第169話:【169日目】ホワイト村の買収と、お姉様への内定通知
「敗北……ね。完璧に計算された数理モデルが、現場の不合理な感情とボイコットによって瓦解する……。フッ、金融の市場でも滅多に見られない見事な『市場の流動性フリーズ』だわ」
占領されたホワイト村の本社ビル、最上階の役員会議室。 全現場のストライキと三幹部によるシステム麻痺によって逃げ道を完全に塞がれ、白馬の騎士ギルドや警備隊によって丁寧に拘束・軟禁された状況の中で、レイカは会議用テーブルの高級レザーチェアに静かに腰掛け、腕を組んでいた。 卓上には、シルフィが配慮として淹れていった温かいハーブティーが湯気を立てている。
隣でニートの息子リオンが、「おいおいおいマジかよ!? レイカお姉様でも勝てないのかよ! 俺の不労所得ライフはどうなっちゃうんだよぉぉっ!?」と頭を抱えて叫んでいた。
「騒がないの、リオン。最後に169日目の日めくりを済ませなさい。敗者であっても、決められたプロセスは最後まで完遂するのがプロの流儀よ」
「う、うう……頼むぞ、最後くらい最強の逆転アイテム出てくれえぇぇっ!」
リオンが泣きべそをかきながら、手元のクリスタルカレンダーの画面をスワイプした。
残り196日 → 195日
シートから溢れ出した白銀の光の中から現れたのは、高級感のあるシックな黒革で仕立てられた、素朴な書類保管用のバインダーだった。
SSR【魔導・契約書ホルダー】
『※重要な書類や雇用契約書、協定書を魔術的に保護し、劣化や改ざんを防いで整然と保管するための高品質な革製バインダーです』
「……はあ!? 最終決戦の土壇場で、ただの書類バインダーだとぉぉぉっ!?」
リオンが脱力してテーブルに突伏す。 だが、レイカはそのバインダーを指先で受け取ると、最後の余力となった魔力を注ぎ込み、冷徹な笑みを浮かべた。
「ただのバインダー? 違うわ、リオン。これは双方の合意形成を瞬時にデータ化し、敵対的買収を一方的に確定させる完璧な『買収契約書』よ」
レイカはバインダーを開き、光のペンを滑らせて占領地であるホワイト村の全アセットおよび事業の返還・引き渡し調書を書き上げようとした。 外資系金融の最高幹部《MD》として生きてきた彼女の辞書に、「ぬるま湯の敗走」という選択肢はない。負けた以上は自らの手で事業を清算し、市場から潔く退場する――それがレイカの譲れないプライドだった。
「……そこまでだ、姉さん」
静かな、しかし確固たる響きを持った声が会議室に満ちた。
重厚な重ね扉が静かに開かれ、タクトを先頭に、秘書のシルフィ、大盾を抱えた最高安全責任者ザンギュラ、モップを肩に担いだ黒崎、バケツを抱えたスー、勇者アーサー率いる「白馬の騎士」たち、アンド完全復帰を果たした三幹部(ネクロディア、グレイシア、シオン)が堂々と足を踏み入れた。
「タクト……。勝者が何の用かしら? 敗軍の将として、私は外資の流儀に従うわ。この『買収契約書』にサインし、ホワイト村の全アセットをあなたに返還・譲渡した上で、私はこの世界からデリート《退場》する。それが『アップ・オア・アウト』のルールよ」
レイカは氷のように冷たい瞳でタクトを見つめ、ペンを走らせようとした。
だが――タクトはゆっくりと歩み寄ると、レイカの手から『買収契約書』をすっと取り上げた。
「サインなら、もう俺が書いておいたよ。姉さん」
「……なんですって?」
レイカが微かに眉をひそめる。 タクトがバインダーを開いてレイカに示してみせた書類。そこに書かれていたのは、ホワイト村の接収通知でも、解雇通告でもなかった。
金文字で美しく印字されていたのは――【雇用内定通知書】。
『職種:ホワイト株式会社 最高投資責任者《CIO》兼 CFO補佐』 『提示条件:定時退社原則(残業は事前申請制)、完全週休二日制、有給休暇年間20日保障、特別経営インセンティブ支給』
「な……何よ、この戯言のようなオファーは……!? 私はあなたを追い詰め、会社を破滅寸前まで追い込んだ敵なのよ!? 敗者を切り捨てず、内定を出すなんて……正気なの、タクト!?」
レイカの冷徹な仮面が破れ、初めて感情を露わにした驚愕の声が響いた。
タクトは真っ直ぐに姉の瞳を見つめ返し、温かい笑みを浮かべた。
「正気だよ。姉さんの『成果主義』は、やり方こそ極端だったけれど、数字を読み解く分析力、無駄を削ぎ落とす資本効率の思考、そして圧倒的な実行力は本物だ。今のホワイト株式会社には、優しさやウェルビーイングを維持しながら、さらにスケールアップするための『強い投資の眼』が必要なんだよ」
「……投資の眼……?」
「ああ。成果のために人間を切り捨てるのは間違いだ。でも、人間の可能性と未来に投資して、最大の成果を引き出すことこそが、本当の経営だろう? 姉さんのその圧倒的な才能を、切り捨てる《アウト》なんてとんでもない。うちの仲間として、投資責任者として力を貸してほしい」
「タクト……」
レイカは息をのんだ。 前世で過労死に倒れた弟。ただ優しすぎるだけで、弱肉強食のビジネス界では生きていけないと高をくくっていた弟が、いまや自分すらも包み込む巨大な経営者の器となって目の前に立っている。
「それにさ……」 タクトは少し照れくさそうに苦笑した。 「前世では、俺が倒れたせいで姉さんにも辛い思いをさせたろ。今度はちゃんと、ホワイトな環境で一緒に働こうよ。定時で帰って、みんなで温かいスープを飲もう」
会議室に静かな沈黙が流れた。
後ろに立つ元CFOのグレイシアが、優雅に一歩前に出た。 「レイカお姉様。私も最初は、数字の美しさと効率こそが絶対だと思っておりましたわ。ですが、タクト様の創る『ゆとり』があってこそ、数字は真に輝くのです。私と共に、この会社の最高の財務・投資戦略を組み上げましょう」
ネクロディアも骨の手をカタカタと鳴らし、胸を張った。 「そうですぞ! レイカお姉様! あなたの提示してくださった極限の仕様書、実に見事でした! 今度はその知略を、現場のエンジニアが笑顔で輝くシステム開発のために振るってくだされ!」
シオンも静かに頷く。 「僕たち四天王……いえ、これからは五幹部として、世界で一番温かく、強い会社を作りましょう。レイカお姉様」
「ぷるるっ! ぷるぷるっ!」 スーも足元で全身を弾ませ、歓迎の意を示した。
「ハッ……バカバカしい」
レイカは溜息を吐き、眼鏡のブリッジを細い指で押し上げた。その口元には、呆れと、どこか吹っ切れたような柔らかい笑みが浮かんでいた。
「負けたわ。成果主義の論理ではなく、人の心を動かす『ウェルビーイング資本』の前に、私の投資ロジックは完全な不戦敗よ」
レイカはタクトから光のペンを受け取ると、流れるような美しい署名でオファー・レターにサインした。
「いいわ、タクト。最高投資責任者として、あなたの甘い経営に徹底的にツッコミを入れてあげる。覚悟しなさい」
「ああ、望むところだッ!」
タクトとレイカがしっかりと握手を交わした瞬間、会議室は盛大な拍手と歓声に包まれた。
「う……うわああああんッ! 俺はどうなるんだよおぉぉっ!? 俺もデリート《退場》されちゃうのかよぉぉっ!?」
テーブルの端でガタガタと震えるリオンに、タクトは苦笑しながら二枚目の書類を差し出した。
「安心しろ、リオン。君にもちゃんと内定を用意してある」
【雇用内定通知書】 『配属:広報・エンタメ事業部 見習い』 『業務内容:魔導カードゲームの品質デバッグおよび新コンテンツの試遊評価』 『支給手当:ポテトチップス無限支給、微炭酸ソーダ常時補給』
「……え!? ゲー、ゲームのテストプレイをして、ポテチと炭酸水がタダでもらえる……!? え、これでお給料がもらえるのかよっ!?」
「ああ。働きたくないという君の強い情熱とゲームへの執着は、ユーザー目線の娯楽開発において最高の適性だ。しっかり働いて、最高のエンタメを村に届けてくれよ」
「やる! やるよタクト社長ぉぉぉっ! 俺、一生この会社についていくッ!!」
リオンが感涙にむせびながらオファー・レターにサインし、会議室には大きな爆笑が巻き起こったのだった。
(残り195日。明日は何が出る?)
【169日目時点の主要キャラクター紹介】
■ タクト(ホワイト株式会社 代表取締役(兼PM)) 状況:成果主義を打ち破り、姉レイカを「最高投資責任者(CIO)」としてスカウト内定。ホワイト村の全事業返還と和解を完了させた。
■ シルフィ(社長秘書) 状況:レイカのスカウト受諾と内定合意に感動の涙を流し、新生ホワイト株式会社の組織拡大手続きを完璧に進める。
■ レイカ(ホワイト株式会社 最高投資責任者(元・魔王軍臨時CEO)) 状況:タクトの器と経営哲学に敗北を認め、オファー・レターに署名。最高投資責任者として強い会社作りを支える決意を固めた。
■ リオン(広報・エンタメ事業部見習い(元・魔王の息子)) 状況:『働きたくない情熱』とエンタメ適性を買われ内定を獲得。ポテチと炭酸水支給のホワイト環境に大歓喜している。
■ ザンギュラ(CSO(最高安全責任者)) 状況:無事に救出され、レイカの合流を「強い仲間が増えたな!」と豪快に歓迎。全社員の安全第一を誓う。
■ ネクロディア(CDO(最高デジタル責任者)) 状況:レイカの復帰を歓迎。「〜ですぞ!」の熱い技術者魂で、レイカと共に最高の開発環境構築を目指す。
■ グレイシア(CFO(最高財務責任者)) 状況:レイカと共に財務・投資の二大巨頭としてタクトを支える体制が整い、最高の笑みを浮かべている。
■ シオン(CIO(最高情報責任者)) 状況:情報網を目隠ししたノイズ回路を解除。レイカの合流を受け、世界中の情報と投資機会をモニタリング中。
■ 黒崎(見習い清掃員(元ブラックCEO)) 状況:モップを肩に担ぎ、「元敵だろうが能力を活かすのが本物のホワイトだな」とタクトの器に感銘を受けている。
■ スー(清掃局長) 状況:言葉は話さず「ぷるるっ! ぷるぷるっ!」と歓喜の鳴き声を上げ、新しい仲間となったレイカやリオンを歓迎している。




