21 その瞳に焼き付けよ
厳重に添え木をあてられ、包帯で右腕を固定されたアシュレイは、別邸を発つために立ち上がる。
それから、公爵家の騎士と交渉し、馬を一頭都合してもらう。
「アシュレイさん、あなた、馬には長時間乗れないんじゃ……」
門の外で、カタリナが不安そうにたずねると、連れてこられた軍馬の顔を撫でながら、アシュレイは静かに頷いた。
「ああ……だが、そんなことは言っていられない。この身体がもつ限り、私は騎士団と共に走る。」
それから軽く目をつぶり、エレナがさらわれていった様子を思い出す。
まぶたの裏に、最後の抵抗を試みるエレナの姿が焼き付いて離れなかった。
「それに、あんな黒くて不気味な箱にエレナは押し込められてしまった。
押し込められるとき――私に助けを求めていた……私が行かねば――」
「……ちよっと待て、今、黒い箱って言ったか?」
第四騎士団の団員と最終的な打ち合わせをしていたダニエルが急に振り返って話に割り込んできた。
「ああ、ファリドはエレナを真っ黒な窓のない箱型の輿に押し込んで、四人の男に担がせていた。」
いぶかし気に言うアシュレイに、ダニエルは深刻そうな表情で言う。
「……実は数日前、まったく同じ箱が十数個、王都を発っているんだ。巡回中にすれ違ったから、よく覚えている。
妙に気になって調べたら、名義は“ザガル=アルダ帝国の商人”。でも、あれは――ダグリス帝国でハーレムの貴婦人を運ぶための、伝統的な輿だった……」
「ダグリス帝国?それにハーレムだって?」
アシュレイの眉間に、ぐっと深い皺が刻まれる。
「……ああ。かの国では、複数の妻を持つことも珍しくないらしい。
ただ、近年は廃れつつあると聞く――
もしかしたら、ファリド・ザフラーンは……」
ダニエルの言葉が、途中で止まった。
突然、アシュレイの左腕がぴくりと震えたかと思うと、意思とは無関係に持ち上がり、ブレスレットに埋め込まれた魔石が淡い光を放ちはじめた。
次の瞬間、光は粒子となって宙に舞いあがる。
「な……なんだ?」
ダニエルが突然のことに驚き一歩後ずさったが、魔石に魔法が付与されたことを悟ったカタリナは乗り出してくる。
「……エルフィーナ!」
カタリナが声を上げる。
「あの子よ。今、双晶魔石に――魔法を付与したの!」
皆の見ている前で、光の粒は空中に集まり、やがて文字を描き出す。
「「「ダグリス帝国」」」
三人の声が、まるで魔法に誘われるように重なった。
「やっぱり、ダグリス帝国に向っているのね!」
カタリナの言葉の途中、光の粒子がふわりとほどけ、今度は空中に点と数字を描きはじめる。
点はふわふわと漂い、ダルク=ファジル王国とは別の方向、ザガル=アルダ帝国の国境の方面へと導こうとする。
「この数字は……その腕輪との距離か?すごい魔法だな……」
驚くダニエルに、アシュレイは苦い顔をする。
「……エレナの付与魔法は別格なんだ……が、おそらく彼女は、それを広く知られることは望まないと思う。内密に頼む……」
「……わかった。内密にしよう。
ザガル=アルダ帝国を抜けて、第三国――たとえば“ナルヤ辺境領”あたりを経由し、ダグリス帝国に入るつもりかもしれないな。
これはもしかしたら、運が向いてきたかもしれないぞ。この速度なら、ちょうど国境で帰国予定の王太子殿下の一行と鉢合わせるかもしれん。
王太子殿下のご通行となれば、警備は平時の何倍にもなる。
そこを通る輿など、まず見逃されることはない。」
「脇道にそれることはないかしら。」
カタリナが効くと、ダニエルは首を横に振った。
「それは、まずあり得ないな。あの辺りの街道以外は、けもの道か、崖沿いの細道しかない。
輿を担いで通るなんて、不可能に近い。
それに、ザガル=アルダ帝国は友好国とはいえ、国境沿いには定期的に哨戒兵が配置されてる。
密入国者に対しては、むしろ我が国以上に厳しいことで知られてる国だ。」
「つまり、奴らは“あの道”を通るしかない――そして、殿下の行列も、そこを通る」
アシュレイもダニエルに賛同して言うと、カタリナはにっこりと、それはそれは良い笑顔でパチンと手を打った。
「ならば――我が公爵閣下にも動いていただきましょう。
我がグランディス家を侮辱した、ファリド・ザフラーン。……絶対に許さない。
そして、エルフィーナは……必ず、私たちの手で取り戻すのよ。」
「ヒッ、やっぱり“烈火の赤薔薇夫人”の異名は伊達じゃねーな……」
「何か言いまして?」
ダニエルの聞こえるか聞こえないかの囁きを、正確にひろったカタリナは、笑顔で彼を制した。
王都から国境まで、一本の主要な街道が一番の近道。
アシュレイと第四騎士団は、ザガル=アルダ帝国との国境目指して馬を走らせた。
カタリナは後から速度の出る馬車で追ってくる。
相手は、女を乗せた輿を担ぎながらも驚くほどの速度で進んでいる。
このままなら、追いつけるのは国境の町――リューデンハルト。そこが唯一の交差点だと見られていた。
問題は――リューデンハルトが、そこそこの規模を持つ交易都市だという点だった。
東西南北から旅人と物資が集まり、さまざまな人種や文化の者が行き交うその街では、ファリドの一行も容易に紛れ込めてしまう。
だが、アシュレイには――エレナの魔石があった。
リューデンハルトの石畳を踏みしめた瞬間、アシュレイの身体は限界を迎えていた。
意識は朦朧とし、右腕は痛みに焼け、馬にしがみつくことすらやっとだった。
それでも、魔石に浮かぶ数字は、確かに減っていた。
「もうすぐだ」――その小さな希望を頼りに、彼はただ、前へと馬を走らせた。
ダニエルがすぐさま通信魔法を飛ばす。
「こちら第四騎士団、対象の馬車を確認。第十一騎士団は南門の監視と市民の退避を。近衛隊、王太子の許可を得て北門から包囲に参加を要請する」
魔石が青白く輝き、各部隊がそれぞれの持ち場へ散っていく。
――静かに、しかし確実に、包囲網が狭まっていた。ファリド一味がそれに気づくことは、まだなかった。
騎士たちは混乱を最小限に抑えつつ、一般市民を巧みに誘導した。
そして、包囲網の中心――リューデンハルトの南広場に残されたのは、
ファリドとその配下、沈黙を守る黒い輿、そして剣を構える騎士たちのみだった。
「何か様子がおかしいですぜ」
ファリドの側近が彼に囁いた時には、もうその広場に通じる道のすべては騎士隊に封鎖され、ジリジリとその輪が狭められて行っているところだった。
アシュレイは広場に着くと馬を降りる。
よろめいて膝をつきそうになった時、ダニエルがとっさに彼を支えた。
アシュレイはダニエルに支えられて、一歩また一歩と輿へと近づいてゆく。
光の数字は、どんどんゼロに向って、その数を減らしていった。
「無様ですね、アシュレイ・グランディス。
この国随一と名高い騎士様が――人にすがらねば、女ひとり取り戻せないとは。」
ファリドは逃げ出す隙はないか、注意深く周囲を探りながらもアシュレイを挑発する。
ダニエルは舌打ちして眉をひそめたが、アシュレイは軽く頭を振って制した。
「……ああ、そうだな。
だが――それがどうした。
エレナが無事に戻るなら、俺はどんな姿だって晒す。頭も、命も、喜んで差し出すさ。」
その声に力はなかった。
だが、アシュレイの眼差しは、鋼のように揺るがなかった。
そして彼は――静かに、笑っていた。
「投降する気はないか?何重にも囲まれて、お前たちに逃げ場はないぞ。」
ダニエルも声を張り上げる。
「逃げ場はない……そうですか。ええ、確かに、その通りでしょうね。
ですが、あなたたちは知ってますか?
この輿――非常に、よく燃えるんですよ」
ファリドはニコニコしながら、懐から火種を入れた筒を取り出して、火を見せる。
「は?」
思わず声を上げたのはダニエルだった。
「この箱はね――奪われることを、何よりも恥とする文化の産物なんですよ。
ハーレムの女たちは、敵に捕まるくらいなら、その命を絶たれるのが“誇り”なんです。」
アシュレイも目を見開いたままその場に固まった。
「惜しいですよ? 本当に。
でもね……“私の番”を、他の男に抱かせるくらいなら、焼き尽くす方がまだマシなんです。
ええ、この手で、跡形もなく、ね。」
ファリドは迷いなく火を黒い箱へと近づけ、箱は宣言通りにあっという間に火が移り、めらめらと燃え出す。
「美しいでしょう。私のエルフィーナは。
よく燃える薄絹は、炎のドレスに――
ああ、なんと優雅に燃えることでしょう。
重い鉄のいましめに縛られ、逃げ場のないあの子が、どんな声で鳴き、どんな舞で炎に身を任せるのか。
あなたの瞳に、しっかりと焼き付けなさい。」




