序
湿り気を帯びた暗がりの中で、その声は問うた。
(何故、彼は死んだのです?)
血気を抑え、それでも問わずにいられなかった。
その声色に、蔑みは微塵も含まれていない。ただ不可思議に思い、真実を知って己の訓蒙としたい……純粋な好奇心だけが感じられる。
暗がりの奥からその問いに応える者は、それを好ましく思った。
あの境地を覚醒させる旅へこの者を赴かせる時がついに来た。彼はそう得心した。
だが、そうと知られぬよう、問いに対して静かな声で応える。
(彼はその相手を「狩る」のではなく、「戦う」ことを望んだ……そして負けたのだ)
問うた者の喉が、理解出来ない……というように乾いた音を立てた。
(分からない。彼ほどの戦士なら造作もなく狩ることが出来ただろうに……新たな栄誉も受けられただろうに)
大抵の者なら「不覚を取った」「相手を侮った」と死者を蔑んだに違いない。
だが、「彼」はその若さに似合わず、思慮深く冷静沈着だった。
長老たちは、彼の中に既にひとつの資質を見出していた。
彼等は「彼」を密かにこう評していた。
――猛々しさでは他の者に決して後れを取らないが、血気や蛮勇をひけらかし誇示する他の者共とは異なる叡知を宿している――
――闘志が足らぬと叱れば猛獣の如く牙を剝き、軽率を諭せば沈思黙考し戦いに智謀を巡らせる――
――あるいはこの若者こそ、いずれ一族の未来に新たな次元をもたらすのではないか――と。
だが、それには称号が必要だった。それも、一族の誰もがそうと認めざるを得ないほどの高い武勲が。
彼が周囲に認められるには覚醒し、今の立場を踏み越えて会得したものを周囲に示さねばならない。
……それにしても、その切っ掛けが、先達の死とは……
暗がりの奥にうずくまった者……長老は思わずにいられなかった。
まだ未熟な若輩者だった頃から彼は先達を師のように思っていた。熟練した狩りを披露するようになってもなおその敬意は変わっていなかった。
だからこそ、彼が死に至った疑問を長老へぶつけずにいられなかったのだ。
……聞いたか。お前の死は、無駄ではなかったぞ……
高みを目指してゆく若者が、その死にざまから何かを得ようとしている。
暗がりにうずくまった長老の喉が、満足げに乾いた音を立てた。
(お前はその経験がない故にまだ知らない。相手の尊厳を認めたとき我等は敬意を表し、己を相手と同じ場所へ置いて戦わずにいられない。尊ぶべき我ら一族の掟だ……)
(……)
(血気に逸る多くの輩は、ただ勝ち、殺し、勝杯を得ればそれを栄誉と思っている。相手を屠った己に酔いしれたところでそれに何の価値がある? 無知蒙昧なだけだ……)
(敵である者に尊厳を感じることがあるのでしょうか……)
長老は首を振った。
(それはお前自身が見つけ、悟らねばならぬ)
(……)
(もしお前がそれを得れば、その勝杯が醜く小さなものであったとしても、お前はそれを生涯の誇りとするだろう。心ある者は畏敬の念を持ってお前を見ずにいられない。お前は、今のお前とは違う何者かになるのだ)
ゆっくりと身を起こした長老は、それまで諭していた若者を差し招き、星々の海を示した海図の一角を示した。
(この刻に、ここへ行くがいい)
辺境の、無名の地。
そこの文明は彼等とは比べ物にならないほど低い。
だが、その地域について、長老たちの間では暗黙の認識があった。
――そこに住まう者を決して侮ってはならない――
現に、武勇の誉れ高い者ですらそこでは幾人も命を落としていた。
そして……そこの原住民の中でひときわ高い武技を会得した者同士がまもなく、示された場所で雌雄を決しようとしている。
長老は、いま、その場所へこの若者を立たせようとしている。
彼の場に身を置けば、あとは黙っていても「彼」の身体の中に流れる一族の血が教えてくれるに違いない。
仮に命を落としても悔いはないだろう。崇高な戦いに倒れる己の生き様に満足するはずだ。先達の死が、おそらくはそうであったように。
だが、それを口にすることなく、彼はただ、厳かに告げた。
(ここへ行くがいい)
(死を賭してもお前の得るべきものがそこにある……)




