22.結末
仁科部長は立ち上がった。そして霧旗に向かって、
「何を言ってるんだ?」
霧旗は一語一句をゆっくりと話した。
「仁科さん、この机の上には白いUSBメモリもグレーのUSBメモリもあります」
「だから何だ?」
「あなたは、白でもグレーでもない、この黒いUSBメモリを取った。なぜこの黒いUSBメモリに脅迫に使われた顧客情報のファイルが入っていることがわかったんですか?なぜこのUSBメモリが犯人から送られてきたUSBメモリだと思ったのですか?あなたはUSBメモリで送られてきたことさえ知らないとおっしゃった。この黒いUSBメモリは一度も見たことがない。なぜならこのUSBメモリはずっと私たちの手元にあったからです。このUSBメモリが黒であることを知っているのは私たちのほかにはこれを持参した頭取と神崎常務だけです。お二人はこのUSBメモリが黒い色だったことを仁科部長に伝えましたか?」
「わざわざUSBメモリの色など言ったりはせん」
神崎常務が憮然とした表情で応えた。
「そうですよね」
仁科部長は自分が何をしたのか理解した。
霧旗は続けて、
「あなたの誤算は私たちがオクトパスの知り合いだったこと。そして彼は脅迫なんかしないことを知らなかったこと。ぼくもうまく乗せられましたが、オクトパスは資産家の息子です。1億2億ぐらいの金は彼にとってははした金なんです」
「仁科、きさま!」
神崎常務が殴りかかろうとしたのを霧旗が止めた。霧旗のほうが力が強く、神崎常務を椅子に押しもどした。
仁科部長はうなだれていた。それから顔を上げると訴えるような表情で、
「私は帝都出身者が許せなかった。ITの技術は東西のほうが断然上だった。それなのにあいつらは東西の仲間を次々とリストラに追い込んだ。だから奴らに一泡吹かせてやりたかった…」
絵理子は仁科の気持ちは理解できた。自分がこの帝都銀行を辞めることになったのも、もとはと言えば旧帝都銀行のやりかたが原因だ。でもこんなやり方でなくてもよかったのに…
「仁科さんも役者ですね。もちろんそういった背景もあったかもしれませんが・・・」
霧旗は立ち上がると、オペレーションルームのドアを開けた。そこには経理部に小椋小夜子が立っていた。ドア越しに一部始終は聞いていたようで、顔が青ざめていた。霧旗は小椋に椅子に座るように指示した。
「仁科さん、あなたは不正融資をしましたね」
仁科部長はなぜ小椋小夜子がここにいるかを悟った。
「仁科くん、どういうことだね」
山之内頭取が尋ねた。しかし、仁科部長は応えなかった。
霧旗は全員に昨日のぞき屋さんが見つけたメールを見せた。
―お客様の訪問が近いので、100Mの回収が必要です。詳細はいつもの場所で―
そして、小椋さんに向かって、
「小椋さんがこのメールを出したんですね。相手はどなたですか?これが何を意味するのか教えてもらえますか?」
小椋小夜子はブルブル震えながら、小さい声で、
「はい。仁科部長から1億円の融資の依頼を受けました。大至急ということだったので、融資部長の許可を取らずに直接相手の企業にその金額を振り込みました。ところが、連休前に業務検査部から抜き打ちの検査の連絡が入りました。このままでは不正融資となってしまうので、回収を依頼したのです」
「仁科部長、彼女が送ったメールのあて先はあなたですね。昨晩携帯電話会社のサーバーからアドレスを割り出しました」
仁科部長は、あきらめたようにうなだれていた。
それから、絞るような声で絵理子を指差しながら、
「きみがあんなレポートさえ書かなければ」
「どういうことですか?」
絵理子は驚いて、仁科部長を見つめた。
「きみはうちのセキュリティに脆弱性があるというレポートを書いたね」
「取締役会で却下されたものですね」
「そうだ。そのレポートが一人歩きした。帝都銀行の資金量は1兆を超えている。この金額が毎日流動している。これを全部現金と付き合わせるのは不可能だ。だから各支店の金額を電子データで集計し決算をする。当たり前のことだが、この金額をITで1億2億の金額を操作したところで絶対に誰にもわからない」
「何をおっしゃっているんですか」
絵理子はこれが仁科部長だとは信じられなかった。
「今回の統合で私の退職金も減額させられた。何とかして金を増やそうとしたのが間違いだった。私の同級生が社長をやっている企業から融資を依頼された。通常の融資基準では不可となるが、一年で20%の利益がでる約束だった。私は1億円をその企業の口座に振り込んでもらった。ところが、その企業は倒産した。もちろん融資した1億円はもどってこない。そこで私は経理帳簿のデータを操作して改竄を行った。絶対に見つかるはずがないと思っていた。ところが、今回きみのレポートを受けて、IT開発はしないが、帳簿データの改竄がないかどうか経理に関わる大規模な監査を行うことが決まった。これでは現金と帳簿が合わないのがばれてしまう」
「なんてことを」
「もともときみは女のくせにでしゃばりで、目障りだった。しかし、帝都の連中はきみの能力を高く評価していた。だからリストラの対象に入れることができなかった」
「仁科部長!」
絵理子は叫び声をあげた。
「きみの配置転換を指示したのは私だ」
「じゃあ私をやめさせるつもりだったんですね」
尊敬していた仁科部長がこんなことをするなんて。私を退職に追い込んだのは仁科部長だったなんて。
一連のやりとりを聞いていた山之内頭取が腰をあげた。
「霧旗くん、いろいろありがとう。ここから先は私に任せてもらおう。社内の不祥事は私の責任だ。私のほうで対応したいと思う」
「頭取、もちろんです」
「それから、お恥ずかしい話だが、このことは決して他に漏らさないでほしい」
「わかっています」
霧旗も立ち上がった。もうこれ以上ここにいる必要はない。絵理子は呆然としていたが、霧旗が腕を取り、アタッシュケースにPCを入れていっしょに部屋を出た。
絵理子はよろめきながらエレベータに乗った。霧旗が横から支えた。
「実は仁科さんが犯人だという決め手が最後まで見つからなかった。すべての状況が仁科さんが疑わしいと暗示していたけど、仁科さんであってほしくないという気持ちも強かったからね」
「お願い、それ以上は黙ってて」
絵理子の瞳から大粒の涙がこぼれた。
霧旗がポケットからハンカチを取り出し、渡そうとしたが絵理子は受け取らなかった。
エレベータが地下に着き、二人は駐車場に向かった。
霧旗はポルシェの助手席のドアをあけて、今にも倒れそうな絵理子を支えるようにして車に乗せ、発進させた。
絵理子は黙ったまま助手席のシートに寄りかかり、瞳からあふれる涙を拭きもしなかった。霧旗も黙ったまま運転していた。六本木通りから恵比寿へ折れたところで、絵理子が口を開いた。
「峻くん、明日休んでもいい」
霧旗はポルシェを道路に脇に寄せハザードランプをつけた。そして、霧旗はまだ流し続けている涙を指先でぬぐった。そして霧旗はそこから見える高層マンションを指差し、
「エリー、良ければ今から休む?ぼくの部屋で」
「馬鹿!」
やっと絵理子は自分で涙をぬぐった。
「男ならハンカチぐらい貸しなさいよ」
霧旗は苦笑してもう一度ポケットからハンカチを取り出して絵理子に渡した。




