても美しいと思う。確かに、宮にはもっと美しい女も居るのに。
「維月様。今日も何か不自由はございませんでしたか?」
維月も微笑んだ。
「皆さん、とてもよくしてくださるので。」
召し使い達も、穏やかに微笑んでいる。維月は人であったので、ツンと取り澄ました所がなく、すぐに召し使い達とも馴染んでしまった。最初は王の寵妃が!と大騒ぎだった皆も、ほんの数日で構えることもなくなったようだ。
「では、私は着替えて参りますので。しばらくお待ちを。」
義心が言うと、維月はついて歩いた。
「では、お手伝いを。」
もう習慣になっているのであろう。きっと、王が帰られたら、そのようにしていたので、それが普通だと思っているのだ。義心は苦笑した。
「維月様、そのようなことまで、よろしいのですよ。」
維月は首を振った。
「それでなくても世話を掛けているのです。それぐらいは致しまする。」
義心は断ることもできたが、そのまま維月を連れて部屋へ戻った。
召し使いが持つ着替えを、手際よく着せて行く。間違いなく毎日やっていることのようだった。
これは妻がすることであるのに…。義心は思って苦笑した。きっと人であったから知らないのだ。
召し使いが甲冑を持って下がると、義心はソッと維月を抱き寄せた。維月はびっくりしたようだったが、拒みはしなかった。
「…もうすぐ、蒼様がここへ参ります。」
維月は顔を上げた。
「…私を説得しに来るのね。」
義心は頷いた。
「維月様は、お戻りにならねばなりませぬ。これ以上…我は、我慢出来ませぬ。王が来られないのなら、我はそのままここを離れてでも、維月様を我の妻として迎えたい。そう思うほどです。」
維月は困ったような顔をした。そんなことはさせられない。
「義心…そんなことはさせられないわ。私のワガママでここに置いてもらっているのに。」
義心はじっと維月を見た。
「維月様…」
義心はたまらず維月に口付けた。維月はためらった。これ以上、本当に私はここに居てはいけない…。義心の生き方まで狂わせてしまう…。
義心は、そのまま長く口付け、離したくないと強く思った。叶わないと思いながら…。
蒼は、やっと義心の所にやって来た。炎翔は維心に会って散々話し、とにかくこれ以上争ってくれるなと言い残して去って行った。これは本当に、ただのケンカでは済まされない規模であったのだ。
蒼が到着すると、義心の召し使いは愛想良く迎えてくれた。
中に入ると、維月と義心が待っていた。
「遅くなってしまって。炎翔様が長く話していたんだ。」と維月を見た。「母さん、オレもたいがい忙しくなったから手短に言う。帰って来て、あの二人を何とかしてくれないか。オレに何とかって、そりゃ無理な相談だよ。」
維月は苦笑した。
「そうよね。あなたにばかり無理を言ってごめんなさい…維心様はね、私が将来的にあなたのシェルターへ入ろうと考えて、でも、維心様を一人に出来ないから、他に妃を娶ってもらおうと考えてたのを、心をつないで知ってしまったのよ。それを里へ帰って十六夜とあなたに相談しようと思ってたから、なにがなんでも帰さないと、十六夜の所へ行った訳。それであんなことになったの。」
蒼は呆れた。
「結局、母さんを失いなくないからああなった訳なんだね。ほんとに人騒がせな!近隣の神様も、あれで被害こうむったんだから、母さんにも謝ってもらやなきゃな。オレ、関係ないのに謝ってるんだけど。」
維月は肩を落とした。
「悪かったと思ってるわよ。でも、あんなことになるなんて、思ってもなかったんだもの。」
蒼はため息をついた。
「あの二人は地を破壊することも守ることも出来るんだよ。あの力には誰も勝てない。唯一抑えられるのは母さんで、荒れさせるのも母さんなんだ。自覚してくれよな。」
維月は頷いた。
「わかったわ。私も自分の事は自分で決める。今までそうして来たのに、神の世界で萎縮してしまっていたわ。宮へ戻って、ちゃんと話す事にするわ。このままでは、何も変わらないもの。」
蒼は満足げに頷くと、立ち上がった。
「さ、善は急げだ。行くよ、母さん。」
義心が横から言った。
「今から?」
蒼は意外そうにそちらを見た。
「そりゃそうだよ。あの二人は、何をするかわかったもんじゃない。全ては母さんに掛かってるんだからね。」
維月も立ち上がった。
「行くわ。」そして義心を見た。「ありがとう、義心。私は行くわ。妃に戻るかどうかはまだわからないけど、自分で決めてやって行くから。」
義心は、少し思い詰めたような顔をした。が、思いきったように頷いた。
「はい。お困りになったら、ここを思い出してください。」
維月は微笑んだ。
「ありがとう。」
蒼は少しふらふらとしながら、維月を抱いて宮へと飛んだ。
「ちょっと、そんなにふらふらしないでよ!すごく重いみたいで傷つくじゃないの。」
維月は蒼に不満げに言った。
「…母さん、話し掛けないでよ。集中しないと落ちそうなんだから。」
蒼は唸った。人を抱いて飛ぶのがこんなに大変だなんて思わなかった。飛ぶのには「気」を使うが、持つのは腕力だからだ。もう少し体を鍛えようと、蒼は心に決めた。
「私は絶対太ってないわ!」
維月はまだぶつぶつ言っている。蒼は呆れながら、宮へと、やっとの思いで到着した。
そこには、たまたま洪が居た。
「維月様!ほんにまあ、王は大変なことを致しまして。」洪は恐縮して言った。「ご自分の力をあれほどまでに暴走させて、地をこんな風にしてしまわれるなど、今までございませなんだのに。蒼様がおらなんだら、今頃我らはどうなっておりましたことか…維月様からも、重々ご意見して頂きとうございまする。」
維月は頷いた。
「ごめんなさい、洪。結局は私のせいなのよ。維心様と、月と、しっかり話し合って来るので、安心してね。」
洪はとんでもないと言うように手を振って頭を下げた。
「そのような…維月様は十分にお役目を果たされてございます。世継ぎも次々と生み参らせ、これ以上のことはございませぬ。ただ…おわかりでございましょう?王は、女のことに関してはまだ赤子のような所がおありでございます。母君も知らずにお育ちのため、まるで子が母を求めるように維月様を追っておるように思う時もございます。たくさんのお子様の母君であられる維月様のこと、どうか、王をよろしくお願いいたしまする。」
維月は苦笑した。確かにそんなところもあるかもしれない。洪は、本当に維心様を心配して見ているのだわ、と維月は思った。
「ありがとう。維心様は良い臣下を持ってお幸せね。」
洪は戸惑ったように維月を見たが、維月はそれに気付かぬように、蒼と共に奥へと向かった。




