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魔法国家騒動記48

 外に出て気付いたが、貴族のお屋敷の周辺を通る道は広く、敷地が広い分、道もどこまでも一本道で逃げ込む場所がない。

 しかも、あまり人通りが多くない。そんな場所を全力疾走する、男性用の訓練着を着た女。もし、偶然私の存在を知るリーディア伯爵家の者に見られたら、脱走が一発でバレてしまう。

 リーディア伯爵に迷惑をかけるつもりはないから、見つかったら大人しく連れ戻されるつもりでいる。けれど、それはウィル自治区の情報を少しでも得てからだ。

 でも、どこをどう行けばいいのか、誰に問えば知りたい情報が手に入るのか、今更ながら何の当てもないことに気付く。

 ……取り敢えず、下町。

 ふと、マーシュの顔を思い出して、私は取り敢えず足を止めた。膝に手を当てて肩で息をしながら、周囲をゆっくりと見回す。

 あの時、魔法騎士団に踏み込まれて引き離されたまま別れ別れになってしまって、きっと彼は私のことを心配してくれているだろう。

 しかも、彼はウィル自治区出身者だ。それに、下町はウィル自治区に近い。何があったのか、きっと詳しい事を知っているはずだ。

 ようやく見えた分かれ道で、私は近くを歩いていたどこかの屋敷の使用人らしき少女に声をかけた。

「川へ出るには、ここからどう行けばいい?」

 少女は怪訝な表情を浮かべながらも、右へ曲がる道を教えてくれた。

 マーシュの元へ辿り着くには、カーヴェリ川を下流へと下ればいい。って、もちろん川に飛び込むなんて馬鹿な真似はしない。川沿いに下流方向へと歩けばいいんだ。そうすれば、下町に辿り着く。

 教えてもらった道を進むと、やがて川らしきものが見えてきた。

 ……よし!

 意気込みながら、川に沿って伸びる道へと足を踏み出した瞬間、私は思わず喉から出そうになった悲鳴を慌てて飲み込み、元の道に逃げ込んで道沿いの塀に背中からへばりついた。

 ……ガーラント師団長の、執事。

 忘れもしない。横顔だけだったが、あの顔を忘れられる訳がない。

 エヴァントだ……!

『汚らわしい!』

 そう吐き捨て、狂気の色を浮かべながら何度も刃を振り下ろす、あの光景がよみがえってきて、私は込み上げる吐き気を何とか堪えた。

 全身から噴き出した汗が、一瞬にして体を冷やしていく。と同時に震えが止まらなくなった。

 ……身体はどんな深い傷を負ってもすぐに元に戻るのに、心はそうじゃないんだ。

『君は、自分の身体が傷つくことに慣れ過ぎてしまっている』

 労わるようなフレドリックの優しい目を思い出して、私は一つ大きな息を吐いた。

 私も、慣れていると思っていた。でも、やっぱり傷つくのは怖い。

 何度か深呼吸を繰り返すうち幾分落ち着きを取り戻した私は、覚悟を決めてそっと川沿いの通りを伺った。

 私が立っている場所から三十歩ほど離れたところに、執事エヴァントは立っていた。壁の方を向いて誰かと話しているのか、口を動かしている横顔が見える。

 と、川沿いの道を上流側から幌馬車がやってきた。私の目の前を通り過ぎ、エヴァントの近くあたりで停まる。その後ろからは更に二台の幌馬車が続き、最後尾の一台は丁度私の目の前に荷台の後ろがくる位置で停まった。

 と、その時、私が通ってきた道の後ろから、馬蹄の音が聞こえ始めた。それも、一騎や二騎の音じゃない。その音は確実に大きくなっている。

 まずい、まさか、追っ手!?

 焦ったが、今、川沿いの道に飛び出したら、エヴァントに見つかってしまうかも知れない。

 仕方なく、私は素早く最後尾の幌馬車の荷台に飛び乗ると、積み込まれている幾つもの木箱を乗り越えて、奥の隙間に体をねじ込んだ。

 その間にも、馬蹄の音はどんどん近づいてきて、なんと幌馬車の周辺で停まった。馬の嘶きと、踏み鳴らす馬蹄の音と、号令をかける複数の男の声がする。

 ……やばい。ここに隠れたの、バレバレだった?

 引きずり出されて連れ戻されるのか、と私はがっくりと項垂れた。が、いつまで待っても誰も来ない。

 それどころか、しばらく経って何か号令のようなものが聞こえたかと思ったら、私を乗せたまま幌馬車はゆっくりと動き始めた。

 うええええっ?

 思わず出そうになる悲鳴を飲み込み、張られた幌をそっと捲ってみると、真紅の制服が目に入る。

 ……魔法騎士団!?

 そのまま卒倒しなかったのは奇跡だった。

 ということは、エヴァントがいた場所は、表か裏かは分からないけれど、ガーラント師団長の屋敷の門だったんだろう。で、この幌馬車も第三師団所属のもので、騎士団員と合流してどこかへ行こうとしているんだ。

 そして、その先頭にはあの人がいる、きっと。

 ガーラント師団長が率いるのでなければ、彼の屋敷の前で待ち合わせたりしないはずだ。

 すぐ傍に、あの人がいる。

 私は、魔法騎士団本部を離れた日からずっと身につけているネックレスを、指先でそっと撫でた。

 もう二度と会うことはないと思っていたのに、偶然にも彼が率いる一団の幌馬車に忍び込んでしまうなんて。

 運命、という言葉が脳裏を過って、私は思わず熱くなった頬を掌で包み込んで首を激しく左右に振った。

 何、おとぎ話の女主人公ヒロインみたいなこと考えてんだよ。……っていうか、もう会わないってあの時心に決めたのに。

 このまま、この一団がどこへ行くのか分からない。けれど、一応下流方向へ向かっているようだから、このままここへ身を潜めている他ない。飛び降りて逃げるのは、周囲を魔法騎士に囲まれている以上、無理というものだ。

 冷静に判断を下すと、私は狭い幌馬車の奥に腰を落ち着けた。

 ところが、幌馬車はいつまで経っても止まる気配がない。ほぼ真っ暗といっていいほどの荷台の奥に座り込んでいた私は、適度な揺れも相まって、いつの間にか眠ってしまったらしい。

「貴様、何者だ!」

「怪しい奴め、引きずり出せ!」

 怒号と共に、少なくなった木箱の向こうから伸びてきた太い手に腕を掴まれ、言葉通りに引きずり出される。叩き付けられるように幌馬車から地面に落とされ、呻きながら起き上ろうとする背中を固い軍靴の底で踏みつけられる。

 ゴリッと固いものが後頭部に押し当てられ、私は息を飲んだ。魔導銃の銃口が突きつけられているのだ。

 さすがにこの状態で撃たれたら、死んじゃうだろうな。

 恐怖が突き抜け過ぎてふとそんなことを思った時、聞き覚えのある、ずっと聞きたかった、でも今もっとも聞きたくない声が静かに響いた。

「何をしている」

「ハッ、実は、幌馬車の中に、怪しい者が潜んでおりまして……」

 恐縮する魔法騎士の声を遮るように、大股で近づいてくる足音。

「師団長、危険です……」

 制止する声を無視して、恐らく私を踏みつけ銃口を突きつけている魔法騎士を引きずり倒した彼は、おもむろに私の腕を掴んで引き起こした。

 サラリと伸びた白銀の髪に、すっと伸びた鼻梁。細められた切れ長の目の奥で、怪しく光る金色の瞳。

 悪魔のように恐ろしく思っていたこともあったのに、今ではずっと眺めていたいと思う。

 相変わらず、力加減が分からないお人だな……。

 そう内心ぼやきながらも、痛いほど腕を掴まれているのに、嫌じゃないと思っている私もたいがい重症だな、とつくづく思う。

「貴様、こんなところで何をしている」

 前にも、同じことを言われたような気がする。

「何を、と言われましても、何から説明すればいいのか……」

 怒気をはらんだ鋭い眼光さえ、以前のように怖いからではなく、照れから真っ直ぐに受け止めることができない。

 視線を外し、ついでに周囲を見回した私は、思わず息を飲んだ。

「……ここ、は?」

 質問形になったけれど、見れば分かる。帰りたくて帰りたくて仕方がなかった、特警隊の本部、その玄関前の広場だ。

 けれど、本部の建物は半分崩れかかり、広場の片隅にその残骸が集められて山のようになっている。

 呆然としながらゆっくりと立ち上がると、私は改めて周囲の状況を把握しようとした。

 特警隊の庁舎は、正面玄関を中心に崩壊していた。正面玄関付近は一階から三階までほとんどの窓ガラスが割れ、ボロボロになったカーテンが時折風に煽られてたなびいている。

 瓦礫は粗方取り除かれ、広場の片隅に積まれているが、まだ大小様々な建物の破片が広場に落ちている。その瓦礫の山の中には、机や椅子、家具だったものの残骸が混じっている。

「……本当、だったんだ」

 ウィル自治区の警察組織が壊滅した、という噂は本当だった。

 じゃあ、皆は? ガルス隊長はどうなったの?

 周囲を見回しても、目に入るのは皆、魔法騎士団の真紅の制服を着た人たちばかりだ。

 振り返ると、無表情のガーラント師団長と目が合う。

 聞きたいけど、聞けない。聞くのが怖い。もし、最悪の結果を突きつけられたら、私はきっと耐えられない……。

 何も言えないまま俯いた私は、ガーラント師団長の無機質な声に、弾かれたように顔を上げた。

「死者は五名。うち、一名は魔法騎士だ」

「……っ!」

「犯人は魔導弾を複数個体に巻き付けた状態で、市場で奪った馬を駆って突っ込んできた。制止しようとしたが、玄関前まで侵入を許した。魔法騎士が魔導銃で犯人を撃ち、落馬した衝撃で魔導弾が爆発。以上だ」

 報告書を読み上げるように早口でそう言ったガーラント師団長は、素早く私の二の腕を掴んで引き寄せた。

「分かったら、さっさとリーディア伯爵家へ帰れ。ここは、お前がいていい場所ではない」

 強い光を帯びる金色の瞳に射すくめられて、私は何か抗えないものを感じた。けれど、ここまできて、知るのが怖いからといって、確かめずにはいられないことがある。

「……ガルス隊長は?」

 言葉にならないほど、そう問う私の声は震えていた。

「た、……隊長は、無事、なの……?」

 表情から何も読み取ることのできないガーラント師団長の整い過ぎるほど整った顔を見上げながら、私はまるで神の裁きを待っているかのような気持ちだった。

「命はあるが、無傷ではない」

「!」

「王命により、特警隊の権限は公安省へ、つまり我が第三師団へ移譲された。ガルス元隊長は、他の隊員と同様、任務を解かれて自宅へ戻った」

「無傷じゃないって、怪我してるんですか?」

「そう報告を受けている。詳細は不明だ」

 二の腕を掴まれていなかったら、きっと地面にへたり込んでいただろう。

 生きていてくれたことは、正直嬉しい。犠牲になった人たちには本当に申し訳ないけれど、ガルス隊長が生きていると分かってホッとした。

 でも、隊長は怪我を負い、しかもあれだけ懸念していたのに、ついにウィル自治区の治安を魔法騎士団に渡してしまったのだ。きっと、精神的にも相当なダメージを負っているに違いない。

 ああ、今すぐ会いに行って、お慰めしてあげたい。……きっと、その役目は若くて美人な市長令嬢の若奥様がしているだろうから、私なんかお呼びでないことは分かってるんだけど。

「師団長、お呼びと伺い……、メウル? どうして君がここに!」

 聞き覚えのある声に振り向くと、フレドリックが愕然とした表情で立ち尽くしていた。

「……こんなところまで来る予定ではなかったんですけど」

「いやいや、こんなところまで、じゃなくて、君はあの別邸から出てはいけないんだよ。そう言わなかったかい?」

 怒りと焦りの混じった形相で詰め寄ってくるフレドリック。彼のこんな穏やかならざる表情を見たのは初めてだった。

「分かっていたんですが……」

「分かっていたのなら、どうして」

「特警隊が壊滅した、って噂を聞いて、居ても立ってもいられなくて」

「誰がそんな余計なことを君の耳に入れたんだろうね。兎に角、そんなこと理由にはならない。すぐに戻るんだ」

 フレドリックは、ガーラント師団長に掴まれているのとは逆の私の腕を掴んだ。

「師団長。申し訳ございませんが、一時任務を離れることをお許しください。魔導艇をお貸し願えれば、すぐに彼女を我が屋敷に送ってまいります」

 ガーラント師団長は、すぐには答えなかった。無表情で私を、というより、フレドリックに掴まれている私の腕の辺りを見つめている。

「師団長……」

「今、お前に任務を離れられては困る。魔導艇も貸せん」

「えっ、しかし……」

「今、お前一人で王都へ連れて戻ったところを、革新派かユーリ殿下の勢力に奪われでもしたら目も当てられん。こいつは、我々の任務が完了し、王都に凱旋するまで我が師団で保護する」

 私もフレドリックも絶句した。

「師団長、それはあまりに危険過ぎます。彼女は、反乱分子にとっても利用価値のある人だ。もし、奴らの手に渡ったら……」

「その時は、私自らこの手で息の根を止めてやる」

 ……久しぶりに、ガーラント師団長の白銀の悪魔と呼ばれる所以、容赦ない冷徹ぶりを目の当たりにして、私は身震いした。

「それが嫌なら、大人しくしておくんだな」

「……はい」

 しおらしく、私は頭を垂れた。


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