ティモの選択
ティモはルーシュの魔法によって怪我は治ったが、体中に打撲や骨折を多く負っていた為、まともに動ける様になったのは2日後の事だった。
その間、ルーシュは体中に傷跡を持っていたり、体の一部を欠損しているような少年少女の怪我を治してあげていた。親から受けた虐待、獣人と言う理由で受けた虐めの痛々しい痕を子供達は体中に持っていた。
「本当にティモの師匠は神様みたいだね」
と子供達が口にする。
ルーシュは父親に連れまわされた先々で多くの人々の怪我を治して来たので、褒められる為と言うよりは、体の一部を欠損した人々や隠せない傷跡を持つ人々を治すのは当たり前になっていた。
そんなある日の早朝、何とも甘酸っぱい良い匂いが孤児院の中に広がっていた。
「師匠、出来ましたー」
ティモは大きいパイ生地で挟まれたアップルパイを大事そうに掲げてやってくる。孤児院の子供達も興味深そうにそれを眺める。
「ほうほう、良い匂いだね。出来も良さそうだ」
「師匠の弟子ですから」
誇るようにティモは胸を張ろうとして、アップルパイを持っているのに気付いてテーブルに置いてから誉めて欲しそうにルーシュを見上げる。
ルーシュは良い子良い子とティモの頭をなでるのだった。
「じゃあ、お母さんのところに持って行くです」
「そ、そーだね。でも危なく無いの?獣人や魔族は入っちゃいけない場所だって聞いてるよ?」
ルーシュはティモが如何にして人間達のいる領域へ侵入したのかの方が気になっていた。よくよく考えればティモはかなり行動力が高い。自分の下に弟子にして欲しいと来たのもそうだが、ルーシュと出会う前も冒険者の館でアルバイトなどもしていたと聞く。そもそも冒険者の館で噂を聞いてルーシュの店にやって来たのだから。魔族を火刑に処そうとした騒動でも、魔族へ石を投げられないと意固地になって逆にイヴェールの騎士団に焼かる側に投げ捨てられている。頑固で行動力が強く、それは10歳に満たない子供の能力を遥かに凌駕していた。
「ルーシュ、ティモのお母さんに会いに行くの?」
レナは不安そうに尋ねる。どう考えても悲劇しか起こらない気がしているので、あまり首を突っ込ませたくないようだった。
「そうだよ?僕ならティモを抱えて空を飛んで逃げれば良いし」
「もう、開き直ってるよね、ルーシュ。空飛ぶのとか人前で飛んじゃいけないって約束無視だよね?」
レナは呆れたようにルーシュを睨む。
「僕は1つ学んだんだよ」
「ほほう?」
「あれは社会に馴染み、魔公が魔人に偽装する為の術。つまり、最初から馴染めない場所で偽装する必要性がないんだよ。勿論、空飛んで街の中に入ろうとしたら怪しげな人だと思われて中に入れてくれないかもしれないからダメだけど」
「…あれ、おかしい。ルーシュはまともな事を言っている?」
「おおい」
ルーシュの弁解が予想以上に理解できる内容だったのでレナは驚いていた。驚かれたルーシュとしては不満であった。
「それに…いざとなったら僕の光の魔法で記憶を直せばいいのだよ」
「治るの?」
「さあ?試した事ないし。だが、やる価値はあるのだ」
ルーシュは胸を張って言い切る。
確かに可能性はあるだろう。それに危険な場所へティモ1人を送るのはやはり気が引けるのだった。
そんな事もあり、ルーシュとティモの2人は小さなゴンドラに乗って、城塞へと向かうのだった。
裏手の水路を使って狭い路地を通り、人間と獣人を隔てる巨大な壁へと辿り着く。
さすがにそこは越えられそうに無いのだが、ティモはそこから道路の下にある排水口にも見えそうな狭い水路へゴンドラを漕ぐ。通っている頭がぶつかりそうな狭さだった。
ルーシュは頭をぶつけないように体を寝かすのだが、ティモは頭を下げつつ手だけで器用にゴンドラを漕いでいた。
「ティモ、舟を漕ぐのが上手いねぇ」
「そうですか?この街に生まれたら、3歳になれば小さいゴンドラの乗り方を習って、5歳には1人で漕いでお遣いにいくです」
「ほえー。そういえばティモはここの出身かぁ。僕も舟を漕いだ事はあるけど…」
ルーシュはかつて小舟を漕いだ事を思い出す。
あれは、レナに無理やりデートしようと連れ出され、男が舟を漕ぐのが当然なのだといってボートを漕がされた時だった。暗黒世界に綺麗な湖などは非常に少ないので、毒の沼地の上に小舟を浮かべたのだが、間違えて転覆させて酷い目にあったものだ。
狭い水路を抜けると、壁の先へと抜けて人間の町へ出るのだった。
廃れて汚らしい町並から一転して、綺麗な伝統のありそうなきれいな町並へと変わる。
ルーシュとティモはフードのついたコートを着込んで、周りに耳が見えないようにしっかりとフードを頭に被って隠す。冬場なので不思議に思う人は少ないようだった。冒険者カードを首にかける事で周りには冒険者だと示す。冒険者カードには裏面に種族は書いてあっても表面に種族は書いてないので、特に変にも思われない。
2人は何気ない顔で人間の町に侵入し、通りすがるゴンドラに乗る人間達に挨拶などをしながら堂々と街の中を移動していた。
舟の上にはちゃんと包みに入ったアップルパイが置いてある。
「以前、僕達が住んでいたのはここの店です」
ティモは近くを通るかつての家を指差す。
娼館『アンジュ・ドゥーシェ』という名前の店であった。
ルーシュもさすがにこの店がどういう店なのを理解する。女性が男性をもてなす店だ。父親によく連れまわされて、怪我をしている女性を治したりしていたので覚えている。
魔族の店と人間の店では色々と勝手が違うらしいが、子供がいるべきでない如何わしい店なのは確かである。それでもそこに勤めている女性が子供を作ってしまうケースは少なくなく、ティモのような娼婦の子供は暗黒世界でも往々に見かけていた。
「お仕事している途中にお母さんの所に行くと凄い怒られたです」
「だろうね」
「昔、凄い怒られた事があったです」
「そうなの?」
「出てけー…って言われて、それでおうちを出て行ったんです」
「そ、それはまた…」
流石にルーシュも出て行けとは言われた事は無いので、困ったように眉根に皺を寄せてぼやく。
「そしたら迷子になって…ゴンドラ使わないとお外の道はとっても複雑で…」
「やっぱり陸路は複雑なんだ。橋があちこちあるけど、真っ直ぐ進めないしグネグネしているイメージがあったからなぁ」
「……そしたらお母さん、ずっと探してくれてたみたいで…お母さん、凄く心配そうにしてたです。だから……」
ティモは困ったように口にする。
母親がティモに対して『知らない』なんて言ってしまったが、昔みたく、凄く心配しているんじゃないかと、どこかで思っているのかもしれない。
ルーシュはそう感じるのだった。
「お母さん、安心してくれると良いね」
「はいです」
ルーシュはこんな状況でも尚、母親を案じるティモの優しさを感じる。どうにか親子で暮らせる日が来るといい、そういう風に感じていた。
ティモはすいすいとゴンドラを漕ぎながら先へと進める。城塞付近へと辿り着くと、今度は狭い水路から、狭くて一方通行の洞窟のような水路へと入っていく。
「ティモ…こんな道をどこで…」
「たくさんあるです。小さい頃使っていた道が塞がっていたので、他に道がないかいろんな人に聞いたです」
「…」
ルーシュはティモの行動力には舌を巻く。そもそもイヴェール王国にいた頃から、ミストラル王国で母親を探す為に、若干7~8歳の子供の身ながら冒険者の館に出入りをして、ミストラルの孤児院に渡りをつけようとしていたのだ。世慣れているという点ではルーシュ自身よりも遥かに優れた少年である。
ルーシュや孤児院の院長達がいなくても、ティモのバイタルティならいずれ母親のいる場所に辿り着くだろう事は身近な人間達は誰もが感じてしまう。
孤児院の院長は余計な事をしたと思い罪の意識を感じていたようだが、誰かが保護者として近くにいてくれている今の状況は最善だったようにも感じる。
途中で上り坂になっている水路を逆走するように漕いで洞窟を抜けると、そこは城塞の中だった。まるで別世界のような美しい水上都市が現れる。
ルーシュも、観光地と言われても今までは全くピンと来なかった。
だが、大きい水路が広がり、水上に見栄えの良い船の店が浮かび、水路沿いには美しい商店街の町並がある。さらには都市部らしく背の高い館があちこちに立っていた。中央には石造りの王城、他にも青くて背の高い大聖堂といった趣のある建物が遠くに見える。
「綺麗」
「貴族の人達がたくさん住んでいるです。小さい頃はこっそりここに入って眺めてたんです。とっても綺麗ですよね?」
「これは凄いね。最初はどんな寂しい街なんだろうと思ったけど」
縦横に通る水路の周りにたくさんの橋があり、むしろ陸路は迷宮に見えなくも無いが、水面を進む分には整然とした町並が並んでいた。獣人達が隔離されている寂れて荒んだ町並とは大違いだった。
人もイヴェール程では無いが多く住んでいるようで、大きい水路はゴンドラで列を成している。
ティモは人の少ない細い水路を進んで裏手へとゴンドラを進ませる。
やがて裏手の人の目のない場所に辿り着くと、ゴンドラを岸壁につける。ゴンドラについたロープを岸壁の上に立つ柱へ投げ付けて括りつける。
ティモはアップルパイの包みを懐に抱えて、ロープをよじ登って岸壁の上へと向かうのだった。
ルーシュもロープを登って岸壁の上に行く。
「僕は絶対にこんな事は思いつかない…」
ティモの行動力にルーシュはお手上げと言わんばかりにぼやく。ただ、ティモは自分と違って丈夫な体をしていないので、それがちょっと危なっかしいとも感じるのだった。
「師匠、こっちです」
ルーシュは登り終えて一息ついていると、既にティモは行く方向へと歩き出していて、嬉しそうにブンブン手を振っていた。フードで隠しているが耳を見られたら大変な事になるのにポジティブな子である。
二人は背の高い豪華な邸宅に辿り着く。ティモは衛兵に見つからないように邸宅の外側の柵から中を覗きこむ。
「その前、あの衛兵さん達に酷く怒られたので近づけないです」
「ティモのお母さんがこっちに来てくれればいいのになぁ」
「ただ、お母さんと同じ格好をしたお姉さん達はお花の手入れをしにここら辺に来たり、お買い物をしに外に出たり、お客さんのお出迎えで玄関に来たりするのです。その時に声を掛けようと思ってるです」
「なるほど、我が弟子は賢いなぁ」
二人はそんな事を言いながらも、邸宅の周りを見回っている警備兵がこちらの方に歩いて来るののが見えたので、そ知らぬ顔をしながら違う方向へと歩いて逃げる。
そんな事を何度か繰り返して昼を越えた頃、屋敷の方からメイド達が3人ほど歩いて屋敷を出てくる。手には買い物用の荷物篭を持っていた。
「あ、師匠、いました。お母さんです」
「どの人?」
「ここから見て真ん中の人です」
「チャンスだね。出てきそうだ」
ルーシュは拳を握って小さく喜ぶ。朝にやってきてから実に4時間近くウロウロしていたので結構ハードだったらしい。ティモもフードの中に隠れた耳をピコピコと動かして嬉しそうにしていた。
流石にそれはばれるとばかりに、ルーシュは慌ててティモの頭を抑えるのであった。
そこでルーシュはふと気付く。
出かけようとしているメイド達はどこに行くのかと考える。この町は水路で移動するようで、基本的に徒歩で移動している人は少ない。陸にある店に行くにも、近くにゴンドラを泊めていた。つまりゴンドラで移動するのである。現在、ルーシュとティモはゴンドラではなく陸路で行動している。
「でも、よく考えたらゴンドラで移動するんじゃないの?ゴンドラに乗り込む前に声をかけないと」
「そ、そうでした。急ぎましょう、師匠」
ティモもルーシュに言われてハタと気付いて慌てて走り出す。
メイド達3人は屋敷の前の水路に停泊しているちょっと大きめのゴンドラへと乗ろうとしていた。恐らく買い物に行くのだろう。
ティモは走って3人のメイド達の前に出る。ルーシュは警備の男達に邪魔されないよう、ティモを守れる位置に立つ。
「お母さん!」
ティモは再度母を呼ぶ。するとハッとした表情でティモが自身の母だと言っていた女性だけが顔を上げてティモの方を見る。
「お母さん、僕です。ティモで…」
「いい加減にして!私は貴方のような獣人の子供は知らない!何で私の前に現れるのよ!他にもカモはいるじゃない!」
嘆くように女は怒鳴る。
だがルーシュはティモが声を掛けた時に即座に反応した女性がティモの母親で間違いないと察する。他の女性2人は全く反応しなかったからだ。そしてティモの事を忘れたわけではないのだとハッキリ理解してしまうのだった。
だがティモの母親はティモの母親である事を否定する。
「き、記憶をなくしたかもしれないです。これ、体に良い食べ物なので食べて欲しくて」
ティモはオズオズと恐れながらアップルパイを取り出して母親に差し出す。
「近付かないで!汚らわしい!」
近付くティモを母親はアップルパイを叩き落し、ティモを突き飛ばす。
ティモは尻餅をつき、突き飛ばされた勢いでフードが後に下がって白い耳が表に出る。
ティモは地面につぶれたアップルパイを見てしょぼんと耳が垂れる。そしてすがるように母親へ視線を向ける。
「お母さん……?」
だが、獣人を見た周りの人間達はそれを決して許したりしない。
「獣人よ!獣人!」
「汚らわしい!誰か!また獣人が城塞に入りこんだわ!」
周りのメイド達は騒ぎ立てる。周りにいる警備兵達が動き出す。ルーシュはわたわたと困り果ててしまう。
「やめてよ!私は幸せになれたのよ!侯爵様に水揚げされて………やっと裕福に暮らせるの。何で邪魔をするの!もう放っておいてよ!邪魔なのよ!どこかに消えて!消えてよぉ…」
ティモの母親は、ティモに罵声を浴びせ、そして懇願するように嗚咽する。
「!」
その悲しそうに怒っている顔は、ティモが幼い頃に仕事場に顔を出して怒っていた時と何も変わっていないことを感じる。
ティモもやっと母親が知らない振りをしているのだと気付くのだった。
「………な、なんだぁ………そっか……お母さん、もう僕の事心配してないです?………………良かったぁ」
「!?」
ティモは安堵したように、作った笑顔を見せる。
その一言に母親は衝撃を受けたように凍り付き、顔色を青くさせる。
「小さい頃、お仕事してた時、僕に出ていけって言って、僕がお外に出て迷子になっちゃったら、夜までずっと探して……、とっても心配させちゃったから………。だから、僕、ずっとお母さんの事を心配してたです。でも………………おかしいなぁ。……お母さん、心配して無かったから………嬉しい筈なのにぃ……」
ティモは笑顔で笑おうとしているのだが、目から涙がポロポロと零れ落ちていく。
溢れる涙が止まらず、拭いても拭いても涙は零れ続ける。
だが、騒ぎを聞きつけた近くにいた巡回の警備兵や門の近くにいた警備兵は、ついに駆け込んでやってくる。
だがルーシュも同時に走り出す。
「獣人が!また貴様か!」
「今度はボコるだけじゃ済まさないぞ!」
「ガキだからって世間舐めんなよ!この小汚いクズが!」
男達は既に抜剣してティモの方へと襲い掛かる。
ルーシュはティモに切りかかろうとする警備兵の前に立って体で剣を受け止める。普段、魔力を体に通さないようにしていたが、あえて魔力を体に少しだけ通して、ティモを剣から守ろうとするのだが、剣がルーシュにぶつかり崩壊する。ルーシュは加減を間違えたと少しだけ引き攣るが、それどころではない。
驚いている警備兵達を尻目に、ルーシュはティモを脇に抱える。怯えるように他のメイド達と寄り添うティモの母親を睨む。
だが、ティモの母親は息子を拒絶しておきながら、何故か申し訳なさそうな顔をしていた。そんな彼女を見て、ルーシュは酷く苛立ちとやるせなさを感じる。
「何でだよ!」
文句の1つも出てこず、ただ強く問いかける。そして、ルーシュは警備兵達が我に返るのに気づき、慌てて逃げ出すのだった。
「待て!このガキども!」
「リシュリュー家の人間にこんな事をしてただで済むと思うなよ!」
警備兵の一人はメイド達を心配するようにつき、残りの二人は逃げるルーシュを追いかける。特にルーシュに剣を壊された方の警備兵は無手なのにかなり怒り狂っていた。
「うっさい、バーカバーカ!」
ルーシュはベッと舌を出して、相手を罵る。ルーシュとて、可愛い弟子に悲しい思いをさせた人間達に対して腹は立っていた。
ルーシュは魔力を体に循環させて、身体能力を強化し、速度を上げて彼らを一気に振り切って逃げるのだった。
ルーシュは暗い路地裏へと逃げ込んでから、ティモを地面に降ろして一息つく。
ルーシュにとって魔力を体に流すのは呼吸をするより簡単な事だが、加減を間違えると簡単に周りの生き物を殺してしまう。よく授業や練習などをやっていたが、加減をするのは精神的に疲れるのだ。ここ半年ほど、グランクラブに来てからはほとんど訓練をしていなかったので尚更だった。
ティモは座ったまま手で涙を拭きながら鼻を啜っていた。
ルーシュは泣きじゃくるティモを見下ろして、ただ頭をなでてやるしか出来なかった。
「師匠…ぼく、どうして……お母さんが幸せになれて嬉しい筈なのに……」
「我慢しなくて良いよ。お母さんは幸せになれたかもしれないけど……子供が親と一緒に暮らせないのは悲しい事なんだから」
ルーシュはティモの頭をなでてあげる。その言葉を聞いてティモは顔を歪ませてルーシュの胸に顔を埋める。
「うあ……うう……うわあああああああああああああああん」
ティモは慟哭する。
ルーシュはティモを抱きとめ、頭を撫でながらあやす。
ルーシュはいつの間にか曇ってしまった空を仰いで、どうにもならないこの世界の悲劇を感じていた。
それから暫くしてルーシュ達は孤児院へと戻っていた。
ティモは泣き疲れてしまったようで、孤児院に帰ったらそのまま寝てしまった。布団で別室に寝かせる事にして、ルーシュ達はリビングで話をする事にするのだった。
ルーシュは事情を孤児院の院長に話をしていた。
「そうですか。………全て気付いてしまったのですか」
孤児院の院長も悲しそうに俯く。
「ルー君も辛い事につきおうたの。そんな事もあったのに、精霊達には大した影響も出ておらぬからの。よう我慢したの」
レヴィアはルーシュの頭をなでて誉める。
「ティモが我慢してるのに僕が我慢できなかったら申し訳ないし」
「ルー君は大人になったの。アイリーンの亡くなった離宮は未だに最悪な状況じゃと言うに……」
「うぐ」
レヴィアの言葉にルーシュは少し引き攣ってしまう。
ルーシュは精霊に愛されている。精霊に愛されているが故に、感情が高ぶると精霊が反応してしまう。悲しければ水の精霊が暴れて雨を降らせてしまう。つまり、ルーシュが泣くと雨が降る。まるで神話だが、数多の精霊を操る魔神の子孫であるルーシュの特別な才能でもあった。
レヴィアもまた水の精霊に愛されているので、ルーシュのこの才覚とコントロールの難しさについては身を持って知っている。普段から能天気なのも悲しみの感情を制御できるように厳しく教育をなされていたからだ。海神リヴァイアスの子孫であるレヴィアも、魔神シャイターンの後継者達と同じくらい厳しい感情制御と人間性を求められていた。
レヴィアが魔王家のご意見番兼魔王家の遊び相手の一人だったのには、魔王家の数少ない理解者であったからでもある。
「言っておくが、ルー君は我よりも遥かに精霊に愛されているから、本格的にルー君が感情を乱した日には、我とてどうしようもないぞ。ちょっとだけ心配しておったのじゃ。ルー君はどこかあの人兎族の子を自分と重ね合わせていたじゃろ?」
「…そんなことはないと思うけど……」
「ルーシュもお母さんから放置されて寂しがってたもんねぇ」
レナの言葉に対して、ルーシュは顔を歪めて渋々頷く。
「僕は寂しかったけど、レナもいたし、シホもいたし、レヴィアたんも遊びに来てくれたし、ダメ親父にも何かと連れまわされたし」
「いかがわしい場所にね」
ジロリとレナはルーシュを睨む。ルーシュは首をブンブンと横に振ってそれは無実だと訴えるが、そういう場所に連れまわされていたのは確かだった。
「でもやっぱり僕は寂しかったし、だからせめてティモにはお母さんと暮らさせてあげたいとは思ってたんだよ。手助けしたくなるでしょ?」
「ままならぬのう」
レヴィアは首を横に振る。
「ところで、この国は大丈夫なの?」
ルーシュはこの話を続けるのが気恥ずかしいので、話題をそらすように孤児院の院長に国の事を問う。孤児院の院長もいきなり話が飛んで、一瞬考えこんでしまう。
「政治向きの事は分かりません。国王様が変わられてから、獣人達への対応が随分かわってしまい……彼らはこの国を見捨てつつあります。私も……子供達がいなければどこかに移民をしていたかもしれませんね」
レナの問いに対して院長も首を横に振る。
あまりよくない方向へ進んでいるのだけは感じていた。ルーシュはこの国があまりにも貧富の格差が広がりすぎていて、社会活動が揺らいでいるように見えた。
「僕ら、そもそも難民を助けようって事で来たんだよね?一緒に来る?ガイスラー帝国のヴァロワ領って所でミストラル難民を受け入れてくれるって話なんだけど」
「子供達の中にはミストラルから離れたくないと言う子もいます。ここは獣人や魔族だけでなく、人間や亜人の子供も半分くらいいますし」
院長は孤児院の庭の方を見る。まだ昼の3時くらいで子供達は遊んでいた。庭では人間の子供、エルフの子供や人犬族の子供等が一緒に遊んでいた。
「子供達の間には…壁は無いんですけどね…」
この国では、人間やエルフたちの住む区画とその他の種族が住む区画の間に大きな壁を設けたが、決して人類の間で壁は無い。院長は悲しそうに呟くのだった。
「ルー君。ところで…そろそろガイスラーの難民対策に行くのじゃろ?」
「うん、ティモが心配だったからちょっと長く居過ぎたよね」
「明日は旅の準備をして、明後日にでも北に行こうかぁ。ヴァロワ伯爵って人を訪ねれば良いんだよね?」
ルーシュはうんうんと頷き、手元においてある自身のリュックから手紙を取り出す。イヴェールを出る前に冒険者の館経由で貰ったセドリック・イヴェールからスティード・ヴァロワ辺境伯への書状であった。
するとティモはとてとてとリビングに入ってくる。
「ティモ、起きた?」
「ううう、いつの間にか寝ちゃったです…」
ティモは泣きはらした為にまだ目が赤かった。
「まあ、大変だったからね」
「…」
ティモは母に捨てられた事を思い出してショボンと耳を垂らす。
だが、そこでふとティモはルーシュの方を見る。
「そ、それよりも…師匠、出ていくですか?」
「うん。この北にあるガイスラーで難民受け入れのお手伝いをする事になっているんだ」
「そういえば、この国を出て行くって言ってた人、たくさんいたです」
「そういう人を助けるお仕事をしに行くの」
「そうなんですかぁ」
ティモは寂しそうに俯く。微妙な空気に包まれる。
「ティモ、僕らと来る?」
ルーシュはふと口についてしまう。
「?」
急な提案にティモは一瞬意味を受け取れなかった。
「勿論、僕らは結構危険な旅をしてるし、最終的に暗黒世界に帰るとなるとティモはそこに連れて行けないけど…、そうなったらイヴェールでもここでも戻れば良いし。もしかしたら難民の為に新しい町を作ればそこは多分獣人の暮らしやすい町になると思うしそこで暮らしても良いし」
ルーシュはそんな事を口にする。
「別にその子が大人になるまで一緒にいても問題あるまい。我々魔公はゆったり生きておるし、5年や10年、こっちにいても文句は言うまいよ」
レヴィアは更なる提案をする。
「なる…ほど」
ルーシュはレヴィアの言葉を意外に思う。毎年、ちゃんと暗黒世界に戻ってきている人が、まさかそんな事を言うとは思わなかったからだ。
「良いの?レヴィアたん、毎年ちゃんと帰ってきたじゃん」
「そりゃ、シホやルー君は子供だから毎年帰らないと成長がみれんからの。ルー君生まれる前は10年や20年帰らない事もあったぞ?」
「そうなんだぁ。だってさ、ティモ。どうする?」
レヴィアが獣人の為に態々この世界に残ろうとするルーシュを後押しするので、ルーシュはそれに甘えさせてもらう事にする。
「一緒に行きたいです…。師匠と一緒は楽しそうです」
ティモは耳をパタ付かせて目を輝かせる。
「やったー。ティモがいれば、ルーシュが外出中でも食事に困らない」
「レナ、料理は覚えようよ…」
全然関係ない部分で真っ先に喜ぶのはレナだった。ルーシュはガックリと肩を落とす。
その場にいる全員が悲しい事を忘れるように苦々しい思いを飲み込んで笑うのだった。




