第21話「隴西の李徴も虎になった」
虎とウルフ2頭の争いは、終始虎の優勢だった。
何しろ体格が違う、地力が違う。
――そして何より、“魔力の使い方”に歴然とした違いがあった。
ウルフもまた知能が高く、連携も巧みで厄介な魔物には違いない。だが、彼らは身に纏う魔力をその相互の連携にしか使っていなかった。
一方、虎が用いる手段は多様だ。
身体強化は勿論のこと、魔法で地を隆起させ、礫を飛ばし、更には魔力反射による立体把握で死角はない。
複数のタスクを同時並行させる巧みな魔力運用により、数的劣勢など関係なく虎はウルフを翻弄し圧倒していた。
そしてまもなくウルフの片割れが地に叩きつけられ、虎の前脚に頭蓋を割られた。
残る1頭はさすがに不利を悟り退こうとしたが――。
『逃がさねえよ?』
その瞬間、虎が一歩踏み出し、同時に土中を走った魔力がウルフの眼前で派手に爆ぜた。巻きあがった砂が視界を塞ぎ、たまらずウルフの足が止まる。
そして動きの止まったその上に、跳躍し距離を詰めていた虎が伸し掛かった。
ウルフの喉が、内臓が、その重みに耐えられずに潰される。悲鳴さえ碌に上げられず、3頭目のウルフも息絶えた。
『アル、そっちはどうだ。』
「1頭逃がしました。」
青年も、ウルフの死体から剣を引き抜きつつ応える。そのまま流れる動作で血を払い、剣を鞘に納めた。
結局、4頭のウルフが物言わぬ骸になるまで、大した時間はかかっていない。
「ハクッ!」
『シリン。』
そして青年が魔法を解けば、途端に生い茂った緑が萎れ、防壁の用をなさなくなる。
その中から、転げるようにシリンが巨鳥へ駆け寄っていった。
虎からそう遠くない位置に巨鳥はいた。その体高は2 mに近い。当然、女性の背丈よりも頭1つ分は抜けている。
更には鋭い嘴も備え、それが振るわれることを想像すれば決して気軽には近寄れない。
だが、シリンはそんな巨鳥の胸元へ臆することなく近づいていく。
『子供たちは。』
「かあさん!!」「ハク!」
巨鳥が尋ねると同時、小屋の木戸がバタンッと開き小さな兄妹も転げ出てきた。
『アラン、セリン。』
そのまま、子供たちは巨鳥のもとに母親と同様一直線に駆け寄っていった。
そして兄の方は母親の隣で止まったものの、妹は巨鳥の腹にがっしりとしがみつき、そのため巨鳥は下手な身動きができなくなった。乏しい鳥の表情の中にも、狼狽が見て取れる。
体躯の小さな者たちに不要な恐怖を与えないよう、巨鳥は細心の注意を払っているのだ。
『よく言いつけを守ったな。』
「!!・・・っふ、こわっ、こわかったぁ!」
それでも、存外柔らかな雰囲気で声をかけられ、幼い妹は感情が決壊したように泣きじゃくった。
また、顔を真っ赤にして泣く妹に対し、多少年嵩の兄は懸命に我慢しているのが見て取れた。目尻を赤く染め、身体を小刻みに震わせながら、気丈に母親の傍らに立っている。
それらを見回した巨鳥は、シリンへ厳しい目を向けた。
『・・・シリン、この子らになぜついていなかった。』
それを言われた彼女もまた、罪悪感に瞳を伏せる。
「ごめんなさい。・・・アラン、セリン、不安にさせてごめんなさいね。」
「ううん。セリンには僕がついてるから。かあさんはハクに。」
「アラン・・・。」
中々健気なことを言う息子に、シリンは言葉を詰まらせ、巨鳥は呆れた視線を彼女に向けた。
『・・・シリン、子供にこんなことを言わせていいのか?』
「反省するわ。」
『わかればいい。』
まるっきり“家族”でしかないやりとりが展開されているすぐ傍らで――。
ズリズリと無粋な音が頻りに鳴っていた。
虎と青年が4つの死体を木立の中へと引きずり移動させている音だった。
微笑ましい子供たちの声が続く一方、『後で穴を掘って埋めておくか』「明日にしましょう」そんなやり取りを交わす。
そうした作業も一段落し、虎が腰を落として息をつく。
『ふい~。・・・ああぁぁ、口のなか濯ぎたい。ペッペッ。』
「口というか割と全身血で汚れてますけど。」
青年が指摘する通り、虎の真っ黒な毛並みで目立たないが、日の落ちた薄闇の中でも銀の縞が所々赤黒くなっているのがわかる。
かなり派手な方法でウルフを屠ったのだから当然だろう。
『わーってるよ。鉄臭くて鼻もげそう。』
「・・・そういえば、この近くに清水が流れてましたね。」
『それだ!すぐ行こう!』
青年の言葉に虎は喜色を浮かべた。
『シリンさーん、俺たち身体洗ってきます。・・・あ、近くの水場、使っていいですか?』
「!!・・・あ、どうぞ!」
互いの無事を喜んでいたシリンは、急に話しかけられ慌てて返す。
『あと、ウルフがまた来るかもしんないんで、家の中入っといた方がいいですよ!もう暗いし!』
「ええ!そうさせていただきます!お二方も、用がお済になったらどうぞこちらへ!」
そんな会話を交わし、虎と青年は清水の流れる木立の中へ、シリンは子供たちを促し小屋へと向かう。
一方、巨鳥は何か言いたげに虎と青年を見送った。
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水深の碌にない沢で虎がゴロゴロと転がり血を洗い流していた。
青年は岩に腰掛け虎に尋ねる。
「あれは、今のあなたと地続きなんですか。」
『ん?』
虎は問いの意味がわからず青年のことを見上げた。
既に周囲は夜のとばりが降りていたが、幸い衛星が昇り真っ暗闇、というわけではない。それに、虎は元より青年も夜目は利いた。暗い中でも互いのことは見えている。
「・・・あなた前に言ってましたよね。あなたがかつていた世界では、剣で斬りあう時代はもうはるか昔だったと。」
『ああ、言ったな。』
虎は答えながら水流の中に大人しく身を沈める。といっても、その黒い身体のほとんどは水に触れず、闇の中で黒々と光っていた。
濡れた毛皮が月光を受けて綺羅めくのだ。
「――それに、仕留めた獲物の解体もできない。」
『ああ。覚える必要がなかった。特に俺のいた国ではな。』
「・・・つまり、そちらの世界では血を見るのが非日常に近いわけですね。」
静かな声音だった。
虎は軽く笑う。
『その通り。よくそこまで想像できたな。』
「・・・なら――」
『こんなふうに血だらけになるのは忌避するんじゃないかって?』
「ええ。」
虎は数秒沈黙し、その代わり尻尾でパシンと水面を打った。
『今更ツッコんだとこ聞くなあ、アル。』
「・・・今のは結局あなたが言ったじゃないですか。それに――。・・・いえ、なんでもないです。」
虎は再度笑った。
青年が、つい最近そのことに思い至ったのだろうと想像はつく。打ち切られた言葉はきっとそんな感じの内容だろう、と虎は思った。
軽い雰囲気を保ったまま、虎は少しの間悩む。
『どうなんだろうなあ。・・・確かに人間のままの俺なら、絶対やらないことではあるな。』
間を持たせるように、虎は前脚や尻尾で水面を打つ。
『・・・今の俺にも忌避感が無いわけじゃない。でも、そんなこと言ってらんないだろ。お前は守るのが得意、一方の俺にも十分な力はある。なら、ベターな選択をとるべきだ。』
虎の言葉はあくまで軽い。
そこには、人外となった驚きも葛藤も、ましてや自己犠牲的な響きや抑えがたい嫌悪などもなかった。
だが、少なくとも葛藤はあったはずだ。何しろ彼は元々人間だ。しかも平和な国で普通に暮らしていたただの人。
それが自らの鋭い牙と爪を用いて生物を殺す。
普通ならできないことだろう。
だが、虎には――宵闇には可能だった。
それが、アルフレッドの眼には矛盾して映ったのだ。だからこそ“あれは今のあなたと地続きなのか”と聞いたのだ。
虎もまた、その点には自問自答を繰り返していた。
初めこそは、それこそ驚きも葛藤もあった。
だが結局のところ、彼は彼自身の意思でその身に帯びた牙と爪を振るっている。
様々な理由はあれど、それだけは確かだった。
『――それに、あの瞬間は俺もアドレナリンに操られてんだろうな、あんまり躊躇も忌避感もない。むしろ楽しい――、・・・そうだな、俺はあの瞬間を楽しんでる。』
まるで答えを探すように虎は呟き、次の瞬間自嘲の息をついた。
『いやあ、改めて認めると中々な衝撃だが・・・。やっぱ不思議と嫌悪感はねえな。』
そう言って、もう一度パシンと虎の尻尾が音を立てる。
『これが元から俺の持ってた性状なのか、あるいはこの世界に来てから生まれたモノか、判断はつかねえけど。ま、文豪の中島さんに言わせると、“人はみな猛獣使い”だそうだから、案外元から持ってた性質なのかもな。』
「・・・。」
――とはいえ、隴西の李徴ほど拗らせちゃいないが。
そんな、笑みを含んだ言葉が薄闇に続く。
「・・・また、いくつか言葉が不明なんですが。」
虎の返答を聞き、青年は言葉を迷った末いつもの文句を口の端に乗せた。
常なら虎の懇切丁寧な説明が続くところだが――。
おもむろに、虎は水中からザバリと立ち上がり、青年を振り仰いで告げた。
『それは後だな、アル。あんまりシリンさんたちを待たせちゃ悪いだろ。』
「・・・そうですね。」
話を打ち切りたかったのか、それとも本気で言ったのか、その判断がつかない声音で虎は言う。
わざわざ逆らう理由も無し。
青年もまた大人しく虎の言葉に従った。
第21話「隴西の李徴も虎になった」
例の作中には「他人から批評されるのを恐れ、“自分に才能がない”と思い知るのを恐れ、私は臆病な自尊心と尊大な羞恥心とを肥え太らせてしまった」的なくだりがありますが、あれが心にキますね。




