第124話:【124日目】ブラックギルド連合と、塗り潰される市場
ホワイト株式会社の朝は、一分の隙もない完璧な顧客体験から始まる。
「……ん」
俺――タクトがベッドの上で微かに身じろぎした瞬間、寝室の壁面に埋め込まれたクリスタルが柔らかな琥珀色の光を放った。
先日導入した『魔導都市OS』が、俺の網膜に投影される半透明のUIを通じてバイタルデータを瞬時に同期した合図だ。
睡眠の深さ、心拍数、そして体内の魔力残量。それらすべての変数がリアルタイムで演算され、空調システムが室温と湿度を個別最適化していく。
乾燥しがちな異世界の冬特有の不快感は一切ない。肌に触れる空気は、まるで春の木漏れ日のように優しく、かつ清潔だ。
俺はサイドテーブルに置かれた魔導端末を手に取る。
画面の隅に表示された「電池残量100%」のアイコンを見て、俺は小さく口角を上げた。
村全域を網羅する魔力給電の恩恵だ。かつての前世で俺たちを苛ませた「充電を忘れる」という低次元なストレスは、このホワイト株式会社の寮内からは完全に駆逐されている。
窓の外を見やれば、朝霧の中に浮かび上がる村の景色。整然と並ぶ魔導タワーマンションと、計画的に配置されたインフラ施設。
それは、バグ一つ許されない高稼働なシステムそのものであり、俺が心血を注いで構築した最高傑作だ。
「さて……。今日の重要工程を確認するか」
俺はリビングへと移動し、壁に浮かぶ黄金の輝きを放つ日めくりカレンダーへと手を伸ばした。
現在、表示されているのは「残り241日」。魔王復活という名の納期まで、あと8ヶ月を切っている。
俺は透明な魔導シートを指先でスワイプし、ゆっくりと、しかし確実にめくった。
「残り240日」。
その瞬間、シートの間から溢れ出した眩い黄金の光が、部屋の隅々までを白一色に染め上げた。
重厚なシステム・ログが網膜を高速で流れ、粒子が収束して現れたのは、鈍い銀色の輝きを放つ精密な筐体だった。
SSR【市場感応計算機】
『※周辺諸国の商流、価格変動、資本の動きを動態観測し、経済的な異常検知を行う超高性能サーバー。見えない資本の侵略を可視化します』
「ついにキタか……。ただの『村』から『株式会社』へとスケールした今の俺に、最も必要な経営資源だ」
俺は即座に幹部たちを招集し、代表取締役執務室での緊急経営会議をセットした。
執務室には、いつものように特注のコタツを持ち込んで丸くなっている最高財務責任者のグレイシア。
そして、周囲に数十ものホログラムウィンドウを展開し、超高速で外部情報のソートを行っている最高情報責任者のシオン。
秘書のシルフィが淹れてくれた、香ばしい魔導コーヒーの香りが会議室に心地よい緊張感をもたらしている。
「さっそくドロップした計算機を基幹ネットワークに接続した。……グレイシア、シオン。この数字をどう見る?」
俺がデスク中央のホログラムプロジェクターに投影した赤いアラート。
それは、隣国である聖王国の経済圏で起きている、統計学的に無視できない異常な資本の偏りを指し示していた。
「……極めて不愉快な財務諸表ですわね」
グレイシアがコタツから身を乗り出し、宝石のような瞳を冷酷に細めた。彼女の指先が、赤い折れ線グラフの一部を強調する。
「聖王国内の小規模な職人ギルドが、次々と敵対的買収の餌食になっていますわ。仕掛けているのは――『ブラックギルド連合』。圧倒的な資本力で強引な過剰債務を押し付け、担保として技術と権利を毟り取る……。下劣極まりない手口ですわね」
シオンがホログラムを操作し、さらに残酷なデータを提示した。
「彼らの目的は技術の継承でも市場の健全化でもありません。短期利益を最大化させるための資産剥離です。買収したギルドの設備を売り払い、熟練の職人たちを低賃金で使い潰す搾取を常態化させています。市場が彼らに塗り潰されている状況です」
次々と表示される、廃業に追い込まれた職人たちの顔写真と、破綻した工房のリスト。
データを追うごとに、俺の奥歯がギリリと鳴る。効率という言葉を隠れ蓑にした、剥き出しの使い捨て経営。それは、前世で俺を過労死に追いやった、あの醜い思想そのものだった。
「……気に食わないな。人をリソースとしか見ない連中のやり方は、もはやビジネスですらない。ただの強盗だ」
俺が低い声で吐き捨てた、その時。執務室のドアが控えめにノックされ、一人の男がバケツとモップを持って入ってきた。
見習い清掃員の黒崎だ。かつてブラック企業のCEOとして、恐怖と搾取で帝国を築こうとした男。
「……掃除の邪魔をして済まないが、少し耳に入ったものでな」
黒崎は手を止め、俺たちの前に投影されたデータを冷徹な眼差しで一瞥した。
「タクト。その『ブラックギルド連合』とかいう連中……。かつての私と同じ、死に至る病に罹っているな」
「元ブラックCEOの分析か」
「ああ。奴らは目先の利益のために市場の根幹を食いつぶし、最後には自らも飢える。恐怖で縛る組織は、成長を止めた瞬間に内側から腐敗するのだ」
黒崎は自嘲気味に笑い、しかしその目はかつての暴君としての鋭さを取り戻していた。
「今のこの村――ホワイト株式会社のような心理的安全性を維持できない組織に、未来はない。だが、奴らの狙いは市場の独占だ。職人を使い捨てにして安価な粗悪品をばら撒き、健全な供給網を全滅させる。そうなれば、この村の物流もタダでは済まないぞ」
「……助言に感謝するよ、黒崎」
黒崎が黙々と床を磨きながら去っていく背中を見送り、俺は深く椅子に背を預けた。
決まりだ。敵は資本の暴力で市場を汚し、人々から希望を奪っている。ならば、こちらはそれ以上の圧倒的な力で、市場の秩序を書き換えてやるまでだ。
「シルフィ、プロジェクトを立ち上げる。全社員に通達しろ。これはホワイト株式会社の理念を賭けた戦いだ」
俺は立ち上がり、ホログラムウィンドウに新たなプロジェクト名を刻みつけた。
「相手が『奪うための買収』を仕掛けるなら、俺たちは『救うための買収』を敢行する。プロジェクト名:『白馬の騎士による救済的買収プロジェクト』」
シルフィが驚きに目を見開く。
「タクト様、それは……敵の買収から職人たちを保護し、うちの傘下として守り抜くということですか?」
「そうだ。ホワイト株式会社の潤沢な圧倒的資本を武器に、ブラックな資本を市場から一掃する。救済したギルドには、うちのスマートインフラを提供し、健全な労働環境を再構築してもらう」
俺は窓の外、自律的に、そして誇りを持って働く社員たちの姿を視界に収めた。彼らの笑顔こそが、俺たちの最強の無形資産だ。
「魔王を定時退社させる前に……まずはこのブラックギルド連合を、社会的に事業停止させてやる」
ホワイト株式会社による、市場クリーンアップ作戦が今、幕を開けた。
(残り240日。明日は何が出る?)




