22 炎の中から君を抱く
暗闇の中、エレナはぼんやりと光る光の玉と、それに付随する数字を、ずっと見つめていた。
最初は五桁あった数字は、少しづつ、だが確実に減ってゆく。
それは、アシュレイの魔石との距離を示す数字。
減ってゆくという事は、彼がエレナの魔法に気が付いて、確実に近づいてきてくれている証だった。
数字が四桁の前半に差しかかったとき、それまで揺れ続けていた輿が、軽い衝撃とともに止まった。
地面に降ろされたのだろう――そう察したエレナは、気づかれぬよう静かに壁に耳を当て、外の気配を探る。
けれども、防音が優れているのか、それとも何らかの魔法がかけられているのか、外界の音は一切届かなかった。
だが、輿が止まってからというもの、数字はみるみるうちに減っていく。
――アシュレイさんが、近づいてる……私……助かるかもしれない……
淡い希望に胸を締めつけられながら、エレナは祈るようにブレスレットを握りしめる。
高鳴る鼓動も、ほころぶ口元も、もう抑えきれなかった。
数字は瞬く間に三桁から二桁へと移り、そして――「6」でぴたりと止まった。
「アシュレイさん! アシュレイさーん! ここです! ここにいますっ!」
湧き上がる衝動に突き動かされるまま、エレナは壁を叩き、あらんかぎりの声で叫んだ。
やがてエレナは、拳だけでなく、肩や体ごとぶつけるようにして箱を叩いていた。
――すぐそこにいるのに……彼が、ほんの目と鼻の先にいるはずなのに……
それでも、壁からは一切反応が返ってこない。
外の気配も、音も、空気の揺らぎすら感じられない。
魔石の数字は、「6」のまま、ぴくりとも動かなかった。
膨らんでいた気持ちが、急速にしぼんでゆく。
――これでもし、この数字がまた増えたら……私はきっと……
「アシュレイさん……アシュ……レイ……」
声を絞り出すように名を呼んだその唇は、震えていた。
目尻には、知らぬ間に涙が滲んでいた。
そのときだった。
箱の下部から、眩い閃光が――一閃、走る。
思わず目をつぶるほどの強烈な光。
次の瞬間、焦げ臭さと息苦しいほどの熱風が吹き込んできた。
それと同時に、それまで遮断されていた外の音が、一気に雪崩れ込んでくる。
「エレナァっ!!」
アシュレイの絶叫が、熱風に乗って飛び込んでくる。
やっとの思いで目を開ければ、焼けつくような光が視界を刺した。
それは単なる外の光ではない。
炎――箱の内側の壁という壁が、燃え上がっていた。
「きゃああぁっ――!」
炎が舌を伸ばすように、足元のクッションを飲み込んだ。
燃え上がる布地に包まれ、エレナは身をよじらせる。
火は足元から、そして袖口、肩口へと伝い、服ごと彼女の身体を包み始めていた。
「ははははははっ! その服はね、美しく燃えながら、長い間、もだえ苦しみ――
生きたまま焼かれるように、設計されてるんですよォ!! 魔法付きでねぇぇッ!」
地面に押さえつけられながらも、ファリドは狂気に濡れた目で、火に包まれるエレナを見つめていた。
アシュレイは、ひるまなかった。
限界をとうに越えた身体をむち打ち、引きずる足で、それでも真っ直ぐ――エレナへと向かってくる。
駆け寄るには程遠い、もどかしい速度。
けれど、炎越しにも見えた。
その目に宿る、まっすぐな決意と、鬼気迫るほどの必死さが。
「アシュレイさんっ!」
炎の中へと差し出された左腕――
その腕が、エレナの腰をしっかりと抱き寄せた。
次の瞬間、アシュレイは身体をひねり、エレナごと火の中から転がり出る。
だが、足につながれた鉄球が重く、ふたりはそう遠くへは運ばれなかった。
「あ゛っつ……! 熱いっ、熱いよ……あああっ、アシュレイさん……っ!」
「今、消す……! クソッ、なかなか消えないっ!」
アシュレイは自分のジャケットを脱ぎ、必死でエレナの服を叩く。
炎はそのたびに火の粉を散らしながらも、なおしぶとく布に食らいついていた。
「ははははっ! 魔法の炎が消えるものかっ。かわいそうに、もっと苦しむことになったぞ。」
ファリドの、心から愉快そうな声がエレナの耳に届いた。
――せっかく会えたのに……やっと会えたのに……私、死ぬの……?
熱と痛みに支配された意識の中で、エレナの思考は途切れ途切れに漂う。
――嫌だ……まだ、言いたいことがある……
――死にたくない……アシュレイさんの手、もう一度……
「あああああああぁぁぁっっ!!」
炎の中から響いたその慟哭は、まるで天へと届く祈りのようだった。
それは、一瞬の出来事だった。
リューデンハルトの空が、低く、黒く、まるで怒りに染まるように曇る。
そして次の瞬間――
水がめをひっくり返したような激しい豪雨が、市街地を覆い尽くした。
本来なら水では消えぬはずの魔法の炎すら、その雨にあっさりと鎮められた。
だが、それだけでは終わらなかった。
雨がエレナの肌に触れるたび、焼け爛れた皮膚が再生してゆく。
アシュレイの疲弊しきった身体も、折れた腕も、雨の雫に癒されるように――見る間に、元の姿へ戻っていく。
ファリドの配下も、騎士たちも、ダニエルも、ファリドでさえ――
この雨に打たれた者は、怪我も、疲労も、持病すらも、すべてが洗い流されてゆく。
まるでこの世界の穢れを、雨が一滴残らず浄化していくかのように。
そのとき、エレナは見た。
雨の帳の向こうに、ぼんやりと浮かぶ、透き通った巨大な女性の姿を。
あれは――かつて幼い日に祝福をくれた、水の精霊。
彼女は直感でそう理解し、思わず涙がこぼれそうになった。
雨はすぐに細くなり、やがて黒雲が流れ去る。
雲間から差し込んだ陽光が、水の粒を照らし、空に幾重もの虹を架けていく。
「……きれい」
静まり返った南広場に、ぽつりと落ちたその声が、風に溶けていった。
膝をついたままのアシュレイの傍らで、
仰向けに倒れたままのエレナは、ふと――自分の身に、何も纏っていないことに気づいた。
「……っ」
エレナの異変に、アシュレイはすぐに気づいた。
次の瞬間には、慌てて彼女を抱きしめ、その身を自らの影で覆い隠すようにして――
周囲の騎士たちの視線から、必死に守ろうとした。
その時――ふわりと、ひとつのマントが風を切って舞う。
「これを」
ファリドに馬乗りで押さえつけたままのダニエルが、短く言って投げたそれを、アシュレイは空中で受け取り、
すぐさまエレナの肩を包んだ。
「……ありがとう」
「礼はあとで。目線を遮れ。あんた以外、誰にも見せるなよ」
「――っっ、もちろんだ。」
アシュレイは、耳まで真っ赤になって、答える。
「……アシュレイさん、私の身体……、見ましたか?」
マントの陰に顔を沈めたまま、目だけ出してエレナはそっとアシュレイを見上げた。
視線がぶつかると、アシュレイはひどく気まずそうに眼をそらす。
「……すまない。少しだけ……」
耳まで真っ赤にしたまま答えるその姿に、エレナの頬もほんのり染まっていった。




