魔法国家騒動記49
ウィル自治区に入った魔法騎士団第三師団は、特警隊本庁の敷地に本隊を置き、以前とは比べものにならない厳しさで取り締まりを行っているらしい。
私は、特警隊庁舎の裏手にある宿舎の二階に部屋を与えられた。角部屋で、向かいがガーラント師団長の、隣がフレドリックの部屋になっているのだから、いかに私が重要人物かということは黙っていても他の魔法騎士たちに伝わってしまう。
魔法騎士達は貴族の子弟がほとんどだけれど、戦時の訓練も積んでいて、基本的な身の回りの雑事は自分たちでやってしまう。最初は、食事や洗濯なんかどうしているんだろうと思っていたけれど、思っていたよりも手際よく自分たちでこなしていた。
おまけに、私の食事や諸々のことまでしてくれようとするから焦ってしまった。
「いえ、大丈夫です。自分のことは自分でしますから」
流石に、いたいけな貴族の若者に、嫁ぎ遅れの平民女の洗濯物まで洗わせるわけにはいかない。
私の自室だった部屋は、すでに他の魔法騎士が使用していた。本当はその部屋に戻りたかったのだけれど、警備上良くないと反対され、渋々諦めた。その代わり、置きっぱなしになっていた私の荷物は回収することができた。
あんなに帰りたかった特警隊に帰ってこられたというのに、もう特警隊という組織自体が存在しない。隊員も解雇されてそれぞれの自宅に戻ったらしい。
もし、私がこんな立場に置かれてなかったら、実家に戻っただろうか、とふと考えた。
もう何年も、ウィル自治区の外れにある実家に帰っていないどころか、家族と連絡さえ取っていない。父や母が元気なのか、兄はもう結婚しているのか、それすら分からない。
私のように、特警隊しか居場所のない人は他にもいた。ヒーリィやサムじいだ。ヒーリィは私が王都へ連れていかれて間もなく特警隊を脱走したそうだから、どこで何をしているのか皆目見当がつかない。サムじいは、あの年齢になって、このウィル自治区で一体どうしているだろうか。
それより、ガルス隊長の怪我の具合が気になる。どうせ、魔法騎士は特警隊の怪我人を治癒なんかしてくれていないだろう。市庁舎の近くにある新居に戻って、若奥様と静かに傷を癒されているんだろうな。
私はある程度の行動の自由は許されていたけれど、それは特警隊庁舎の敷地に限定されていた。だから、どんなに気になっても、隊の皆が今どうしているのか様子を見に行くことはできない。
敷地内でじっと耐えること三日目の夕刻。夕日が最後の陽光を投げかけて消えた頃、それは突然起こった。
自室で一人寂しく夕食を終え、食器を下げようとトレーを持って立ち上がった瞬間、ズン、と地響きがした。次いで、窓ガラスがビリビリと音を立てて震える。
「な、何……?」
慌ててトレーをテーブルの上に置き、窓辺に駆け寄る。
青い薄闇に包まれた町の彼方、ある一角に黒々しい煙が上がっている。その煙の中に、赤や青、黄など目にも鮮やかな微粒子が光を放っているのが見える。
「……魔導弾!」
魔力を凝縮し、それを爆発させる魔導弾は、爆発すると魔力の粒子を放出する。
しかも、その方向に何があるのか思い出した私は、弾かれたようにドアを開け、会談を駆け下り、外に飛び出していた。
外は、魔法騎士たちで溢れていた。あの爆発を受けて、出動命令が下るのは確実。彼らは魔導剣や魔導銃、その他装備を確認しながら、指揮官であるガーラント師団長がいる庁舎前へと整然と整列する。
その様子を横目で見ながら、私は宿舎の裏手へ回った。元隊員だからこそ知っている、忘れ去られたような古い通用門へと駆け寄る。
胸の辺りまで伸びた雑草をかき分け、錆びた鉄格子の門を揺する。何度か体重をかけて何とか門をこじ開けると、私は夕闇が深くなる街へと飛び出した。
逃げ惑う人々の波をかき分け、一人流れに逆らいながら、私は混乱の中をある一点を目指して必死に駆けた。
……ガルス隊長!
爆発があったのは、恐らくウィル自治区の政治の中心部、市庁舎付近だ。そして、自治庁舎の隣に立つ市長の邸宅の敷地内に、ガルス隊長は新居を構えていた。
大丈夫。きっと、大丈夫。隊長のことだもの、怪我をなさっているとはいえ、あのお方がこんなことぐらいで死ぬ訳がない。
そんな風に自分に言い聞かせていないと、発狂しそうだった。
やがて、夕闇が炎で明々と照らし出され、色とりどりの魔力の微粒子をまとった黒々とした煙を噴き上げながら、崩れていく市庁舎が目に入った。
「なんて、こと……」
吹き付けてくる熱風に顔を覆いながら、私は呆然と立ち尽くした。
時刻的に、市庁舎に勤めていた職員は大半が帰宅した後だっただろう。けれど、残務処理で庁舎内に残っていた者たちも多くいたはずだ。
すでに、犠牲となった人々の姿は何人か目にした。治癒を施そうにも、明らかに手遅れと一目で分かる状態の彼らに、私は足を止めることもしなかった。
悪いけれど、私が探しているのはただ一人。
瓦礫が散乱する通りを駆け、目的の場所に飛び込んだ私は、思わずうめき声を上げて立ち尽くした。
地面に膝を付き、泣き叫びながら何かを必死で揺さぶっている若い女性。質のいい細身のワンピースに、襟から伸びる細い首。結い上げた豊かな金髪は崩れかかり、彼女が嘆く度に不安定に揺らぐ。
庭には、市庁舎から飛んできたと思われる瓦礫が散乱していた。その中に、私が探し求めていた人はいた。
うつ伏せで、両手を前に伸ばしたまま、女性が何度も体を揺すって呼びかけても何の反応もない。
「……ガルス隊長?」
嘘だ。予想していた最悪の事態が、こんなに簡単に現実になったりするもんか……。
囁くような私の声に、弾かれたように振り返った女性は、涙に濡れ取り乱していても十分に美しかった。
「助けて。夫を、どうかお願い……」
隊長の若き新妻は、縋るような目を私に向けた。
隊長のすぐ傍には、人間の頭の大きさほどの瓦礫が落ちている。あれが降ってきて頭を直撃したのなら、もう助からないかも知れない。
私はすぐに隊長に駆け寄り、そっと首筋に手を当てた。
かすかに、まだ脈があった。けれど、とても頼りない。
私は来ていた訓練着のポケットを探り、魔石のついた手袋を嵌めた。その手を、血に濡れたガルス隊長の後頭部に当てる。
……と、ある言葉を思い出して、私は息を飲んだ。
『君の持つ特異能力は、自己を自然治癒する能力の他に、治癒によって命を救った人間の心を奪うという恐ろしい力があるんだ』
以前の私なら、この状況を天が与えたもうた好機と喜んだだろう。
けれど、私は知ってしまった。この呪いの力に支配された人が、どれほど苦しむのかということを。
ガルス隊長はこんなに可憐な妻を持つ身でありながら、こんな凡庸な平隊員に自分では抑えきれない恋心を抱いてしまうことになる。清廉潔白な隊長が、そんな不実を許せる訳がない。
私は、とても酷いことをしようとしている。隊長にも、若奥様にも。
掌に収まる位置にある魔石を握るように、ぎゅっと拳を固める。
ガルス隊長は、私に生きる意義を与えてくれた大切な人だ。だから、彼を苦しめるようなことはしたくない。
でも、自分に救えるかも知れない命を見捨てるなんて、そんなことはできない。
私は一つ息を吐くと、覚悟を決め、改めて傷口に手を当てた。
お願いですから、隊長、私に惚れないでください。今の私には、あなたの想いを受け入れるなんて不実、できないですから。
何度も何度もそう繰り返しながら、私は手袋の魔石を通して魔力をガルス隊長に注ぎ続けた。
魔力が消費される気だるい疲労感が襲ってきた頃、ガルス隊長が微かにうめき声を上げた。
「あなたっ……!」
若奥様が歓喜の声を上げて、隊長の身体に縋り付いた。
「あまり急激に動かさないほうがいいです。ゆっくりと起こしてあげてください」
すっかり外傷も塞がった頭部から手を離した私は、今度は分厚い包帯に包まれている隊長の左腕に手をかざした。
「あなた、分かる? 私よ、ソフィアよ」
「あ、……ああ」
意識が戻ったのか、と顔を上げると、妻の細い腕の中に抱かれたガルス隊長が、真っ直ぐにこちらを見ていた。
「メウル? ……メウルなのか?」
その今まで見たこともない艶っぽさを湛えた隊長の目を見た瞬間、私はドキッとして立ち上がった。
「ここは危険です。でも、隊長を移動させるには私たちだけでは無理です。助けを呼んできます」
「ま、待て……」
こちらに伸びてくる手を見えなかったふりをして、私は踵を返した。
なぜか、隊長が結婚すると知った時よりも悲しかった。
いや、きっと、大切な人を傷付けてしまった、恩を仇で返してしまった自分への怒りだ。
もう二度と、隊長には会わない。会ってはいけない。
何も知らない若奥様が、嬉し泣きしながら隊長に語り掛ける声が、まるで鞭のように私の心を打ち続けた。
人手を求めて市長宅へ向かう途中、若夫婦を心配していた使用人達と出会うことができ、事情を説明して荷車を用意してもらい、二人の救助に向かってもらった。
彼らがガルス隊長らのいる庭の方向へ向かうのを見送ると、私はその場にストンと腰を下ろした。
急激に消費した魔力と強い罪悪感が、強烈な疲労感となって私に伸し掛かっていた。
本当に、あれで良かったのだろうか。
でも、例え呪いが発動してしまうと分かっていても、あのままガルス隊長を見殺しになんてできなかった。
申し訳ないと心から思う。でも、後悔はしていない。
けれど、心が重い。
王都に行くまでの自分だったら、若奥様が傷付くのを分かっていても、ガルス隊長の心を手に入れられたと喜んだだろう。
でも、そうやって手に入れた気持ちが本物じゃないことが、双方にとってどれだけ苦しいことか私は知ってしまった。知っていて、同じことを繰り返してしまった。
「ごめんなさい……」
膝を抱えて呟く。ガルス隊長に、そして、アレックス・ガーラントに。
「しおらしく反省したか」
突然降ってきた声に、私は驚いて顔を上げた。
いまだ燃え盛る市庁舎の炎に照らし出された白銀の髪が、まるで夕日のように神々しく照らし出されている。
「全く、お前は何度私を怒らせれば気が済む。命が惜しくないのか」
いつもなら、きっと、惜しいです、と答えるのだろう。本気で命を奪われるんじゃないかと怯え、慌てふためくだろう。
でも、何故だかその言葉が胸に沁みた。
惜しくない。あなたのために捧げられるのなら。
「どうした。何があった」
ガーラント師団長の声が、ほんの少し動揺しているように聞こえる。
「……ごめんなさい。……私、あなたに本当に酷いことをしました。私を殺して気が済むのなら、そうしてくれて構いません」
歯止めが利かなくなった心から、言葉が流れ出ていくようだった。
「何を言っている……」
「でも、私はあなたの命を救ったことを、後悔なんかしていません。そのことであなたを傷付け、今も苦しめているけれど、私は自分がしたことが間違っていたとは思いません。だって、あなたが傍にいるだけで、こんなに嬉しいから……」
愕然とした表情のガーラント師団長を見たのは、初めてだった。何か言葉にならないうめき声のようなものを発すると、彼は額に手を当てて、苦痛に耐えるかのように顔をしかめた。
ああ、また、彼を苦しめている。私はどうやったら、彼を幸せにできるのだろうか。
それとも、やっぱり私という存在が、彼を苦しめてしまうのだろうか。だったら、本当にこの命など惜しくはない。
と、視界の隅にある人物を捉え、私はそちらを振り返った。




