03
私は、自分が3ヶ月間のステイホームで抱えた不満や違和感について、そのやる気のない事務職員に語った。
※※※※※※
「‥‥難しい」
遠隔で大学の授業が始まって1週間目のこと。
私は思わずぼやきをもらしていた。
PCの画面上では、自分もどうしていいのかよく分かっていなさそうな、戸惑いの表情を浮かべた講師によって、社会調査の基本が語られている。
私は同じ戸惑いを引きづるように、それでもノートを取り出して、要点を必死にまとめていた。
授業を遠隔で受けること自体は、はじめてのことじゃない。
通っていた学習塾はオンデマンドの映像授業が主体だった。
それに、世界各地の大学が、オンラインで世界中に講座を公開しているMOOCという仕組みについては聞いたこともあったし。
「……でも、『大学』って、こんなんだっけ」
私の戸惑いは、「大学」という言葉のイメージのせいだと思う。
私が思う大学は、自分で履修科目を自由に登録して、怠惰に寝ぼけたり、緩慢な動作で登校をして、眠たげに講義を受けたりするところだった。
あるいは、先生の熱意が学習欲を呼び起こし、学問の海におぼれるように乗り出すところだった。
講義の合間には友人と会話を交わし、サークル活動に励んだり、慣れないアルバイトで叱られたりするところだった。
……時には、かっこいい男の子に恋をしたり。
そうやって、有意義で怠惰な青春を消費していく。
私の中の「大学」はそういうものだった。
そして、見つめる先にある画面の中のそれは、私には「大学」とは思えなかった。
もちろん、大学側も、未曾有の事態に足を掴まれながら、それでも工夫をこらして、なんとか質の良い教育を提供しようとしてくれてはいる。
でも、やっぱり、頭の中で描いていた「大学」の姿とは、遠く違う現実があった。
一人暮らしで、友人ができない。
私服を考える楽しみがない。
知識もないまま、感染症に関する不安が積みあがっていく。
あったはずの生活、出会っていたはずのあなた。
そんな歌詞のような一節が、頭の中で広がっていく。
「誰かに……奪われた」
主語の欠けた、何か想像していたものを奪われたという感覚が、自分の中で増幅していった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そんな苦しみの中で、私は「彼女」に出会った。
「……みんな、苦しんでるんだなあ」
遠隔授業の開始から間もなく、私は寂しさを紛らわすため、SNSに触れることが多くなっていた。
生まれては消えていく言葉の海に浸る。
『政府の対応は徹底的に間違っている!!』
『とりあえず対面してほしい』
『別に苦しんでいるのは学生だけじゃないでしょ』
それぞれの立場に立てばどれも正しいのだろう言い分が、刹那に流れていく。
オンラインが主流になって、そういう不満を分け合う存在が、みんな近くにいなくなったのかな、と思う。
「広山大学にも、私と同じような子がいるはずだよね…」
ふと思い立ち、大学の名前で検索をかけてみた。
すぐに大学の広報アカウントや、広山大学生を名乗る人物のアカウントが見つかる。
「今どきの」若者は、やはりこうやってSNS上でつながるものなのだろうか。
「春から広山大学」という文言を繰り返して、同じ大学の学生を勧誘しているアカウントもたくさんあった。
「でも、この人達が本当に広山大学生か分からないし……」
アカウントを作るだけなら、誰でも出来る。
別にメディアリテラシーが高い方だとは思っていない。
でも、無用なトラブルは避けたかった。
もちろん、大学のホームページに載っているようなサークルのアカウントなら、得体の知れない人間と出会う危険度はグっとさがっただろうけれど。
「……でも、私、バレーボールもソフトテニスも出来ないしなあ」
知らない社会を知ることが好きなくせに、こういうところは慎重になってしまう。
それに、どれも屋外での活動を想定しているものばかりで、その時点での活動は絶望的に思えた。
自分としては、大勢の人間が無体に集まるコミュニティには、出来れば加入をしたくない。
私が大学側に不満を言うとしたら、学生をオンラインでつなぐ機会を提供してくれていないことだ。
まあ、ただでさえ天然モノのトラブルに悩んでいるのに、わざわざ混乱の種をまくようなことをしたくなかったのかもしれない。
「……だったら」
私はそこで、より検索ワードを絞り、「地方貢献学部」の学生らしき人を探してみることにした。
もしかしたら、自分と同じ授業を受けて、その感想を呟いている人がいるかもしれない。
「この人もそうかも……この人は、……先輩かな」
地方貢献学部は広山大学の他学部に比べてそもそも定員が少ないから、あまり期待はしていなかったけれど、それでもぽつぽつと、それらしい人を見つけることは出来た。
問題は、その人が連絡を取っても大丈夫な人かどうかだ。
基本的に大学生はほとんど大人だし、人間関係の責任は全部自分に持たされる。
その人が今後付き合っても問題のない人かどうかは、慎重に見極めなくては。
「……こういうこと呟いてるのはちょっと」
パス。
「プロフィールにこういうこと書いてる人も……苦手」
パス。
そうして、数日間をかけ、私は自分の文章を公開し、閲覧可能にしている学生の中から、「この人なら……」と思える人を、やっと見つけることが出来た。
呟きを見る限り、その人は女性で、「社会比較論入門」に同じく苦戦しているようだった。
つまずいている部分までいちいち同じだった。
『なんでこんなに講義は難しい!!?』
そう、講義はひどく難しかった。
「計量社会学」なんて一口に言われてもさっぱり分からないし、そもそも私は数学が苦手だ。
初歩の初歩だと講師は言うけれど、こっちは表計算ソフトの使い方もわからなければ、「尺度」や「変数」という、普段使用する意味とは違う言葉の迷路に右往左往している。
「回帰分析」なんて出てきた日にはお手上げだった。
これはそもそも向いていなかったのでは……と思いかけていたから、余計に彼女の発言が目に留まったのだ。
広山大学の近くの一風景をアイコンにした彼女は、自分が学んでいるものに対して、実に率直に不満を述べていた。
『そもそも外に出られないのに、地域資源なんてどうやって見つけるんだ!!』
その呟きが、自分の感覚に完全にはまった。
確証はないけれど、この人なら、大丈夫な気がする。
そうして私は、自分のアカウントから、彼女にメッセージを綴った。
想像していたものと違う「大学」生活に対する戸惑いから、無用な長文になってしまっていたけれど、要は「あなたと友達になりたい」という意味の言葉だった。
ドキドキと返事を待っていた私は、程なくしてなった返信を知らせる通知音に心臓が飛び上がる思いだった。
慌ててSNSのアプリケーションを開く。
「……えっ!?」
正直に言って、虚を突かれる思いだった。
『Hello!!Akari!!It's a great pleasure to connect with you via SNS』
『こんにちは、あかり!!SNSであなたとつながれてとてもうれしいわ』
私がコンタクトを取ったのは、同じ大学の新入生ではあっても、留学生の女の子だった。