印(しるし)
――ここは氷河期を越え、のちに「縄文」と呼ばれる時代に入った頃のお話。
厳しかった氷河期を生き延びた人類は、自然にできた洞窟を拠点とし、厳しい自然の中でたくましく生きていた。
……はずなのだが。
ここに、ちょっと残念な男が二人いた。
「なぁ、何してるん?」
「見たらわかるやろ。落ちてた枝で土を凹ましてんねん」
「……楽しいか?」
「べつに。暇なだけ」
「確かに。獣から逃げ回ってメシにもありつけてへんしな。……てか、この形なんか見覚えあるぞ」
「あー、それはこれ見て描いた」
おらは足元に転がっていた物体を指差した。
「うげ。なんか嫌やわ。糞やん」
「なんやねん。おれも糞くらいするやろ」
「おれのはこんな形ちゃうわ。ちょっとその枝貸してみ」
おれはおらから枝をひったくると、地面に思いきり線を引っ張った。
「……ほら、おれのほうが上手いやろ。角度がリアルやねん」
「変に綺麗やとおもろないやん。おらの描いたやつのほうが、ちゃんとビチビチ感出てて糞のまんまやで」
「どこで張り合っとんねん」
くだらないマウントを取り合っていたが、地面に残ったくっきりとした溝を見つめているうちに、おれはふと気づいた。
「……なぁ。ここにこうやって枝で印をつけておいたら、おれらが後で落ち合う場所とかすぐ分かるんちゃうか?」
「おおっ! 天才やん! おれらこれで無敵ちゃう!?」
おれたちがドヤ顔でハイタッチを交わしていると、上から冷ややかな視線が降ってきた。
「君たち何してるん?」
村の女の子二人組が、呆れ果てた顔でこちらを見下ろしている。
おらは速攻で立ち上がり、カッコつけて胸を張った。
「見てや! この枝で地面なぞったら、好きな形に印つけられんねんぞ! すごいやろ!」
「……それより、食べ物ないん?」
「え?」
「ほんなん、食料獲れてたらこんなことしてへんわ」
「外に出たら、いつ獣に襲われるか分からんしな」
おれがボソッと言い訳すると、女の子たちはあからさまに引き始めた。
「……食べ物も獲られへんのに、地面に糞の絵描いて遊んでたん?」
「うわ、ほんまや。糞描いてるやん。……きっつ。糞野郎はほっといてあっち行こ」
二人の足音が遠ざかり、洞窟の中に虚しい沈黙が広がる。
「……なぁ」
「ん?」
「今の『糞野郎』って、絶対おらのこと言うたよな?」
「何言っとんねん、お前が糞指差したからおれのことやろ」
「納得いかんわ。ほな、糞以外の印で勝負や!」
「ええ度胸やな。ほな、おれはお前の顔描いたるわ。ブサイクに描いた方が勝ちやぞ」
「おう! おらもお前の顔描いたる!」
おれたちは腹が減っているのも忘れて、日が暮れるまで夢中で地面に互いの顔
をガリガリと刻み込み続けた。
言葉すらまだ曖昧だった時代。
おれたちは図らずも、人類史に輝く新しい『コミュニケーション』を手に入れた。
……まあ、女の子たちには完全に呆れられて、どこかへ去っていったのだった。
昔々の会話かもしれません。




